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革命の予兆9

 特別授業二時限目は、急遽、科学研局長のマシューが受け持つことになった。

「えっと、初めましての人は初めまして、そうでない人はこんにちは。僕は科学研、次世代科学研究機関の局長を任されているマシューって言います。僕には一コマ、つまり六十分が与えられていますが、二十分も掛からずに終わると思います。短い間ですが、よろしくおねがいします」

 事前に、科学研から講師を呼んだとは聞かされていたが、まさか局長自らお出ましになるとは想像もしていなかったらしい。科学研志望の生徒達が、神を見たと言わんばかりに目を輝かせている。


「今日なにを話したらいいか色々と考えてはいたんですが、これが意外と難しく、徹夜で考えました。今日の朝四時頃、どうにか話す内容が纏まりまして、これは凄い、きっと皆も驚いてくれるに違いないと思ってニヤニヤしていたんですが。……いざ意気揚々と学園に来てみれば、サラが一コマ前の授業で、僕が授業で扱う予定だった新型の杖について、ベラベラと全部話してしまっていました。僕が、話したかったこと全部ですっ! 酷いと思いませんっ!?」

 緊張に包まれていた教室から笑いが生まれた。

マシューと言えば、無類の天才発明家、果ては科学の開祖などと呼ばれる学生からすれば雲の上の存在だ。

 しかも、学者の身でありながら、レベルが億単位とエルフリード隊でも上位に食い込む。

 そんな完璧超人でも、自分達と同じように苦悩し、他人に振り回されて一喜一憂するのかと生徒達は驚いていた。


「サラも手を出していない科学的側面から、あの新しい杖を解説してもよかったのですが。新し過ぎて体系化も曖昧な専門用語の羅列した話になってしまいますし、第一、一時間では、予備知識を話し終える前に授業が終わってしまいます。一から順を追って話すと、夜が明けてしまいますので、コレも没です。――ああ、一応聞いておきます。僕達が作った新しい杖、純粋魔結晶杖の話を一晩中聞きたいって人は居ますか? 手を上げてください」

 科学専攻の生徒の中でも、特に熱心な数人が耳に腕をくっつけ一直線に手を上げたが、全体の比率からすれば二パーセントにも届かない。

「おお! 三人も!」


 挙手する人が少数でもいることに驚いた他の生徒達だったが、手を上げるように促した本人が一番驚き、そして喜んでいた。

「手を上げた三人、よかったら来月辺りに科学研に来てみませんか? 一晩中とはいきませんが、可能な限り時間を裂きましょう。僕が知り得る限り、答えられる範囲で質問に答えますので、たくさん疑問を蓄えておいてください」

 マシューの願ってもない申し出に、三人は激しく首を縦に振ったり、ガッツポーズしたりして喜びを噛みしめる。手を上げる勇気の無かった者は、科学研に行く機会を失ったことに落胆した。


「さて、そろそろ授業を始めないといけませんね。ここには、科学志望の人も居れば、魔法志望の人もいる。ニッチで極端に難しい話をしては、魔法専攻の人を置いてきぼりにしてしまいますから、科学的分野かつ、全員が興味深いと感じる話をしたいと思います。事前に言っておきますが、これから僕がする話は、明確な答え、原因が特定されていません。明瞭なゴールがまだ見つかっていないんです。今回の僕の授業コンセプトは、――悩む、です。僕と一緒に、背筋の凍る思いをしながら、悩んで悩み抜きましょう」

 マシューは、邪悪な笑みを浮かべると、ポケットの中から丁寧に折り畳まれたビニールの袋を取り出した。

「最近は本当に便利な世の中になりました。薄く柔らかく、しかも気密性のある袋が何枚でも手に入る。我ながら、十五年前では考えられない時代になったものです」


 そう呟きながら、マシューは容量二十リットルのビニール袋の口を広げ、両手で縁を持って左右にゆっくりと振る。ビニール袋が十分に膨らむと、マシューは口を捩じって縛った。丸々としたビニール袋を教壇の上に置く。

「では、問題です。この袋の中身、一体何が大部分を占めているでしょうか?」

 マシューは、膨らんだビニール袋を触りながら、そんな質問を投げかける。

 この質問に対するマシューの意図は不明だが、膨らんだ中身、無色透明の物体の名称など誰でも知っている。その気体の大部分が、何で占められているのかも常識だ。この総合学園では、中等部で習う当たり前の知識だからである。

 訝しりながらも、一人の生徒が手を上げた。


「はい、どうぞ」

「……袋の中身の大部分は、窒素です」

「どうして、そう思いました?」

「ど、どうして!? ……膨らんだ袋の中身は空気です。空気の約八割は窒素ですから……」

「残りの約二割は?」

「酸素です」

「――空気は窒素と酸素だけでしたっけ?」


「……環境によって変化しますが、窒素約七十八パーセント、酸素約二十一パーセント、アルゴン約一パーセント。残りは、全体からすれば本当にごくわずかですが、二酸化炭素が大部分を占めてます」

「うんうん。ちなみに、二酸化炭素の次に、空気に多く含まれている気体の名称は?」

「……確か、ネオンです」

「うん、その次」

「…………。ヘリウムです」

「君凄いですね。名前は?」

「ハンスです! 将来は、科学研を第一志望にしています!」

「そうですか。もしハンスがよければ、来月あの三人と一緒に科学研に来て下さい。日程は後ほどお知らせしますので」


「はいッ! 必ず!」

 ハンスの大声が教室に反響した後、興奮のあまり席から立ってしまった彼を宥め、マシューは話を続ける。

「先ほどハンスは言いました。この袋の中身の大部分は窒素が占める、と。ナラクト公国やエルトシル帝国、そして先月までのトートス王国なら、それで正解でした。――ハンス、残念ながら窒素は二番目なんです。この袋の中には、窒素よりも遥かに多く、別の気体が居座っています」

 この時のマシューの言葉を、教室の誰もが理解できなかった。

愉快そうに微笑みながらマシューは続ける。

「僕はイカレテいません、至って正常です。ですが、僕の正気を疑うのも無理はない。僕は今、世界の常識を根底から覆す発言をしました。誰もが驚き、戸惑うのは当然のこと。僕自身、これに気付いた初日は、恐ろしくて眠れなくなりました。現在でも、睡眠薬は欠かせぬ友達です。――では、資料を配布します」


 そう言ってマシューは、原初魔法を駆使して、教壇横の段ボールからコピー用紙の束を取り出し、各列に配布。一枚取って残りを後ろに回すようにと伝えた。

「どうですか、紙はたりましたか? まだ紙がない人は手を上げてくださいね」

 と、マシューが言ったが、手を上げるどころか、顔をマシューに向ける者すらいない。全員が全員、彼の配布した用紙に夢中で目を通している。

 マシューの配った用紙には、大小三つの円グラフが書かれ。最上段の一番大きな円グラフに、生徒達は釘付けとなっていた。

 大きな円グラフの底部にはこう添えられている。


 ――ビニール袋の中身の内訳、空気一パーセント、魔力九十九パーセント。

「皆さん。魔力には、オドとマナ、この二種類が存在していることをご存知でしょうか」

 用紙が全員に行き渡って三分。マシューが口を開くと、生徒達は一斉にマシューへ無言で顔を向けた。

「オドは小さな源、マナは大きな源と呼ばれています」

 マシューは、言葉を紡ぎながらチョークを黒板に走らせる。

「小さな源であるオドは、生物の体内で生成される魔力のことを指します。古来より、人間の魔法使い達は、マナを大気から吸収するのが下手で、体内の魔力であるオドを消費して魔法を発動させていました。しかも、レベルが低いですから、オドの回復量も微々たるものです。ですから、人間の魔法使いは魔力の回復に極めて長い時間を必要とするのです」


 黒板に描かれた人型の中央に、小さな丸を描き、オドと書き込む。

「対して、大きな源であるマナは、大気や土壌、ありとあらゆる自然の中に宿っていて、数字にするのも馬鹿らしい膨大な魔力のことを指します。ちなみに魔力炉、特に吸気型の魔力炉は、このマナをいかに効率よく収集できるかが性能の鍵になっています」

 黒板の人型の周りに森や山や川を書くと、巨大な丸で囲み、マナと書き込んだ。

「ちなみにエルフリードは、大気中からマナを取り入れることもできますが、超高レベルに到達すると、体内で生産されるオドの方が遥かに多くなります。結局のところ、人間もエルフリードも、オドを使って魔法を行使しているわけです。――少し脱線してしまいましたね」

 教壇に両手をついたマシューは話を続ける。


「まずは、僕が出した問題の答え合わせをしましょう。このビニール袋の中身、何が大部分を占めているのか? ――魔力が大部分を占めている、実はこれだと八十点です。何故なら、魔力は二種類存在するからです。ですから満点の回答は、マナが大部分を占めている、となります」

 教室は静まり返っていた。

「僕が配った用紙をもう一回見てください。一番大きな円グラフには、魔力九十九パーセントと書かれていますが、それは正確にはマナです。覚える為にも、書き直してください。おっと、言っておきますが、間違えたのではありませんからね? わざとです。本当ですよ?」

 笑顔を浮かべる生徒など誰一人いない。全員の心は一つだ。


 マナが大気の大部分を占め、空気がほとんど存在しないのなら、自分達は本当に人間なのか、人間と呼ばれている自分達は一体何者なのか。何故、大気に空気が満ちていると盲目的に信じていたのか。

 様々な疑問を内包した何百の視線を一身に受けたマシューは口を開く。

「人間とは、何なのでしょうか? エルフやエルフリードは当然、人間ではありません。それは二千年前から変わらぬ事実です。ですが、今、ここで僕の授業に耳を傾けてくれている君達人間は、本当に無数の本や知識の中で『人間』として定義され続けてきた存在と同じなのか、否か。――僕は否だと思います」

 マシューは断言した。

「その根拠は一つが、先ほどお渡しした資料です。あなた達は、呼吸によって酸素を肺に送り、肺胞で酸素と二酸化炭素を交換し、二酸化炭素を排出するという、いわゆる陸上生物型の呼吸を行っていません。教科書に書かれている空気の成分円グラフは全て間違い、デタラメです。呼吸をするには、大気中の酸素が少な過ぎる。あなた達が今吸っている気体は、空気ではなく、マナ。気体魔力なんです」

 マシューは、愉快そうに、生き生きとして語り聞かせるが。彼とは対照的に、生徒達の表情は、特に人間の生徒の表情は険しく強張っている。


「あなた達は、常に大気を吸っている。つまり常時魔力を吸収して生きています。事実、肺から出された気体に含有する魔力量は、若干ですが減少しています。その辺りのメカニズムは詳しく解明されていませんが、肺胞で酸素と二酸化炭素を交換するように、肺胞に準じる器官で魔力を取り込んでいることが容易に想像できます」

 この話は、教科書にも論文にすら載っていない。

「ここに、現実と、既存の知識とに大きな隔たり、矛盾が生じます」

 マシューは、水系統魔法の治療魔法が記述された古めかしい本の一ページを拡大して転写した三平方メートルの用紙を黒板に張り付けた。


「これは、トリキュロス大平地最古。約一千二百年前の治療魔法に関する記述がされた魔道書の一ページです。ここに現代とほとんど変らない言葉で、二十一パーセントの酸素を含む大気を、直接肺へ送れと書かれています。――人間が酸素を吸い、生命活動を続けているという誤った知識は、一千二百年前より我々に根付いていたのです。これが何を意味するのか、何を指示しているのか。今の僕にはわかりません。ですが、これだけは言えます。我々が知っている人間と、本の中に知識として登場する人間とは、外見こそ同じでも中身はまったくの別物である可能性が高いのです」

 教室は静まり返っていた。

 だからこそ、マシューのポケット内部で鳴るアラームがよく響く。

 彼は慌てながら通信端末を取り出した。


「おっと、緊急連絡です。すいませんが、出させてくださいね。――はい、マシューです」

 板状の小型端末を耳に押しあてたマシューは、神妙な面持ちで押し黙る。表情が険しいものに変化した時、彼は端末をポケットに投げ入れた。

「すいませんが、特別授業はここで中断させてください。非常事態が発生しました。詳しくは機密に抵触するので言えませんが、皆さんは授業終わりまでここで自習していてください」

 明瞭な答えを提示する前に、マシューの特別授業は唐突な終わりを告げる。答えを得ることを望む、悲鳴のような非難に耳を貸すことなく、事前に言っていた通り、生徒全員を果てしない思考の海に突き落としてマシューは教室を後にした。


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