1.あたしが宰相の娘? 冗談でしょう?
母様が亡くなった。
長く患って眠るように亡くなった母様は本当に寝てるだけみたいで、ほんのり微笑んでるように見えた。
いつかはこうなるとわかっていた。母様を診てもらっていた薬師様にも長くないとは言われていたし、覚悟はできていた……つもりだった。
でも、つもりだけだったみたい。
今にも起き上がりそうな母様を見つめていることしかできなくて。
何かとお世話をしてくれた村長さんが何か言ってたような気がするけど、右から左で抜けて行って何を言われたのか覚えていない。
どれぐらい時間が経ったのかわからない。
夜が明けて、明るくなってやってきた村長さんに腕を引っ張られてのろのろと顔を上げると、村長さんの後ろに知らない男の人が立っていた。
「ミルフェ、お客さんだよ」
お客さん。
こんな時に?
視線を知らない男の人に向けると、疲れた顔の男の人は眉を寄せてミルフェ、とあたしの名前を呼んだ。
疲れているのに、どうしてわざわざ来たんだろう。……しかもこのタイミングで。
「……だれ?」
肩まで伸びた黒い髪はまっすぐで、今にも泣き出しそうな黒い瞳といい鼻筋と言い、とても整った顔だな、と思う。
「お前の父だ」
「……ちち」
その言葉に、あたしは顔をしかめる。……どうして?
「アーシャから何も聞いていないかい?」
「……父親は遠い所に住んでいるって……。事情があって、共に住むことができないって」
「そうか、そう聞かされていたのか……」
座ってもいいか、と聞かれてあたしは小さくうなずく。座り込んだ状態で背の高いこの……父と名乗る人を見あげるのは首がつらいのだ。
あたしの横に座り込んだ男の人は、眠る母様の頬にそっと手を当てた。
どれぐらい沈黙が続いただろう。あたしも何も言葉をかけられず、村長さんは気が付けば消えていた。
母様から手を離したその人は、目を閉じて深くため息をついた。そのまま、右手で目を隠す。しわの刻まれた浅黒い頬に、透明なものが流れるのが見えた。
「一目ぼれだった。……アーシャは王宮付きの女官でね。懸命に働くアーシャに惹かれて、一生懸命口説いたよ。すでにわたしには政略結婚した第一夫人がいたが、二番目の妻として迎えたかった。でも……アーシャはわたしの妻に気兼ねして、求婚を受け入れてくれなかった」
この人は、悲しんでくれている。……母様の死を。
「……済まないな、不甲斐ない父で」
目の前で泣いたことを言っているのかな。あたしは首を横に振る。
「ここにいることは知っていたんだ。……村長にも様子を知らせてくれるように頼んでいてね。……具合が悪そうだと連絡をもらって急いできたんだけど……間に合わなかったな……」
「……知ってたの……?」
それなら、どうして放っておいたの?
「数年前に。でもアーシャにね……このままそっとしておいてくれと言われた」
あたしの思いを読み取ったみたいに、話を続ける。
「彼女は、自分が長くないと知ってた。……あとに残されるお前のことを頼むと」
そう言ってその人は言葉を切り、顔を伏せた。
母様は言っていた。父様は傍にいられない。でも、お前のことを大切に思っていてくれるから、と。
「ミルフェ。つらい思いをさせて、済まない」
名を呼ばれて顔を上げると、その人はじっとあたしの方を見ていた。伸びてきた手があたしの頬に触れる。
さっきまで顔も知らなかった、父。
「……一人で、よく頑張ったな」
きゅっと奥歯を噛みしめる。つんと鼻の奥が痛くなった。俯くと、ぐいと引っ張られて気が付けば顔をその人の胸に押し付けられていた。
「ごめんな……」
柔らかく頭を撫でていく手が母様の撫で方と同じで。
「っふっ……」
その人――父の胸に顔を押し付けたまま、声を押し殺しながら、泣いた。
◇◇◇◇
母様の葬儀は、母様の願い通りリーリャ村でそのまま執り行われた。父が喪主となって、儀式を取り仕切り、村の皆が花をささげてくれた。
そして、あたしは父の乗ってきた馬車に乗り込む。
実は、と村長さんが教えてくれた。
『実はな、お前さんたちがあの方の係累だということは知っておった。お前さんたちの世話を頼まれておったんじゃよ』
どうやら、居場所を突き止めた後、あたしたちのことを村長さんに知らせたらしい。
今あたしたちが住んでいる家も、裏の畑もすべて、父の依頼で村長さんが手配したものだった。
『でな、ミルフェ。あの方がお前さんを手元に引き取りたいとおっしゃっている』
母様が亡くなって、あたし一人がここに残る道はなかった。
村の皆に別れを告げて乗った馬車の向かいにはあの人が座っている。
「ところで、ミルフェ」
「はい」
馬車が村を出たあたりで窓にかじりつくのをやめたあたしは父の方に向き直って座った、
「色々話を聞かせてくれないか。ミルフェの子供の頃のことや、アーシャが元気だった頃のことを」
「うん。……代わりに……父様のことも教えて」
葬儀が終わって、村を出ることになってようやく、目の前にいる人のことを何も知らないことに気が付いた。
知っているのは、母の事実上の夫であり、あたしの父であることだけだもの。
そう思って口にすると、父はとてもうれしそうに泣きながら笑顔を浮かべた。
「ああ……ミルフェに父様と呼んでもらえるなんて……」
しばらくほろほろ泣いたあと、父は目じりを拭って微笑んだ。
「父さんはね……この国の宰相なんだ」
「……えっ……えええっ?」
じ、冗談、だよね? 宰相っていったら立派なお家柄の、王様に次ぐ権力を持った偉い人。
目の前に座ってるこの人が?
ぼろぼろ泣きまくるこの人が?
「う、うそっ」
「父さん、嘘は言わないよ」
にっこりと嬉しそうに顔をほころばせる父に、あたしは絶叫するしかなかった。
母様。……お願いだから教えておいて欲しかったっ!
あたしが……宰相の娘? 冗談でしょ?
宰相の娘って言ったら姫って呼ばれてもおかしくないほど位の高い人なんだよ?
それが……あたし?
誰か嘘だと言ってーっ!