革新の調14
ウルクナル達がシルバーフォレストを退店したのは、街が闇に覆われた深夜だった。
満腹で満足な一行は、ゾロゾロと暗い王都を歩く。途中、人相の悪い男数人に後をつけられたが、彼らがエルフリードだと知るや否や慌てて散った。
王都中央の商館前で、ゴードは一団から離れる。
「じゃ、俺はこっちなんでな。マシュー、研究も良いが、たまには息抜きもしろよ。お前はエルフなんだ。焦る必要はない」
「――はい親方。でも平気ですよ。研究もそうですが、僕は今の生活が楽しくて仕方がないんですから」
「……そうか、ならいい。それじゃあな、また美味い飯食う時は誘ってくれよ!」
迷惑になりかねない大声で別れを告げたゴードは、南側にある自分の店へ帰って行った。一行は、北側のウルクナル式道場に向かう。
「到着ぅー」
「今日は、ごちそうさまでした!」
「――コリン、ジェシカ、休むのは後だ。ちょっと来てくれ」
「……え」
「……わかりました」
道場に帰りついて一息吐いていたコリンとジェシカだったが、安息に浸ることは許されなかった。二人は、日々稽古を行っている道場のメインホールに、バルク達によって連れ込まれる。
全員がホールに入った直後、扉には鍵が掛けられた。
「――ッ!?」
「み、皆さん、急にどうしたんですかッ!?」
唐突に響いた施錠音と、室内に満ちた異様な緊張感に二人は瞠目する。そして殺気とでも言えばいいのだろうか、息をするのも辛くなるような気配が、足元から這い上がってきた。
殺気は、間違いなくウルクナル達エルフリードから、その門下生であるコリンとジェシカの二人に向けられている。
六名は、重苦しい雰囲気の中、道場内で立ち並ぶ。門下生は纏まって中央に立ち、彼らを半包囲するように、出入り口を背にしてエルフリードが立つ。
「あのウルクナル、一つ質問」
「いいよ、何?」
ジェシカは、彼の表情を窺いながら慎重に尋ねた。
「……今日は、どうしてあんなに豪勢な食事を? 何かあったの?」
直後、場の空気が急速に弛緩した。
「あれ? ――バルク! もしかして今日の食事会、何の為に開いたのかまだ説明してなかったの!?」
「ああッ! すまん、忘れてた」
「バルク……。それは酷過ぎると思います」
「しっかりしてよ、コリンとジェシカが可愛そうじゃない」
エルフリードメンバーから非難の集中砲火を浴びるバルク。コリンとジェシカにも謝るバルクだったが、当の二名には何のことだかさっぱりだった。
「シルバーフォレストでのあれは、コリンとジェシカを祝って行われた食事会だったんだ。すまん、早めに言っておけばよかったんだが、緊張のあまり、頭からスッポリ抜け落ちていた。本当にすまん」
「祝い、ですか? 僕達、祝われるようなことしましたっけ? ……ドラゴン連山で必死に生き延びたお祝いですか?」
お祝いという言葉が嫌みに聞えたコリンは、皮肉を込めて言葉を返したのだが、バルクには皮肉が通じなかった。
「ドラゴン連山で丸一日生き延びたこともだが。お前達は、俺からのシゴキを、二週間に渡って見事に耐え凌いだ。あの食事会は、頑張り抜いたコリンとジェシカを祝ってのパーティーだったんだ」
「……シゴキ?」
「そうだ。日々の異常に厳しい鍛錬は、お前達を正式にエルフリードの一員として迎え入れるか否かを見極める為の、言わば最終審査だった。あの鍛錬の目的は、お前達の憎しみを徹底に煽ることにあった。お前達をこれでもかと追い詰め、心の奥底に潜む本性を暴きだそうとした。だが、お前達は憎しみに囚われることなく、死ぬよりも辛い鍛錬を二週間も耐え、成長し、己を守る術さえ身につけていった。心より尊敬する」
ただならぬ空気から、破門にされるのかと内心怯えていただけに、いきなり褒められて面食らうコリンとジェシカだった。どんなリアクションをすればよいのかと彼らが困っていると。極めて真剣な面持ちで、バルクが問いかけてきた。
「最後に、もう一度質問したいんだが、いいか?」
「何ですか?」
「何よ?」
「――人間をどう思う?」
二週間前に散々尋ねられた問いに対し、コリンは真っ先に答えた。
「この前と一切変わりません。助け助けられ、持ちつ持たれつ、お互い良き隣人同士でありたいと思います」
コリンの淀みない返答に、バルクは満足げに頷く。
「そうか。ジェシカ、お前はどうだ?」
ジェシカは、数秒悩んでから答えた。
「……正直に言えば。まだ許せない人間は数えきれないくらい居る。そいつらを殺してやりたいと時々本気で考えることもある。――だけど、今日会ったサイモンとゴードは、私をエルフだからって差別しなかった。わざとマズイ料理を出さなかったし、近くに座る時に嫌そうな顔をしなかった。普通に接してくれた。サイモンとゴードは、とても良い人達だったと思う」
ジェシカの人間嫌いは、二週間前から比べれば随分と寛容なものに変わったようだ。周りの許しがあれば、躊躇いなく人間を殺すような、激情に似た憎しみを、現在の彼女は懐いていない。彼女の大きな前進と、これからを考慮し、バルクは逡巡する。
「……そうか。――ウルクナル。俺は、コリンとジェシカを白化させても問題無いと考える。どうだろうか?」
自分の答えは出た。後は、賛同だけだった。
バルクは緊張感を込めてウルクナルのことをリーダーと呼ぶ。SSSランク冒険者、トートス王国の将来を双肩に担うエルフリードの長として、ウルクナルは決断する。
「万が一の時は、俺が責任を持つよ。マシュー、門下生二名に液化魔結晶を」
「はい!」
「サラ、異論はある?」
「聞かないでよ、そんなやぼなこと」
「うん。じゃあ、満場一致ってことで」
「――うっしゃーッ!!」
喜びのあまりバルクは叫んだ。まるで、自分のことのように喜んでいる。しかし、事態を理解できていない門下生達には、何故バルクがこんなにも喜んでいるのかが分からなかった。手に汗を握りながら静観する。
「ウルクナル、持って来ました!」
マシューが持ち出した上質な黒塗りの盆の上には、円筒形をした白銀の金属塊が二本立てられている。円筒のサイズは小ぶりな水筒程度だろうか、飲み口と思われる出っ張りには、金属部品で厳重に封がされ、素手では開けられそうにない。金属製の水筒などコリンとジェシカは初めて見たのだが、その金属の質感には覚えがある。料亭シルバーフォレストで目にしたばかりであった。
「ホワイトドラゴン製の容器?」
「その通りだよコリン、よく分かったね」
それは確かにホワイトドラゴン製の容器だった。そして容器の内部を満たしているのは、鉄をも霧にする液体魔結晶だった。容器は、三重の魔法瓶構造になっていて、熱を一切外殻に伝えることはない。故に素手でも、この容器を持てるのだ。
「コリン、ジェシカ」
ウルクナルは極めて真剣な面持ちで、二人の名を呼ぶ。門下生達は、背筋を伸ばして傾注した。
「この容器の中には、ある魔法薬が入っている。それを飲むと、肉体に様々な変化が生じる。肌が白くなり、髪と瞳が銀色に変わる。つまり、これまでエルフと呼ばれていた存在ではなくなるんだ」
「…………」
「……ウルクナル達みたいになるという意味ですか?」
「そうだよ。でも、変わるのは外見だけじゃない。姿が変わるのと同時に、強大な力を得ることになる。莫大な魔力、第五の系統魔法である原初魔法、剣を挫く肌、岩をも砕く拳。この容器に満たされた魔法薬を飲んだ後に、未踏破エリアに行けば、SSSランクなんて簡単に取得可能だ」
「……そんなことが可能なんですか?」
「信じられないのも無理はないと思う。でも、全て本当のことだ。――コリンにジェシカ、この魔法薬を飲めば、王都すら壊滅させられる力を得る。得た力に決して溺れはしないと自信があるなら、これを飲んでくれ」
胸に格納された肉のポンプが激しく脈動する。心が、期待と興奮と不安とで混迷し、肉体に異常な電気信号を発信しているのだろう。手足が震え、眩暈がする。口を閉じているのも苦しかった。
コリンはまた一つ、質問を重ねるが。
「万が一、僕達が力に溺れたら――」
「全力で処断する。俺は、迷いなく、全身全霊を持って、力に溺れたエルフリードを魔物として排除する」
言い終わる前に、ウルクナルが口を開くと、無慈悲な捕食者の瞳を油断なくコリンに向けながら、己の苛烈な所存を述べた。
「…………」
コリンは悩んだ。ウルクナルの忠告によって己の内面で渦巻いていた不安感が増大したのである。コリンは怖気付いてしまったのだ。二手に分かれる道の手前で立ち止まったまま、視線を落として、右手で左手の甲を摩る。
重たい時間の中にコリンはいた。一秒が五秒にも十秒にも感じられるドロドロとした時間が、体にへばり付きながらゆったりと流れていく。
逡巡がいつまでも終わらないかに思えたその直後。
「私、飲みます」
立ち込める暗雲を払い退けたのは、意外にも人間への憎しみが一番強い筈のジェシカだった。
「……ジェシカ」
「コリンも一緒に飲まない? 私がその力で人間を殺しそうになった時は、コリンに止めて欲しいの。――お願い」
ジェシカはコリンの手を固く握った。彼女の言葉に、コリンは小さく溜息を吐く。自分の安直さに溜息を吐いたのだ。あれだけ思い悩んでいたはずなのに、足が竦んでいたはずなのに、ジェシカに手を握られた途端、悩みは消え去った。
耳に熱が集まるのを感じる。
「僕も、飲みます。その魔法薬」
二名の宣言に、バルクが控え目にガッツポーズをしていた。ウルクナルは、交互に彼らを見て、言う。
「本当に、良いんだな?」
「はいっ!」
十四日目、早朝。
「ねえ、見られてない? 私達」
「うん、でも仕方ないよ。――こんな色になっちゃったし」
朝霧が漂う王都トートス北部の大通りを歩く二名に、道行く人々の視線が集中していた。ある者は噂し、ある者は羨望の眼差しを向ける。心にやましい感情を持つ者は、その色を目にしただけで震えあがった。
「ウルクナル達もこんな感じだったのかな」
「皆どうやって慣れたんだろう、この視線」
王都の大通りを歩くのは、純白の人型。丁度二週間前にウルクナル式道場に入門したエルフの少年少女、コリンとジェシカ。彼らの姿は、十四日前と今とでは丸っきり別人と化していた。
SSSランクパーティ・エルフリードの代名詞、白銀のエルフが新たに二名現れる。
本日の商館を賑わす話題はこの瞬間に誕生した。
「ウルクナル達に教えてもらった原初魔法、どこまでできるようになった?」
ジェシカ、レベル三百。装備、レッドドラゴン製の片手剣、大老木の螺旋枝、魔物鉄レッドドラゴンのプレートアーマー。
エルフの魔法使いで、しかも剣士という、稀が二乗された存在のジェシカ。
彼女は現在、三系統の魔法に加え、魔力を直接操る原初魔法も未熟ながら行使可能となった。
腰まで伸びる純白の髪と、白磁の如き色合いの肌。気の強そうな三白眼の奥に宿るのは、人間への憎しみと慈しみという、相克する感情だ。
「難しいよ、ジェシカ。魔力なんて今まで感じたこともなかったから、魔力障壁で体を覆うのも一苦労だ。地道に練習するしかなさそう」
コリン、レベル三百。装備、レッドドラゴン製の両手剣、魔物鉄レッドドラゴンのプレートアーマー。
人間に対し憎しみを懐いていないこと以外は、至って平凡なエルフの少年だったコリン。
バルクとの死闘に近い稽古を二週間に渡り、数百回と繰り返したことで、剣の才能を開花させ。命のやり取りでも引かぬ心と、苦痛への耐性を獲得し、実戦に耐え得る剣技を習得した。
白化したエルフ、伝説のエルフであるエルフリードと同じ姿となったコリンとジェシカは、語り合いながら道場から近い北門へ向かう。
かつてのウルクナル達のように、魔力でエンジンを生み出し、門まで飛べば早かっただろうが、彼らはまだ緻密な魔力操作が行えなかった。実のところ、白化したのが今日の未明なので、練習する暇もなかったのだ。肉体の白化に驚いている間に夜が明けてしまったのである。
「おはようございます」
コリンとジェシカは声を揃えて挨拶する。
「おっす」
「おはよう」
第三城壁の北門に立っていたのは、バルクとサラだった。彼らの足元には、巨大な革製のリュックサックが置かれていた。コリンもジェシカも、パンパンに膨らんだリュックの中身を知っている。あれは、これから二週間、未踏破エリアで野宿する為に必要な最低限度の物資が詰まっているのだ。
リュックサックを背負った門下生達は、口を噤んでバルクの言葉に耳を傾ける。
「お前ら、今レベルは幾つだ」
「三百です」
「三百よ」
「いいか良く聞け、レベル三百なんてのは、未踏破エリアでは雑魚だ! 何故なら、未踏破エリアに生息するゴブリンのレベルが三百だからだッ! お前らは三国の領土内では極上の冒険者かもしれないが。未踏破エリアでは、数匹のゴブリンと互角の勝負を繰り広げる無様なGFランク冒険者と同義であることを絶対に忘れるな! 自分達のレベルは三百ではなく、一桁だと思い込め、返事!」
「はい!」
「よし! 行くぞ!」
バルクとサラに体を抱えられたコリンとサラは、極超音速の飛行を体験することになる。上空一千メートルは見事な快晴。地平の彼方まで見通すことができた。自分達が極めて速い速度で飛行していることに気付いたのは、目線を下方に向けた時だった。景色が流れ、街は前方に現れた瞬間、後方に消える。
鳥など、空中で静止しているかの錯覚する程であった。
自分達の足元に目を向ければ、紫紺に輝く物体が、バルクとサラの足の裏に張り付いているのが視認できる。コリンには、その不思議な輝きを放つ物体が何なのか見当もつかなかったが、魔法に関する知識が豊富なジェシカは、その輝きを目にした途端、背筋に怖気が走った。
連続して輝く紫紺の魔力光、一体どれだけの魔力が継続して消費されれば、こんな色を長時間発するのだろうか。目的地に到着するまでに、一体どれだけの魔力が使われるのか。色を数値に置き換え計算すれば、消費魔力の総量を求められるだろうが、自分は導き出した答えを疑うだろう。羅列するゼロの数に、正気では居られないだろうと、ジェシカは自嘲する。
呑気に口を開けてピクニック気分に浸っているコリンが羨ましかった。
王都トートスを立って僅かに数分。
未踏破エリアと、エルトシル帝国領とを隔てる無人の長城が出現した。この長城の向こう側こそが、ドラゴンを討伐した勇者でも半日で泣き喚く魔境、未踏破エリアなのである。
長城の手前、エルトシル帝国領に降り立つとバルクは言った。
「俺達はここまでだ。この城壁を超えると未踏破エリアと呼ばれる草原で、出現する魔物のレベルは非常に高い。この二週間、常に気を抜くな、以上だ」
続けてサラが喋る。
「リュックサックの中には、三日分の非常食しか入っていないから、足りない分は現地調達、水はジェシカの水系統魔法で確保して。それから信号弾も入っているから、付属の説明書を読んで、途中棄権の場合は躊躇わずに使ってね」
「はい先輩」
「わかりました。もしもの時は、必ず」
「俺達は今から二週間後の朝。お前達が門下生となった日から数えて、二十八日目の朝に迎えにくる。それまで魔物と闘い、生き抜け!」
「はいッ!」
コリンとジェシカは未踏破エリアへと向かって歩き始めた。彼らは振り返ることなく、堂々と歩を進める。城壁の合間から差し込む日光は、彼らを歓迎しているのか、はたまた追い帰そうとしているのだろうか。
「二週間、頑張って」
「…………」
サラとバルクは彼らの背を見詰め続けた。
SSSランク冒険者になる為の最後の試練に、コリンとジェシカが挑む。




