7.ミルフェ姫はお暇です。
「おっそーいっ!」
塔に着いて、受け持ちの侍女のひややかな視線と痛烈な皮肉の混じった仕事の説明を受けてからミルフェの閉じこもっている部屋に入るなり、彼女に詰られた。
「ごめん、いろいろあって……」
説明できないのがつらい。部屋に入る前に王宮の侍女に手渡されたカットフルーツのシロップ漬けを彼女の前に置くと、ヴァーチェはやれやれ、と肩を竦めた。
「聞いたわよ。初日に寝坊して、朝ご飯抜きだったって。それにしても、随分遅かったじゃない」
「えっと、広い庭で迷っちゃって……」
「そう」
何で知ってるのか聞きたかったけど、短く答えたヴァーチェは、なんだか不機嫌そうで言葉を飲み込む。
「それにしても、ここに幽閉とか聞いてないわよ。あなた、知ってたんじゃないでしょうね。知っててわざと……持ちかけたんじゃないでしょうね」
入れ替わり、と言いかけて口をつぐむ。ここはいわば敵陣だ。どこに耳や目があるか分からないからね。
だから、互いを名前で呼ばない。これは、衣装を取り換えてる間に決めた約束だ。
「知らないよ、何も聞いてないし」
「どうだか」
ふん、と鼻を鳴らして彼女はカットフルーツに手を伸ばす。
あたしはその間に部屋の中をじっくり見つめた。
窓はなく、出入り口といえばさっきあたしが入ってきた扉だけだ。外には侍女が控えていて、一歩たりとも外に出そうとしない。あたしが入る時も、ボディチェックをされた。聞けば以前、婚姻の前に毒を呷ったりする妃がいたかららしい。
その毒を差し入れたのが妃についてきた侍女だったらしくて、妃本人も当然ながら、出入りする侍女のボディチェックも念入りにされる。
昔のこと、と教えてくれた侍女は話していたけど、口ぶりから彼女、その現場に居合わせたっぽかったんだよね。あの人若いし、そんなに前の話じゃないと思うんだけど……。
そこまで考えて、はたと気が付いた。
もしかして、黒獅子王ってすでに奥さんいるんじゃないの? で、その毒を呷った人って、黒獅子王に嫁いできた妃なんじゃ……。
そうだよ、美丈夫って言うのなら、それこそより取り見取りで女性が寄ってくるんじゃない? なら、何人も妃がいてもおかしくないよね。
いろいろ聞いた情報をつなぎ合わせてみたけれど、黒獅子王の情報ってマナーの先生から聞いたこと以外なかった。
村にいた時も、王都にいた時も、誰からも聞いたことがない。王都では館からほぼ出ない生活をしていたし、あたしに接触してくるような物好きはいなかった。使用人は無駄口をたたかないし……。
「……ねえ」
どう呼びかけようかと悩んで無難に声をかけると、顔を上げたヴァーチェは不快そうに眉をひそめた。
「……せめて主様とか姫様とか呼んでくれない? あなたはわたしの友達でも何でもないんですから」
「あ、ごめん。じゃあ姫様」
「……なに?」
尊大な態度をする。うーん、ヴァーチェの方がやっぱり妃っぽいよね。こんな態度、あたしぜったい取れない。これが主従逆で、そっちがわにあたしが座ってて、こっちにヴァーチェがいたら……あたしがヴァーチェにお説教食らってるシーンしか思い浮かばないんですけど。
自分で自分の想像に打ちひしがれていると、イラついたようにヴァーチェは「なんなのよ」と声をかけてきた。
「あっと……その、黒獅子王について、どれぐらい知ってます?」
「どれぐらいって……あなたはどうなのよ」
「あたしは……黒髪黒目のハンサムで美丈夫ってことぐらい?」
そう答えると、ヴァーチェに鼻で笑われた。ううっ。
「ほんと、何にも知らないのねえ。……まあ、あの方の情報はなかなか城の外に聞こえてこないから仕方ないけど。付け加えるとしたら、妻がたくさんいることぐらいかしらね」
「えっ、やっぱりそうなのっ?」
「……あなた、そんなことも知らなかったの?」
驚いて目を丸くすると、逆にヴァーチェに驚かれた。
「知らないよ……リーリャ村まで王都の噂なんてとんでこなかったもん」
「リーリャ……」
ヴァーチェが遠い目をしたのが分かった。うん、実際に遠いんだよ。馬車でもしんどかったもの。
「あきれた……。じゃああなた、まさか、黒獅子王の正妃になれるとでも思ってた?」
「だ、だってっ、父様が何も教えてくれないから……」
「自分で調べたりすればよかったじゃない」
「無理だよ、村から出てきて一か月は言葉遣いとマナーの講義でぎっちぎち、輿入れが決まってからはさらに講義が増えてぎっちぎち。王都に来てからあたし、館から一歩も出たことないんだもの」
「……そういえばそうでしたわね」
ヴァーチェはあたしの状況を知ってたのか、憐れむような目を向けてくる。
「なら、使用人に聞けばよかったでしょうに」
「そんな余裕なかったよ……」
「そう……」
「もしかして、黒獅子王があたしを見初めたってのも嘘なのかな」
父様の言葉を信じて、それ以外を知ろうとしなかった。父様の言う通りにしていればきっと幸せになれる。そう思ってたのも事実だし、疑うこともしなかった。
でも、王様の妻になるのは本当だった。ただ、何番目かの妻だということを教えてくれなかっただけで。
この国は、養えるだけの財があれば複数の妻を持つことが認められている。王様はそれだけの財を持っているということになるわけで、確かに何不自由ない生活は確約されてるとは思うけど。
「それは知りませんわ。有力者たちは皆、娘の絵姿を王に献上してるって言いますもの。きっとあなたのもわたしのも王の手には渡ったんだと思いますわよ。……わたしが選ばれなかったのは悔しいですけど」
「そっか……」
この時、気が付くべきだったんだよね。……王は、ミルフェの姿を知っていること。でも、あたしもヴァーチェも全然思い至らなかった。
「ともかく、あなたは庭の道を覚えて、なるべく早くここに来るようにして」
「え?」
「……退屈なのよ。王宮の侍女は、傍に侍るのは妃付きの侍女の仕事だといって話もしないんだもの。せめてあなたぐらい一緒にいて、話でもしていれば気がまぎれるから」
「そんなに退屈なら、なにか差し入れてもらったら? 刺繍とか好きでしょ?」
しかしヴァーチェは首を横に振った。
「糸も針もはさみもナイフも、一切だめだって」
「……それってもしかして」
「そう、以前自殺しようとした妃がいたから、ですって」
やっぱり。入口のボディチェックの入念さから気が付くべきだったかも。
「じゃあ、本とかは?」
「それもだめって言われそうな気もするわ。……だから、話し相手でもいないと気がまぎれないの」
半月とはいえ、一日中闇の中にいて、話し相手もなく一人で過ごさなければならない生活は退屈だろうなと思う。
母様の看病をしていた時だって、あたしは何もないところにずっといたわけじゃないし、母様の話を聞いたり、母様が眠ってる間は手仕事をしたりしてたし。さみしくはなかったんだよね。
「わかった。明日からはできるだけ早く来れるようにするね」
「じゃあ、何か話して」
「え?」
「だって、退屈なんだもの」
いや、わかるんだけど……あたしが話せることなんて大してないよ? 学はないし。
「何かって言われても……」
「何か一つぐらい話題はないの? 得意なこととか」
母様の看病とか、小さな畑のお世話とか……こんなの聞いても面白くないだろうし。いろいろ考えあぐねていると、ヴァーチェはあきらめたようにため息をついた。
「じゃあ、迷い込んだという庭の話をしてくれる?」
「えっ?」
「こんなに遅くなるまで庭をうろついてたんでしょ? どんな花が咲いていたとか、教えなさい」
それならいろいろ話せそう。あの二人のことと、庭のお世話のことを口にしないように気を付けながら、あたしは話し始めた。