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[第一章完結] 揺り籠の烙印者  作者: 葦藤 基
第二章 ウィリディスの冒険
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第十二話 音楽のおにいさん 後編

「”革命”も”無限のワルツ”も僕の曲じゃない。リジは誰が作ったかも知れない古い曲が好きなんだ」


 モモはティバーとまた二人になった。周囲の音を背に、二人は再度会話に興じる。彼らのいなくなった場所は少し寂しい気がして、モモはしばしの間その空間を見ていた。


「楽しくない音楽もあるんだね、あの人はくるしそうだった」

「まあ、時として音楽は人になにかを伝える。リジにとって、さっきの曲は聴きたくても聴き難いものってことさ。彼女にとって、無限のワルツは"音楽"ではなかったかも知れないな」

「今の曲、吹いててつまらなくなかったの?」

「ははは! つまらなくないよ、演奏はどんなに暗くても楽しめるものだ」


 ティバーが声を上げて笑う。どうやらモモの質問がツボに入ったらしく、彼はしばらく飲み物を口にできなくなった。


「それに……音とは、世界を探求するアプローチでもある。数理的でも哲学的でもない手法で、まったくの異端派だけどね。だから、すべての音が音楽になってしまうのもつまらないことなんだ」

「世界……?」

「そう、世界。すべてに通じる美しさを求めることだよ」


 答えを先に求めるものには、決して届かない場所を見つけたい。


 ティバーには心から愛するものがあって、産み出したいものがたくさんあった。だからこそ、やりきれない思いをしたこともある。


「音楽にもいるものさ、()()()()()()()だけの人間がね」

「フレディやリジも?」


 ティバーは首を振った。


「彼らは違う。歴史に残る"音楽家"だよ。影響し合ってまた素晴らしい音楽を創るだろう」


 ティバーは少し昔のことに意識を飛ばした。思い出すのはボロのあばら家。そして、そこにいた日々のこと。


「さっき、僕には帰るところがないって言ったね。でも二度と帰れない家なら、あるんだ。――そこには友人たちがいた」


 ティバーには、かけがえのない友人たちがいた。互いの努力を認めあって高め合える友人たちが。


「昔の僕は、プライドしか能のない人間だった」


 僕は一人だった。音楽にしか興味がなくて、周りはみんな低俗な愚か者だと思っていた。その低俗なことが、人にとって最も価値あるものとされることに気がついていなかったんだ。バカだと低能だと、下に見ていた人々の方が余程賢かった。

 人と違うことが特別で優れていると自惚れていた。

 絵も金も音楽も、人が価値があるとするから価値があることすら知らなかったんだ。


 ――彼らと出会う前までは。


「変な友人たちがいたよ。ものの数を数えるのが好きな錬金学者とか、カラスと喋れる天文学者とかね。僕らはみんな、"他人の言うことをきく"という才能が絶望的に無かった」


 思い出話をするティバーの表情はきらめいていて、数年ほど歳を巻き戻したかと見まごうほどだった。

 かつての光景に心を奪われている姿は、哀れに叶わぬ懸想(けいそう)をしている様子にも見える。そして、それは事実であった。


「でも僕は自分が思っているより強い人間じゃなかったんだ。だから、失った。もう僕には"帰る場所"がない。家も居場所も……。欲しかったもの、叶えたかった夢……()()だよ、()()失ったんだ」


 今はもう、彼らの好きだった曲ばかりが頭に流れてとめどない。

 思い出が苦しくて、感情を失ってしまいたいと願ったこともある、でもそうしたら彼らが好きだと言ってくれた音も消えてしまうから。それはイヤだった。

 ティバーは、彼らと出会ったからこそ"自分の中"に生まれた音楽を拠りどころにして生きているのだ。


「もう二度と手に入らないと分かっているから、だから眩しいだけだと言い聞かせてはいるんだけどね」


 友人とは離れ難いもの、大切なものだと説く、"帰る場所"を失った人間の物語は痛切だった。


 そして、ティバーの話を聴くモモは真剣だった。それは他人事の話ではないと幼心に感じ取っていたからかもしれない。


「ねえ、どうして。お家だったんでしょ。みんないなくなってしまったの?」


 一拍ほど思考して、ティバーは口を開いた。


「逃げたからだよ。僕らは諦めて逃げ出したんだ」

「みんな?」

「そう、みんな」

「なにから逃げたの?」

「なにから……だろうね、言葉にするのは難しいな」


 言い淀んだティバーは、分かりやすくするために例え話を切り出した。


「モモくんには大好きなお兄さまがいるだろう?」

「うん」

「なら、お兄さまと()()()()()()()()()()とどちらかを選ばなくてはならなくなったら、どうする?」


 モモは困ってしまった。モモには兄と同じくらい大切なものなんてありえないのだ。考えることもできなかった。


「困る」

「困る、ね。そうだよね、でも選ばなくてはいけないんだ」

「やだよ、意味わかんないもん。兄さまが一番大切なのに」

「意味わかんない、そうか。じゃあ選ばないで逃げちゃうか」


 ――逃げちゃう。その響きの悪い言葉にモモは顔をしかめた。でも、得たものはあった。ティバーの言いたいことが分かったのだ。

 

「おにいさんたちは、逃げちゃったんだ」

「ご名答、伝わって良かった。酷いものだろ、あんなの選べっこなかったさ」


 ティバーは天井を見上げて大きく伸びをした。モモも真似をすると、彼は苦笑して手元にあった酒をがぶ飲みした。


「この国は表向き平和だけれど、外の世界はそうでもない。……モモくんはもう少し大きくなったら、知ることになるだろうね。人の命や願いが軽々しく押し潰される世界だ。今は戦争がないだけ、まだマシかもしれないけど」


 旅のなかで見てきた多くの国では、こう考えられているんだ。"戦争でない時とは、すべて戦争の準備期間だ"とね。

 そして、アホらしいほどの莫大な金が使われる。その皺寄せは売られる子供や捨てられる老人、魔動機械のように働く労働者へ向かうというのに。


「戦争や軍拡を見て見ぬふりをしている連中は、愚かにも肯定している人間も、ほぼ例外なくその恩恵を受けている――資源や食糧、あるいは娯楽のために。反吐が出るよな、他人が傷ついて、死んで、殺しあうお陰で僕らは旨い飯が食えるんだよと平気でいる」


 それは、自らをも嘲るような吐露だった。


「その重みに耐えきれなくて僕は旅をしているんだ。誰の敵にも、誰の味方にもなりたくないから。偏った人付き合いもイヤだしね。正義を思い込まされるのは……もう懲り懲りだ」


 空になった酒瓶をだらんと下げて俯くティバーの姿に、モモは兄の姿を重ねていた。

 いつもきらきらしている兄が、暗くなってしまう瞬間。それはいつも戦争の話の時だった。


「ぼくの兄さまはね、ご飯の時に話してくれるんだよ。おいしいご飯はあたりまえじゃない……戦争の時は酷かったって」


 "戦争がないだけの時代じゃなくて、誰もがご飯をおいしく食べられる時代にしなくちゃいけない"とは、モモの兄、アレヴターウェンの言である。

 兄の言葉はモモの頭の中にしっかりと刻み込まれていた。


「モモくんのお兄さまは戦争に出ていたのか?」

「そうだよ。あまり話してくれないけど……兄さまも戦争は大嫌いだよ。この世界のしくみは間違ってるって、いつも言ってるもん」

「……そうか。そんな人もいるんだな。いつかまた会えたら、モモくんのお兄さまとも話ができるといいな」


 存外の感動に、ティバーは心からの笑みを溢してそう言った。


「それにね、ユカさんも言ってたよ。ぼくの兄さまなら、"世界を変えられる"って」

「そのユカさんというのは?」

「兄さまの知り合いの人、よくお家に来るんだ。具合が悪くなってね、いつもすぐにお手洗いに行っちゃうけど」


 モモが思い浮かべるのは、不健康を絵に書いたような人だ。モモに興味があるらしく、よく話しかけられるので記憶に残っていた。


「へぇ、私の友人にもそんなのがいたよ。ある時なんて、気分が良くなるからって便所の前で歌わせられた。間違いなく最高傑作だったけどね」

「どんな曲だったの?」

「ふむ、ではモモくんには特別に贈ろう。ああ……懐かしいなあ」


 ティバーは再び楽器を手にして、記憶から呼び覚ます。今はもう語り合えない、音を心地いいと言ってくれた友人のことを。

 本当に、本当に久しぶりにティバーは”最高の思い出”を奏でた。


♪~


 大切な友へ 証の歌を

 扉の先の 顔は見えない

 大切な友へ 希望の歌を

 いまさらだ 止めてなんてやるものか

 この歌がある限り

 歌い続けている限り

 小さな部屋へと届けよう

 いつか 扉が開くときまで

 僕は歌ってみせるから

 いつか 声が涸れるときまで


~♪


 ティバーが歌い終えると、いつの間にか二人の周りには人だかりができていた。なんと、この店に来ているほぼすべての人が注目していたのだ。


「おおい! みんな、ティバーの機嫌が最高だぜ!」


 リジ=フェレンが大声でそう(はや)し立てると、ルシエルの店はドッと沸いた。

 どうやら、彼女には場を盛り上げる才能が有るらしい――もちろんティバーの音楽が素晴らしいものであることの証左でもあったわけだが。


「おにいさんの音楽、みんなお気に入りみたいだよ」

「そのようだね。モモくんはどうだった?」

「最高だった!」


 大盛り上がりのなか、その他にもティバーは曲を次々と披露した。ノリがよく、誰もが踊り出してしまうような音に包まれて、店はダンス会場になった。

 見よう見まねでモモも体をひねったり、足でステップを踏んだり。喉が痛くなるほど笑って、足が痛くなるほど踊った。


 少し遠くへ目をやると、アドリアやポーデ、チグイルも晴れやかに踊っているのが見える。

 音楽ってすごいな。モモはそう思った。

 だって、演奏しているティバーでさえ楽しそうに笑っているのだ。ここにいる人々はみんな楽しそうなのだ。

 モモは歓声を上げて、音楽に身を(ゆだ)ねるのだった。











 真夜中になる前、月の戴く下でヴィナットレー家とモモは帰路につく。

 モモは明日こそ兄に会えると期待で心が沸き立つのと同時に、心にぽっかりと穴が開く心地も感じていた。

 不思議な心地で、モモにはよく分からない感情であったが、それは確かにおばあさんやカーチイル、音楽と離れてしまう寂しさであった。


 ぼくの"帰る場所"、ぬくもりに包まれた部屋。どうしてだろう、今思い出す窓のない部屋は、とても暗くて狭苦しいものだ。

 そうは思っても、モモはそこに帰りたかった。


 その後、ヴィナットレー家まで気合でたどり着いたモモだったが、疲れ果ててすぐに寝入ってしまうのだった。

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