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エルフ・インフレーション ~終わりなきレベルアップの果てに~  作者: 細川 晃@『エルフ・インフレーション1巻~6巻』発売中!
第三章

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革新の調16

 魔結晶研究所。

「ケルビム・プロトタイプ制御完了、オールグリーン」

「――ははははははッ! やった! やったぞ!」


 研究施設の最深部で、しゃがれた笑い声が高らかに響く。

 賢者ネロが、エルフリード化したエルフに対抗すべく、魔結晶の研究を本格的に取り組み始めて三カ月余りが経過していた。


 その間に費やされた人、資源、金はそれこそ天文学的な数字の羅列であり、ネロの永久に尽きないかに思われた資産の殆どを食い潰した。

 だが、その成果として、魔結晶研究は急激な進歩を遂げ、数々の革新的な技術を生み出すことに成功していた。


 ネロの研究成果、その最たるものが、エンジェルシリーズだ。

 エンジェルシリーズとは、遺伝子を組み替えたホワイトドラゴンを素体とし、その肉体に、人工的に生み出した超高レベルの魔結晶を埋め込んだ人造の魔物である。

 ウルクナルは、エンジェルシリーズとの戦闘を既に経験していた。翼の生えた肉団子の怪物、レーザーを発射したレベル八千の魔物である。


 ウルクナルが討伐した魔物の名称は、第九階級エンジェル。

 エンジェルシリーズ最下級に位置する魔物である。


 ネロの狂気と執念の産物であるエンジェルシリーズは、シリーズと銘打たれているように、天使の階級にちなんだ九種類の魔物が生み出される予定になっており、進捗状況は、今しがた、第二階級ケルビム・プロトタイプの制御実験に成功したところである。


 ケルビムは、四枚の翼に、鳥や動物を模した四つの顔を持つ人型の異形ではあるが、エンジェルよりも遥かに、人に近い外見を有していた。

 第二階級ケルビム、――レベル百万。

 そう、ガダルニアの優秀な研究者達は、目標であったレベル百万の魔物を生み出すことに成功していた。ネロの無茶な要求を見事に達成してしまったのだ。


 レベル百万の魔物が、己の制御下に有り、しかも量産の目途すら立とうとしている。

 どれだけネロが堪えても、その口は、下品な笑いを止めなかった。

「おめでとうございます、ネロ様」


「いや、全てはあなた達の純然たる功績だ。そのことは、これまで研究を隠し通してきたメルカルにも、僕直々に伝えておく。あの石頭も、この成果を見れば、必ずエルフ殲滅の許可を出すだろう」

「ありがとうございます」

「それで、ケルビム量産計画は順調なのか?」


「はい、ケルビムの覚醒実験と並行して量産体制を整えておりました。制御実験が成功しましたので、いつでも生産を開始できます」

「素晴らしい! やはりあなたは天才だ!」

「ありがとうございます」

 ネロは強く拍手しながら、知り得る限りの賛辞をこの老博士に送った。


「……ところで、例のアレはどうなんだ? 魔結晶の定着が完了したと報告を受けているが」

「第一階級セラフィム、ですか?」

「そうだ。魔結晶が肉体に定着したのならば、覚醒実験に移れるのではないか?」

「…………」


 これまで歯切れ良くネロに言葉を返していた老博士だったが、セラフィムの名が出た途端、表情を強張らせる。怯えているのか、老博士は肩を震わせていた。

「どうした? まだ覚醒実験には移れないのか?」

「いえ、実験は可能です。しかし――」


「しかし、何だ?」

「……ネロ様が仰られていたレベル百万に達した魔物の量産は、成功確実です。覚醒エルフの駆除には、ケルビムで十分ではありませんか。私共の報告書を読んで頂けたネロ様ならば、セラフィムの危険性についてもお分かり頂けているものと信じています」

 そんな老博士の言葉に、ネロは表情を曇らせる。


「……ここのところ、徹夜の連続で誰もが精神的に疲れていたから、単純なミスだと思い、見て見ぬフリをしていた。……まさかとは思うが、セラフィム開発報告書の最終頁につづられたレベルシグナル予想とか言う、オカルト論文の話ではないだろうな。……あれが発表されたのは、僕が生まれる八百年も前だと聞き及んでいるが?」


 尊敬の眼差しから一転、ネロは博士が過労の余り狂ったのではと疑う。それ程に、レベルシグナル予想なる論文が、狂気の産物に他ならないからである。


「レベルシグナル予想は、私の祖父が解放歴一〇四七年に学界で発表した論文です。祖父は当時の学界で、魔結晶研究の権威とされていました。ですが、レベルシグナル予想を公表後、祖父は学界を追放され、異常者の烙印を押されました」


「その判断は適切だ。超高レベル魔結晶が何らかのシグナルを発し、外宇宙から超越的な力を持つ存在を呼び寄せる。――世迷言として片付けられるべきだ」

「私も、最近まではレベルシグナル予想を狂人の戯言だと嘲笑っていました」


「最近まで?」

「……はい、これをご覧ください」


 博士がネロに手渡したのは数枚の用紙であった。

 それによると、超高レベルの魔結晶からは、電磁波が発せられているらしい。用紙にはその裏付けとなる検証結果が、魔結晶鳴動現象に準えて細かに記述されていた。


 魔結晶が常に鳴動しているという既に証明された現象を下地とすることで、狂人の戯言と一蹴されてきたレベルシグナル予想に、可能性を示した文章であった。


「レベル一万を超えた魔結晶からは、電磁波が発せられている? 魔結晶から発せられた電磁波が、宇宙にまで届く?」


「はい、宇宙空間まで確実に届いています。どうやら魔結晶は、レベルが上がるにつれ、隠されていた機能が呼び覚まされていく仕組みのようです。これは最早、宇宙に向けて発せられているシグナルとしか言いようがなく。葬られたはずのレベルシグナル予想が、歴史の深淵から引き摺り出されていくようでありました」


「……なるほど。それで具体的に、博士は僕にどうして欲しんだ」

「――セラフィム覚醒実験の即時凍結を」

 老博士の言葉に、ネロの表情が憤怒に染まる。


「その言葉の意味を理解しているのか?」

「はい」

「仮に、レベルシグナル予想が正しかったとして、シグナルが呼び寄せる外宇宙の存在とは何だ?」

「……わかりません」


「――貴様は、何だかよく分からないものの為に、ここまで進めてきた計画を凍結せよと言うのかッ!? 一体どれだけの金と労力が一連の研究と実験に注ぎ込まれたと思っているッ!?」

「しかし――」


「貴様の戯言はもう沢山だ! ガードッ!」

 ネロが声を張り上げると、廊下で立っていた警備兵が即座に飛び込んできた。人肌の色を覗かせているが、この警備兵は人ではない。精巧に人をまねた機械の人形、アンドロイドである。無機質で精密な体を、人工皮膚で覆い隠した二体の警備ロボットは、瞬時に博士の両脇に立つ。


「連れて行け!」

「ネロ様ッ! ネロ様ッ! どうかお考え直しくださいッ! ネロ様――」

 両手をアームで固定され、博士は運び出される。扉が閉まるその瞬間まで、ネロに実験の凍結を訴えかけていた。

「はー。まったく何でこうなるんだ」


 ネロは一人、魂まで抜け出てしまいそうな溜息を吐く。博士に渡された用紙をシュレッターに投げ入れ、モニター前の席に倒れるように座った。手前に設置されたデスク、その上に置かれたマイクに向かう。ボタンを押すと、モニターに移った実験施設のスピーカーにマイクは接続された。


「セラフィム覚醒実験の準備を行え」

 数秒のタイムラグの後、機械を介し、返答される。

「申し訳ありません。研究主任が不在です」

 研究主任とは、ネロが拘束した博士のことである。現在彼は独房、どれだけ待とうが不在のままだろう。

 今すぐにでも実験を始めたいネロは、現在自分と話しているその男に、全権を任せることにした。


「主任は更迭した」

「――はっ?」

「そう言えば、お前が副主任だったな? 今日付けで、お前がプロジェクトの研究主任だ。さっさとセラフィムの覚醒実験を行え」


「りょ、了解しました!」

 モニターに表示された研究室内が、ネロの号令によって慌ただしくなった。新しく主任に任命された男が、部下に手際良く指示しているので、着々と準備が整っていく。


 そこは、過去にドラゴンが搬入された実験室とは趣が変わっていて、非常に狭い。内部は必要な機材で埋め尽くされ、無数のロボットアームが蠢いている。

 実験機材の調整を行っていた人員の退避が完了すると、実験室は無人になった。


「実験体を搬入しろ!」

 実験室の床の一部がスライドし、培養液が満たされた円筒形の巨大な水槽が現れた。水槽容器の厚みは尋常ではなく、ガダルニアが保有するマテリアル技術の中で、最も強固な素材を用いた特別製の容器であった。


 水槽容器は、全て不透明の物質で構成されていたが、容器内部の状態は、容器内面に備えられたカメラが捉え、容器外面に巻かれた伸縮自在のフィルム状モニターに映し出されている。ゆえに容器は不透明であるにも関わらず、透明なガラスケースと同じように、内部を覗き込むことができた。


 ネロは、検体の納められた水槽をモニター越しに覗きこむ。

 セラフィム・プロトタイプ、エンジェル計画最終フェーズにして、量産型セラフィムの雛型。

 ガダルニアが保有する英知の結晶である。


 セラフィムは、六枚の白い翼を有する人型で、これまでのエンジェルシリーズとは一線を画す外見をしている。セラフィムは醜くはないのだ。人形のように整った外見をしている。十歳前半の中性的な体格で、雌雄同体。白髪と、紅い瞳を有し、六枚羽に包み隠された肢体は、細く靭で、塩類平原の如き白い肌を纏う。


 人が想像する偶像上の天使に、美と威厳、そして愛くるしさをふんだんに散りばめた人型。この無垢な存在が、レベル三百万の怪物だとは誰も思うまい。

 しかし、その胸の中央で肉芽の如く突出した巨大な魔結晶が、この人型が魔物なのだと見る者全てに警告していた。


「準備、完了いたしました」

「始めろ」

「実験開始!」

 ――その瞬間。画面が光に満ち。暗転。




「映像は以上です」

「…………」

 ここは、ガダルニア首都ガイア。

 天高く聳える元老院本会議ビル最上階。最高会議室。

 かつて十二名の賢者が集い、ガダルニアの意志を決定する場であったが、現在は独裁官となったメルカルが一人座するのみであった。


 九名の賢者が、エルフ覚醒直後に自殺し。先日メルカルは、不要と判断した議長を粛清した。そして今日、妙に馬が合い、長年行動を共にしてきたネロが死んだ。

 報告によれば、実験中の事故であるらしい。


 覚醒と同時に暴走したセラフィム・プロトタイプが、研究施設を粉砕し、クレーターに造り変えたらしいのだ。実験体は破壊の限りを尽くし、二百秒後、活動限界を迎えて自爆した。研究施設跡地から周囲十キロメートルに生体反応は皆無であり、ネロの肉体に埋め込まれていたチップからの信号も途絶え、彼の死亡が確定した。


「…………」

 メルカルは一人、地上で最も高い人工物の上で頭を抱える。




 トートス王国。

 朝。透き通った空に煌めく太陽は、今日も昨日と同じく、平和な一日になるだろうと予見させるものであったが。それは、前触れなく始まった。けたたましい怖気のする警報が空気を震わせ、誰も彼もが動きを止め、口を噤む。

 空から、人の声が降り注ぐ。


「私はトートス王国国王アレクト=ファル=トートス。王国に住まう全ての人々よ、現在の作業を即座に止め、私の言葉にしばし耳を傾けて欲しい」

 アレクト国王の声が、無慈悲に日常の終わりを告げる。魔法によって拡張された王の言葉は、王都のみならず他都市にも、村にも伝達され、王国全国民の耳へと届く。例え耳の不自由な者にも、頭蓋を振動させて音を届かせた。


「国家非常事態宣言である」

 この瞬間、王国中から喧騒が消えた。

「繰り返す、国家非常事態宣言を発令する」

 口を開け、耳を疑い、思考が停止する。これは夢かと疑った。

 しかし、全てが現実であった、この声は間違いなく国王の声であり、王国中に同じ声が響き渡っている。尋常ではない魔力が消費されていることだろう。


 アレクト国王は、重苦しい声音で、王国の危機を伝える。

「現在、およそ五十年ぶりとなる。魔物大進行が発生している。非常に大規模であり、古文書を紐解いても前例が無い。調査部隊によれば、魔物の軍勢によって太陽が陰り、地が塗り潰されていたそうだ」

 王国の民は、一斉に理解した。国が滅亡する程の危機が、差し迫っているのだと。


「魔物の軍勢は、現在エルトシル帝国とナラクト公国を飲み込み、王国東の国境まで差し迫っている」

 これを絶望と言わずして、何が絶望なのだろうか。これまでの歴史上、大陸規模の魔物大進行は幾度も発生した。だが、その度に、エルトシル帝国とナラクト公国という二大大国が魔物を食い止め、トートス王国領まで軍勢が迫ることなど一度もなかった。


 だが今回は違う。大国は魔物に飲み込まれ、醜悪で凶悪な魔物が王国まで大挙して押し寄せてくるのだ。ビックアントの猛威に晒されている城塞都市ダダール以外の、魔物との闘いに慣れていない各都市でパニックが起きようとしていた。


 まさにその時。

「聞け! 王国の民よ。心配には及ばない」

 気概に満ちた国王の一喝が、王国中のざわめきを再び吹き飛ばす。

「我々には、彼らが居る。王国最強、いや三国最強の冒険者集団エルフリード」

 アレクト国王は、声高らかにエルフリードの名を呼ぶ。


「剣士コリン、レベル一万三千五百。魔法剣士ジェシカ、レベル一万三千六百。発明家マシュー、レベル一万三千八百。X級魔法使いサラ、レベル一万五千九百。戦士バルク、レベル二万千二百」


 どよめきが広がる。エルフリードの名は有名だ。それこそ、王国の民であれば、老若男女誰でも知っている。だが、彼らのレベルを知る者は少なかった。だから驚愕する。一万オーバー。彼らのレベルが、自分達の常識とかけ離れ過ぎていたのだ。


 かつて、王国最強と呼ばれたSSSランク冒で、者達でもレベル三桁前半。レベル五百にも届いていなかった。それでも、ドラゴンなどの強力な魔物を数多く屠った存在であることには違いなく、他国には劣るものの、王国の誇りであったはずだ。


 だが、現在のエルフリードのレベルからすれば、レベル三桁の冒険者など新米冒険者も同然。エルフリードの異次元の強さを、簡潔に、レベルという数字が証明していた。

「そして、我が国の英雄にして最強の存在ウルクナル、レベル三万三千三百ッ!」

 三万三千三百。エルフリードの中でも、頭一つ飛び抜けた数字に、国民は熱狂し、歓声が巻き起こる。


「その他にも、王都はレベル千オーバーのエルフ冒険者を二十名抱えている」

 そのエルフの冒険者とは、各国から集められた孤児のエルフの中で、冒険者を志望した子供達である。ウルクナル式道場でバルク指導のもと修練を積み、魔法に才がある者はサラが指導した。

 先日白化を済ませたばかりの雛だが、彼ら彼女らはエルフリードの雛だ。


 原初魔法を未熟ながらも扱い、並大抵の攻撃では掠り傷一つ負わない。バルクによって、絶望の味を堪能し尽くした一人前の戦士なのだ。ウルクナル達が一騎当軍の実力者だとすれば、この雛達は一騎当千の実力者に他ならないのである。


「どんなに凶悪で凶暴な魔物が来襲しようと、冒険者達の前では、ゴブリンにも劣る存在になり果てる。我々の勝利は約束されたも同然である! ――だがしかし、決して油断してはならない。可及的速やかに、落ち着いて女子供を西へと避難させるのだ。持ち物は衣服に入る貴重品だけにせよ! ――これより先、他者の家に許可なく押し入り、金品を強奪した者には、例外なく極刑を言い渡す旨をここで宣言する。事後は、王宮の精鋭魔法隊に盗難事件の検分を任せる故、逃げられるとは思うな。十分に留意せよ」


 この一言で、火事場泥棒を働こうと準備を進めていた盗賊達は、ピッキング金具などの商売道具を捨て、一般市民の中に紛れ込んだ。


「そして闘う意志のある冒険者達よ! ランク別に隊を組み、可能な限り大人数で行動して欲しい。敵は大群だ。決して単独行動をしてはならない。手に負えぬような高レベルモンスターが出現した場合は、即座に最寄りの商会施設に知らせよ、応援を急行させる」


 アレクト国王の力強い気迫に満ちた言葉が、王国を包み込んだ。

「既に、エルフリードは王都を発し、数万の魔物と正面から激突して激戦を繰り広げ、皆健在でありながら、多大な戦果を得ている。臆することはない。我々は、必ず魔物を打ち滅ぼし勝利するであろうッ!」


 シンと静まり返った王国が、爆発したかのように歓声に埋め尽くされたのは、国王のスピーチが終わった三秒後であった。皆が皆、行うべき作業を始め、各都市の住人は行動を開始する。

 闘う者は、東へ。避難する者は、西へ。

 トートス王国史上最大の闘いは、既に始まっていた。




 国王のスピーチの後、引っ切り無しに兵士達が行き交う第一城壁内部の宮殿前広場で、二十名の一団が四列横隊で整然と立ち並んでいた。

 全員が白化したエルフであったが、年齢は非常に低く、下は十歳、最年長でも十三歳と成人している者は皆無だ。


 だが、その身に纏う清澄な闘気は本物であった。ホワイトドラゴン製の鎧に身を包み、同じくホワイトドラゴン製の剣を携えたレベル千の集団である。

 この二十名に正面から闘いを挑んで勝てる戦力は、エルフリードを除き、三国のどこにも存在しないだろう。


 そんな一団の視線は現在、正面中央で仁王立ちするバルクに集中していた。直立不動を崩さず、バルクの言葉に傾注する。この二十名にとって、バルクは教官である。だが、それだけではない。二カ月間に渡り闘いの基礎を叩きこみ、ゴブリン一匹に竦み上がっていた己に、ドラゴンのアギトを前にしても屈せぬ心を解得させてくれた教師でもある。厳しいこの世界を生き抜く為の、知恵と勇気を授けてくれた恩師なのである。


「良いか、お前ら。これから実戦だ。初めての実戦だ!」

 バルクは全員の顔を見ながら言う。


「お前らはこう思っているだろう。このクソ教官、俺達はもうゴブリンを千匹斃したし、ドラゴンだって討伐した。遂に脳味噌まで筋肉になったか脳筋野郎と。確かにお前らは、ゴブリンを斃した、ドラゴンを屠った。――だからどうしたッ」

 バルクが突然叫んでも、二十名は眉一つ動かさない。


「お前らが、これから経験するのはただの戦闘ではない。人を、エルフを、非戦闘要員を守りながら、各自で判断し、各自の責任で行動する遊撃作戦だ。お前らの行動の一つ一つに、誰かの命が左右されることを常に意識しろ。そして自ら英雄に成ろうとするな。英雄は、自分で成るものではなく、周囲が英雄を創る。どうしても英雄に成りたければ、他人に認められたければ、己の全てを出し尽くし、ツベコベ言わずに魔物を殲滅して回れ、一つでも多くの命を救え! 今のお前らにはその力が備わっている。――各自絶対に生き残れ、以上。各自配置に付け、――解散」


 その言葉と共に、二十名は原初魔法によって一斉に飛び去った。魔力のエンジンを構築出来ずとも、足裏で魔力を炸裂させることで、飛んでは落ちを繰り返し、空中を進むのだ。


 コリンやジェシカと比べて、技術習得が遅れている理由は、単純に頭数が多いからである。二名を指導するのと、二十名を同時に指導するのでは、どうしても単一への指導が疎かになってしまう。それでも、近くSSSランクを取得させ、一カ月後にはエルフリードの一員として迎え入れる予定だったのだ。――彼らは未だに、未踏破エリアを経験していないのである。


 今回は本当にタイミングが悪い。バルクは、おくびにも出さなかったが、内心は責任と罪悪感で押し潰されそうになっていた。自分の未熟さに、嫌気が差す。それでも、モンスターの大群は迫ってくる。

 今はただ、教え子達の無事を祈ることしか、バルクには出来なかった。それがもどかしく、また堪らなく悔しい。


「素晴らしい教え子達だな」

 背後よりバルクに語り掛けてきたのはアレクト国王だった。バルクは、雲の上の存在であった国王と、エルフの自分が対面して言葉を交わしている現実を奇妙に思いながらも、表情には出さずに、丁寧な口調で返答する。


「……まだまだ未熟な奴らです」

「謙遜は止めてくれ。あの者達が未熟では、我が近衛兵団は赤子以下だ」

 国王のそんな言葉に、バルクは己の考えを述べた。


「あいつらは集団戦闘が行えません。レベルが高くとも、一個の集団としては、未完成なんです。集団戦が行えせんので、二、三人ずつに分けて七つの班を構成し、遊撃での魔物討伐に当たらせます。個々の戦闘力は高いので大群に対しても効果的ではありますが。格上の魔物と遭遇した場合は、危うい。レベル千なんてものは、未踏破エリアでは飛べないドラゴンも同然です。なまじ力があるだけに、格上を前にしても恐怖を忘れ、驕って挑み、死ぬ。彼らにとって今が一番危険な時期なんです」


「自分を律し、教え子達に厳しく当たるも、常に彼らの最良を願う。バルク、君はもう立派な教師なんだな」

「いえ、まだまだですよ、俺は未熟過ぎる」

 それからもバルクとアレクト国王はポツポツと言葉を交わした。

 周囲に他のエルフリードの姿はない。皆、ある作戦を遂行する為に出立したのである。


「ところで、ウルクナル達は今どの辺りに居るんだ? 一当てしたと聞いているが」

「あいつらなら、起爆作戦の最中です。もう少ししたら帰ってきますよ」

「起爆作戦?」

 何かと火急であった為、作戦内容を詳しく知らされていない国王は、バルクに尋ねる。


「そうです。アレクト国王、これをどうぞ」

「これを掛ければいいのか?」

「はい」

 バルクは、黒いサングラスを懐から取り出すと、国王に手渡した。

「ついて来てください」

「うむ」


 言われるがままに黒いサングラスを装着した国王は、バルクに促されるまま王宮を囲う城壁の外に出て、彼が指差した東を向く。東は、今まさに魔物が押し寄せてきている方角だ。


「何が始まるんだ?」

「水素爆弾という兵器を地中に埋設し、魔物の軍勢が近寄るのを見計らって、起爆させるそうです」

「ふむ……、聞いたこともないな。水素とは、水に電気を流すと発生する気体のことか?」


「俺は、マシューから聞き齧った程度なので詳しくはありませんが。水素に近いものを反応させてエネルギーを取り出す爆弾だそうです。何でも、太陽が輝くのと同じ原理だとか」

「ほお、太陽と同じなのか」

 王宮は、小高い丘の上に建てられている為、街の城壁に遮られることなく遠くまで見渡せたが。それは逆に、あの輝きを直視するという意味でもある。起爆予定地点からは十二分に離れているが、念の為にと、バルクは国王を障壁で覆った。


「マシュー曰く、X級魔法を凌駕する科学の力を発動させるそうです」

「X級魔法を凌駕する科学……。にわかには信じられないが、なるほど、それで起爆作戦か。私は魔法に無知でよく分からないのだが、どの程度の威力なのだ、その水素爆弾とやらは」


「国王はTNT爆薬をご存知ですか?」

「ああ、知っている。マシューが考案した黒色火薬に代わる新しい火薬だな。煙が少なく、しかも高威力だと聞いている」

「今回使用する水素爆弾の威力は、TNT換算で一メガトンに達するそうです」


「一……何だって?」

「メガは百万を意味します。つまり、これから起爆する水素爆弾の威力はTNT爆薬百万トンに相当します。マシューが言うには、起爆によって生成される火球の大きさだけでも直径五百メートルに達するそうで、爆風は――」

 バルクは、爆弾に関する説明を中断せねばならなかった。王都から東へ三十キロメートル地点で水素爆弾が炸裂したからである。


「おお……!」

 アレクト国王は、新生した太陽に感嘆した。炸裂した水素爆弾は、良好な核融合反応を示して燦々と輝き、サングラス越しでなければ日光のように直視は難しい。数秒もすると地面からもうもうと煙が立ち昇り、遅れて千の雷を同時に降らせたかのような轟音が到達した。


 爆風によって押し出された空気の塊が、衝撃波となって王都に押し寄せる。人的被害こそ出なかったが、王宮や市街は騒然としていた。


「あの水素爆弾は、炸裂した地点から半径五キロ圏内の魔物を叩きます」

「では、これで王国は防衛されたということなのか?」

「いいえ。レベル三桁未満の魔物なら粗方斃せたとは思いますが、高レベルモンスターは魔力障壁を展開する場合が多く、完全には斃しきれません」


「そうか……。それにしても凄まじかった。あれが本当に消費魔力ゼロの現象なのか」

 アレクト国王は、自身の内で渦巻く恐怖とも歓喜ともつかない複雑な感情に戸惑い、しばしの間、空高く立ち昇る雲の柱から目を離せなかった。あの時、ウルクナルに推薦状を渡して本当に良かったのかと、アレクト国王は自問自答せずには居られない。


 だが、今更立ち止まることは不可能だ。世界の主導は最早人間にはない。これからはエルフの時代。この星における人間の時代は既に終わってしまったのだ。

 国王といえど、ただの人間に過ぎないアレクトは、加速度的に変革して行く世界、その潮流に身を任せる他はない。行きつく先が、傲慢で冷酷な人間にも優しい世界でありますようにと、祈らずには居られなかった。




「あー、痛っ」

「……ウルクナル、平気ですか?」

「なんとかー」

 視界は限りなくゼロに等しい。起爆によって上空数キロメートルまで巻き上げられた土砂が、それこそ雨となって降り頻る。

 土砂に埋もれた体を起こし、差し伸ばされたマシューの手を掴んでウルクナルは立ち上がる。


「もー、マシューが大丈夫だって言うから、安心してたのに!」

「すいません。想定よりも融合反応が良好で。念の為に、王都から三十キロ離れて正解でした」

 どうやら彼らは水素爆弾を甘く考えていたようだ。マシューの計算は威力を小さく見積もり過ぎたようで、爆弾は想定よりも三十パーセント増しの破壊を地上にもたらした。

 爆心地から十キロ離れた空中で、知的好奇心から起爆の瞬間を観察していた二名は、三十パーセント増しの爆風に煽られ、吹き飛ばされてしまったのだ。


 堅牢な魔力障壁に守られていたので掠り傷一つ無いが、衝撃波によって浮遊姿勢を崩し、錐揉みしながら墜落したことで、三半規管をシェイクされてグロッキー状態のマシューとウルクナルだった。


「消し飛ばしたのは九割ってところですか」

「マシュー的には、どうなの?」

「満足しています。合格点ですね」


 煙が晴れた後、豊かだったトートスの森が無残な姿を晒して彼らの前に現れた。木々は十キロの広範囲に渡って薙ぎ倒され、水素爆弾が生み出した熱線によって炭化している。

 地を埋め、空を埋めていた魔物の数万からなる軍勢は、三三五五と散り。戦力の殆どを失い壊滅状態であった。低レベルモンスターは大半が骨も残らず滅却され、残っているのは、ドラゴンやワイバーンなどの、魔力障壁を展開できるレベル三桁の魔物が数百匹。だが、そのどれもが酷い傷を負い、満足に闘える状態ではない。健在は百にも及ばず、最早ウルクナル達の敵ではなかった。


「この分だと、第四城壁が機能する前に終わりそうです」

「良い事じゃん。まあ、マシューに手柄を全部持って行かれたのは癪だけどさ」

 楽勝ムードを漂わせ、呑気に談笑に励んでいたかったのだが、鋭敏なウルクナルの五感は、新たなる危機を察知する。

「んー」


「どうしました?」

「マシュー、あれ、何だと思う?」

 二人は目にしてしまった。


 現在地より更に東の空が魔物の群れによって黒一色に染まり、その直下の森林が揺れ動いている。規模は、第一波が斥候に思える程で、文字通り桁が違う。また、未踏破エリアにしか生息していないはずの魔物も散見され、天を駆けるのはペガサスやフェニックス、地を進むのはグレートデーモンにタイタンであった。


「未踏破エリアの魔物がこんなところまでっ!」

「第二波かな?」

「いえ、恐らくあれが本隊でしょう。質も数も違い過ぎます」

「水素爆弾の予備は?」

「ありません。先ほどの一発が、技術立証を兼ねた試作品でしたから」

「そっか」


「すいません、もう一発急造しておくべきでした」

「謝ることないよ。こんなの誰も予想してなかった」

 第一波を、量でも質でも遥かに勝る魔物の軍勢が、王都へと押し寄せていた。このまま進ませれば、いかに重武装の第四城壁といえども無事では済まないだろう。何としてでも、ここでせき止め、敵戦力を削らねばならないようだ。


「俺が頑張らないとダメそうだ」

 マシューと会話しながら、ウルクナルは自分の装備に異常不備がないか入念に点検する。

 空中で準備運動を始めた彼はもう、獲物を見つけた飢狼と化していた。

「マシュー、ちょっと暴れてくるから、皆を呼んだ後から来てくれ」

「……ウルクナル、無理はしないでください」

「わかってる!」


 言うや否や、ウルクナルはソニックブームを巻き起こし、音を置き去りにした。

 ウルクナルは数十万からなる魔物の軍勢に真正面から接近する。彼の存在に気付いた魔物が、火を噴き、雷を発し、巨岩や巨木を投げつける。だが、そんなものは彼の秒間魔力一万を食らう障壁には通用しない。


 一つの砲弾となったウルクナルは、進路上にある全ての魔物を貫き、直進する。

 抜け出たのは、全天を覆い尽くす敵中であった。どこに目を向けても魔物、魔物。夥しい化物達が、一斉にウルクナルへと襲い掛かる。


「――はッ」

 魔力を共なったレベル三万三千三百の拳が炸裂した。拳の移動速度は、極超音速を超越する。

 ウルクナルの拳から放たれた巨大な魔力の塊は、頭上から突っ込んで来ようとしていた魔物の一群を吹き飛ばした。魔物の集団にぽっかりと円形の穴が空き、その隙間から青空が覗き、陽光が降り注ぐ。数千にも及ぶ魔物を、ウルクナルは一撃で葬ったのだ。


 幾重もの漆黒の魔力の瞬きが、空間を貪り尽くす。

 ウルクナルが四肢を振るう度に、千単位の魔物が死滅した。一万、三万、五万。細切れになった魔物の骸が堆積し、地面の上に積み重なって血の湖を生み出す。

「消え去れッ!」


 百万の魔力を消費して放たれたウルクナルの拳は、一瞬にして翼を有する万の魔物を血煙にする。

 上空の魔物を粗方始末したウルクナルは、地上に降り立ち暴れ回った。

 万のゴブリンを殴り飛ばし、千のブラックベアーを蹴り殺す。タイタンの首を手刀で斬り飛ばすと、足を握ってスイングし、体長五十メートルを誇るタイタンの骸が有象無象を一掃した。


「ふー」

 戦闘開始から五分。

 ウルクナルは魔力欠乏の倦怠感を懐きながらため息をつく。ウルクナルによって破壊された地形は、F5クラスのトルネードが三度同じ地点を通り過ぎたとしても到底再現できるものではない。何もかもが滅茶苦茶に破壊されていた。


 魔物が犇めくも、古く美しかったトートスの森は、ことごとく禿散らかされ、赤茶けた無残な大地をさらしている。そこに、摩り下ろされた魔物の骸が至るところに散乱していた。

 一個軍、その数十万からなる魔物の軍勢は、ウルクナル一人の手によって半数を肉塊にされ、壊滅した。

「頃合いかな」


 追撃したいところだが、あれだけ潤沢にあった魔力が底を尽きかけている。まだ敵は残っているが一旦引いた方が懸命だろうと、ウルクナルが考えていた時だった。

「――ウルクナルッ!」

「――バルク! 皆! ここだ!」

「ウルクナル、上がって来てください!」


 バルクも含めたエルフリードの全員が上空に居た。手を振って応援を求めたウルクナルだったが、何故か彼らは地上に降りて来ようとはしない。首を傾げつつも、マシューの言葉に従って飛び立った。


「皆どうし――」

 高く飛べばそれだけ視界も広がる。目に入る情報は飛躍的に増大し、同時にウルクナルは、自分が目にしていた魔物の軍勢が、氷山の一角に過ぎないのだと思い知った。


「何だ、これ」

 ウルクナルが死に物狂い相手していた数十万の魔物。あれが今回の魔物大進行、その本隊であるはずだった。この集団を駆逐すれば終わるはずだったのだ。


「一体、どれだけの数が……」

「大雑把にですが、二百万は超えているかと」

 ウルクナルが屠ったのと同規模の軍が、同時に六つ現れ、二百万匹の魔物が、東の空と地面に蠢いている。


 二百万、大陸中の魔物を集結させたかのような数であった。最早、軍という単位ですら余りある。あれらは、軍集団と呼ぶべきだ。

 エルフリードは一騎当軍だが、レベル三万三千三百のウルクナルだからこそ、数十万からなる魔物の軍を無事に撃滅できたのだ。


 エルフリードの平均レベルは二万にも届かず、ウルクナルと、王都の守りに専念しなければならないバルクを除けば、平均レベルは一万四千にまで低下する。


 魔物集団の質に寄るところも大きいが、サラ達が単独で闘えば、戦闘途中で魔力切れを起こし、一つの敵集団と引き換えに、こちらから犠牲を出しかねない。皆欠かせない友であり、人材だ。犠牲など許されない。であれば、サラとマシュー、ジェシカとコリンとでツーマンセルを組み、二名で一個の敵集団と闘った方が手堅いだろう。


 ただそうなると、丸々三個の軍が王都へ殺到することになる。バルクが一つの軍を足止めしたとしても、二個軍。


 レベル三桁の魔物も少なくない。王都を守護するレベル千の冒険者二十名と、王国正規軍、第四城壁の重火器では対処しきれないだろう。

 魔物の進軍速度は非常に速い。軍集団は、現在王国国境から四十キロメートル以上東に位置してはいるが、一時間以内に、トートス王国領に到達するだろう。

 しばらく魔物の集団を観察していたウルクナルはふと気付く。


「どうして、翼のある魔物は一直線に飛んでこないんだ? 空中を何度も旋回して、地面を歩く魔物と同じ速度で移動してる」

 ウルクナルの言う通り、ドラゴンやワイバーン等の翼の生えた魔物の種族は、トンビのように上空を旋回するばかりだ。まるで、大型魚を恐れて群泳するイワシである。

「わかりません。ただ……」

「ただ?」


「魔物達は怯えているような気がします。憶測なのですが、魔物は何かから逃げている、のかもしれません。なので、恐怖し怯えているからこそ、翼のある魔物も突出せずに、地上の魔物と速度を合わせている。――ウルクナルが闘っている間に、装備を取りに一度王都へ戻ったのですが、その際アレクト国王から聞いたんです。エルトシル帝国やナラクト公国に出現した魔物の殆どが、領土内に散らばることなく、一直線に西へ向かったと」


「魔物達が都市を襲うことなく、トートス王国に向かってきたってことッ!?」

 マシューの話にウルクナルは声を荒げざるを得なかった。

「はい。流石に、人間から攻撃を受けた集団は襲ってきたようですが、それ以外の全ての魔物達は我先にとエルトシル帝国領を横切っていったそうです。エルトシルとナラクトでは、魔物との戦闘は収束しつつあり、帝国軍と公国軍の勝利は確実だそうです」


「じゃあ闘わずに無視すれば、魔物も危害を加えてこないのか?」

「……トートス王国がトリキュロス大平地の最西端に位置していなければ、素通りさせてもいいのでしょうが」


 口元に手を当て、ジェシカが呟く。

「あ……。そっか、トートス王国は袋の底なんだ」


「ジェシカ、上手い例えです。そう、トートス王国は大陸の最西端、魔物にとっては袋小路なんです。あの何百万という魔物が恐慌状態であるとはいえ、大洋まで泳ぐとは考えられない。空を飛べる魔物は大洋を渡るかもしれませんが、翼の無い魔物はトートス王国領土内に留まり続けることになるでしょう。ですが、人を襲わないという確信がない以上、飛行モンスターも王都で食い止めなければなりません。西には避難した非戦闘員の女子供で溢れている。到底、素通りさせるわけにはいかないんです」


「敵は二百万の魔物。闘いは避けられそうにないな。……さて、どうするか」

 バルクの呟きの後に言葉は続かず、重苦しい沈黙が場を支配する。

 総数二百万。頭では数字の大きさを知っているつもりでも、現実に結び付けようとした途端にリアリティを失う。既に、沢山という曖昧な数量でしか二百万を知覚できなかった。


 皆一様に黙りこむが、妙案が出ることはなく、貴重な時だけが刻一刻と経過していく。

 モンスターの軍集団は、遂に国境を超え、トートス王国領土に突入する。転進する様子など皆無だ。頂点に到達した太陽が、駆り立てるように、容赦なくエルフリードに照りつける。


 決して晴れない暗雲。

 終わりの見えないトンネル。

 闇が空間を侵食するように、黒い塊となった魔物軍が着実に這い寄ってくる。


 思考は堂々巡りを続け、明確な最良案など浮かぶはずもない。物量的にお話にならない以上、必勝法はないのだ。何かしらの賭け、運任せな部分が発生してしまう。

 自分達は随分と重くなったものだと痛感させられる。体が重いのではない。心が重いのだ。最早、エルフリードはトートス王国の要であり、エルフリードの敗北は即ち、王国の敗北を意味する。気儘な冒険者時代は、敗北など怖くはなかった。負けても逃げればよかったからである。誰にも期待されていなかった分、何度でもやり直しが行えた。


 だが、もうエルフリードは逃げられない。負けられない。

 失敗できない、逃げられない。重圧、責任。それらがヘドロのように纏わり付き、心を重くしていくのだ。


「――皆」

 マシューもサラもバルクも、コリンもジェシカも。一歩を踏み出すにたる切っ掛けを、明瞭な答えを欲していた。これしかない。それ以外に有り得ない。そんな答えが、誰かの口から迸るのを待っていた。


「考えても仕方が無い」

 皆の視線が、エルフリードのリーダーたるウルクナルに集中する。彼は言った。

「――闘おう、我武者羅に。俺一人でも、魔物軍の一つを潰せたんだ。全員で掛かれば二百万の軍勢ぐらい、やってやれないことはない」

 冒険者たる者、口や頭を使う前に行動で示せ。


 カルロの教えは今もウルクナルの中で生き続けていた。ウルクナルは、実際に魔物の軍を一つ、単独で壊滅させている。だからこそ言えるのだ。やってやれないことはない、と。何とかなる、大丈夫。理屈も道理もへったくれもない無責任な言葉でも、実力を伴った彼の言葉は、力強く皆の背を押す。


「……我武者羅。やっぱり、それが一番ですよね、この場合。それ以外に方法が有りませんし」

「全く、簡単に言ってくれるわ」

「実に分かりやいな、ウルクナルらしい」


 エルフリードの六名は二百万の軍勢を前にして、朗らかに笑い合う。暗雲を吹き飛ばしたのは、今度もウルクナルであった。

 サラは肩に掛けたポーチから、魔法薬が入れられた小瓶を複数取り出す。

「皆、一つずつ取って。飲めば魔力が即座に全回復して、一時間の間、魔力生産量が五倍になる魔法薬よ」

「うわ、凄い色ですね」


 魔法薬を受け取ったコリンは眉をひそめる。サラが配る魔法薬は、オドロオドロしく紫色に発光していた。魔法薬自体が輝きを放っているのである。ジェシカは尋ねずにはいられなかった。

「サラ先輩、これ、本当に飲んで大丈夫なんですか?」

「失礼ね! 大丈夫に決まってるじゃない!」

「……で、どんな副作用があるんですか?」

「…………」


 マシューの容赦ない突っ込みに、サラは顔をそらして押し黙った。露骨に目が泳いでいる。口にせずとも、誰もが悟った。この魔法薬には副作用があると。ただ、よくよく考えてみると、サラが自作した魔法薬に副作用が無かったことは少ない。


 ウルクナルをはじめ、サラ特製魔法薬を幾度も飲んだことのあるメンバーは、彼女の様子にまたかと溜息を吐くまでに止まったが、エルフリード入りしてまだ日の浅いコリンは声を張り上げた。


「黙らないでくださいよ! 怖くて飲めないじゃないですか!」

 コリンの抗議に、サラは重い口を開ける。

「効果から考えれば、副作用は一時的だし些細なものよ。それに副作用が現れ始めるのは、魔法薬の効果が切れてからだし」

「どんな副作用ですか?」


「……倦怠感、食欲不振、魔力生成量低下、吐き気、頭痛、発熱、胃痛、筋肉痛、関節痛。それから――」

 次々と出る、地味ながらも辛い副作用の数々。コリンは聞かなければよかった、と後悔したがもう遅い。副作用に悶え苦しむ自分の姿が、脳裏に映し出された。

 だが、魔法薬は無いよりも有った方が良いに決まっている。自分の命を守り、他人の命を救えるのならば、サラが言うように一時的な副作用など些細なものだろう。


「コリン、私は魔法が攻撃のメインだから絶対に魔法薬を使うと思う。……全部終わったら、私のこと看病してよね」

「わかった。でも、僕も使うかもしれない。その時はどうしよう……」

「そんなの、お互いに看病し合えば良いじゃない」

「そっか!」

 手を繋いで見つめ合うコリンとジェシカだった。二人の仲はここ数カ月で急速に進展したようだ。目を細めたサラが、口に手を当てて笑いを堪えながら呟く。

「あなた達やっぱりくっついたのね。それで、どこまで済ませたの」


 彼女の言葉に、二人はハッとして手を放すと、顔を真っ赤に染めた。

「ち、違いますよ!」

「わ、私達はそんなんじゃないわよ!」


「まったく、可愛過ぎるはアンタ達」

 適量の緊張は精神を集中させ能力を引き出すが、過度な緊張は能力を大幅に引き落とす。普段通りの緩やかな会話は、緊張を緩和し、恐怖に凝り固まった心と体を解きほぐしてくれた。


「皆、準備は良い?」

 ウルクナルの問いにエルフリードは無言で頷く。盾とハンマーを携え、剣を抜き、杖を握り、銃を構える。


「俺は、中央の集団。マシューとサラはその右、コリンとジェシカは左、ツーマンセルで当たる。バルク、王都には半数以上が殺到することになるけど、どうにか持ち堪えて欲しい。敵軍を斃し次第、救援に向かう」

「そうなると俺が一番大変だな。信頼の現れと受け取って良いのか?」

「バルク、頼む。王都を死守してくれ」


「へへへ、任せとけッ!」

 一堂を見回し、ウルクナルは叫ぶ。

「行くぞッ!」

 六条の彗星がそれぞれの戦場へと飛んでいく。退路はない。全ては、王都に住まう全ての国民の為に。




「救援は見込めないッ!? トニール皇帝、シトレ大公! このタイミングで協定を破棄するのかッ!?」

 ここは王宮地下に設けられた魔力式の通信施設。真っ暗な室内では、アレクト国王の他に二つの人影、もとい立体映像があった。エルトシル帝国の皇帝に、ナラクト公国の大公である。


 王都の防衛に就いたバルクから、総勢二百万の魔物が押し寄せて来ると知らされ、この通信室にアレクト国王は飛び込んだのだが、立体映像の二人は、国王の悲愴な願いにも一向に耳を貸そうとはしない。


 シトレ大公は腕を組んで目を瞑り、トニール皇帝はオドオドするばかりであった。

 トニール皇帝は、死去したエステガル皇帝に代わり、皇位を継承した新しい皇帝なのだが、そこにエルトシル帝国皇帝としての覇気も威厳も無く。正真正銘の暗愚であった。まさに、零落したエルトシル帝国を体現した男なのである。


「我が、ナラクト公国は今回の闘いで多数の兵と冒険者、そしてSSSランク冒険者を一名失った。都も多大な被害を被っている。救援に割ける人員など存在しない」

「え、エルトシル帝国も同じだ」


「そんな時だからこその支援協定ではなかったのかッ!」

「黙れッ!」

 シトレ大公の一喝にアレクトは黙った。

「何故、エルフリードを抱えるトートス王国に、公国の助けが必要なのだ。救援に向かったとしても何ができる。あのエルフの皮を被った化物共のデタラメな攻撃に、我が国の兵士が巻き添えになるだけではないかッ!」


「え、エルトシル帝国も同じ考えだ」

 眩暈と頭痛に襲われ、アレクト国王は目を瞑り、腕を組んで耐え凌ぐ。

「千年来の盟約も地に落ちたか」


「盟約? 盟約だとッ!? お前がそれを言うのか。エルフリードという最強戦力を保持していながら、何故、トートス王国はナラクトに救援を送らなかった。聞いているぞ、新たにレベル千のエルフを二十名も抱え込んだそうだな。ナラクトにもエルトシルにも、レベル千に到達した人間など誰一人居ない。これまでの歴史上、レベル千を超えた者は存在しなかった。もう一度問う、地上最強の戦力を有するトートス王国は、何故、ナラクト公国エルトシル帝国の両国に救援を送らなかった!」


「え、エルトシル帝――」

 トニール皇帝の言葉を遮り、アレクト国王は呟く。

「どうあっても、救援は送れない。相違ないか」


「ああ」

「え、エルトシル帝国も――ひっ」

 アレクト国王の濃密な怒気の籠った視線に、トニール皇帝は情けない悲鳴を上げて尻餅をつく。シトレ大公は流石に動じず、鋭く静かな眼光でアレクトを威嚇する。


 こうして、三国間の緊急会合は、トートス王国と各国との関係に修復不可能な溝が横たわっている事実を突き付けられ、何の成果もなく打ち切られた。

 頭を抱えて通信室を出ると、アレクト国王のもとにシルフィールが駆け寄る。最愛の娘に情けない姿は見せられないと、アレクトは背筋を正し、シルフィールを抱き止めた。

「お父様」


「シルフィール……」

 アレクト国王は娘に掛ける言葉が見つからずに酷く戸惑う。他国に救援を断られたなどと言えるはずがない。口を閉ざし、そっと小さな両肩に手を置くしかなかった。


「――お父様」

「なんだい?」

「ご心配には及びません」

「え?」

 アレクト国王は耳を疑い、そして目を疑う。シルフィールは、朗らかに笑っていた。


「二百万の魔物が王都に迫っているのですよね?」

「あ、ああ」

「ウルクナル達エルフリードが闘っているのですよね?」

「そうだ」

「だったら、心配しなくても大丈夫です!」

「――!」


 ここに至ってようやく、アレクト国王は自分が震えていることに気付く。娘の、それも幼女が、二百万の魔物が迫っているという事態を理解し、恐怖している父親を宥め、慰める。

 この時の自分の顔は、笑っていただろうか、泣いていただろうか、驚いていただろうか。アレクト国王には分からなかった。


「お父様、大丈夫です。ウルクナルが闘っている。あの時みたいに、また私達を必ず助けてくれます! だから、大丈夫です」

 そう言って、シルフィールは抱きついた父親の背を撫でた。

 アレクトは茫然と立ち尽くすしかなかった。




 王都外縁より東へ十キロ、そこがエルフリードの主戦場だった。

 各所で、黒色の輝きが乱舞している。それこそが幾十万という魔力が一挙に燃え尽きる輝き。エルフリード以外に、単体では到達し得ぬ、魔力操作の深淵。レベル一万オーバーが織り成す人知を超越した闘い。


 だが、闘っているのはエルフリードだけではない。

 エルフリードといえども、完璧に魔物を殲滅できるわけではなかった。彼らの激烈な攻撃を運よく回避した取りこぼしが、ほんの数パーセントではあるが、王都へ突き進む。

 その城壁まで到達した数パーセントの魔物を殲滅するのが、マシュー監修のもと新設され、第四城壁に配備された王立砲撃部隊である。


 城壁上に並べられた八十門もの百五十ミリ榴弾砲が一斉に火を噴く。砲弾には大量の炸薬が詰められており。砲弾は、着弾した衝撃で爆発し、無数の鉄片を撒き散らす。

 砲火を潜り抜けた魔物には、機関砲から放たれる二十ミリ弾の雨が降りしきる。直撃すれば、ゴブリンなら血煙と化し、オークならば半身が泣き別れする威力があった。


 そして、二十ミリ機関砲でも斃せない魔物には、九十ミリライフル砲が対応する。

 以前、マシューが開発したロケット弾のように、九十ミリ砲弾の先端には、特殊加工の施された魔結晶が取り付けられており、それが魔力障壁を喰い破り、巨大な金属の塊を叩きこむのである。この一撃を貰えば、未踏破エリアに生息する魔物とて無事では済まない。だが、欠点がある。命中させるのが極めて難しかったのだ。


「ドラゴンだ! 赤いドラゴンが来るぞっ!」

 魔力障壁を纏ったレッドドラゴンが第四城壁へと接近していた。

 二十ミリ機関砲では、レッドドラゴンの障壁を貫くことすら不可能であった。そこで、城壁内に並べられた大砲で対魔力障壁弾を放つのだが、空中を自在に飛翔するドラゴンにはかすりもしない。


 低空で飛行するレッドドラゴンの放つ火球が、大砲並ぶ城壁開口部に直撃する。

 悲鳴を上げる間もなく、幾つもの命が一瞬で灰になった。空中を旋回し、再び城壁に向けて口を開くレッドドラゴン。


「――――」

 火球の直撃を免れた兵士達が、絶望に目を濁らせ、無数の牙が生え揃ったドラゴンの口内を凝視する。真っ暗だった口内に、煌々とした輝きを目にした兵士達は死を直感するが、悲鳴すら出せずにいた。輝きは丸く形成された劫火となり、吐き出される。


 死の肌触りを実感した兵士達は堪らず目を瞑り、冷徹な死を待ち受けていたが、永遠にも等しい数秒を待てども、死は訪れない。

 目を開けた兵士達は驚愕する。

 白化したエルフの少年少女達が目の前にいた。


「――大丈夫ですか!?」

「こっちの人、まだ息がある、急いで!」

「ここは俺達が食い止める、早く退避しろッ!」

 一人は、レッドドラゴンの火炎を不可視の壁で弾き。一人は、全身が焼け爛れた瀕死の兵士へ無尽蔵の魔力を用いた治癒魔法を行使する。一人は、白光煌めく長剣を携え魔物に挑む。

 レッドドラゴンは、レベル六百の未踏破エリアに生息する魔物であり、SSSランク冒険者であっても討伐は極めて難しい。歴史上、この龍種を単独で斃した人間はいない、にも関わらず。


 少年の剣は、一刀のもとに、障壁で守られているはずの魔物の首を切り落とした。鱗よりも赤い鮮血を噴き出し、ドラゴンは地面と激突する。

 見れば、少年が携えた剣は宝石のように蒼い輝きを纏っていた。

 二十名の幼い白化したエルフ達は、縦横無尽に王都を駆け回り、砲兵が撃ち漏らした高レベルモンスターを次々と駆逐していく。


 彼ら彼女らの働きが無ければ、無数のドラゴンやワイバーン、未踏破エリア生息の凶悪な魔物が、市街地で跳梁跋扈していただろう。

 幼きエルフ達によって助けられた人の数は留まるところを知らない。

 レッドドラゴンの火球から助けられた砲兵の一人が、白化エルフの少年少女に礼を言う。

「ありがとう、助かった。良ければ、名前を教えてくれないか?」

 剣でドラゴンを斃した少年は、一瞬目を見開いて驚くと、気恥しそうに頬を掻きながら、三人を紹介する。


「俺はルーク。回復魔法を使っているのが、マリー。魔物の攻撃を防いだのがグルカだ」

「……マリー」

「え、えっと。グ、グルカです!」


 死を免れた兵士は、命の恩人たる三名の顔と名前を決して忘れまいと心に刻んだ。そして思う。彼らは若過ぎる。皆成人年齢に達していないだろう。

「失礼だが、君達は何歳なんだ?」

「俺が、十三。マリーが十二、グルカが十だ」


 兵士は気付く。彼らこそが、三国中から集められたエルフの孤児であり、エルフリードに育てられた次代の英雄なのだと。

「……そうか。ルーク、マリー、グルカ。改めて礼を言う、本当にありがとう」

 盗みや喧嘩を重ね、暴力と罵声の中で生きてきたルーク達が、初めて人間から贈られる本物の感謝と敬意。

 三人は、年相応の笑みを浮かべ、次なる戦場へと向かう。

 ウルクナル式道場第二期生達は、戦場の英雄に成りつつあった。


 バルクが、眼前に広がる光景を見て呟いた。

「……壮観だ」

 百万の悪鬼と鉄風雷火。そんな一文が似合う光景だった。克明な絵画に起こせば、金銭では贖い切れない芸術品になることだろう。この眺めを、永遠に留められないのが非常に悲しく、もったいない。しばし戦場であることを忘れ、バルクは百万の魔物に百五十ミリ榴弾の豪雨が降り注ぐ様子を眺めていた。

 これが生涯最後になるかもしれない感動をバルクは堪能し尽くした。


 だが、冷静になって考えてみると、死地に自ら飛び込む覚悟など、冒険者になった当初から固めている。そう肩肘張ることでもないようだ。バルクは、心地よい高揚に包まれながら一歩進む。


「さて、ウルクナル達が来るまで暴れますか」

 抜き放つは槌、構えるは盾。

 並々ならぬ魔力を武具に湛え、砲弾の直撃を受けながら、バルクは突進する。


「ウラァッ!!」

 吹き飛び、千切れ飛ぶ魔物、魔物。バルクは単純な体当たりによって数百匹の魔物を蹴散らした。蹴散らしながら敵陣を一駆け。盾を正面に構え、ハンマーを振り回し、突き進む。


「ハァッ!」

 右手で握る槌に注ぐのは、貯蔵魔力の十パーセント。三百六十度どこを見ても魔物。そんな敵陣のど真中で、バルクは魔力を物質化し、五十メートルにまで延伸した槌をフルスイングする。

 半径五十メートル圏内の魔物が、ゴッソリと刈り取られた。


 この一振りで、魔力の槌は砕け散った。それならば、新たに造れば良いだけのこと。バルクは再び貯蔵魔力の十パーセントである二十万もの魔力を注ぎ、槌を延伸させた。烈風をもう一振り。二振りで合計一万匹の魔物を葬り去った。


 獅子奮迅な攻撃を行うバルク。彼一人の攻撃に、百万からなる軍集団が進軍を止めた。百万の殺意がバルクへと一挙に集中する。文字通り、恨み殺せるだけの殺意。


「フッ! やっと俺を見つけたな」

 鼻であしらい、不敵に笑う。

 上空を旋回していた数千匹もの龍種が一斉に火炎を放つ。

 当然、魔力障壁で体を覆うレベル二万のバルクに、レベル三桁が精々の火力など通用しない。それどころか、障壁で受ける必要すらなかった。頭上に掲げたタワーシールドのみで十分。魔物鉄ホワイトドラゴンを溶かせるのは、ホワイトドラゴン以上の破壊力を繰り出せる存在のみだ。


 魔力を温存しつつ、火炎が降り止むのを待つ。

 地上は広範囲に渡って業火に焼かれ、数多くの魔物が炭化した。


「手伝いご苦労ッ!」

 ――時は来た。バルクは敵の自滅に喜びながら、足裏で魔力を爆発させて空中に飛び上がった。

 三度目の薙ぎ払いは、空中で行われる。飛翔する魔物は、地上のように密集していないので、長い棒状の物体をスイングするような、二次元的攻撃では効果が薄い。

 で、あれば。三次元的に、かつ広範囲に、それでいて飽和的な攻撃を行えば良いのだ。

 バルクには、サラのような魔法的センスはない。マシューのように頭が良くもなければ、ウルクナルのように単純に強くもない。


 だからこそ学ぶ、積極的に学び、知識を吸収する。努力を怠らない。

 バルクは、サラとジェシカが共同で発表した。粒子加速砲という新たな原初魔法の攻撃方法を知っていた。サラの書く魔法に関する論文はどれもユニークであり。いずれ何かの役に立つだろうと、彼女の論文には全て目を通してあるのだ。


 彼の地道な努力が、昇華する。

 バルクには、ジェシカやサラのような魔法センスはない。故に、論文で記された粒子加速砲の実現は、今のところ不可能である。だが、真似はできる。


 生み出すのは、一億にも届く硬質で微細な魔力の塊。体を縮こめ、一億の球体で包み込む。この時点で、貯蔵魔力の三割を消費した。さらに、回復した幾ばくかの魔力を足す。この時点では魔力残量は丁度半分。バルクは、その残量のさらに半分を魔力障壁の強化に回し、残りを炸薬として体に纏わせた。


「吹き飛べッ!」

 刹那、五十万もの魔力が一度に炸裂し、バルクの周囲に密集していた一億の球体を外側へと吹き飛ばす。

 球体は音速の何十倍という速度で、全方位に一斉発射された。

 この一撃でホールトマトと化した魔物の総数は、十万弱。上空を旋回していたドラゴンやワイバーンなどの龍種はもちろん、未踏破エリア生息の飛行モンスターも撃ち落とした。球体は地上にも降り注ぎ、多数の魔物を物言わぬゾル状の水たまりに変えてしまう。

 ただこれでも、バルクが斃した魔物は二十万にも届かない。


 百万だった魔物の軍勢を八十万にまで減らせたが。言い換えれば、バルクの魔力を全て吐き出したにも関わらず、まだ八十万もの軍勢と闘わねばならないという意味だ。

 第四城壁から大量の榴弾を浴びせかけ、一撃で十や二十の魔物を潰すが、五桁目の数字を動かす程の火力はない。


「――ちっ」

 バルクは後退せざるを得なかった。盾を敵に向ける背中に引っ提げ、全速力で撤退する。

 王都が目前に迫る第四城壁三キロ手前で立ち止まったバルクは、魔力の回復を待ってから、再び先ほどのような攻撃を繰り出した。


 飛翔する魔物の殆どを滅ぼしたが、地上にはゴブリンを始めとした魔物が犇めいている。

 軍勢は残り六十五万。王都を目前にして、六十五万。これが意味するのは、つまり、窮地に他ならない。


「これを、背水の陣って言うのか? 陣って言っても俺一人だが」

 こんな時でも、不思議と減らず口は叩けるようだ。

 わずかながらに生き残った龍種が王都へ向かっているが、魔力的にも構っている余裕はない。ウルクナル式道場第二期生達の頑張り期待する他なかった。


「皆おせーなー。……ん?」

 飛び上がり、ウルクナル達が闘っているであろう地点を眺める。

 すると、何やら強烈な発光を放つ物体に、黒色の発光体が五つ絡みつくように空中を高速で舞っていた。

 黒色の発光体はウルクナル達で間違いない、だとすると比較にならない輝きを放つあの発光体は何なのか。


 バルクには見当もつかなかったが、味方の類ではなさそうだ。

 考えたくもないが、エルフリード五名と互角に渡り合う新種の魔物、という線が濃厚であり、実際彼の予想は見事に的中していた。


 エルフリードと渡り合う新種魔物の正体は、ネロの研究機関が生み出した人工魔物の一種、エンジェルシリーズ第六階級パワーズ、レベル十万。


 二枚の翼を持つ多肢多頭の怪物である。

 その光景を目の当たりにしたバルクは、当面の援軍は望めないと悟り、決意した。

「仕方ない。極力使いたくはなかったが……」

 奥の手。

 バルクは懐から紫色に発光する小瓶を取り出した。サラから渡された魔法薬である。彼女が調合する薬はとにかく効く。しかし、副作用が酷い。

 正直飲みたくはないが、飲まざるを得ないだろう。


「――っ」

 蓋を取り、内容液を一気に飲み干した。冒涜的に酷い味だったが、無心で飲み下す。

 効果は即座に現れた。

「お、おお!」


 魔力が急速に充填され、満たされる肉体。それでも魔力の噴出は収まらず、体外へと溢れ出す。高密度の黒い魔力を垂れ流しながら、バルクは屹立していた。


 この時、彼には二つの選択肢が用意されていた。

 一つは、魔力を防御に回し、六十五万の魔物を食い止め、ウルクナル達を待つ。もう一つは全魔力を攻撃に費やし、魔物を磨り潰す。

「…………」

 バルクは、己に宿る魔力を見極め。何ができるかを冷静に考える。現在の自分は、サラ特製魔法薬を服用したことで通常よりも魔力生産量が上昇し、一秒間に四万もの魔力が湧きだす肉体となった。

 つまりは、一時間の間、秒間四万の魔力を消費する魔法を発動し続けられるという意味だ。


「やるしかない」

 バルクは槌と盾を手放した。だが、彼の表情に諦めはない。屈強な意志が、勝利を絶えず望んでいる。瞳は勇気に満ちていた。


 足を肩幅に広げ、両手の平を前方に突き出し、肩の力を抜く。

 幸いにして、飛行する魔物は全て片付けた。残すは地上を埋め尽くす六十五万もの魔物である。魔物達は、唸りを上げ、乱杭歯の隙間から涎を垂らし、目を血走らせながら向かってくる。

 バルクとの距離はもうわずか。

 魔物の大軍勢が、津波のようにバルクを飲み込もうとする寸前。バルクの体から溢れだした漆黒の輝きが、逆に軍勢を飲み込んだ。


 バルクの目線からこの魔法を眺めたところで、全体を把握するのは不可能だ。何故なら、この魔力操作はキロメートル単位で展開されているからである。

 最早それは、魔法というよりも人智の及ばぬ超自然現象であった。王都第四城壁と王宮の兵士や冒険者達は、茫然とその現象を眺めた。無意識の内に感嘆の声が漏れる。


 バルクの魔力貯蔵庫を空にする勢いで放出された膨大な魔力は、圧縮され、紡がれ、編まれた。それは二百万もの魔力によって生み出された、一辺が三キロメートル、九平方キロメートルにも達する結節網であった。魚群を一挙に捕える網のように、六十五万の軍勢を包み込み、自由を奪う。


 バルクは、太さ一メートルにも及ぶ魔力で紡がれた大縄を引く。その際、一秒間に魔力生産量の全てに当たる四万を消費していた。一秒間に一回、数万の魔力を消費して綱を引くバルク。彼は、鬼も泣いて逃げる形相を浮かべていた。

 遂に網の口が閉じ、六十五万の魔物は網によって球状になった。魔力障壁を展開できない低レベルモンスターの殆どは、重みで圧死する。


 残り、五十万。

「……ぐっ」

 しかし、ここまで。バルクは縄を抱えたまま滝のように汗を流し立ち尽くす。生きている二十万もの魔物が必死になって網を喰い破ろうと暴れている。遂には網の一か所が切断され、その隙間からシルバーウルフが這い出ようと頭を突っ込む。


 それをバルクは許さない。魔力製物体の最大の利点は、魔力を消費することで即座に物体を修復できる点だ。現在破られたのは千二百十八か所。全てが己の魔力で紡いだ縄であるが故に、バルクはどこが破損したのかを瞬時に把握し、魔力を注いで修復する。


 その二秒後、二千八百七十か所が破られた。即座に魔力を注ぎ修復する。

 この繰り返し、イタチごっこだ。


 一秒間で生産される四万もの魔力が、網の修復でことごとく費やされ、バルクの貯蔵庫はいつまで経っても空のまま。激烈な魔力欠乏症に苦しみながらも、バルクは意識を手放さなかった。

 ここは王都第四城壁から東に二キロメートル地点。

 縄を放ち、魔力の回復を待ってからの殲滅も手ではあったが、その間、王都は無防備になる。故に、魔力の網で魔物を生け捕りにするという無茶無謀に打って出るしかなかった。今ここで、何としてでも、魔物全軍を足止めさせねばならなかったのだ。


「く、くそ――ッ」

 バルクは直感した。このままでは魔法が破綻する。ほんのわずかに、収入よりも支出が多いのだ。赤字である。網は食い破られようとしていた。

 何百万とあったはずの貯蔵魔力は、既に五桁へと突入した。総量の数パーセントにも満たない雀の涙である。それこそ平時であれば数秒で肉体から生み出され、貯蔵される魔力なのだ。


 貯蔵魔力が完全にゼロになるということは、即ち敗北を意味する。これが自分一人の敗北だったなら、バルクは即座に魔法を解除し、遁走しただろう。


 だが、背後には故郷の王都トートスがある。見知った友人や仲間も少なくない。嫌なことが多い街ではあったが、近頃は愛着も生まれた。その王都が、自分の諦め一つで灰燼に帰すのである。全てが自分の責任だ。


 皆から期待され、信頼され、王都を守るという大役を任せられたのである。

 逃げ出せない、諦められない。しかし、どうすることも敵わない。魔力不足には抗えなかった。


「ちくしょうッ!」

 一秒が長い。一秒が百秒にも千秒にも感じられる。息が苦しい。まるで高山の頂で走ったかのようだ。体が重い。体感的な重力は十倍に跳ね上がっていた。

 視界は霞んで、しかも暗い。


「ち……、ちくしょう」

 この極限状態はどれだけ続いたのだろうか。バルクは、最後の最後まで抗い、魔力の運用を見直し、工夫した。しかし、終ぞ収支は逆転せず、魔力残量は一万切り、五千を刻む。

 網で捕えた魔物の一部が、バルクよりも先に魔力を切らし、障壁を展開出来ずに潰れ、敵総数は四十万を割り、なおも減少していった。


 バルクは、百万の魔物に挑み、単騎で壊滅的打撃を与えたのだ。だが、それまでである。

 王都からの援軍はない。


 エルフの門下生達も、バルクの網から逃れた龍種や未踏破エリアの魔物の対処に追われ、身心共に傷つき、疲弊していた。

 王都は甚大な被害を被っており、彼らの目の前で数多くのエルフや人間が死んでいった。

 門下生達も、恩師であるバルクを助けたかったが、状況がそれを決して許さない。


 自分が抜ければ、それだけ命が失われる。負担を掛けた仲間が死ぬ。王都の魔物を駆逐するまではバルクを助けられなかったのだ。

 少年少女達は、涙を堪え、呻きながら、王都上空を旋回し、街に向かって火炎を放つ魔物を取り除かねばならなかった。例えそれが、恩師を見捨てることになるのだとしても。彼らの結束と決意は揺るがない。

 そして破綻の時が訪れる。


「――――」

 バルクを不意に襲う意識の途切れ、それが決定的だった。

 意識が途切れた数秒で、網は破綻し、破裂する。水風船が四散するように、網は消滅した。遂に、バルクの蓄えられていた魔力が底を尽いたのだ。


 レベル三桁超えの高レベルモンスター三十万匹が、一斉に解き放たれ、王都へと殺到していく。

「――――ッ」

 意識を手放す寸前、誰かが自分の名を呼んだ気がした。




 焼け爛れた空、捲れ上がった大地。

 血と硝煙と骸の臭いが、風があるにも関わらず充満していた。どこから風が吹き込もうとも、王都周辺へと流れ込めば、何千万と転がる魔物の寸断された骸によって風は臭い付けされてしまう。


「――バルクッ!」

 バルクは目を覚ます。自分の体は地面に横たわっていて、手も足も動くが、その度に激痛が走る。見上げると、見知ったウルクナルの顔があった。


「へへへ、良いところだけ持って行きやがって、遅いんだよ」

「ごめん、レベル十万の新種魔物が出て、手こずった」

 自分以上にボロボロのウルクナルは、申し訳なさそうに微笑する。鎧もグローブも彼は身につけていない。魔物との闘いで失ったのだろう。


 激闘、喪失。そんなキーワードが脳裏に浮上し、急速な不安に駆られたバルクは、早口で尋ねる。

「ウルクナルだけか? 皆はどうした、無事なのか?」

「マシューとコリンが重傷を負っている。サラとジェシカが二人の治療をしているけど命に別状はないよ」


「そうか、よかった……」

 自分が生きていると知った時よりも深い安心をバルクは懐く。体が重く動かない。瞼の開閉がまるでベンチプレスだ。

 一眠りしようとした時、またしても誰かに名を呼ばれる。それも何度も。


「バルク先生ッ!」「先生」「先生!」「……バルク先生」

 ウルクナル式道場、第二期生達の声が頭上から降り注いてくる。もう目は開けられない。だが、生徒達が約束を果たしたのか知るまでは、意識を手放せない。バルクは気力を振り絞り、呟く。


「……番号」

 一から二十まで、淀みなく番号は叫ばれた。

 全幅の安心を抱き、バルクは意識を手放す。

 バルクが目を覚ましたのは、一週間後であった。




 解放歴二〇五九年。

 アルカディア星トリキュロス大平地で未曾有の魔物災害が発生した。諸説あるが、総数二百五十万にも迫る魔物の軍勢がトリキュロス大平地を西進。大平地三国に多大なる被害をもたらした。

 魔物の軍勢は、最終的にトートス王国王都へと集結。


 軍勢は主に、エルフリード他、エルフ機関の前身に当たるウルクナ式道場の第二期生二十名の働きによって殲滅。トートス王国は滅亡の危機を免れた。


 この闘いに於けるエルフ達の多大なる英雄的働きは、エルフの社会地位を劇的に押し上げ、一国民レベルでエルフに対する感情が変化。これまでのように露骨なエルフ差別は姿を消した。特に、トートス王国では差別撤廃が急速に進み、大来襲の翌日には高級ブティックや高級料亭、一部国営施設等のエルフ出入り禁止を取り止め。正式に謝罪する店や施設も存在した。


 解放歴二〇五九年は、革新の調がトリキュロス大平地を包み込んだ年。

 この年を境に、トートス王国は近代化への道を歩むことになるのだ。

 エルフの少年ウルクナルから始まった世界の潮流は、ドミノ式に規模を増しながら、どこまでも突き進む。


 世界は未だ、インフレーション期の黎明に差しかかったばかりである。








第三章・完

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