作家志望心得。好きな作品の魅力を説明できますか?
誰にも好き嫌いがある。
好きな映画は? 好きな食べ物は? 人物は? 言葉は? 娯楽は?
逆に嫌いなものは?
物書きにも読者にも、好き嫌いは有る。
ただし書き手を志すなら、好き嫌いを経て「ぶち当たるべき関門」が有る。
すなわち、ひとつひとつの作品や事物に対する「好き」と「嫌い」を
自覚して、究明して、言語化できるかどうかです。
◆
皆さん、映画などを見ていて、こんなこと有りませんか?
「間違いなく、自分はこの作品を素晴らしいと感じた。魅力を感じた。
なのに、この作品の魅力はなんだった? と問われると、うまく説明できない」
「この作品は素晴らしかった。特に○○と△△が素晴らしかった。
でも、自分がこの作品に惹かれたポイントはそれだけではない気がする。
おそらく他にも、自分の琴線に触れた魅力がこの作品には有ると思う。
でもそれがなんなのかわからない」
◆
魅力を感じるけれど、その魅力の正体がわからない状態。
このモヤモヤした状態に直面したら、以下のどちらかなのだと思います。
A/自分の造詣が浅いために、魅力の全てを見抜けない。
B/自分の嗜好を自分で理解していない。
どちらのパターンであれ、自分なりの解釈をまとめるまで
徹底的にその作品を繰り返し見ることをお勧めしますが……
私が特に要注意だと思うのは、パターンBの方です。
この場合、ひょっとすると
貴方には無自覚に追い求めているテーマやモチーフがあるかもしれません。
それに気付くチャンスやもしれません。
◆
例えば私が、
アメリカンヒーローの代表格であるスーパーマンとバットマンの映画に触れたとしましょう。
最新作はそれぞれ
『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)
『ダークナイト・ライジング』(The Dark Knight Rises)かな。
私は断然、スーパーマンよりバットマンの方が好きです。
理由も言えます。小一時間かかるほど多くの理由があります。
最新作の何処が特に好きで、どの辺りが自分にとってハズレだったかも承知してるつもりです。
だから
自分の作品にその趣味嗜好が影響していることも自覚してるし、
「この要素はバットマンには合うけど、自分の話には合わないなぁ」なんて判断が働きますが……
もし私が、「ダークヒーロー好き」という自分の嗜好をわかってなかったら?
「超人よりも人間が好き」と自覚してなかったら?
その場合、おそらく私は「自分の書きたい物語」を見付けられないでしょう。
書く上で有用な教材、
つまり先人たちの偉大な傑作の数々を意図して探すことも無いでしょう。
結果、教材に遭遇できるかどうかは運任せになるでしょう。
ますますインスピレーションを得る機会が減ります。
また「ダークヒーロー好き」という自覚が有れば
(同じダークヒーローでも○○は好きじゃないな、なんでだろう?)
などと考える機会も有る。
けれど自覚が無ければ、それについて考えることも無いかもしれません。
「うーん、自分はバットマンの方が面白かったな」で
済んでしまう可能性の恐ろしさよ。
◆
また、好みや方向性というものは
最初からハッキリ決まって存在する訳でもない。
特定のジャンルの映画を、「なんとなく気になる」程度の動機で色々漁っているうちに
いつのまにか
そのジャンルについて小一時間語れるほどのフリークスになるってことが、有ると思うのです。
そういう風に考えると、私は「ダークヒーロー好き」になる素養があるにも関わらず
「ダークヒーロー好き」に成れなかった可能性すら有るわけです。
「こういう話を書けるようになりたい!」という憧れすら抱かなかったかもしれません。
なんかもう、そのIFの私は
そもそも小説を書いてないんじゃないだろうか……?
自分の好み、自分の方向性、自分のベクトルを理解できていないというのは、
作家志望者にとって恐ろしい状態なのです。
◆
という訳で、この文章の題は
「正体不明の理由で妙に関心を惹かれる」モノに遭遇したら、
そのモノに対して徹底的にかじり付いて究明してみましょう、というお話でした。
多分「作品の魅力を理解する」のではなくて
「作品の魅力が自分にどう映ったかを解釈する」て感じになると思います。
他方「俺はこんなモンに全然魅力を感じないけど、何故か世間ではウケている……」という場合も
かじり付く必要は有るのでしょうが……
この場合は、もっと主観性を排して客観的な究明をすべきなのでしょう。
ここでは言及しません。
そっちの考察には興味が湧かない。
だから多分「そっちの考察」を私が云々しても、あまり実の有る文章にはならないでしょう。
これもまた己の嗜好を理解するということです。
己の性質をよく理解して、それを正しく運用しましょう。
◆
ちなみに私が実際に「徹底的にかじり付いた」モノの中で
いまだに魅力を解釈できていない、言語化できていないモノがあります。
『ソラリス』(SOLARIS)という映画です。2002年公開作品。
キャッチコピーは「人類は、まだその領域には足を踏み入れてはならない」。
途中すっごい退屈になる理由はわかるし、作品の筋自体もわかるんですが、
作品の趣旨とは別に
「なんで俺はこの映画のことがこんなに気になるんだろう??」と悩んでしまいます。
お陰で、この作品から得た感慨を
自分の執筆にどう活かせばいいのか、私はビジョンを未だに持てない。
一度ごらんになることをお勧めします。
これに自分が興味を持つかどうか、を確かめるために。
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読了ありがとうございました! 以下は連載小説の宣伝になります。
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神ヒト血鬼~たった一人の最後のレスタト~
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人類亡き後の地球。
吸血鬼たちは巨大な棺に包まれた都市「コフィン・シティ」の中で、
辛うじて文明を維持していた。
時を経て、もはや人類という言葉の意味すら変化した忘却の世界にて、
最後の人間「レスタト」が封印から目覚める。
対吸血鬼のあらゆる技術をインプットされたレスタトは、
生身の人間でありながら、
人対吸血鬼というかつての戦争を唯一人で再開しようとする……
これはきっと、失われたものの重さを問う物語。