6.庭師の兄は文官だそうです。
なんだかんだと喋ってる間にあたしのおなかの虫が主張し始めて、恥ずかしさで真っ赤になった。……二人が笑いを堪えているのが見えて、羞恥心より怒りに火がつきそうになる。
「失礼、ヴァーチェさん。すぐお昼にしましょう」
颯爽とお兄さんは出て行って、あたしは目の前でまだ忍び笑いしている庭師と向かい合わせで座っている。
「わ、笑えばいいじゃないっ」
「いや、ごめん。なんかほのぼのしてるなと思って」
それってほめ言葉じゃないよね。じろっと睨むけれど、庭師はお構いなしだ。
「それにしても……朝飯、食い足りなかったのか?」
「……寝坊して食べそびれた」
それを聞いてますます庭師は笑い出した。ああ、むかつくったら。
「お前、今日が初日だよな。ずいぶん豪胆な奴だ」
「だって、目隠しで階段登るとか聞いてないもの。すっごく疲れちゃって……」
「え? 新月の輿入れってそんなことするのか? それって危ないだろう?」
庭師は驚いたように目を見開いた。あ、もしかしてこれって他の人には聞かせちゃいけない話だった?
「手を引いてもらったからそれほどでもなかったけど、でも怖かった。……お城のしきたりって大変なんだね」
「そうか。……大変だな」
なんだか会話がかみ合ってない気がしたけどとりあえずうん、と頷いておく。実際大変だったし。
ほどなくお兄さんがお盆にいろいろ乗せて戻って来て、その話は打ち切りとなったけど、庭師のねぎらいの言葉は思いのほかうれしかった。
お兄さんの持ってきてくれた料理は実においしかった。あたしごとき侍女が口にしていいもの? と思うほどおいしくて、きっとヴァーチェはもっといいものを食べてるんだろうなあ、とちらりと塔のある方を見る。
「そんなに気になりますか? 君の主のこと」
「えっ」
お兄さんに主、と言われて一瞬きょとんとしてしまった。そうだった、あたしは妃の侍女で、主は妃となる。
「……はい、昨夜別れたきりなので」
「そうか。それは心配ですね。食べ終わったら行っていらっしゃい。きっと向こうも君のこと、心配しているでしょう」
「それは……どうかなぁ」
ただの侍女だし。義理の姉妹って言っても、一緒にいたことはないし、顔合わせたのも昨日が二度目だし。
「ふぅん……そうだ。もしさ、お姫さんが君を要らないって言ったら、俺がもらってもいいか?」
「えっ……?」
「おい、カルイ」
庭師の言葉に、お兄さんが窘めるように名前を呼ぶ。それまでの敬語が嘘のようにきつくにらむお兄さんに、ちょっと目を丸くしてしまった。
「君も、自分の主を信用しなさい。……主が侍女を心配しないはずがないでしょう?」
あたしの方に向き直ったお兄さんの表情はもう冷たさはなくて、眉をひそめている。
「ごめんなさい」
「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
促されて食事を進める。庭師は時折ちらちらあたしの方を見ながら、にやにやしてる。何だろうと首を傾げたものの、結局その理由は分からなかった。もしかしてあたしのテーブルマナーがまずかったのかなあ。……次回があったら気を付けよう。
食事を終えると、お兄さんは盆を持って消え、庭師はあたしの手を引いて井戸のところまでやってきた。
「ここからなら迷わないだろ。明日は朝ご飯、食べて来いよ」
「……わかった」
またおなかの虫に主張されたらたまんないものね。あの恥ずかしさがよみがえって来て、思わず顔を赤らめると、庭師はぽんぽんとあたしの頭の上に手を置いた。大して身長変わんないのに、ちょっと悔しい。
「じゃあ……」
「あ、そうだ。俺と兄貴に会ったこと、誰にも言うなよ」
「……えっ?」
どうして? 南の塔に行くのが遅くなったのかを説明しなきゃならないのに、二人に会ったことや庭師の仕事を手伝うことになったことを言わないわけにはいかない。
あ、でも……そうすると彼が手を負傷したことがばれて、首になるかもしれないんだった。それを回避するために、あたしが手伝ってるわけだし。
考えがまとまって庭師の方を見ると、あたしが考えてたことが分かってるのか、にっこり微笑んでる。
「……わかった。庭で迷ったことにする」
「それでいい。君は俺も兄貴も知らない。明日も頼むね」
「でも……毎日庭で迷ってたら変じゃないですか?」
そもそも、庭を横切ったのが間違いなら、罰を食らわされても仕方ない気がするんだけど。
「そのあたりはルークが何とかしてくれると思う」
「えっ」
「一応文官だからね」
そう告げてウィンクをよこした庭師の言葉を理解したのは、塔に行ってヴァーチェにしこたま詰られたあと、部屋に戻る前に侍女頭のデリラに叱られた時だったけど。
ともかく、あたしは本物のヴァーチェが待っている南の塔に向けて走り出したのだった。