4.入れ替わりました!
案内役が天幕を出たと言うのが聞こえて、ようやくあたしはヴェールを脱いだ。
ぐるりと見回すと、椅子と机があって、机の上には衣装が並べて置いてあった。
「これ、花嫁衣裳じゃなかったんだ」
「当然ですわ。そんな色気のない衣装で王の前に出るなんて、恥ですもの」
ヴァーチェはどうやらここで着替えることも聞かされていたらしい。どうしてあたしには教えてくれてないんだろう。
「あれ、でも飾り布がない」
「今つけているものをそのまま使うんですの。ここで、婚家のものをすべて脱ぎ捨てて、王家のものを身に着けることで、妃は一度生まれ変わったことになるんですの」
「よく知ってるね」
「……常識ですわ」
やっぱりヴァーチェが妃にふさわしいんじゃないのかなあ。……あれだけ妃になりたがってたんだし、きっと王家のしきたりやなんかをきちんと勉強してきているだろうし。付け焼刃のあたしなんかよりはよっぽど……。
妃の衣裳を広げると、金糸銀糸がふんだんに使われた刺繍が施され、赤や青の鮮やかな文様が描かれている。
「不死と繁栄の文様ね」
「え、わかるの?」
ヴァーチェの言葉にびっくりして振り返ると、冷たい目で睨まれた。
「この程度、当たり前でしょう? 自分で刺繍するときによく使う文様だもの。そんなことも知らないの?」
「刺繍……」
そういえば、詰め込まれた知識の中にちらっとあった気がする。あまりに不器用過ぎて、刺繍にかける時間が無駄だからと結局カリキュラムから消えたっけ。
「あきれた。刺繍一つできないの? あなた、それで本当に妃になるつもり?」
「……だよねえ……」
改めて突き付けられた言葉に、あたしはため息をついた。このまま妃になってもやっぱり幸せになれるとは思わないんですけど、父様。
「ねえ……一つ提案があるんだけど」
「提案?」
「ここで入れ替わらない?」
「……はぁ?」
思いのほか大きな声を上げたヴァーチェに、慌ててあたしは彼女の口をふさいだ。
「声が大きいよ。……ほら、ここまでずっとこのヴェールかぶってきたでしょ? 髪の毛も全部すっぽり覆い隠して。ついてきた宰相家の人たちはあたしたちの顔を知ってるけど、王家の人たちは知らない。名前も告げてないし、声も知らないよね。背格好もそんなに違わないじゃない?」
「は、肌の色が違うじゃない」
「今着てるのって腕も足も首も全部覆い隠すデザインになってるから、きっと気が付いてないと思う。……ヴァーチェは妃になりたいんでしょう?」
「それは……そうだけど」
ヴェールを脱いだヴァーチェは視線をさまよわせている。
「あたしは妃になんかなりたくない。あたしに務まるはずないんだもの。……だから、入れ替わらない? ヴァーチェの方がいろいろよく知ってるし、刺繍もできるし、妃にふさわしいと思う」
「で、でも、名前はどうするのよ。宰相家から輿入れするのはミルフェ姫、侍女はヴァーチェって伝わってるはずよ?」
「だから、いまからあなたがミルフェ、あたしがヴァーチェ。どう?」
ヴァーチェはじっとあたしを見つめたあと、小さくため息をついてうなずいた。
「いいわ。……あなたみたいなガサツな人がヴァーチェと呼ばれるのは耐えられないけど」
「じゃあ、決まりね。着付け、手伝うわ」
妃のために用意された煌びやかな上衣を手に取ると、あたしはにっこり微笑んだ。
◇◇◇◇
衣装を入れ替えて、ヴァーチェに妃の衣装を着せ、あたしは薄い色のサリーを着つけて、飾り布も交換して、ヴェールをきっちりかぶり直す。……ヴェールだけはどうやったら元に戻るのかわからなくて、ヴァーチェにやってもらったけど。
最後に肘の先まである手袋をつけなおして、終わったことを天幕の外に告げると、案内人が再びあたしたちの手を取った。
さっきまであたしの手を取っていた案内人はちゃんとヴァーチェの手を取ったようで、先に天幕を出ていく。あたしの手をとったのはどことなくごつごつした手で、おそらくは城を守る兵士の一人なのだろう。
案内人の声だけが少し遠くから響いてくる。
外に出たところで、ヴェールの上から何かを被せられた。
「今被せたのは黒いマントです。夜の王の目から妃を隠すためです」
煌びやかな花嫁衣裳のままでは、夜の王の目に留まる、ということみたい。それなら、館から出てくるときも白い衣装でないほうがよかったんじゃないかしら。
ああでも、着替えることで妃は生まれ変わると言っていた。なら、白い衣装はそういう意味なのかも。
「ここからは階段が続きます。足場が悪くなります。手を引きますからゆっくり上がってください」
まさか目隠ししたまま階段を上がるなんて考えてなかった。闇夜とはいえ篝火は焚いてあるらしいけど、マントをかぶっているから足元は見えない。
どれぐらい歩いていたのかわからない。ゆっくりした足取りで、しかし一度も休憩を挟むことなく歩かされる。これもどうやら儀式の一部らしい。
「もう少しです」
休みたい、と言いたくなったけれど、ヴェールをかぶっている間は無言を貫かなければならないとぐっと踏ん張る。
これを破ると、妃の資格を失うのかもしれない。……って、ヴァーチェが妃なんだから、侍女は関係ないんじゃ……?
それとも、声を上げると夜の王に気付かれるから、なのかも。きっとそうね。でなければ侍女まで同じようにする必要はないんだもの。
「最後の一歩です。気を付けて」
案内役の声が聞こえる。ヴァーチェは数歩先を歩いてるはずだから、あたしもそろそろだろう。そう思っていたら、不意にぐいと引っ張られた。どうやらあたしの案内役も沈黙を課されているらしくて、危険な場所とかを言葉でなくこうやって伝えてくる。引っ張られるままに大きく足を踏み出すと、ゆっくり手を引かれた。
すり足で進めばもう階段はなくて、普通に歩いていいらしい。
どれぐらい歩いただろう、足元が土ではなく、平らな床に変わったところで案内人の声が聞こえた。
「止まってください」
足を止めると、なにかが軋んだ音がして、それから重々しく扉が閉じたような音が聞こえた。
「もう大丈夫です。夜の王からあなた方は逃げ切りました。……マントを外しましょう。ですがまだヴェールは外さないでください。声もそのままで」
わかったとつぶやく代わりに小さくうなずくと、頭に乗っかっていたものが消えた。マント一枚って侮るなかれ、重たくて首も肩もすっかりかちこちだわ。
「ここから先へは我々は入れませんので、王宮付きの侍女に引き継ぎます」
「どうぞこちらへ」
おそらくヴァーチェにかけられた言葉だろう。足音が去っていくのが分かる。
「あなたはこちらよ」
手を取られてゆっくり歩を進める。とはいえ、闇夜の中を歩く時に比べるとずいぶん速い速度で曲がったり上がったり下りたり。
どれぐらい歩いただろう。ようやく手を引っ張られて足を止めたのは、少しだけいい匂いのする場所だった。扉が閉まった音がするから、きっとあたしに割り当てられる部屋だろう。
「もういいですよ、ヴェールを脱いでください」
分厚い目隠しを外すと、ランプの煌々とした光が目に痛かった。
「しばらくすれば慣れるわ。……あなたがヴァーチェさんね」
「はい」
目の前に立っているのは、薄い色のサリーに紅色の飾り布をかけた女性だった。垂れ目の上、目尻にほくろがあってなんだか色っぽい。
「わたしは侍女のミカ。よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
「まず、あなたは妃付きの侍女だけれど、王宮のルールに従っていただきます。宰相家のしきたりや慣習はすぐ忘れるように」
「はい」
言われるほど宰相家のしきたりや慣習に詳しいわけではないから、素直にうなずく。
「王宮の侍女の制服はかごの中にあります。侍女の仕事は朝早くから始まります。明日は日の出の鐘が鳴る前に起きて身支度をしておいてください。迎えが参りますから。王宮内の案内や、仕事についての説明は明日、迎えの者から聞いてください」
「はい」
「それから」
ミカはちらりと外に目をやって、小さな声で続けた。
「ここでは妃付きの侍女でも新米は新米として扱われます。周りにいる侍女はみんな先輩ですから、敬意を払って気を付けるようにね。とりわけ、濃いえんじ色の飾り布に気を付けて。侍女頭のデリラさんは厳しいから、目をつけられないようにね。マナーや言葉遣いのなってない侍女は徹底的に再教育という名前のいじめにあうから」
「……気を付けます」
そう答えたものの、再教育コースまっしぐらな気がするのは気のせいだろうか。ともかく、濃いえんじ色の飾り布を見たら頭を下げて通り過ぎるのを待つか、回れ右しよう。
「ほかに聞きたいことはありませんか?」
「あの……姫様はどちらに行かれたのでしょう。明日会えますか?」
「ああ、聞いていないのね? ミルフェ様は婚姻の儀式を執り行う満月まで、南の塔で潔斎に入られます。あなたはミルフェ様のお世話係だからもちろん会うことはできますよ」
「そうですか。……よかった」
ほっと胸をなでおろすと、ミカはにっこりと微笑んだ。
「それでは、今日はゆっくり休んでください。ようこそ、空の城へ。ヴァーチェ」
「ありがとうございます」
ミカを見送ると、寝台に腰を下ろした。
館を出てからどれぐらい時間が経ったのだろう。馬車はともかく、目隠しで階段を登るのは精神的にも疲れた。
それに入れ替わったことも……。
今日からあたしはヴァーチェ。ミルフェの名前で反応しないようにしなくちゃ。
満月まで半月。婚姻の儀式が終わるまで、なんとしてでも隠し通さないと。
ヴァーチェはちゃんとやってるかな。
「まあ、明日聞けばいいや……」
体を横たえると、寝台に体が沈んでいくような錯覚を感じる。そのままあっという間に眠ってしまった。