ビッグバン23
ガダルニアの首都ガイア。
激情を露わにしたガダルニアの賢者ネロは、元老院本会議ビル最上階の最高会議室へと押し入った。
「エルフが覚醒したとは、どういうことなんだッ!」
明るい色のネクタイを締め、暗い色合いのスーツを纏い、感情をむき出しにしたネロは、端整だが幼さを残す顔を怒りに歪め、眼前の円卓を殴った。
「落ち着け、ネロ」
激怒する彼の隣には、同じくスーツを纏った青年男性のメルカル。彼は、静かな声音でネロの肩に手を置く。ネロはどうにか激情を納めた。
「議長。私としても、これは由々しき事態。詳細な説明を要求します」
「う、うむ」
最高会議室には一名、既に着席している人物が居た。丸々と太った白髪頭の老人である。議長と呼ばれた彼は、文字通りこの賢人会の纏め役であった。
「つい一時間前、連絡が――」
「遅いッ! 通常ならその半分も掛らないだろうッ」
「それが……」
「ネロ、黙って。議長、続けてください」
「わかった。……先月の会議で一級抹殺対象として決議されたエルフの殺処分に二度失敗。三度目の殺処分時に、エルフが覚醒。ドラゴン山脈に向かわせたエルトシル帝国のSSSランク冒険者八名全員の死亡が確認されたそうだ」
議長の言葉に、賢者二人は硬直し、目を見開いた。そして奥歯を強く噛み締める。顎を全力で閉じていなければ、恐怖で歯が鳴り、悲鳴が漏れてしまうからだ。
「……あの無能皇帝。望みを叶えてやった途端にこの大失態。老いぼれた人間の体に脳髄を移植しなおしてやるッ」
歯茎をむき出しにして、ネロは唸るように呪詛の言葉を並び立てる。
「大体何故、エルフがドラゴン山脈でSランク昇格試験など受けられたんだッ!? どこの誰が推薦状を用意したッ」
「推薦状にはトートス王国の王、アレクト=ファル=トートスの名と、国璽の朱印が」
「――! あの、タヌキが。メルカル、アイツは今どこだ。僕直属の軍を派遣して、即座に抹殺してやる。教えろッ」
「それは、無理だ」
「何故ッ?!」
「アレクト国王は、娘の王女シルフィールと共に現在行方不明だ。手を抜かず、油断せず、相手を見くびらず。セントールからダダールに向かう街道で始末できていれば、こんなことにはならなかったんだがな」
「――ぐッ」
ネロは、これが己の失態なのだと自覚する。
ネロは、アレクトという人物が気に入らなかった。彼は、暗愚であり、愚鈍。絶対者である自分達の命令を素直に実行しようとせず。即座に実行したとしてもミスを犯す。相手がエルフであれば、その傾向はなお強まった。
アレクト国王の処分が決定した時。SSランク冒険者エコーを単独で向かわせたのは、ネロである。メルカルはそれに反対し、最低でもSSランク冒険者二名、万全を期するなら三名は必要だと申し出たが。ネロは聞く耳を持たなかった。
国王よりも、エルフの冒険者パーティエルフリードの抹殺を優先したのである。
当時、ダダールに向かう途上にあったアレクト国王一行。彼を守護する護衛はレベル三十前半の近衛兵が十名のみ。レベル百十に到達していたエコー単独で事足りると、アレクトを軽視していたネロは判断したのである。
「我々は安寧に慣れ過ぎた。慢心と怠慢が招いた結果だ」
「……くそ」
肩を落とし、席に腰を下ろしたネロは、力なく吐き捨てた。
「脱線しました。話を戻しましょう。議長、これは緊急事態です、そうですよね?」
「あ、ああ。もちろんだ」
この議長は暗愚である。危機管理能力に欠け、常に楽観し、希望的観測が事実だと疑わない。議長に対し、ネロの言葉遣いが悪いのはその為である。だが議長も、今度ばかりは楽観などしていられなかった。
蒼白の顔は、恐怖によって発汗し、引き攣っている。出っ張った腹を小刻みに震わせ、連動した顎の脂肪も波打つ。懇願するような顔でメルカルを見上げた。
「議長。あなたの権限で、残りの賢者九名を強制的に召集してください。寝ていようが、家族とバカンスを楽しんでいようが、人権侵害だと喚こうが、引き摺ってでも憲兵に連れてこさせてください。即刻、賢人会を開き、対策を講じるべきです」
メルカルの提案に呼応するように、ネロは座りながら議長を睨んだ。
「議長、この出席率の低さはなんだ? あなたから緊急の召集を受け、何故、僕達以外の賢者が居ない。怠慢にも程がある。議長、あなたは本当に、全員に向けて電文を発信したのか? どうなんだ」
「そ、それが……あ、ああ」
「何故、言葉を詰まらせる。まさか、国家存亡の危機に陥っている最中でも、自身に課せられた職務を怠慢したのか?」
「ネロ!」
「メルカル、こいつは駄目だ。賢人会を開いたら、即座に議長の任を解く採決をしよう。今は、非常時だ。採決案提出までの面倒な工程は省いても問題ない。次期議長に、僕はメルカルを推薦する」
犬歯をむき出しにして、憎々しげにネロは吠えた。硬直した議長は、意味もなく魚のように口を開閉させるばかり。
「議長、教えてください。どうして他の皆さんが居ないんですか? 連絡はしたんですよね?」
議長は首肯した。メルカルの優しい問い掛けは、肉体から乖離していた議長の意識を呼び戻す。ネロは不満そうに頬杖。議長は、大きな溜息を吐くと、事情を話し始めた。この事情に、ネロとメルカルは酷く動揺することになる。
「れ、連絡はした。だが、ぜ、全員、し、死んでいた。自殺していたんだッ、だから、私の召集に応じなかったんだ。ほ、本当だ。信じてくれッ、罷免しないでくれッ、私は死にたくないんだッ」
状況が飲み込めていないネロは、血の気の引いたメルカルに語り掛ける。
「なあ、メルカル。自殺ってどういうことなんだ? 何かの隠語か?」
「…………」
「私は、死にたくない、死にたくないんだッ!!」
錯乱した議長が落ち着くまでの数分を、ネロとメルカルは黙って待ち続けた。絶望の味を噛みしめながら待ち続けたのである。しかしながら、二人は真なる絶望をこれからとっくり味わう嵌めになるのだった。
「落ち着きましたか?」
「すまない」
「議長、もう一度、今度は詳しく説明して頂けませんか?」
議長は咽び泣くように言葉を発し、伝った汗が鼻先から滴り落ちた。両肘を円卓に突き立て、重く垂れ下がった顔を両手で隠す。
「……私は、エルフが覚醒し、抹殺部隊が殲滅されたという報告を部下から受けると、緊急時のマニュアルに従って、各賢者達に連絡を取っていった。ご存知の通りかと思うが」
「はい」
「真っ先に、君達二人へ連絡した後、残りの賢者達にも連絡したんだが、既に九名全員が自殺していた。エルフが覚醒したと知った直後、自殺したらしい。……部下の目の前でな。私の部下は、事を私に伝えれば他の賢者達と同様に自殺してしまうのではと危惧し、情報を伝えるかどうか悩んでいた。だから、君達への連絡が遅くなったんだ。私は悪くないッ、私の部下の独断なんだッ」
「……議長。エルフの覚醒は四段階に別れていたはずだよな? そのエルフの覚醒、どこまで進んでいる?」
「……第四段階、銀だ」
「――!」
「なんて、ことだ」
議長の言葉は、ネロとメルカルに深い絶望と恐怖の刃を突き立てる。足元が瓦解していく。絶対安全な地帯から転落し、猛獣に喰い殺される、そんな絶望と恐怖。
「いや、まだだ。レベルだッ、奴のレベルは今幾つだ!?」
ネロが見出した一筋の希望を、メルカルが後押しした。
「山脈に生息する最高レベルの魔物は、ドラゴン。十分に捕食したとしても、エルフはレベル三百止まりのはずッ!」
「よし、それなら現戦力でも対処可能だ。――議長、緊急要請だ。全軍でもって、エルトシルとナラクト、トートスの三国を浄化する。総殺処分だ。議長権限で備蓄している全ての戦略兵器を、僕とメルカルに即刻譲渡しろッ」
「……無理だ」
「何故ですッ!?」
遂にメルカルも声を荒げた。
「この期に及んで何をほざく、耄碌するのは後にしろ、今ならまだ間に合うんだぞッ」
額の血管を隆起させながら、ネロは議長の襟を掴んで、椅子から立たせようとする。だが、議長は力なく座り、自ら立とうとはしない。彼の肩と弛んだ顎はまだ震えていた。
「議長、まだ何か、僕達に隠し事をしているな? 洗いざらい全部話せ」
ネロの言葉に、議長はびくりと肩を上下させる。
「……無いんだ」
「何が、無い?」
「無いんだよ、軍隊も、戦略兵器も」
言っている意味が分からない、その極限をネロとメルカルは経験した。
「以前、覚醒第三段階に至っていた実験エルフの集団脱走が発覚した時、全軍でもってこれを殺処分した。その戦闘で、我々は全軍の五十パーセントを失う壊滅的被害を被った。大破、未帰還機だけで五割だ。中破、小破を含めれば、全体で九割。その殆どが未だに補充されず、整備もされず、ドックの中で朽ち果てている。……戦略兵器にも寿命がある。半世紀も整備せずに放置すれば使用できない。現在、ガダルニアが保有する戦略兵器はゼロだ」
冷静沈着なメルカルが怒り狂っていた。
「――集団脱走した実験エルフの殺処分? 何を言っているんだ、百五十年前の出来事だぞ。この百五十年間に何回の軍備増強予算が確保されたと思っている。何百万トンの資源が採掘されたと思っている。お前は、これまでの百五十年間、何をしてきたんだッ!」
メルカルの怒りも当然だ。これは決して横領などではない、これは国家に対する反逆。銃殺刑以上の極刑すら不十分。想像する限りの苦痛を与えながら殺してもまだ足りない。
「全員、自殺した九名の賢者全員が、分配された軍事費の全てを懐に納め、私利私欲の為だけに浪費し続けたのかッ!?」
「そうだ。……私もその一人だ。我々は、長く生き過ぎた。長い時の流れが、何もかもを腐食させる」
「…………」
一旦口を閉ざしたメルカルは、心が激烈なストレスに晒されたことで生じた痙攣のような笑顔を張り付けながら、議長に問うた。
「議長、……もしかして自殺する間際の賢者達は、笑っていましたか?」
「あ、ああ。奇妙なことに、全員晴れやかな笑顔で死んでいったらしい。しかしどうしてそれを知って――」
どうしてそれを知っているのか、とメルカルに問い掛けようとした議長だったが、質問を言い終えることはできなかった。
「――あの、死にたがり共がッ! 自分達の自殺に他人を巻き込むなッ!」
突如メルカルが、絶叫に近い罵声を発しながら議長を投げ飛ばしたからである。
「――ぎゃあッ?!」
憤怒に息を荒げていた彼であったが、嗚咽を漏らすような深い溜息を吐くと冷静になり、失ったモノの大きさを理解し、茫然とする。
「メ、メルカル?」
「何でもない。……忘れてくれ」
「そ、そうか」
心配したネロが呼び掛けるも、メルカルは彼に顔を向けようともしない。
「――――」
メルカルには、九名の賢者が自殺した真意に心当たりがあった。
何年か前、メルカルが戦略兵器使用によるエルフ総殺処分を提案した際の、喜びつつ恐怖するという賢者達の奇妙な表情。あれが、真意だ。
賢者は、不老。メルカルも含めた賢者十名は、二千年間以上、ガダルニア建国以前から生き続けてきた。久遠の時を生き抜いてきた賢者達の精神は摩耗し、死んでしまいたいほどに疲れていたのだ。だが彼らに、自分一人で死ぬ勇気はなかった。死という安らぎを羨望してはいたが、同時に恐れていたからである。
そこで賢者達は、壮大な集団自殺を図ったのだ。
死にたいという一念の下に結託し、彼らは自殺せざるを得ない状況を自ら生み出していったのである。
それは、変異しつつあるエルフの黙認であったり、トートス王国王家への偶然に見せかけた故意の情報漏洩であったり、軍備修繕費や拡張費の着服であったりと様々。
議長も軍事費を懐に納めていたようだが、彼は九名の賢者とは無関係であろう。
議長は、ネロと同じく、ガダルニア建国後に選出された賢者であるからだ。数百年しか生きていない彼は、最初から蚊帳の外なのである。
――そもそも、平凡な一元老院議員に過ぎなかった男性を、賢人会の議長に抜擢し、戦略兵器の一括管理を任せたのも、彼らの自殺の一環なのであった。
水の温度を少しずつ上げて、カエルを静かに煮殺すように。
死への恐怖を和らげる為に、百五十年という長い年月を掛けて少しずつ状況を変化させ、心を整理し、生への執着を捨て、穏やかに自殺へと向かっていったのだ。
メルカルに投げ飛ばされた議長が、緩慢な動作で立ち上がる。
そんな議長を一瞥したネロは、虚空を眺める友人の名を口にした。
「……メルカル、僕とお前の軍を使おう。両軍合わせて六百の装甲機械兵だ。戦略兵器なんか無くても、エルフ一匹を抹殺するには事足りる」
彼の口からこれまで同様、明瞭な解決案が提示されることを期待したネロだったが。
「それは、できない。五十年に一度の魔物の繁殖期が間近に迫っている」
「メルカル、なにも全軍を引き連れてエルフと闘うことはない。三分の一もあれば――」
「甘いッ、第四段階に進んだエルフの危険性をお前は何も理解していないッ、それでは賢人会で踏ん反り返っていた重罪人共と何ら変わらないッ」
突然、メルカルは血走った目でネロを睨み、罵った。
「メルカル……!?」
豹変した友人に、ネロは瞠目する。
「運が良ければエルフには勝てるだろう。だが、分散させた戦力で挑めば、容認できない規模の被害を必ず出す。私とネロとで、計六百機。仮に、その半数の三百機引き連れて闘うとするならば、無傷は一割かゼロ。半分は確実にもって行かれる。第四段階の覚醒を果たしたレベル三桁前半のエルフを討伐する場合、全軍で総攻撃しなければ確実な勝利など得られない」
「…………」
「今が平時なら、有らん限りの戦力で闘いを挑むのもいいだろう、だが、今は平時ではないんだ。もうすぐ五十年に一度の魔物の繁殖期。前回、前々回は、比較的小規模で軍を動かす必要もなかったが、今回は観測史上、最大最悪の魔物の大軍勢がガダルニアを押し流そうとするだろう。国境の守りに可能な限りの戦力を充てなければならない。十分な数を揃えられなければ、ガダルニアは押し寄せる超高レベルモンスターに滅ぼされる」
「そんな、ことって」
「あるんだよ、現に目の前で起きている」
絶望の塗布された沈黙が、一室に蔓延する。三名の賢者はそれぞれ自分の席に座り、思い悩み、悔いるばかり。ネロは、アレクト国王暗殺失敗。議長は、己の怠慢。メルカルは、自身の認識の甘さを。
「メルカル、やっぱり、エルフを斃そう。今なら間に合う。覚醒したエルフが、覚醒方法を他のエルフに伝えたらもう手が出せなくなる。手に負えなくなる! 覚醒したエルフでも、まだレベルは三百止まりなんだろ? だったら――」
「君は、本当に愚かだな」
「……え?」
憎悪、嫌悪。どす黒い感情が、恐怖に浸され、メルカルの瞳の奥で渦巻いている。そんな瞳で、ネロを睨みつけた。
「仮に三百機の装甲機械兵で、第四段階、レベル三桁前半のエルフに挑んだとする。そうなると、戦力の半数を確実に失う。中破、小破も含めれば九割。……これは以前の、実験エルフ討伐の際に収集したデータから算出された数だ。実戦経験に根ざした数値故、信憑性はそれなりに高い。だが、実戦で希望的観測は何よりも命取り、最悪のケースを常に憂慮する必要がある。となれば、返り討ちにされる可能性もある。お前は、賢者の称号を得た者のはずだッ、そんなことも分からないのかッ!?」
「装甲機械兵は、完全な無人兵器だ。壊れたら修理すればいい! 新しく製造すればいいだけだろ! 今、エルフを叩かなければ、ガダルニアは、エルフに屈するしかないじゃないかッ!」
「そうだ、もう、それしか道は残されていない。我々は敗北したんだ」
彼の諦めきった覇気のない言葉に、ネロは怒りを伴って驚愕する。
「メルカル、その言葉を取り消せ、誰かに聞かれたら敗北主義者の烙印を押されるぞッ」
「何度でも言う。我々、ガダルニアは敗北した。詰んだんだ。何もかも終わりだ」
「……メルカル、どうしちゃったんだよ。お前、おかしいぞ」
「おかしい? おかしいのはお前の方だ、ネロ。所詮は成り上がり、百五十年前の実験エルフ脱走事件の責任をなすり付けられ処刑された賢者の後釜に過ぎないということか」
「……なに?」
ネロの纏う空気が剣呑なものへと変化していく。兄のように慕っていたはずのメルカルに、初めて仄かな憎悪を抱く。
「高々、二百年程度しか生きていない若造が。……お前は何も分かっていない。装甲機械兵は、おもちゃじゃないんだ。あれは、一機で街一つを焼き払う戦術兵器だ」
「そんなこと、わかっている」
「いや、分かっていない。あれは、我々の英知の結晶。高度な科学技術が生み出した芸術だ。芸術は、複製するにも修復するにも、莫大な金と労力が掛かる。お前の保有する軍事基地で、一日に何機の装甲機械兵が製造できる?」
「……三機だ」
「しかもそれは、基地機能の全てを生産に振り分け、三カ月間フル稼働させた末の生産機体数を生産日数で割った数。つまり、完成した実戦配備できる二百七十機の装甲機械兵が納入されるのは三カ月後。それまで、エルフとの闘いで失った戦力は一機も補充されず、整備すらされない。しかも、二百七十という数は理論値でしかないッ」
ネロは、何も言えずにメルカルの叱責を黙って耐え続けた。
「今、早急にすべきことは、エルフ抹殺ではないんだ。そんな余裕は、現在のガダルニアには存在しない。軍事基地の生産能力を、装甲機械兵製造に一極集中させ、とにかく数を揃える。そして、国の工業力を、大罪人達の所為で閉じてしまった各種兵器の製造ラインの構築に大きく傾倒させる」
メルカルは、兵器の製造ラインを私利私欲の為に潰した議長を睨む。長年、まともな軍事費が付かなかったのだ。議長が保有していた戦略兵器と通常兵器製造ラインは、遥か昔に朽ち果て、錆と瓦礫の山と化していることだろう。
「軍備縮小を唱える左翼とそれを支持する市民団体が煩いが、そんな悠長な事態では既にない。――議長」
「は、はいッ」
「緊急会見の用意を、戒厳令ならびに、国家非常事態宣言を発します」
「……国民の皆さんには、どの程度の事情説明を?」
「国民には、賢者九名が自殺したこと、観測史上最悪規模の魔物来襲の可能性が濃厚なこと、全国民は兵器製造ラインの構築に協力すること。そして、国家非常事態宣言に伴い、私が独裁官の任に就くことを表明。……ただし、エルフに関する情報は伏せます。何か、ご不満が?」
「いえ、とんでもない。あ、あの。私の処分は」
「……あなたは確かに取り返しのつかない罪を犯しました。しかし今は、あなたの豊かな人脈が必要不可欠だ。これは独裁官としての超法規的な措置です。自身の罪は、自身の働きですすいでください」
「わ、わかった。いや、わかりました。善処します」
調子よく顔をほころばせた議長は、スキップでも始めそうな軽い足取りで会議室を跳び出した。あれでも、仕事はそれなりにできる人物である。メルカルは、議長を当面の間生かし、存在価値が無くなるまで生かし続けることに決めた。もちろん、無用と判断すれば、ためらいなく処断するつもりだ。
「メルカル。僕は、僕はそれでもエルフを――」
ネロは、自分の意思を最後まで伝えられなかった。強制的に中断させられたのだ。メルカルが、力の限りネロを殴り飛ばしたのである。
「まだ、そんなことを言うのか。君にはほとほと愛想が尽きたよ」
床にうつ伏せで倒れたネロをメルカルは引き起こし、胸倉を掴んで問いただす。
「お前に責任が取れるのか? 賢人会議長の席すら俺に譲ろうとしたお前に、ガダルニア国民二千万人の生命を、危険に晒す覚悟がお前にあるとでも言うのか?」
「…………ない」
ネロは目を逸らし、そう呟いた。
――この時ネロは、賢者であろうと極刑を免れないガダルニア司法最大の禁忌、魔結晶の無制限成長に手を伸ばす決意を固める。
全ては、ガダルニアの尊厳と栄光の為に。




