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プロローグ 褐色の娘は庭師と出会う

 遠くで鐘が鳴っているのが聞こえる。あたしは掛布を引き上げて頭からすっぽりかぶった。

 三回立て続けに鳴ったってことは日の出の時刻だ。まだ起きるには早すぎる。

 今日ってお店は休みだったっけ。じゃあ、今日は屋台で朝ご飯食べて……。


「いつまで寝ている、新米!」

「は、は、はいいっ」


 どかっと寝台が揺れる。誰かが蹴ったっ? ちょっとっ、なんて起こし方すんのよっ! 全く、店長ったら人使い荒いんだからっ!

 がばっと起きると、濃いえんじ色の布地が目に入った。寝台の横に立っているのは、長い黒髪をさらりと束ねた怒れる美女。黒曜石のような黒い瞳が吊り上がり、赤い紅を引いた唇が怒りでひん曲がっている。

 薄い黄色の布地を重ねたサリーを腰布で結び、肩からえんじ色の布を垂らしたその人の姿を見て、寝台から飛び起きる。

 忘れてた。

 ここは生まれ育ったリーリャ村じゃなかった。……ルーニアの王都にある、空に浮かぶ庭園城とも言われる黒獅子城の中で、あたしはそこに勤めることになったんだった。

 腰に手を当ててふんぞり返ってるこの人は――たぶん王宮の侍女や女官を取りまとめる侍女長のデリラ。昨日案内してくれた人には、濃いえんじ色の肩の飾り布をつけたこの人に目をつけられたらいびり倒されるって聞いてたのに。

 初日から大失敗だっ。


「日の出の鐘が鳴るまでに身支度をしておけと言われたわよね?」

「は、はいっ、すみませんっ」

「ちがーうっ、そこは申し訳ありません、でしょう? ほんと、どうしてあなたが妃付きの侍女になれたのか、不思議なぐらいだわ。最低限のマナーや言葉遣いはできて当たり前なのよっ?」

「は、も、申し訳ありませんっ」

「背中を丸めないっ。頭を下げるときも背筋はピンと伸ばして。違うっ、首だけで頭下げるんじゃないわよっ」


 初日なんだからお手柔らかにお願いします、と内心でつぶやきながら、デリラにしごかれる。

 つい最近まで小さな村で母様と二人、貧しい生活を送ってきたのに、そんなお城で通用するようなマナーなんか身につくわけないでしょって叫びたくなる。食事のマナーだけは母様に叩き込まれていたから助かったけど。

 ここに来る前に一応、一月ぐらいはマナー教育受けてきたんだけど、やっぱり付け焼刃じゃダメみたい。

 立ってるときの姿勢と、王や妃、客人が来た時の礼の仕方が完璧にできるまでデリラにびしばししごかれて、解放されたのはすっかり日が昇ったあとだった。

 デリラは深く深くため息をついた。


「ミルフェ様の婚姻の儀式まであと半月しかないというのに……なんでこんな使えない娘を侍女につけたのかしら、宰相様は」


 ミルフェと言われて、思わず背筋を凍らせる。それは、次の満月に王様に嫁ぐために昨日お城に上がったばかりの宰相の娘の名前。


「とにかく。儀式が終わるまでは仕事の間、口をきいてはなりません。いいですね? 一言でも言葉を発したら、その日の夕ご飯は抜きです」

「ええっ、そんなぁ……」

「口答えしないっ!」

「は、はいっ」

「さあ、さっさと仕事に行きなさいっ」

「えっ、でも、朝ご飯……」

「とっくに終わりました。さっさと支度して動かないと、昼ご飯も抜きですよっ」

「は、はいっ!」


 デリラを見送ってから、手早く着替える。籠に入っていた侍女の制服は、デリラと同じ薄い黄色のサリー。その上から、妃付きの証であるローズピンクの飾り布と、新米の証である白い飾り布を垂らして腰布でともに結ぶ。

 顔洗って髪の毛をざっとくしけずると、部屋を出た。

 あたしに割り当てられた部屋は王の住まう棟から離れた北の棟にある。

 ここでは王宮にもともと仕えている侍女たちの方が立場が上で、妃についてきた侍女は地位が低い。

 一番遠くの部屋を割り当てられたのも、嫌がらせとかではなく、ただ単に順位が低いから、らしい。それに、半月後の婚姻の儀式を済ませれば、妃も妃付きの侍女も離宮に移る。だから、わざわざ部屋を準備したりしないんだとか。

 まあ、合理的って言えばそうだけど。

 それにしても、遠すぎるわっ。

 満月の儀式が済むまでは、妃は南の塔に閉じこもって潔斎するらしい。それだけ聞いても、あたしじゃ絶対務まらないと思った。じっとしてるのは苦手だもの。

 それにしても、無駄に広いわこのお城。巨大な岩の上に建てられたのは知っていたけど、こんなに広いなんて思わなかった。

 綺麗に整えられた庭を囲むように塔や建物が配置されて、その間を屋根のある回廊でぐるりとつないである。北の建物から南の塔に行こうとすると、西回りか東回りのどちらかを通らなきゃならない。

 真正面に南の塔があるのに、どうして庭を横切らないんだろう。それが一番近いのに。その上城の中は走るなって言われた。こんなの走らなきゃいつ着けるか分からないわ。

 周りを見ると、ちょうどいい感じに誰もいない。


「ちょっとくらい、いいよね?」


 踏みそうになるサリーを少しだけ持ち上げて、そろりと庭に降りる。ここの建物はすべて石造りだから、庭からあがるときに靴の底を払えば大丈夫よね。

 庭に降りると、様々な木や草が植えられていた。きちんと人の通るところと花壇の部分が石で仕切られていて、歩く場所には困らない。南に目的地の塔が見えるから、道も迷いっこない。だんだん背の高い植物が増えてきて、気が付けば頭より高い植物に囲まれていた。

 でも、人が通れるところはぽっかりと空間ができているから安心だ。南の塔を見上げながら機嫌よく歩いていた時。

 ぐにゃりと何かを踏んづけて、見事にすっころんだ。ええそれはもう、顔面からがっつりと。


「ぎゃっ」

「いってえっ!」


 痛みで目の前に星が散る。……って、いま誰かの声がしなかった?

 慌てて立ち上がると、誰かが道に転がっていた。

 うん。……転がっていた、であってると思う。顔の上に麦わら帽子がのっかってて見えないけど、泥に汚れたズボンと、上着の肩にかかっている濃い緑の飾り布からして庭師の人だ。


「ご、ごめんなさい、人がいるなんて思わなくて……起き上がれますか?」

「ああ、ちょっと引っ張ってくれる?」


 寝ころんだまま、庭師の人は両手を上に伸ばした。その右手の甲が真っ赤になっているのに気が付いて、あたしは思わず右手を掴むと傍に座り込んだ。


「え……」

「ちょっと待って、血が出てるかも」

「えっ」


 庭師はぐいと自力で体を起こした。あたしは侍女たるものいつも持っておくようにと言われていた手拭いを取り出して、真っ赤になってる手の甲に当てる。血はつかなかったけど、あたしが踏んだせいで腫れてるのは間違いない。

 ともかく手拭いでぐるぐる巻きにすると端っこを結んで止めた。ほんとは手拭いを水で濡らして冷やしたほうがもっとよかったんだけど、どこに井戸があるか分からないし……。


「ごめんなさい……あの、薬師様を呼んできますからっ」

「要らない」


 声が聞こえて初めて、起き上がった庭師の顔がすぐ近くにあるのに気が付いた。

 日に焼けた褐色の肌はあたしの色よりも濃くて、髪の色も、吸い込まれそうなくらいに真っ黒。前髪がぼさぼさで目の色は分からなかったけど、たぶん同じくらいきれいな黒だろう。

 年のころは十五ぐらいかな。庭師ってもっと年上の人ってイメージがあったけど、もしかして見習いかな。声もなんだか幼い感じがする。あたしより年下って感じ。


「あの、でも、痛くない……ですか?」

「大丈夫だ、このくらい……っ」


 なんでもなさそうな顔をして右手を握って見せたけど、やっぱり痛そうだ。顔をゆがめてる。


「やっぱり痛いんでしょう? お薬もらってきますから」

「いいって。それに、怪我したとか知られたら、大目玉食らっちまう」

「あっ……」


 そうだ。あたしたち使用人は、仕事ができないと知れたらすぐに首が飛ぶ。王城も一緒なんだ。

 この子も、せっかくこんないいところの仕事に入れたのに、あたしが手を踏んだせいで仕事がなくなったりしたら……。

 どうしよう……。


「それより自分を心配した方がいい」

「え?」

「顔。泥がついてる」


 指さされたあたりを手で触るとざらりと土の感触がある。


「うわっ泥だらけ」


 手で顔をざっと拭う。うわあ、どこかで顔洗いたい。幸いサリーも飾り布も泥はついてなかった。それだけはラッキーだったけど。


「ところでお前、誰だ。見かけない顔だな」

「あ、あのっ、昨日輿入れなさった、み、ミルフェ様付きの侍女でっ……ヴァーチェ、と申します」

「へえ……お前が。道理で」


 一応居住まいを正して、さっきデリラに叩き込まれた礼をすると、庭師の人はじっとあたしを見てた。

 こんなにじろじろ見られることなんか初めてで、なんだか居心地が悪い。というか、道理でってどういう意味よ。粗忽者だって言いたいわけ? ……いやまあ、反論できないけど。


「姫付きの侍女ってことは、姫さんが潔斎の塔にこもってる間は暇だよな?」

「えっと、その、一応み、ミルフェ様に食事や飲み物の差し入れなどをする仕事があるって……」


 しどろもどろになりながら説明する。だって、これから満月までの仕事の内容をこれから聞きに行くところだったんだもの。詳しくなんか聞いてない。


「ああ、大丈夫。そこら辺のことって、王宮の女官の方がよっぽど慣れてるし」


 えっと……それってどういうこと?


「ちょっと引っ張ってくれ」

「あ、はいっ」


 あたしは立ち上がると、無事な左手を引っ張り上げた。立ち上がった庭師の人は、あたしよりちょっとだけ背が高い。

 寝ころんでいたせいで、背中に土がべったりついているのをはたき落してあげると、庭師の人はにかっと笑った。あ、なんかかわいい。リーリャ村であたしに懐いてくれてた弟分の男の子を思い出して、ついあたしもにかっと笑い返してしまった。

 途端にぷいと横を向かれてしまったけど……何かまずかったかな。ああ、あたしが手を踏んだのに笑ってる場合じゃないよね。怒ってるに違いない。


「あの……本当に大丈夫ですか?」

「え? ああ、ちょっと無理かも。……大目玉食らうなあ」


 庭師の人はぱっと顔を上げ、右手をにぎにぎしながら眉間にしわを寄せた。やっぱり痛いんだ。あたしは深々と頭を下げた。


「あのっ、申し訳ありませんっ。ごめんなさいっ。……あたしにできることなら何でもしますから」

「そう? じゃあ頭あげて」


 声の様子からは怒ってるようには聞こえない。でも声だけじゃ分からないよね。恐る恐る顔を伏せたまま頭を上げると、不意に何かが頭に乗っかった。


「え……?」


 視線を向けると、茶色いものが目に入った。これ……麦わら帽子?


「俺の右手が治るまで、俺の代わりに庭師になってくれ」

「えっ……ええっ! あ、あの、あたし、経験ないですよ?」

「大丈夫だって、俺が手取り足取り教える」

「そんな、無理ですっ」


 過去やったことのある仕事って接客ぐらいしかない。裏庭に小さな畑を作ってほんの少しだけ野菜を作ったりはしてたけど、こんなにきれいに整えられた庭のお手入れなんて……。


「何でもするって言っただろ。それとも、庭師の仕事ができない俺なんか首になったらいいとでも?」

「そんなことっ……」

「じゃあ決まり。ヴァーチェって言ったな。俺はカルイ。よろしく」


 そう言って、やっぱり庭師の人はにかっと笑う。薄い唇からのぞいた白い歯が、それはそれはまぶしかった。

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