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エルフ・インフレーション ~終わりなきレベルアップの果てに~  作者: 細川 晃@新連載『滅びゆく世界を救うたったひとつの方法』
第三章

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革新の調10

「ここに血印を」

 そう言って、ナタリアは短剣をコリンに差し出す。その鋭い輝きにコリンはギョッとした。大事な契約の為でも、自傷するのはどうにも抵抗がある。躊躇っていると、背後から声が掛けられた。


「治癒魔法掛けてあげるから、早く済ませなさい」

 杖を抜いたサラが、いかにも準備万端といった感じで待ち受けている。

「は、はい」

 彼女にカッコワルイところは見せられないと、刃を小指に向けるコリンだったがナタリアから待ったの声が掛かる。


「コリン、その短剣はレベル六百のレッドドラゴン、その魔物鉄で出来ています。レベル一桁のあなたの指なんて、力を入れずとも斬り飛ばされるでしょう。傷つけるのは手のひらにしなさい。力加減も間違えないで」

「――――」

 ナタリアの斬り飛ばされる、が効いたらしい。真っ青になったコリンは、結局一人で行えず、ナタリアとサラにして貰うのだった。


「こっちだ」

 ナタリアにお礼と別れの挨拶をしたコリンは、ウルクナル、マシュー、サラの後を追い、商館を出て王都を歩く。王都の街並みは、帝国のそれと比べれば重厚さに欠けるが、活気のある都であることは確かなようだ。そんな風にコリンは考えながら、王都と帝都の違いを見比べた。


 さっきから妙に視線を感じるが、それはSSSランク冒険者にして、白銀のエルフであるウルクナル達に向いている視線だろうと合点したコリンだったが、彼にも奇異の目線は注がれていた。何せ、エルフリードが連れて歩く緑髪の普通のエルフだ。エルフリードとあのエルフにどんな関係があるのかと、誰でも興味が湧く。


「どこに向かっているんですか?」

 コリンが尋ねると、隣を歩いて離れないサラが答えた。

「王都の北門側にあるエルフリードの道場。まずはそこでコリンの実力測定を行うのよ」


「頑張ります!」

「いつも通り、自分ができることをやればいいからね」

「はい!」

 午後の王都を、屋台で買い食いしながらゆっくり歩くこと十数分。ウルクナル式道場に一行は到着した。ウルクナルとマシューに続き道場に入ろうとするコリンをサラが呼び止めた。


「コリン。あなたの他にもう一名だけ、道場にエルフが居るんだけど……」

「そうなんですか? ――って、こんなに立派な道場なのに、僕を入れて二人しか門下生が居ないんですかっ!?」

「んー。まあそこは、この道場って特殊だから」


「はあ、特殊……」

「とにかく、影で彼女に何かされたら私に言いなさい。厳しく注意するから」

「彼女?」

 コリンとサラは道場の玄関前で会話する。


「ジェシカっていう名前のエルフなんだけど、攻撃的で、嫉妬深い。アクが強い子なの。コリンに突っ掛かってくると思うけど、優しくしてあげてね」

「そういうのだったら心配は要りません。孤児院でもそういう子は居ましたから」

 そう自信満々に答えたコリンが、重たい道場の門を押し開けると、誰かが鍛錬を行っているのかエントランス奥の扉から様々な音が聞えてきた。

「ヤアアッ!!」甲高くも勇ましい女性の声。


 重い物が壁に叩きつけられる騒音。

「振り被り過ぎだッ! 磨り潰されたいのかッ!」野太く恐ろしい男性の声。

「はい!」


「声が小さい、どうしたもうばてたのか? 実戦では休んでいる暇なんかないぞ! 殺すつもりで来い」

「――はいッ!」

 コリンの自信など、この壮絶な稽古を物語る怒鳴り合いの前に霧散した。


「…………」

「大丈夫そう?」

「…………」

「根はいい子だから、大目に見てくれると助かるんだけど」

「ぜ、善処してみます」

 古よりの道場の習慣に従い、靴を脱いだコリンは、ウルクナルに睨まれた時のような威圧感が滲み出るフローリングを歩みながら、鍛錬を行っていると思しきメインホールに足を踏み入れた。


 扉を押し開けた直後、コリンの全身を熱風が包む。一歩前と後ろで、明らかに気温と湿度が違う。空気の層の境目が、この扉を境に存在しているのだ。

 そして空気には、明らかに血の匂いが混じっていた。


「――!」

 見ると、全身に生傷を走らせ、頭からダクダクと血を流すエルフの少女が居た。

 彼女がジェシカなのだろう。片手用の剣を右手に、魔法使いの杖を左手に持つという変わった戦闘スタイル。剣で斬り、魔法を放つ。彼女は、世にも珍しいエルフの魔法剣士であった。

 コリンは暫し茫然と、彼女の闘う様を眺め続ける。


 ジェシカと相対しているのは、恐らくエルフリードの一員らしき白銀のエルフなのだが、彼が本当にエルフなのか、コリンには今一つ自信がなかった。というのも、彼の背丈体格がエルフの基準からかけ離れ過ぎているからだ。

 エルフよりもオークキングやデーモンに近い体格。見事なまでの逆三角形の筋肉の塊。攻城兵器級の鈍器を振り回す為だけに生まれてきたような肉体だった。


 自分よりも遥かに重量のある盾を片手で掴み、もう片方でハンマーを振り回している。アレにダメージを与えられるような火力は自分にない。そう、コリンは心の中で断言した。


「何を遠慮している! お前にそんな余裕があるのか? 魔法を放て魔法を! その杖は飾りかッ!?」

「――ッ、ファイアーブレス!」

 魔力百を消費し、ジェシカはバルク目掛けて中級火系統魔法を行使する。無論屋内で、である。だが、建物が炎上することは有り得ない。何故なら、この道場の床と壁に張られた板は、未踏破エリア産の木材、レベル三桁や四桁台の化物が犇めく未踏破エリアに群生していた樹木である。中級魔法程度の火力では、焦げ目も付かない。


 それはバルクとて同じだった。レベル四桁の彼に中級火系統など効くわけがない。

「はッ!」

 バルクは、蝋燭の火を吹き消すかのように、盾でファイアーブレスを吹き飛ばす。彼が魔力を消費する兆候はなかった。持ち前の腕力のみで、魔法を退けたのだ。何もかもがデタラメである。こんな凄まじい戦士が、どうして無名のままなのか。コリンには、知る由もなかった。


「速いッ」

 しかも彼は、ただ力が強いだけではない。ジェシカが突き出す剣の切っ先を、紙一重で、幾度も、造作もなく回避し、彼女の間合いに肉薄する。

「レイッ」

 鋭い光が瞬いた。


「――ぐッ」

 ジェシカの苦し紛れに放った初級の魔法は、接近したバルクの視界を光によって白く埋め尽くす。その間に、彼女は間一髪バルクの間合いから脱出し、体制を立て直した。


「はっ、はっ、はっ」

 汗を掻き、涎を零し、血を流す。満身創痍のジェシカはそれでも闘志をむき出しにして、ブラインド状態のバルクに遠慮容赦なく飛びかかる。腕を斬り落とさんがばかりの上段斬り。彼女の剣が、バルクの右手首に接触する。

 異質な音がした。皮膚が、鋼鉄の剣を砕く音である。


「……ッ!」

 バルクの肉体は、岩石よりも硬かった。比喩ではなく、真の意味で硬かったのだ。レベル四桁の彼の表皮は、魔力を纏わずともドラゴンの鱗よりも硬いのである。そんなバルクの腕が、鋼鉄の剣で傷つけられる訳がない。彼にダメージを与えるなら、最低でもワイバーン製の剣が必須だった。

 砕けた剣の破片が飛び散り、ジェシカの頬を裂く。赤く染まった顔を更に血で染めた彼女は、剣と共に心も砕けたのか、力なく床にへたり込んだ。


「はい、バルクの負けー」

「え?」

 近くで観戦していたウルクナルが、バルクの負けを宣言した。それにコリンは疑問を感じる。攻撃の一切は通用せず、剣は砕かれ、彼女は満身創痍だった。どう見ても、負けたのはジェシカの方である。

 コリンは、近くにいたマシューに尋ねてみた。


「どうしてジェシカが勝ったんですか?」

「あれはルールのある訓練ですからね」

「訓練、……あれが?」

 コリンには、訓練ではなく正真正銘の殺し合いに見えた。


「バルクはジェシカを気絶させたら勝ち、ジェシカはバルクに一撃加えられれば勝ちというルールだったんですよ。理解できました?」

「はい、ありがとうございました。……あの、僕もアレをやるんですか?」

 コリンがどこか怯えた風に言うと、彼を落ち着かせるように首を横に振る。

「いえ。あればまだです。コリンには、もっと基礎的な訓練をしてもらうつもりですよ」

「…………」

 予期していなかった訳ではない。しかし実際に、殺し合いに近いアレを自分もいずれしなければならないのかと考えると、途端に足が震えてきた。


「さ、立って」

「サラ先輩、私、勝ちました? ……途中から記憶がないんです」

「ちゃんと勝ったよ。おめでとう」

 コリンが視線を正面に向けると、サラがジェシカを介抱していた。


「私、言われた通り三連勝しました。これで、私も道場の正式な門下生ですよね?」

「うん」

「やった……!」

 処置を終えたサラが、ジェシカの身体を支えて、話ながらゆっくりと歩いている。向かう先は、シャワールームだった。血と汗に塗れた体を洗うのだろう。

 そしてジェシカは、正式な門下生では無かったらしい。あの激闘が、入門試験か何かだったのだろう。


「で、お前がコリンか」

「は、はい!」

 声のした方向に振り向くと、ジェシカを血ダルマにしたバルクが佇んでいた。

 コリンは、自分の体重の何倍もあるこの巨体が激しく動き回っていたのに、彼が汗一つ掻いていないのが不思議でならなかった。コリンは屠殺される覚悟でバルクに近寄る。だがコリンの心配をよそに、バルクは笑顔で彼を褒め始めた。


「おめでとう! お前よく二次審査を突破したな! 歳は幾つだ?」

「じゅ、十三歳です」

「まだ成人もしてないのかッ!? そりゃまたすげーな。商館で冷たい目をした女のエルフに、昇格率と死亡率が載せられた表を見せられただろ」


「はい」

「二次審査じゃあ、ウルクナルに、金やるから帰れとか言われなかったか?」

「……はい、言われました」

「お前すげーよッ! いや本当に! 金貰って帰るって、それが普通だ!」

 やたらとテンションの高い大男に背中をバシバシと叩かれ、コリンは涙目だった。背中はきっと大変な色になっているだろう。


「これからよろしくな、二千分の一の逸材!」

「……二千分の一?」

「おうよ! この何カ月か、ずっと入門希望者を審査してきた。王都で腕っ節が自慢のエルフを全員審査したと思う。それでも、二次審査を突破したエルフは居なかった。どんなに清い心のエルフでも、大金の魔力には逆らえなかったらしい。人間を恨まず、心穏やかで、目先で物を考えない。そんなエルフは、お前だけだ」


 お前だけ、お前が特別。その言葉は心地よく、甘美だった。

 それが、王国の切り札にしてエルフの希望であるエルフリードからの言葉ともなれば、感慨もひとしおでである。


「約束通り、お前を一カ月でSSSランク冒険者にする」

「一カ月で……SSSランク?」

 茫然と自分の言葉を反芻するコリンに、バルクは首を傾げた。

「驚いた。お前、この道場の謳い文句を知らずに入ってきたのか?」


「え?」

「入門さえすれば、どんなエルフでも一カ月でSSS冒険者にしてみせる。それが、この道場が掲げる公約だ」

 さも当然とばかりに言ってのけるバルク。コリンは残像が生じる速度で首を横に振った。


「む、無理ですよ! 確かに上位ランクには昇格したいですけど、僕がSSSランクなんて、なれるはずが……」

「実はな、エルフってのは、誰でもSSSランクになれるんだぜ? 俺達はその方法を知っている。リーダーのウルクナルが発見したんだ。だから、この道場はウルクナル式って言う」


「――ッ!?」

 自分がSSSランク冒険者になれる。驚きと喜びの感情が胸の中でせめぎ合う。だが、バルクの次の言葉がコリンを凍りつかせた。

「まずは二週間で、冒険者としての気構えをキッチリ叩き込まないとな! 休んでいる暇はない! 早速始めるぞ! 剣を抜け!」

 気持ちの悪い汗が噴き出す。


「ちょ、ちょっと待ってください! 今日は、基本だけでは!?」

「まさか! 時間が無いんだ。実戦が闘えないで何が冒険者だ! ……しいて基本と言うのなら、冒険者としての基本中の基本! 痛みに慣れろ!」

 誰でもSSSランクを取得できる。バルクは確かにそう言った。しかし、彼はそれ以降冒険者ランクに関する話は二週間後のお楽しみだと言って一切口にせず。ジェシカに行っていたのと同等の、虐待と言っても差し支えない戦闘訓練をコリンに課した。


(うそつき……)

 半生を共に歩んだ愛剣を打ち砕かれ、骨を粉砕され、コリンは開始二十秒で力なく倒れ伏す。こんな激しい訓練を初日からするなんて聞いていない。


 いずれ。今は基礎。生温い言葉で、この道場にコリンを引き摺り込んだエルフリードに怨嗟を呟きつつ、コリンは意識を手放した。

 彼の意識は三分後に、サラの手によって復活させられる。そして、完治した肉体は再びバルクに磨り潰された。今度は二十二秒間バルクの攻撃をコリンは避け続けた。


「はい、お疲れ! 一日目終了!」

 この数時間で何度殺されかけたのか、コリン本人にも定かではない。

「…………」

 言葉を返す気力もない。血と汗とよく分からない何かを垂れ流し、床で大の字に倒れながらコリンは嗚咽した。息を吸う度に、気道か擦れて笛を吹くような音がする。治療魔法の温かな光に包まれること数秒。憎いくらいに回復した体を起こし、コリンは立ち上がる。


「あ……。ありがとう、ござい……、え?」

 サラが治療してくれているとばかり思っていたコリンだったが、目を開けてみると、そこには能面のように無表情なジェシカの姿があった。杖を手にし、彼女はサラと遜色のない治療魔法を行使している。少なくとも火と水の二系統を行使できるらしい。


「サラ先輩にやれって言われただけだから」

「そっか。ありがとう、ジェシカ」

「……っ!」

 実に嫌そうに顔を歪めたジェシカは、逃げるようにコリンの前から立ち去った。


「おーい、コリン! 風呂に行こうぜ!」

「はい! 今行きます!」

 玄関から自分を呼ぶバルクに返事し、気持ちを切り替えて歩き出す。

 訓練終わりの銭湯は最高だった。


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