ソラからの使者7
「ここよ! ここっ!」
量販店から徒歩五分。小走りで三分のところに、首都ガイアで最も大規模な国営の図書館が建てられている。
「うえー、なにこれ、趣味悪いなー」
ウルクナルの感想に、バルクとマシューは激しく同意する。
このガダルニア国営図書館は、効率に重きを置いた直方体のビルばかりが立ち並んでいる首都ガイアでは珍しく、溶けたチーズのような流線形を多用した外観をしており、建物は赤や黒や黄色と、警戒色のマーブル模様で色付けされている。前衛的を悪い意味で通り越し、悪趣味な領域に突入していた。
王都にあれば、目が痛いと苦情が殺到する建物だが、ガイアの周辺住人は気に入っているのだろうか。だとするなら、自分達とは相容れないだろう。そんな風に考えていた三名だったが。
「独創的な配色ね。気に入ったわ」
「…………」
他人の感性など、自分基準では到底推し量れないのだと知ったウルクナル達だった。
ガダルニア国営図書館の蔵書は、三千万点にも達している。ただ、蔵書のほとんど全てが電子媒体であり、紙媒体書籍の蔵書は二万冊にも届かない。しかも、その二万冊の本も、触っただけで崩れ落ちてしまいそうな博物館に展示すべき太古の書物ばかりであり、一般公開もされていなかった。
この図書館で一般人が閲覧できるのは、電子書籍に限られる。
「これが、図書館……?」
「だだっ広いな、本も見当たらないし、机ばっかりだ」
その為、図書館を図書館たらしめている本棚が、館内には一切存在しない。内部は完全な吹き抜けであり、視界を遮る柱や仕切りはなく、椅子と机だけが整然と並べられていた。
他の利用客は一人として存在せず、静寂に包まれた館内には、エルフリード達の声が響く。
「ねえ、どうやって本を読むの?」
サラは機械音痴ではないが、馴染みのない図書館のシステムに戸惑っているようだ。
どうすれば本が読めるのかとサラがあたふたしていると、そんなマシューは彼女の横を通り抜け、机に設置された端末を操作し始めた。なるほどと頷きながら端末を操作していた彼は、興奮した様子で振り返る。
「サラ、来て下さい。機能を把握しましたので」
「ホントっ!?」
「マシュー、俺にも教えてくれ」
蔵書への興味は、サラだけでなくマシューやバルクにもあったようだ。
二人は、マシューの両脇から彼の手元を覗き込み、端末の操作方法を習った。
一方のウルクナルは、頬杖を突きながら端末の電源を入れ、机表面上に浮かび上がったホログラムを直感で操作した。公共の場に設置されたシステムだけあって、中身は非常に簡素。何を迷う必要があるのかと、トートス王国には存在しないはずのQWERTY配列のホログラムキーボードを滑らかに操った。
「――――」
そんなウルクナルのタイピング技術を目にして、愕然としていたマシューだったが、左右からタイピングに不慣れな二人にせがまれて有耶無耶になる。
一行は、しばしガダルニアの電子書籍を夢中で読み漁った。
「うーん。ないなー。……隠されてるのかな」
一時間後、サラは大きく溜息を吐きながら机に突っ伏した。
彼女は魔法学に関する書物を探していたのだが、学門書は一冊も存在せず、出てくるのはファンタジー小説や絵本ばかり。ガダルニアの一般人には魔法が秘匿されていると知り、サラは大きく落胆した。
気分を一新して、解放歴五百年以前を記す資料探しを開始する。
トリキュロス大平地において解放歴五百年より前は、神代と呼ばれ、宗教色の強い神話形式でしか記録が残されていない。まさに失われた時代なのだ。
「やっぱり、解放歴五百年より前の時代の歴史資料は一切無し、トートス王国と同じか……」
ガダルニアならば、図書館に資料が残されているだろうと強く期待していたのだが、これも見事に裏切られた。
「バルク、どう?」
「まったくないな。古い歴史はことごとく隠されている。こんな手間の掛かる歴史改竄をよくやるよ」
「……一千五百年前はどんな世界だったと思う?」
「見当もつかん。だが、これだけ隠されているってのは、裏を返せば、それだけ一般人には知られたくない歴史ってことなのかもしれないな」
「現段階だと正攻法で過去の歴史を知るのは無理か、今晩の会食を待つのが無難そうね」
「そうだな」
サラとバルクは、女性司書が暇そうに座っているカウンターを眺める。あの奥には、古代の書物二万点が保管されているはずだ。武力を行使すれば容易く閲覧できるだろうが、そんな蛮行を働くほど、二人は愚かにはなれなかった。
「で、マシューは何を読んでいるんだ? ……おい、マシュー」
「――えっ? どうしました? すいません、熱中していたもので聞えませんでした」
バルクに声をかけられたマシューだったが、一向に反応を示さない。彼は纏っている外骨格を強めに小突かれてようやく、意識をコンピュータのモニターから現実に向けた。
「……本当に熱中してたみたいだな」
「それで、どうしたんですか?」
「マシューが、どんなのを読んでるのか気になってな。ちょっと声を掛けてみたんだ。すまん、邪魔したな」
「いえ、大丈夫ですよ。――僕は、宇宙船に関して調べていました」
「宇宙船……。小説の中に出てくる宇宙を進む船か」
「そうです。ガダルニアでは魔法が一般に秘匿されている分、トリキュロス大平地のような魔法学に下支えられた混ぜ物の科学とは違い、純粋な科学が豊かに発展しています。――正直、嫉妬しますね」
「嫉妬? マシューが?」
「はい。ここに記されている魔法と見分けのつかない高度な技術のどれもこれもが、純粋な科学を基礎として築き上げられている。目が眩むほどに美しい数列の記されたページが何千と続いていますが、その全てが非魔法学門の応用数学です。それが僕には、信じられない」
自分の愚かさと、未知の知識を心行くまで吸収できることへの恍惚、相反する二つの感情が混ざり合った溜息を吐く。
「僕は科学を信奉していたくせに、科学の何たるかを微塵も理解していなかった。自分のことながら、史上最高の天才が聞いて呆れますよ」
「……よくわからんが、マシューもマシューで色々と大変なんだな」
「大変です。ですが、それ以上に面白い」
「それはよかった」
マシューがガダルニアの高度な科学技術に打ちのめされ研究意欲を失ってしまうのではないかと心配していたバルクだったが、逆に本人の研究意欲に際限なくニトロを投げ入れる結果となったらしい。
ただでさえ燃え盛っていたマシューの研究意欲が、一層激しく燃え盛っていた。こうなった彼を止める術は存在しない。彼ならば、ガダルニアの知識を一カ月やそこらで全て吸収し、更なる英知の高みへと駆け上がってくれることだろう。
バルクは、彼に一つ聞いてみたいことがあったのを思い出す。
「なあ、マシュー。宇宙船って、今の俺達でも造れるのか?」
「今、というのは、ガダルニアの知識を使わずに、という意味ですか?」
「ああ」
「そうですねー」
何事も、思考を巡らせるのは楽しい。その計画が壮大であればあるほど、なお面白い。
「ガダルニアの考えを引用しますと。宇宙船にも、世代が存在するらしいのですが」
「世代? 第一世代とか第二世代とか?」
「はい。――ガダルニアが定義する第一世代宇宙船は、船というよりは、使い捨ての惑星脱出装置みたいなものでして。ペンシル形状の多段構造になっています。下段には液体燃料や固体燃料を使用する大出力のロケットエンジン、上段には希ガスを用いたイオンエンジンを搭載しています。これらは、現在の僕達の技術でも十分実現可能です」
「ほー、造れるのか」
「当然、相応の予算と時間を必要としますけどね。ただ、まあ。僕達の体は丈夫ですし、優れた製造魔法もあります。多少の打ち上げ失敗を恐れることなく、スピード重視で開発を進められますから、実現は早いでしょうね」
マシューは、少年のように瞳を輝かせながら、話を進める。
「第二世代は、タンデムミラー型の核融合エンジンを搭載した宇宙船が分類されます」
「核融合? 確かマシューの、そのエンデットにも搭載されているんだよな?」
「そうですね。ですが、僕の外骨格に搭載されているものは、電力を得るための発動機なので、宇宙を進むための装置ではありません。核融合炉にも様々な種類が存在しますから」
「へー。初耳だ」
「電子書籍では、水素のアイソトープであるデューテリウムと、これまたヘリウムのアイソトープであるヘリウム三の核融合反応を用いたタンデムミラー型の核融合エンジンが、第二世代宇宙船に最も搭載されたと記述されています」
マシューの説明の半分も理解できていなかったバルクだが、マシューの話を聞くのは退屈ではなかった。彼が実に楽しそうに話しているし、バルクとしても知っておきたい事柄があったからだ。
「で、その宇宙船はどれだけの速度が出るんだ? 光速とか?」
「いえいえ、光速なんて、まだまだ先です。第二世代宇宙船でも、別の星系へ向かうには、長い年月を必要としたようです。……電子書籍には、四天文単位を五百七十五日掛けて進んだとあります。天文単位が何を基準とした単位なのかは不明ですが、一天文単位はおよそ一億五千万キロメートルです。つまり、六億キロメートルを五百七十五日掛けて進んだことになりますから、平均時速は四万三千五百キロメートル。マッハ三十六くらいですね」
「マッハ三十六……。あれ? かなり遅いな。ウルクナルが、自分はマッハ五百で飛行できるとか自慢してきたことがあったが」
「そうですね。僕の一千トン級飛行艦でもマッハ二百で飛行できますから、第二世代宇宙船よりもずっと遅いです」
「なんだ。たいしたことないんだな」
「加速と減速を乗員に影響がでないようにゆっくり行いますからね。マッハ三十六というのは、一度の航行における平均時速です。最高速はマッハ三百を超えるそうですよ」
「……エンジンの性能が十分に発揮できないなんてもったいないな」
「第二世代宇宙船は、慣性制御技術が開発される以前の船らしいです。有人である以上、加速減速に注意を払わなければならなかったのでしょう」
「ということは、第三世代宇宙船では――」
「その辺りも見直されていますね。慣性制御によって、急加速や急減速時でも船内は平穏そのもの。安全が確保されたので、エンジンもより高出力な対消滅パルスエンジンへと変更され、通常航行でも光速の十パーセントまでの加速が可能とのことです。光が進む速度の一割が、光速の十パーセント。マッハ九万くらいです」
「マッハ、九万。……想像もできないな」
「僕もですよ。体感したことありませんからね」
マシューが閲覧している電子書籍を自分の端末でも表示し、対消滅と書かれた項を読んでみようとしたバルクだったが。さらりと読んだだけでは、その対消滅という現象によって、核融合すら遥かに上回る莫大なエネルギーが生まれる、程度の理解しかできなかった。
出てくる単語を調べながらちびちびと読み進めていくと、興味深い一行が出現した。
「なあ、マシュー。恒星間ワープ航法は、現在も確立されていないって書かれているんだが。ワープって何だ?」
「単純に言えば、光速を超えた移動方法です」
「……それって変じゃないか? 確か光速よりも速く移動することは不可能なんだろ?」
「はい、不可能とされています」
「――?」
「つまりですね、こう何らかの力で、空間そのものを歪めるんですよ」
マシューは、端末のペイント機能を用いて、簡素な絵を作製した。一本の直線を引き、矢印、V、と描く。矢印には何らかの力と書き加え、直線とⅤ字とは、同じ線の長さであると書き加えられた。
「この線の長さを一光年とします。ご存知かと思いますが、一光年は光が一年掛けて進む距離とされています。つまり、光速の十パーセントで航行できる対消滅エンジンを搭載した第三世代宇宙船で一光年を進もうとすれば、十年の歳月を必要とします」
「改めて聞くと、一光年って途轍もないんだな」
「だいたい九兆キロくらいですからね。その途轍もない距離を短時間で進むのがワープです。ワープによって、一光年の道のりを無視し、スタート地点からゴール地点まで通じている横穴を掘り、そこを進みます」
「……ここと、ここを繋げるのか」
バルクは、V字に線を一本書き加え、逆三角形を作り、二つの頂点をなぞりながら呟いた。
「その通りです。電子書籍によれば、隣の恒星系へと宇宙船を瞬時に送り込めるような長く巨大なワームホールの生成には成功していないようですが、極めて短距離のワープには成功しているようですね」
「この恒星間ワープ航法が確立されて、ワープ装置を宇宙船に搭載できれば、それが四世代の宇宙船ということになるのか?」
「そうなります。第四世代宇宙船が完成した時こそ、僕達は、太陽系の渚から無限に広がる宇宙の大海原へと漕ぎ出せるでしょう」
時間は進み、午後一時半。
「んんー」
背伸びをしながら、サラは固まった関節を動かしてポキポキと鳴らす。一番お目当ての魔法に関連した知識は得られなかったが、文化の成熟度に関してもトリキュロス大平地の遥か先を行くガダルニアでは、数々の素晴らしい文学が花開いていた。
新しい魔法に対するインスピレーションを得ようと、持ち前の速読スキルを駆使して貪るように書籍を読み進めていたサラだったが、その物語の完成度の高さに、乱読してはもったいないと気付く。
滞在期間にはまだ余裕があるのだから、ゆっくり読もうと、一度端末のホログラムから目を離したのだ。
すると、何やら熱の籠った会話が聞こえてる。利用客が自分達しかいないとなれば、自動的に自分を除外して、容疑者は三名に絞られる。
「……うるさいと思ったら、あの二人か」
右に十メートル離れた位置で、端末を操作しながら盛り上がっている巨体の二人。ワープがどうたら、第四世代がこうたらと話しているが、彼女の知ったことではない。
純度イレブンナインの魔結晶ウェハーから削り出された杖を抜き、魔法を行使する。
「えいっと」
手のひらサイズの礫を複数生み出すと、彼らへ向け発射した。
「いて」
「あた」
礫は、会話に夢中のバルクとマシューの後頭部に直撃し、粉々に砕け散った。
「なにすんだよ」
「――しぃっ!」
エンデットの装甲に守られているマシューはともかく、バルクは少々痛かったようで、振り向いてサラを睨んだが、彼女のジェスチャーによって全てを察したようだ。
図書館の若い女性司書が、彼らの声の大きさを何度か注意しようとしていたのだが、身長二メートル超えの強面と、全高三メートルの鉄人相手には勇気が足りなかったようで、涙目になりながら、右往左往していたのだ。
バルクとマシューは、トーンを押さえて再び会話を始める。
「まったく、あの二人は……」
自身が生み出した礫を魔力へと還元し、溜息を吐くサラだった。




