革新の調5
王都を目指し、エルフリードは飛行する。帰りは速度を落とし、揚力を得る為に魔力の翼を構築して巡航した。低燃費を心掛けたのである。消費された魔力が回復しきれておらず、行きのように飛ばしては、魔力が底を尽き墜落してしまう。何より、マシューがサラを背負っているので、その速度に合わせなければならなかった。
それでも初めて未踏破エリアに踏み込んだ時と比べて、約二倍の速度が出ている。あらためて、自分達がレベル四桁の化物であることを認識させられた。
「たっだいまー」
トートス王国に帰ってきたウルクナルは、ドンッと道場の正面大扉を開け放つ。重厚な二枚扉に取り付けられた衝撃吸収用のスプリングが限界まで圧縮され、軋む。
そして、エントランスで待機していた十数人の入門希望者達の視線が、現れたウルクナルに集中するのだった。
「お帰りなさいませ」
専属コンシェルジュのナタリアは、さも当然と言わんばかりに、エントランスでウルクナル達の帰りを待ち受けていた。未来予知ができるのだと真顔で言われたら、信じてしまうかもしれない異常な正確さである。
周囲の入門希望者のエルフ達には、初めてエルフリードを目にした者達も居るようで、自分達とはかけ離れたその色彩に、本当に同じエルフなのかと瞠目する。向けられる視線は、興味と疑念が半々であった。だが、そんな些細な疑念など、次の瞬間には即座に吹き飛んだ。
「うん、ただいま。ナタリア、早速だけどさ、これってどれだけの価値があると思う?」
ウルクナルは、今日一番の戦利品であるレベル五千の魔物の頭を彼女に投げ渡した。
その一方でマシューは、彼らの間を通り抜け、サラを医務室に運び込む。バルクは、ゴードの店であるドワーフの鉄に寄ってくると言って出て行った。
「……これは、何ですか? 龍種のように見受けられますが」
ナタリアは、魔物の頭を両手で抱えながら観察する。
「レベル五千の魔物の頭。白くて細長いドラゴンだった。強かったよ」
――レベル五千。その数字に、場の空気が凍結する。数秒の沈黙の後に、どよめきが伝播した。一斉に、入門希望者達が椅子から立ち上がり、ウルクナルとナタリアの周囲を取り囲む。視線の矛先は当然、ホワイトドラゴンの首に注がれていた。
首の放つ、冒険者の世界に浸っている者ならば理解できるその威圧感は、皆を口ぐちに感嘆させる。
「で、幾らぐらいになるの、これ」
「…………」
ナタリアは口を噤んで、珍しく手袋すらはめるのを忘れて査定を試みるが。
「私が記憶している文献が正しいとするならば、白龍、蛇神と呼ばれる魔物の頭であると推察されます。すいませんが、査定は不可能です」
「え? どうして? 価値が無かった?」
「いえいえ、とんでもない。逆に価値が有り過ぎて、貨幣価値に換算するのが不可能なのです。最高の美術品に値段が付けられないのと一緒で、この品をオークションに出せばその金額は青天井。どこまでも値は上がっていくでしょう」
「よかったー。それならパーティーまでに、その首を剥製にしないとね」
「……これをアレクト国王に献上するのですか?」
「そうするつもり、何かマズイの?」
「いえ、白龍の首の剥製ならば、献上品の中でも極上の部類、申し分ございません。それにしても、随分と気前が良いのですね。斃すのに随分と手間取ったのではありませんか?」
「まあね。でもあの人には、沢山お世話になっているから、少しでもお返しておこうと思って」
「なるほど。……確か、そのパーティーは、トートス王国中の有力者を招いた非常に大規模なものになるとか」
「そうなんだよ……。何だか気が重くって。何着て行けば良いのかな?」
項垂れるウルクナルにナタリアは苦笑する。
「服装に関してですが、ウルクナルは冒険者なのですから、遠征用の防具一式を身に着ければ大丈夫ですよ」
「そうなの?」
「はい、あなた方エルフリードの装備の価値は、王侯貴族のドレスや装飾品を遥かに凌ぎます。そもそもウルクナルは、貴族ではなく冒険者として招かれるのですから、普段の装備を身につけていれば問題ありません。王宮で、ドレスや燕尾服しか着用を許されないのであれば、王族を守護する近衛兵まで鎧を脱がなければならなくなってしまうでしょう? 国王の許可があれば、どんな服装でも構いませんよ」
「なるほどなー」
元来、トートス王国にはSSSランク冒険者が二名存在した。剣士と魔法使い、共にレベル三百オーバーの絶対者として、長らく王国ヒエラルキーの頂点に君臨していたのだ。
だが、つい一カ月前、その二名が失踪した。忽然と姿を消したのである。事前に根回ししていたかの如く、商会の労働者名簿からも彼らの名は消え、納められていた莫大な資産も持ち出されていた。その後の消息は知れず、彼らの専属コンシェルジュだった者すら気付かぬ間に消えてしまったという。
彼らの出奔した日付が、白化したウルクナルが商館に現れたのと同じ日であることをナタリアは知っていた。ウルクナルが白化し、黒のギルドカードを入手した途端、彼らはまるで宿主の死を感じ取った寄生虫のように王国から退散したのである。
これが偶然であるはずがない。
そこに来ての、SSSランク冒険者誕生を祝した王宮でのパーティーである。エルフであるウルクナル達を王宮に上げるばかりか、主賓さながらに遇するらしいのだ。
エルフに寛容なアレクト国王はともかく、人間至上主義者のスベルバー軍事大臣ですら口を閉じている。SSSランク冒険者を二名失ったトートス王国は、最早なりふり構っていられないのだろう。
そのタイミングで、ウルクナル達がレベル五千の白龍の首を国王に献上すれば、どんな化学反応が起きるのかと、ナタリアは脳内のソロバンを弾く。
ナタリアは思考する。
この白龍の首は、少々野蛮ではあるが、献上品として申し分ない。
今後、エルフリードが同種の魔物を狩り、複数ホワイトドラゴンの首が入手できれば当然、首一個当たりの価値は下落する。だが、初めて入手したその希少品を、エルフのウルクナルが国王に献上するという行為自体に意味があるのだ。
首の献上は、レベル五千の魔物を打倒したエルフの存在を、王国の有力者達の心に深く刻みつけるだろう。エルフの有用性を、エルフ嫌いな人間の代表者である貴族達に認めさせるのだ。
(この首一つで、エルフに取り巻く差別や虐待が、連鎖的に解消されてしまうかもしれませんね)
ナタリアは、ポーカーフェイスを崩さぬまま、白銀の荒波が、腐敗した掟を洗い流す様を夢想する。
トリペンタ城。
王都で最も天高く聳え立つその城は、トートス王国の権威の象徴であり中枢である。
白亜の外壁にサファイア色の屋根が栄える。三つの館がコノ字型合わさり、五つの塔が立ち並ぶ大規模建築物。城の周囲を四季折々の花々が彩る庭園で囲い、外縁には小規模ながらも堅牢な城壁が築かれている。
その城壁に設えられた城門を通り抜けられるのは、選びに選び抜かれた一握りのエリートのみであった。城門を通過するには、王国正規軍ですら、厳しい審査をパスしなければならないのである。
この城に勤める城仕えは、各政務官百名、レベル三十以上の王国近衛兵三百名、侍従百名の計五百名。
その五百名が日々政務や業務をこなしていても手狭と感じるどころか、客室数だけでも優に百を数えるこの城は、広過ぎて新任の近衛兵や侍従が迷子なってしまう程に広大であった。
現在のトリペンタ城が築かれて三百年。
数十年ごとの増築と改修を繰り返した結果、かつての王族が造らせたと思われる逢引き用の小部屋と、それを結ぶ秘密の抜け道が城内部で三次元的に絡み合い。迷子の発生確率を押し上げている。
年に一度は、侍従と近衛兵総出で、王宮内で行方不明になった新任侍従か新任近衛兵の捜索が行われるという。
「なんか、門を抜けた途端に別世界ね。無駄にでかいし広い」
「三国最弱とはいえ、王国の象徴だからな、でかくも造るわ」
「二人とも、不敬罪に問われても知りませんよ?」
トリペンタ城の城門を抜けた儀装馬車の車内では、エルフリードのメンバー達が遠征用の装備を纏い、思い思いに寛いでいた。
当然ながら、バルクの巨大な盾とハンマー、マシューの実弾、サラの杖と危険極まりない魔法薬は所持していない。入城審査の時に、没収されたのである。唯一の武装は、ウルクナルの手甲のみだが、これは防具の類だと判断されたようだ。
しかしながら、少し考えれば気付くことだが、現在のウルクナル達に定型の武器は不要である。体内の魔力を燃焼させるだけでも、王都を四度焼き滅ぼせるのだ。
安全装置が取り外された水素爆弾を四発も招き入れるような暴挙だが、それだけ、エルフリードを王国に引き留めておきたいに違いない。
入城審査を無視して、気に食わないとの理由からトリペンタ城を半壊させても、現在のウルクナル達なら罪にすら問われないだろうが、彼らとてそんな無法を働くつもりはなく。人並みの待遇に感激した今の彼らならば、多少の嫌みや蔑みは、笑顔で受け流すことができそうだ。
城門を通り過ぎても、城まで距離があるらしく、もう暫く時間が掛かるらしい。時折、ここが王宮を囲う三重目の城壁の内側であることを忘れそうになる。
「はー」
「マシューが溜息なんて珍しいな」
頬杖をついたマシューは、憂鬱そうに溜息を吐く。
「気が重いんですよ、このパーティーには、王国中から執政の重鎮達が集まります。となれば、居るはずなんですよ、スベルバー軍事大臣も」
「あー。そりゃあ居るだろうな」
「え、何? どういうこと?」
なるほど、とマシューが憂鬱な理由を知ったウルクナルとバルクだが、事情を知らないサラは小首を傾げる。自分だけ仲間はずれにされたのが気に食わないのか、眉間を寄せてマシューに言い寄った。
「もしかして軍事大臣と、マシューに何か関係があるの? ……実は隠し子とか?」
「はははっ、まさか。違う違う」
「これはサラが、エルフリードに入る前の出来事ですから、知らないのも無理はありません。面白くもない昔話です」
「何それ、余計に気になるじゃない」
極力話したくなさそうだマシューだったが、唇を尖がらせたサラの追求に、仕方がないと、思い出したくもない昔の記憶を呼び覚ます。
「……数年前、僕が王都に移り住んだ直後の話です。学院を中退した僕は、自分の研究を続ける為に、どこかの研究機関に所属しようとしました。ですが、学院を中退したエルフなど相手にもされません。なので、名声を稼ごうとしました」
昔話が進むにつれ、マシューの瞳から輝きが消え、姿勢が前屈みになる。
「借金までして集めたお金で、新型銃を開発したんです。……アレクト国王は、エルフに対して穏健で、柔軟な発想の持ち主であると聞き及んでいましたから、この武器の有用性にも気付いてくれると確信がありました。最年少で高等学術院に入学したとの肩書をフル活用して、どうにか王宮に上がらせてもらえたのですが、その時は丁度国王が留守で、通された先はスベルバー軍事大臣の執務室だったんです」
「うわぁ、オチが読める」
「はは。まあ、サラの考えている通りですよ。殆ど相手にもされず、摘み出されました。ウルクナルとバルクが拾ってくれなかったら僕はどうなっていたことか……。今考えてもゾッとしますよ」
十中八九、借金奴隷か男娼に身をやつしていましたと自嘲気味に笑うマシュー。
「私、そんなつもりじゃなくて……。本当にごめんなさい、気軽に聞いていい話しじゃなかったわね」
サラは、自分が彼のトラウマをほじくり返してしまったことに今更になって気付いたが、もう遅い。彼女は頻りに謝り、マシューを宥めるのだった。
「……大丈夫ですよ」
そう言ってマシューは、少し無理をして笑顔を見せた。
――三人は知らない。マシューの足元に置かれた小さなアタッシュケースの中に、巧妙に擬装された高性能爆薬が仕込まれていることを。スベルバー軍事大臣の執務室を吹き飛ばしてやろうと、半ば本気で画策していたことを。
それから暫くして馬車が停車すると、御者がウルクナル達の荷物を下ろし、待ち受けていた侍女達が手際よく客室に運び込んでいく。
「ようこそ、おこしくださいました。ウルクナル様、バルク様、マシュー様、サラ様」
王宮前のロータリーでエルフリードを出迎えた人物に、ウルクナルは見覚えがあった。
「あ、ダダールに居た人だ」
「誰だ? 知り合いかウルクナル」
「うん。俺を騙して誘拐した人」
彼は、王宮でウルクナルのAランク昇格を祝したパーティーを行うからと、ダダールのセーフハウスを尋ねてきた宮廷役人の男である。あの時は、赤地に金の装飾が施された眩い装いだったが、現在は黒の燕尾服に蝶ネクタイ姿であった。頭髪をワックスで光らせ、弛んだ腹と頬を揺らして微笑んでいる。
「弁解もございません。あの時は、王国存亡の危機でしたゆえ、ご容赦ください」
深々と頭を下げて謝罪する役人。この笑顔と謝罪で数々の修羅場を潜り抜けてきたに違いない。国王の側付きではなく、外交官にでも宛がった方が、ずっと国の為になるのではないだろうか。
「王国の危機であったことは理解しているから謝らなくても良いよ。それに見合うだけの報酬も貰ったし」
「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」
「でも、さあ。金輪際、あんな嘘は吐かないでよ? 俺達に何か依頼したい時は、専属コンシェルジュを通して欲しい。俺達が、君達のオモチャじゃないことを忘れないでね?」
「はい、肝に銘じます」
ウルクナルは、体内から少なくない魔力を放出して脅してみたが、彼は身動ぎもしない。これ程の魔力を放出すれば、いかに魔法に適性のない人間でも、息苦しさや動悸を感じるはずなのだが、一切顔には出さない。流石は国王側付きの宮廷役人、厚顔さも人一倍なのだろう。
「ウルクナル、その魔力を仕舞え、城を吹き飛ばす気か」
バルクの言葉に、魔力に当てられたのか、顔色の悪い侍女達が目を見開く。魔力を体内に戻しても、彼女達がウルクナルの側に近寄ることはなかった。一歩進む度に、彼女達は二歩進む。
案内役の侍女が逃げるので、ウルクナルは皆の三歩後方を歩いて王宮の客室に向かうはめになった。




