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エルフ・インフレーション  作者: 細川 晃
第三章 革新の調

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革新の調8

 解放歴二〇五九年。

 昼下がりの王都トートスは、活気に満ち溢れていた。

「ろ、労働者派遣連合商会、商館。ここが……」

 そして今日も、無名のエルフの少年が志を胸に、王国経済の中枢へとやってくる。

トートス労働者派遣連合商会。商館の正面扉から入ってすぐの左隣のソファには、常日頃から、どれだけ混み合おうとも座る者は居ない。その席に座る者が居たとすればそれは、それは自殺希望者か、事情を知らない外国人か田舎者だけだ。


 とはいえ、間違えて座ったとしても、ソファが尻に牙を突き立てることはない。背凭れに刃が仕込まれているわけでも、呪われることもなかった。このソファ自体は無害である。だが、着席者には確実に災いが降りかかることだろう。

 何故ならば、商館入ってすぐの右隣のソファに座った者には、情報弱者の称号が自動的に与えられ、カモとして、スリ師やチンピラに認識されるからだ。図らずもソファに座り、外国人か田舎者であることを特定された者は、蜘蛛の巣状に入り組んだ王都路地の奥深くにまで誘導され、尻の毛一本に至るまで毟り取られるだろう。

ここには、あのエルフ達以外は決して座らず、それどころか、事情を知っている者は近寄ろうともしない。ゆえに、殆ど常にこの上質なソファは空席状態を維持しているのだ。

 しかし、結局はそれだけのこと。一度でも事情を耳にしていれば、絶対に引っ掛ることのない見え過ぎた罠だ。もう一カ月間も、部外者ですらここに座った者はない。これからも、その記録は続くだろうと誰もが考えていた。

 ――だが。


「あー。着いたー」

 商館一階の時間が、呑気にソファで寛ぐ一人の少年エルフを除いて停止した。実にあっさりと、あのソファに座ってはならないという戒めが破り捨てられたのだ。

 久々のカモの出現に、商館に潜むハイエナ達が色めき立つ。

「それにしても、いいソファだな、これ……」

 と、王都中のならず者達に標的にされた哀れなエルフの少年は、長旅で凝り固まった足をマッサージしながら、商館内部を観察する。やたらと見られているように感じられるが、人の蔑みの視線を浴び続けた彼が気にするものではない。

 商館の煌びやかで荘厳な内装に圧倒されつつも、少年は自分が行うべき作業を順序立てて整理し、心に余裕を持たせる。

「よし」

 意を決し人の大海に飛び込んだ少年は、エルフ専用の受付を目指して突き進む。途中、幾度も人の手が伸びてきたが、少年はその全てを回避し、何事もなかったかのように受け付けという名の岸に辿りついた。


「ご用件は」

 カウンターでは少年よりも背の高いエルフの女性職員が、冷徹な眼で見降ろしている。首筋に寒さが走ったが、それでも屈しない。

「冒険者登録をしたいのですが!」

「……。一商会職員として、エルフに冒険者職はお勧めできません。現在、鉄砲鍛冶の賃金が史上最高額を記録しております。資格学歴不要、三食寝床付きで、月額金貨五枚です」

 少年は目を見開く。

「五枚!? 毎月金貨五枚も貰えるんですかッ!? 無条件で三食寝床付きでッ!?」

「はい」


 少年が驚き戸惑うのを余所に、女性職員はペンを取り、書類作成に取り掛かっていた。

少年が取り乱すのも無理はない。何の取り柄もない子供で、しかもエルフの自分が毎月金貨五枚で雇って貰えるのだ。金貨五枚もあれば、都市部でも余裕で三カ月は暮らせる。農村部に行けば、立派な田畑を購入できるだろう。さらに、三食寝床付きというではないか。払われた金貨五枚が丸々自分の財産として毎月蓄えられていくのである。

 生唾を飲んだ。

 物心付いた頃から願っていた安定が、無造作に転がっている。ここは信用第一の商会、罠である可能性など考える必要すらない。もしもの時は、商会が労働者を守る為に立ち上がってくれるだろう。

 その安定に手を伸ばしたい、掴み取りたい。しかし、それは許されないのだ。

「ここにサインをお願いします」

「……あのっ」


「どうしました? 代筆いたしましょうか?」

「いえ、その……。僕、やっぱり冒険者になりたいんです!」

「冒険者……ですか」

「あの、駄目なのでしょうか?」

「駄目、というわけではありません。職業の選択は個人の自由ですから。ですが、自由であるからこそ、相応の責任を負って頂かねばなりません」

 エルフ職員は、少年の顔を凝視し、淡々と冒険者になる上での気構えを言い聞かせていく。

「冒険者に突き付けられるのは、大成か敗北かの二択です。大成すれば、それこそ目も眩む一生分の金を、一回の遠征で稼ぎ出してしまいます。ですが、成功者は一握りに過ぎません。これを御覧ください」

 エルフ職員が取り出したのは、数字と記号が細かく記された何かの一覧表であった。題名は、冒険者ランクの割合と傾向。それは、人間とエルフの冒険者がそれぞれどの程度の割合で、昇格しているのかを記した表であった。


「あなたが冒険者登録を成された場合、Gランクが与えられます、ここです」

 指差したのは表の一番下にあるエルフのGランク、昇格率五十五パーセントと記された行だ。

「五十五パーセントというのは、エルフのあなたがGランクを極め、Fランクに昇格する確率です」

 エルフの少年は、突き付けられた現実に愕然とする。

「半分が、Fランクにすら上がれないってこと、ですか?」

「そうです。冒険者登録したばかりのエルフの半数が、Fランクに昇格する前に冒険者の道を諦め、別の職業に就きます」

「そんな……」


「戸惑うのはまだ早いですよ? あなたが無事Gランクの壁を超え、Fランクに昇格すれば、フィールドで魔物と闘い、討伐報酬を得て生活していくことになりますが。あなたの得意な武器は何ですか? 槍ですか? 弓ですか?」

「……え、えっと。剣を少し」

「それは実戦を闘い抜けるレベルなのですか? 防具無しで魔物と闘うつもりですか? そもそも、防具を買うお金がありますか?」

「…………」

「こちらをご覧ください」

 職員は、沈黙したまま思考の海に埋没していた少年の視線を声で一覧表に誘導する。

「FランクからEランクに昇格する割合は、Gからよりも高い七十パーセントではありますが、その隣の数字、何を記しているか分かりますか?」

 昇格率の隣の、赤字で三パーセントと記された箇所を指す。

「……いいえ」


「死亡率です」

「――!」

「ちなみにこれは、魔物に襲われて死亡した者だけを現した数字で、遠征に出たまま帰ってこない未帰還者を合算すると七パーセントになります。未帰還者とは、遠征後半年間一度たりとも商会の施設を利用していない冒険者を指す言葉です。もちろん、命に等しいはずの預金も残したまま失踪していますから、ほぼ死亡していると考えてください」

 死。暗く重く冷たい現実の刃が、少年の背筋に這わされた。手と背中から気持ちの悪い冷や汗が吹き出し、喉は干乾びる。心臓は、普段の五割増しで速く鼓動し、死の予感に目が霞む。

 百人居れば、三人が死んで、四人が姿を消す。その決して無視できない数字に、足が竦んだ。大成とはほど遠いFランクで、これである。自分が進もうとしている道がどれだけ険しい道程であるかを思い知った。


「先ほども申しましたが、冒険者は大成か敗北かの二択です。大成のボーダーラインであるCランクに進める割合は、エルフなら全体の一パーセントにも達していません。人間でも五パーセントを割り込みます。それでも、あなたは冒険者を目指したいのですか? どうしても、冒険者が諦められないのであれば、一旦、比較的安全な職に就き、お金を溜め、商会の冒険者基礎教練講座を受講してください。費用は金貨一枚ですが、三日に渡ってみっちりと、遠征時に役立つ知識と経験を叩き込ませていただきます。何事も急がば回れ。冒険者になるのならば、慎重さを忘れないでください」


 無言になった少年は、カウンターの木目を眺めてピクリとも動かない。ペンと希望職種アンケートの用紙を、彼の目線の先に差し出しても反応無し。これはしばらく掛かるな、と経験から判断した職員は、必要になるであろう書類を先回りして作成する。一応、非合法な手段で街に入った可能性も考え、身分証明書作成の準備も並行して進めておく。

 彼の意識が現実に戻ったのは、きっかり三分後であった。

「僕は……、僕には時間が有りません。どうしても冒険者になりたいんですッ」

 少年が叫ぶように発した声にも、女性職員は眉一つ動かさない。冷血に見定める。

「どうしてそこまで冒険者に拘るのですか?」


「時間が無いんです。とにかく早く、沢山のお金が欲しいッ!」

「お金がご入り用なのですか? でしたら、融資を提案します。労働者登録さえ済ませていれば、低金利で五十万ソルまで――」

「お、お金は絶対に借りませんっ! ……お金は誰からも借りるなと、何度も言い聞かされてきましたので。それに、お金だけ借りたとしても……絶対に返せませんから」

「……どうしても、冒険者になりたいと」

「――はい!」

「そうですか、わかりました。もう引き留めません」

 折れた職員は、これまで作成していた鉄砲鍛冶に定職する上で必要な書類を破棄し、カウンターの奥底から、冒険者登録の用紙を引っ張り出した。手なれた様子で作成を進める。

「お名前を教えてください」

「コリン」

「年齢を教えてください」


「十三歳です」

 彼の名前は、コリン。エルトシル帝国から、冒険者になるべく比較的エルフに寛容な国であるトートス王国にやって来たつぶらな瞳が印象的なエルフの少年である。

彼の腰には、鉄剣が一振り吊るされていて、剣の柄は手垢と潰れた血豆の赤が何重にも折り重なり、黒くくすんでいる。相当使い込まれているようだ。

 確かに、コリンの身体は華奢ではあるが、腕を曲げると力瘤が隆起する。良質な筋肉が薄っすらと積もっているようだ。

 ただ、それでも通常の同年齢のエルフよりも若干腕が立つ程度だろう。ゴブリンやワイルドピッグならともかく、ブラックベアーに襲われればひとたまりもない。

「身分を証明できる物を持っていますか?」

「もちろんですよ! 無かったら、どうやって王都の門を潜るんですか」

コリンは、自分がエルトシル帝国に住んでいたことを証明する名刺大の金属板を取り出した。

「……はい、結構です。ありがとうございました」

 エルフ職員は一瞥すると作業に戻った。


「これで冒険者登録は完了しました。Gランクの依頼を受ける場合は、階段横の掲示板に張り出された仕事からお選びください」

 女性職員が指差すのは、エントランスの壁面に立て掛けられたコルクボードだ。そこに、Gランク冒険者の仕事が提示されるのである。見れば、虚ろな目をしたエルフ達が掲示板の周囲にゾロゾロと集まり、重い足取りで商館から出ていく。

 あの顔色から察するに死体片付けか下水掃除に向かうのだろう。当然、そのことを冒険者になりたてのコリンは知りもしないはずだ。でなければ、Gランクのエルフがこんなにも朗らかなはずがないのだ。

 コリンは女性職員を真っ直ぐ見詰めながら尋ねた。

「……あの、あなたの名前を教えてくれませんか?」

「私は――ナタリアと申します」

「ナタリア。今日はありがとうございました!」


 コリンは、あまりにも無邪気だった。彼は、揺るぎない信念の持ち主でもあるようだが、奴隷にも劣る過酷な労働を強いられるGランク冒険者としての三カ月間を耐えられるとは限らない。

「コリン」

「はい?」

 気付けばナタリアは、彼の名前を呼んでいた。立ち止まった彼は、クエスチョンマークを頭上に掲げ、小首を傾げている。コリンは、実にナタリア好みの顔立ちだった。

「業務上、一切関係のない質問なのですが……」

「……?」

「あなたは、人間をどう思いますか?」

「感謝しています」

 即答。数秒、ナタリアは停止した。はやる気持ちを懸命に抑え、彼女は聞き返す。

「……どうして、ですか?」


 コリンは朗らかな表情で語る。

「僕は、エルトシル帝国の孤児院で育ちました。エルフ専用の孤児院です。でも、その孤児院を経営していた院長は、人間の女性でした。その人が、綺麗で優しくて、とってもいい人で、……最期まで僕達エルフに尽くしてくれました。確かに、心ない仕打ちを人間から受けたことは沢山あります。だけど、人間の全てが僕達を差別するわけではないことも知っています。だから僕は、その数少ない人間達に感謝しているんです。……流石に、差別してくる人に対してまで感謝はできないですけどね」

「……差別してくる人間についてどう思いますか?」

「んー。特に何も」

 コリンは言う。穏やかな、達観した笑顔で。

 これまで数々のエルフ達を見て来たナタリアであったが、ここまで人間を憎悪しない冒険者志望のエルフには初めて出会った。果たして、死を覚悟して冒険者の世界に踏み込む荒くれ者が、人に差別されてもなお、悪意に対して無関心でいられるのだろうか。


 エルフが、本心から人を尊むことなど有り得るのだろうか。

「――合格」

 ナタリアは誰にも聞えぬ小声で呟く。

彼女が、スーパーレベリングを断り続ける原因の一つである、人間への凍てつくような憎しみが、少年の温かさでわずかに中和された。こんなにも美しい心を持った少年を、Gランクの汚泥で曇らせてはならない。清らかな心のまま昇華させねば余りにも無体だ。ゆえにナタリアは提案する。

「道場に入ってみる気はありますか?」

「道場……ですか? 高ランクの冒険者が、低ランクの冒険者を指導してくれる施設の?」

「そうです。経験豊富な冒険者のもとでの下積みは、良い経験になります。高ランク冒険者同伴という形であれば、フィールドで魔物相手の実戦も経験できますし」

「でも、そういうのって、エルフお断り――」


「いえ、丁度、人間お断りの道場があります。入門には審査がありますが、受けてみる価値はあると思いますよ。Gランクでも認められれば、入門可能です」

「それじゃあ、審査受けてみようかな。あの、その道場の場所を教えてくれませんか? まだ王都には来たばかりで土地勘が……」

 審査を受けるだけならタダと、コリンはナタリアの提案を受け入れた。

「ついて来てください」

 その言葉を待っていましたと言わんばかりに、他の職員を呼び付けたナタリアは、そのエルフに応対を任せてカウンターから抜け出た。

「え……。どこに行くんですか?」

「こっちです」

ナタリアは、明らかに階段へ向かっている。冒険者と関係者以外立ち入り禁止の、二階へと続く階段だ。戸惑うコリンを置いてきぼりにして、駆け上がっていく。

「ナ、ナタリア!」

「離れないでください」


 二階から三階に上がると、人相の悪い冒険者が至るところに屯していた。階段を上がってくる者を片端から睨んでいる。だが、ナタリアが現れた途端、厳めしい人間の冒険者達が蜘蛛の子を散らすように退散した。

 それは、成功者達の溜まり場である商館四階でも同じで、このエルフの女性に突っ掛かる者は居ない。誰一人、である。

 ひょっとして、ナタリアは凄いエルフなのではないか。コリンはそんな感想を抱く。

「ここって……」

 強面の職員が仁王立ちしていた四階の階段を顔パスで通り過ぎると、世界が一変した。




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