革命の予兆8
「――何事も基礎が大事ですので、今日は基礎中の基礎から始めたいと思います。何だ、そんなの当たり前じゃん、と魔法使いの皆さんは思うかもしれませんが、静かに聞いていてくださいね」
広い教室内には、半円形の長机が雛壇状に設置されており、およそ二百名の少年少女達が、人間やエルフリード関係なく、肩を突き合わせていた。教壇の真横に置かれた大きなアタッシュケースに多くの視線が集まるが、中身が明かされる時を楽しみに、今は授業に没頭した。
「その一、魔法式の実行。その二、適切な量の魔力を体内から引き出す。その三、魔法の発動。上記のように、魔法を十全に行使する為には、この三つのプロセスを完璧に行う必要があります」
自他共に認める三国一の魔法使いサラは、石灰を粉砕して棒状に押し固めた筆記具、チョークを手に取り、鉄板の表面に緑の塗料を吹き付けた黒板に走らせる。カツカツと音を立て、流麗な文字が書かれていった。
「魔法式というのは、火を熾す、水を温めたり冷やしたり、土を硬くしたり柔らかくしたり、と。混沌とした力の塊でしかない魔力に方向性を持たせるもの、つまり概念です。魔法というのは、結局のところ、魔力への概念の付加なのです。初級魔法では、魔力に付加させる概念は一つで済みます。火系統初級魔法ファイアーならば、種火。風系統初級魔法ウィンドなら微風です。言葉にすれば一言ですが、一つの概念を付加させるには、何十行という魔法式を脳裏で走らせる必要があります」
ここはトートス王国の王都にある新造の学校施設。初等中等高等一貫の、魔法分野から科学分野までを手広く教える王立カルロ総合学園である。五年前に建造されたばかりの校舎は新しく、先進的で。高度な魔法や科学実験を行う為の施設も充実しており、キャンパスはトリキュロス大平地のどの教育機関と比べても広大であった。
ちなみにこの王立カルロ総合学園、通称総合学園は、王国を裏で支配するエルフ機関の一角、エルフ強化教育推進機関、つまり教練機関とは一切関係ない。
バルクを頂点とする教練機関は、どちらかと言うと軍隊に近い。戦闘や要人護衛、魔物討伐など戦闘を主体とする組織で、平時は自分達のレベル上げと戦闘技術の訓練を行うことから教練機関と呼ばれているのだ。
なお、総合学園はトートス王国の王都に創建された学校施設なので、エルフリードも普通に通っている。エルフリードの全員がウルクナルのようなレベルアップ中毒者の戦闘狂ではなく、将来は科学研や魔法研に入ることを目標に、学問を学びたい者も沢山いるのである。
ところで、この教室には、学園の生徒ではない人達がいた。
「…………」
シルフィール、カレン、カトレーヌの三名である。
彼女達は、学園の生徒達に混じり、教室最後部の隅の席でサラの特別授業を受けていた。
カレン達が王都を訪れて今日で六十日目。
マニエール学園の長期休暇も残りわずか、本来なら一ヶ月前に帝国へ帰っている予定だったのだが。王都の便利さ居心地のよさ、天井知らずに上がっていく魔力量の誘惑に、後一日、後一日と滞在日数が延びていってしまったのだ。
近頃は気温も下がり肌寒い日が続いている。
この気温ではカレンにワンピースを着せるわけにはいかず、また真面目な授業中とあってか、彼女達は没個性的な秋物ファッションに身を包み、ペンを片手にノートを広げていた。
「初級魔法の括りの中では、一魔法に対して一つの概念しか付加することができません。二つ以上の概念を付加した魔法は中級魔法と呼ばれるからです」
サラは本来この総合学園の教師ではないのだが、生徒達のよい刺激になればと、定期的に授業を受け持っているのだ。X二級魔法使いサラの特別授業だけあって、受講生達は真剣そのもの。殴り書くように素早く板書し、筆記用具を置いて、彼女の話に全神経を傾けていた。
サラの授業は主に魔法や魔道具に関することで、内容は不定なのだが、常に魔法研究の最先端を切り開いてきた彼女の授業はとても人気がある。
「同様に、三つの概念を付加した魔法を上級魔法、四つの概念を付加した魔法を魔導師級魔法と呼びます。ですが、概念を一つだけしか付加しなくとも、一千の魔力を注げば上級、三千の魔力を注げば魔導師級魔法の扱いになる例外も多数存在しますので、勘違いしないようにしましょう」
サラはチョークを置くと教壇から教室を見回した。
「魔法は、イメージが何よりも大切です。どうしても魔法が成功しない時や、伸び悩みを感じている人は、一度原点に立ち返って、魔法のイメージ練習から始めると自分のくせや間違いに高確率で気付くことができます。実際私もそうでした。どの学門もそうですが、知識は何度も覚えては忘れを繰り返さなくては、経験として身についてくれません。焦らずじっくり魔法の道を進んでいきましょう。――さて」
サラは、愛用の杖を手に握る。
「初歩的な話ばかりだと眠くなってしまいますね。ですが安心してください、ここからが本番です。では、皆さんに一つ質問、現在最も魔力を消費する魔法はなんでしょう。わかった人は手を上げて、魔力消費量も答えてくれるとなおよし」
一斉に挙手する総合学園高等部魔法科の生徒五十名。サラは満足そうに見渡した。
「それじゃあ、二列目のおさげの子」
「――! え、えっと。X二級火系統魔法テラ・レイ、魔力消費量一兆だと思います」
「んんー、惜しい! だけど、よく勉強していますね。三ヶ月前だったらそれで正解なのですが。私達魔法研は、科学研協力のもと、テラ・レイよりも一千倍魔力を消費する魔法の発動に成功しました。つい三ヶ月前のことです。……わかる人はいますか?」
生徒達も、教科書や専門書にも載っていない知識までは持ち合わせがないらしい。自信に満ちていた五十本の腕のほとんどは、行き場を無くして垂れ下がった。だが、未だに一人、変わりなく挙手を続ける者がいた。十代中盤のエルフリードの女性生徒である。
「どうぞ」
「X三級原初魔法ペタ・インパクト、魔力消費量一千兆だったと思います」
「正解! 正確には、それよりも若干多く、一千兆ぴったりではありませんが、回答としては問題ありません」
教室は、博識な生徒への賛辞とX三級魔法成功を初めて知った驚愕によって盛り上がる。
「しかし、よく知っていましたね! もしかして、ガダルニア侵攻の際にご家族の誰かが参戦したのですか?」
「はい、父と母が。エルフリード隊に所属していますので」
「そうですか。あなた、将来は?」
「学園を卒業したら魔法研入りを第一志望にしています!」
「そうですか、あなたの将来に期待します。頑張ってください」
「はい!」
サラは座ってくださいと彼女に手で伝える。
「――私達はついに、X三級魔法の力を手に入れました」
サラが喋り始めると、教室のざわめきは水を打ったように静まり返り、生徒達は彼女の言葉を再び傾聴し始めた。
「X三級魔法、それは一千兆という普段の生活では耳にすることのない膨大な魔力量です。一千兆と聞いてもピンとこない人の方が多いと思いますので、一つ例を出しましょう。トートス王国では現在、計十二基の大型魔力炉が魔力を生み出し、各家庭に魔力を送っていますが、その魔力生産量が毎秒およそ二十五万です。とすると、十二基の魔力炉は毎年約八兆の魔力を生み出している計算になります。皆さん、もう一度言います。一年間で八兆です」
教室内は静まり返っていた。
「ペタ・インパクト一発が、現在のトートス王国の年間生産魔力量換算で百二十年分に相当します。……余計こんがらがってしまったらすいません、少しでもペタ・インパクトの凄さを実感してくれたなら幸いです。もっとペタ・インパクトの凄さを知ってもらう為に、特別な物を用意しました。――運び入れてください!」
教室の戸が開け放たれ、数人のエルフリードが駆け込んでくる。彼らは、お互いに声を掛け合いテキパキと行動していた。彼らが運び込んできたのは、高さ七メートル直径五十センチメートルの魔物鉄ホワイトドラゴン製の鉄柱だった。
純白の金属に黒い複雑な紋様が余白なく刻まれている。
サラが、ありがとうと呟くとエルフリード達は入ってきた時同様、無言で立ち去った。
「……これ、この変な柱、何だかわかる人いますか?」
数人は勘付いているようだが、確証がないのか、目立ちたくないのか、誰も挙手しようとはしない。
「あれ? 誰も挙げないんですか? じゃあ私が指名しちゃおうかな……。王女シルフィール、あなたは、これが何か、知っていますよね?」
「――え、ええっ!?」
突然指名されたので、シルフィールは声を出してしまう。
そしてこの時初めて、教室の生徒達はトートス王国の王女が特別授業に同席していることを知った。驚きを隠せないようで、口ぐちに彼女の名を呟く。
「はいはいっ! 静かに! ――では、王女シルフィール、答えてください」
観念したのか、シルフィールは己の知識の書庫を開き放つべく、席を立った。
「……開発コードネーム、『杖』。飛行戦艦エルフィニウムの艦首に内蔵された主砲、超々収束砲の砲身を形作る八本の柱の一つです。素材は魔物鉄ホワイトドラゴン。表面に刻まれているのは、浮遊式、魔力保持式、耐熱式、靭性強化式のミックスで、レーザー加工によって柱に刻み込んでいます。刻み込まれた魔法式紋様が黒いのは、魔力効率を上げる為に、未踏破エリアに生育する樹木の灰を配合した塗料を塗布しているからです」
教科書にも専門書にも、どの論文にも記述されていない最先端の知識を披露した。シルフィールは、これで十分でしょうと言わんばかりに席に座る。
「完璧! 三年前に教えた内容なのに、よく覚えていましたね。あなたの記憶力は本当に素晴らしい。魔法分野でも、科学分野でも、あなたのその記憶力は強い武器になるでしょう。皆さん、王女シルフィールに大きな拍手を!」
万雷のような拍手を一身に受けながら、シルフィールは苦笑する。左右から、カレンとカトレーヌが彼女を質問責めにした。
「私がするはずだったこの装置に関する説明を王女シルフィールにほとんどされてしまったので、多少焼き増しになってしまいますが、もう少し深い内容を解説したいと思います。――この巨大な柱は、端的に言うならば杖です。そう、見た目は大きいですが、基本的には皆さんが持っている杖と同じ役割を果たします。この魔道具は、単体でも高い性能を誇りますが、八柱が揃い、同調した時にこそ真価を発揮し、X三級魔法の発動が可能になります」
サラは、普段自分が愛用している杖とは、違う杖を教壇の下から持ち出し、教室の全員に見えるように高くかざす。
「杖は、非常に重要な魔道具です。質の高い杖を使うことで、魔法使いの技量に関係なく、魔法の完成度を高めてくれるアイテム、それが杖です。ですが、杖には様々な制約があり、その一つが、魔力許容量、魔力キャパシティーなどと呼ばれる値です。これが高ければ高いだけ、強力な魔法を行使することが可能となり、数値が低い杖で強引に魔法を使おうとすると、魔法の威力や効率が極端に低下し、最悪杖が破損します」
――こんな風に、そう言ったサラは、手の中の量産された安物の杖に、千の魔力を流し込む。すると、クラッカーに似た音の後に、安価な杖はバラバラに砕け散った。
サラは木屑に塗れた手を払いながら、授業を続ける。
「X三級魔法ペタ・インパクトを行使するのに必要な、一千兆の魔力に耐える為に、この巨大な魔道具、『杖』が開発されました。――勘違いしているかもしれませんのでもう一度補足しますと、この魔道具は、単独だと十全に機能しません。同様のものを八つ揃え、八つが完璧に同調した状態ではじめて、ペタ・インパクトの発動が可能になるのです」
桁が違う、規模が違う。学徒達は、魔法が自分達の専攻している分野ではなくとも、スケールの大きなサラの話に感嘆し、心を知的好奇心と勉強意欲に突き動かされた。
「この魔道具は、大変素晴らしいのですが、いかんせん大きすぎます。材質がホワイトドラゴンですから、鋼鉄や他の魔物鉄と比べても軽いのですが、人が扱うには無理があります。まあ、エルフリード隊の総隊長である脳筋バルクなら、片腕で扱えるでしょうか、彼は魔法センスが皆無なので、いかに最先端の魔道具でも、彼の手に掛かれば石器時代の鈍器と同じ働きしかしてくれませんけどね」
不敬だとは知りつつも、生徒達から笑いが漏れた。
「そこで私達は、この魔道具の小型化を目指しました。魔法研は杖に組み込むべき魔法式の作成、科学研は素材の開発。魔道具の開発には、両研究機関の持てる技術の粋を注ぎ、つい先日、試作品の完成にまで至りました。今日は特別に、まったく新しい次世代の杖を皆さんに見て貰おうと思います」
サラは、足元に置かれたアタッシュケースを持ち、教壇の上に置く。厳重な幾重ものロックを外し、中から長さ十五センチの杖を取り出した。
「これが、次世代の杖になります」
生徒達は、サラが掲げた次世代の杖なるものが、杖には見えなかった。
それもそのはず、この杖は木製でも金属製でもなかった。言うなれば無色透明なガラス細工。ツララのような外見なのだ。
サラとしても、生徒達の反応の薄さは予測していたようで、順を追って説明を始める。
「初めに、この杖が何でできているかを説明したいと思います。端的に言えば、この杖は魔結晶です」
魔結晶、高レベルモンスターが体内に宿している色とりどりの結晶体。魔結晶は、硬貨に加工され宝石貨として市場に流通しており、その流通量が国力の指標となっている。
だが、貨幣にされる魔結晶は屑石だ。色が瑞々しく、大きな魔結晶は、天然の宝石かそれ以上の価格で取引されてきた。見たところ、サラの掲げる杖の長さは十五センチ、繋ぎ目も見当たらない。つまり、常識に則って考えれば、最大幅十五センチ以上の巨大な魔結晶から削り出された国宝級の一品のはずなのだ。
「ここに同じものが三本、計四本あります。今から、これを回しますので、手にとってください。ああ、魔法の行使は絶対にやめてくださいね。――危険、ですから」
国宝級の一品のはずなのだが、サラは、魔結晶を形成して作ったらしい同じ杖を三本追加してしまった。
生徒達は、緊張と好奇心を織り交ぜながら、回ってきた杖を注意深く観察する。本当は、今すぐにでも魔力を流し込みたかったが、X二級魔法使いのサラが危険だと断言したので、誰も実行しようとはしなかった。誰だって命は惜しいのだ。
二百名の手が杖に触れるまで、十分が掛かった。その間に魔道具の柱は教室から片付けられ、生徒達からの質問に答えながら時間を過ごす。
「えーと、皆が杖を触っている間に数人から、科学分野からの質問を受けましたが、この杖については、私からは魔法的側面のみの解説に留めたいと思います。科学分野は畑違いで知識が不十分なんです、すいません。それでも興味のある人は、後で科学的側面から杖を解説した資料を配布しますので、授業終わりに取りに来てください」
サラは戻ってきた杖をアタッシュケースに仕舞い授業を再開した。
「杖の材質は魔結晶ですが。一つの大きな結晶から削り出しているのではなく、何十個もの小さな魔結晶を炉の中に放り込み、魔力を注入して液体魔結晶にします。その後、不純物を排除。そして液体魔結晶から魔力を抽出し、再結晶化。詳しい説明は省きますが、この工程によって巨大な魔結晶が生成されます」
そう言ってサラは、事前に用意していた直径二十センチはある平たい魔結晶を教団から取り出し、持ち上げた。
「この純度イレブンナインの魔結晶ウェハーから、複数の杖を削り出すことが可能です。そうやって造られた魔結晶の杖は、従来の木製や金属製の杖とは比較にならない魔力効率と、魔力キャパシティーを有しています。近い将来、この杖が標準化していくでしょう」
静まり返った教室で、サラの授業は続く。
「その時こそ、魔法は、また一つ上の段階へと昇華するのです」




