第一話 グリーンベールの兄弟
深くもなく浅くもなく、大きな城屋敷の中で最も安全な場所に作られた、その部屋はウィリディスの居室であった。
室内に窓や高さのあるものが置かれていないのは怪我をしないようにと彼の兄――アレヴターウェンが取り計らった為である。
この日、弟と過ごすために早く仕事を終わらせたアレヴターウェンはその場所で午睡のまどろみに身を任せようとしていた。言わずもがな、最愛の弟と共に。
壁の分灯の温かな明かりは床に埋め込まれた柔らかなベットマットへ届き、その上にいる影を映し出す。暖かな着物と薄い掛け物を身にかけて、二人だけの楽園には穏やかな時が流れている。
アレヴターウェンはお腹に押し付けてくる可愛い頭をずっと撫でていた。なんとなれば、弟は手を止めると思いのほかしっかりとした眼差しで見上げてくるのである。
こちらは寝つけようとしているのにも関わらず、無言で”撫でて”と伝えてこられてしまったら従うより他にない。
込み上げてくる愛しさに苦笑をしながら、髪を整えるように指を動かし続ける。
アレヴターウェンは、その身の幸せを最大限に感受していた。
温かいものがウィリディスから伝わって、アレヴターウェンの中に入って来る。指、腕、最後に心臓へと届き鼓動が重なっていくと、まるで一つの身体になったかのような感覚を味わえるのである。
アレヴターウェンは静かに体の位置をずらし、喜びに満ち足りた唇で小さな頭に触れる。
彼は常々思うのだ。この七つの小さな男の子には外の世界があまりにも不釣り合いだと。この子の頭の中には幸せな優しい世界だけがあればいいと。
そんな事を繰り返して、ウィリディスがやっと眠りに就いた頃合いだった。
少し遠くから焦りを含んだ大声と共に急いた足音が聞こえてくる。だんだんに近づいてくる。相手が進んでいる通廊に通ずるのはこの部屋だけであり、アレヴターウェンを呼ぶその声がそれ以上近づくことは、黙って許容できるものではなかった。
ウィリディスが肩まで布に覆われていることを確認すると、アレヴターウェンは物音をたてぬよう自身を転移した。
「ウィリに怒鳴り声など聞かせてみろ、即刻首を落とすぞガルディアス」
光の溢れる通廊の中に突如として姿を現せたアレヴターウェンは、転移の魔法を発生させるために付けた腕の歯型を舐めて治癒する。
会って早々静かな怒りを滲ませるアレヴターウェンに対して、通廊をやってきた男――ガルディアスは息を弾ませながら告げる。彼にとってアレヴターウェンの怒りなど日常茶飯事であり、たいして気にするものではなかった。
「冷人だ。すまんが来てくれ」
数時間後、ウィリディスは瞼を開いた。
部屋にはひとりぼっちだ。何度見渡しても兄の姿の影も形もない。
昼寝から起きたら大好きな兄さまはいなくなっていた。……いつもこうだ。
眠りから覚めてすぐの温かい体と真逆に心は寂しくつめたくなっていく。
まただ。また、兄さまは行ってしまった。
ひとりぼっちの部屋で、ウィリディスはぎゅっと拳をにぎりしめる。誰もいない。兄さまがいない。
きっとまた、お仕事に兄さまが取られてしまったんだ。
失われた温もりを求めて、ウィリディスは虚空へと手を滑らせた。