ビッグバン21
目が覚め、体温が戻ってくると、痛みも同時に戻ってくる。激痛に泣き叫び、七転八倒していたウルクナル。その内に日が暮れ、再び雪が降り出した。堪らず、解熱鎮痛作用のある薬物を服用する。
この薬は、抗えない眠気に襲われる為、遠征中はなるべく使いたくなかったのだが、動くことすら儘ならないと使用した。全身の感覚が鈍くなるのと同時に、痛みが和らぐ。起き上がれたウルクナルは、雪風を凌げる場所はないかと、標高三千メートルの山頂付近を彷徨う。
吹雪によって視界は悪化の一途をたどる。時間が経過するごとに眠気は増し、とうとう歩くことも儘ならなくなってきたが、どうにか大きな洞穴を発見した。
この洞穴は天然の造形物ではなく、使われなくなったドラゴンの巣であるらしい。動物の骨が、入口付近に散乱している。
「ありがたい」
ウルクナルは、急いで火を起こす準備に取り掛かる。バックパックから炭と石炭を混ぜた豆炭という固形燃料を取り出した。これが、小さいながらも長時間持続的に燃えてくれるのだ。左腕に魔力の刃を生やし、岩石の床にすり鉢程度の穴ができるまで削岩。即席の火鉢に豆炭を五つ放り投げる。持参した綿花を火打ち石で火種にし、豆炭に引火させた。
これで、五時間は持続的に燃え、空洞内部を温めてくれるはずだ。豆炭はまだ四つ残りがある。今夜はこれで乗り切れそうだ。
まずは一万二千の魔力を放ったことで、組織がズタズタになった右腕の治療から。
血液の循環が滞っていた幹部が一部、壊死していた。医療用のハサミにアルコールを噴きかけ、切除を試みる。しばらく格闘した後、一瓶宝石貨二枚もする高価な塗り薬をこれでもかと塗り込み、清潔な包帯で蓋をする。
奇跡的に、骨に異常はなかったので、添え木は必要なかった。自身の有り余る魔力を治療に使えたらどれだけ便利か。壊すことしか能のない自分を悔やみながら、残りの傷にも同様の処置を施した。
包帯を巻き終えた後は、食事である。
ウルクナルは、バックパックに詰め込まれていた食糧を次々と口に入れ、噛み砕き、胃に仕舞う。黙々と食べ続ける。飢えを感じなくなるまで、ウルクナルは食事を止めなかった。
腹が一杯になれば、増血剤を飲み、豆炭の残りを火鉢に投入。ウルクナルは再び床に就く。あの夢は見なかった。
「――ん、んー、よく寝た。……あれ?」
ウルクナルが目を覚ましたのは、翌日の日没であった。快眠だったにも関わらず目覚めた時に太陽が傾いていると気分が悪い。体内時計が猛抗議中だ。
傷は順調に回復している。ウルクナルはもう一晩、ここで夜を明かすことに決めた。そうとなれば、今晩の薪を探さねばならない。警戒しつつ洞窟から顔を出し、薄い夜闇に紛れ辺りを散策。若木でもなんでも、燃えそうなものを迅速に掻き集めた。洞窟に戻ると、これまた持参した松脂を湿った薪に塗り、すぐに燃えるよう準備した。
それから食事を済ませ、どうにか一段落したウルクナルは、することもないのでボーっと石床に座り込む。
「みんな、どうしてるかな……。無事だといいんだけど」
ウルクナルは天井を見詰めながら呟く。声は洞窟内部で反響し、哀愁を誘った。
「あ、そうだ!」
急に立ち上がったウルクナルは、ソワソワしながらバックパックを開き、大切に仕舞っていた魔結晶を取り出す。マシューへのお土産にするつもりだったが、夢での男性の言葉がどうしても気になるのである。
――魔結晶に魔力を込めるとどうなるのだろうか。
魔結晶に関しては、マシューが実験を繰り返し行っていた。研究はスーパーレベリングなるものを最終目標に進められていて。専門知識のないウルクナルでも、高速なレベルアップの実現という、関心のある研究内容だっただけに、実験を行う際は、頻繁に彼の研究室に足を運んだものだ。
今にして、行われた実験の数々を振り返ってみると、魔結晶に直接魔力を注ぐような実験は、一切行っていなかったように思える。忘れているだけかもしれないが、少なくとも記憶にはなかった。
結晶に魔力を流すという試みを、魔結晶研究の第一人者であるマシューが行っていない以上、自然と期待に胸が膨らむ。
あの男性は魔結晶に魔力を流す行為を禁忌だと言っていた。禁忌とは何なのか。そこまで言うからには、相当に危険な行為なのだろうが、男性はもしもの時に行えと言っていた。
もしもの時、何かしらの危機に陥った時には、役立つということなのだろう。
「まずは、少し」
ビッグフットの比較的小ぶりな魔結晶を手のひらに乗せたウルクナルは、結晶の内部へと浸み込ませるイメージで、少量の魔力を体内から送り出す。
「……?」
十の魔力を注いで、五秒。変化はない。ヒンヤリとした魔結晶は、一切の変質なく手の上にある。
「まあ当然か、じゃあ、倍の二十」
ウルクナルは徐々に、だが爆発的に流す魔力を増加させていった。十から始まり、二十、四十、八十。倍々に増やす。方眼紙に数値を書き込み、数値に則した正確な点を記し、線で結べば、指数関数グラフが完成するだろう。
注ぐ魔力量は、インフレーションする。
――変化が始まったのは、百六十の魔力を一度に注いだ直後であった。
「……温かい」
冷たかったはずの魔結晶がほんのりと温かい。しかしこれは、自分の手の温度で温められただけではないかと、ウルクナルの冷静な部分が問い掛けてくる。口を噤み、更に倍の魔力三百二十を注ぐ。魔結晶の中心部がぼんやり光った瞬間――。
「熱ッ! アッチ、――あっ」
異常な発熱。驚いたウルクナルは誤って手から結晶を落としてしまう。慌ててブーツの腹で魔結晶をキャッチ、どうにか結晶を傷つけずに済んだ。マシュー曰く、わずかでも欠けてしまうと研究対象としての価値はなくなってしまうらしい。どうしてかと尋ねると、彼は難しい専門用語が羅列する高説を、頭が痛くなるまで述べてくれた。
その高説のお陰か、魔結晶に傷がタブーであることだけは覚えていたので、どうにか足が間に合ったのである。
「あぶない、あぶない。だけど、こまったなー。熱くなったけど、まだ柔らかくはなかったし。……下に置くか」
パッパッと砂や小石を退け、地面に直置きしてみたが傾斜があるらしく、洞窟の奥へと転がってしまう。仕方が無いので、火鉢の中に置いてみた。豆炭の燃えカスが丁度クッションの役割を果たしてくれる。些細な傷がつく心配もなさそうだ。
「……魔力の使い過ぎだな、次で何とかなればいいんだけど」
占い師のように、魔結晶に手を翳し、念の変わりに魔力を込める。魔力は倍の六百四十。
「――!」
――魔結晶に劇的な変化が起きた。青白い輝きと、尋常ならざる発熱。その両方が、同時に発生する。輝きは、ウルクナルの視界を塗り潰し。熱は、二酸化ケイ素の集まりであるはずの石を瞬時に沸騰させた。そのことから、この魔結晶が纏う熱は、優に二千度を超えていることが推測される。
「嘘だろ、火鉢が溶けてる」
何も驚くことはない。何せ、六百四十という魔力は、中級魔法を十全に行使できるだけの総量。火系統なら千度を軽く超える火球を連射し、風系統なら一本の巨木を斬り刻んでおが屑に、水系統なら重傷患者の命を現世に繋ぎとめ、土系統なら派生技能である錬金術を駆使することで一滴の水銀を一粒の黄金に変えられるのだ。
魔結晶の温度は更に上昇し、洞窟内部がサウナと化す。火鉢は完全に融解して、ドロドロの溶岩の中に魔結晶が沈んでいる。
焼いた石を水に入れた時のように、ジュウジュウと音がしていた。溶岩ですら、この魔結晶には冷水と同じなのだろう。
「熱ッ」
猛烈な熱気が、ウルクナルに襲い掛かる。もう我慢の限界だ、と。無駄遣いとは知りつつも、全身を魔力で覆い尽くし、熱された空気が皮膚に触れないよう遮断した。
「凄い、ことになった」
魔力でコーティングした腕で溶岩の中をさらう。直接触っている訳ではないので、熱は殆ど感じられない、ぬるま湯に浸けている感覚だ。ウルクナルは、溶岩の中から魔結晶を引き上げた。
「……柔らかくはない」
あれだけの高温に晒されながら、魔結晶には一切の変形が見られなかった。変わらず凄まじい熱を放っているが、それ以外の変化はない。まったくもって不可解な物体である。
それ故に、無学なウルクナルでも興味が湧く。この奇天烈な実験を継続したいと思えたのだ。
「よし!」
ウルクナルは覚悟を決めた。夢の男性が言っていた言葉を忠実に守って次の実験を行うことにする。有らん限りの魔力を一挙に、魔結晶へと流し込むのだ。
できる限り魔力の生産量を高める為に、食事を取って、体を横にする。六時間の睡眠を取ったが、溶岩によって洞窟内の温度が保たれ、寝入っても凍えずに済んだ。
起きると。熱対策として、再び魔力の鎧を纏ったウルクナルは、増魔力剤最後の一粒を嚥下する。鎧として消費された分の魔力が回復するのを待ってから、体内に貯蔵された全魔力を注がんと、両手で結晶を握りしめた。
「――んんんッ」
全魔力を吐き出すという苦痛を堪えながら、二千、三千と魔結晶の内部に浸透させるイメージの元、魔力を注ぎ続ける。そして四千の魔力を注ぎ切った時、それは起きた。
「うわっ」
ウルクナルが、魔結晶を握り潰していたのだ。砕けたのではない。まるで熱した飴のように、柔らかくなった魔結晶が変形したのだ。潰れて伸びたのである。
握り潰した粘土のように、指の隙間からにゅるりと跳び出す魔結晶。
魔力の供給も止め、呆然としていたウルクナルだったが、魔結晶が冷えて固まることはない。引き攣ったような、にやけたような微笑を浮かべたウルクナルは、魔力を追加しながら魔結晶を両手でこねていた。そうしていると、ウルクナルは妙な渇きを感じた。喉が渇いているのではない。肉体が渇いている、そんな飢餓を覚えたのだ。
「……?」
ウルクナルは口元を拭う。
(よだれ? どうして、止まらない)
手の中の魔結晶を見ていると、カルロに連れられた料亭で、ワイバーン肉の煮込みを食した時のように、唾液が口の中にだくだくと溢れる。幾度も、生唾を飲む。
(魔結晶を食べる? 俺は、これを食べたいのか?)
魔結晶に更なる変化が現れたのは、総計五千の魔力を注入した直後。
「――ああ」
独りでに漏れた声、そして魔結晶。微塵の前触れも無く液体になった魔結晶が手の隙間から少量零れ、地面を溶かし、溶岩の池を造る。その零れた液体魔結晶があまりにももったいなくて、悲しくて、切なくて――。意識するまもなく、ウルクナルは極めて自然な動作で、両手で造った器に満たされた輝く液体を飲み干す。
魔力で温めた、推定三千度の液体魔結晶をウルクナルは飲んでしまった。
「……あっ」
我に返った時にはもう遅い。両手の器はもう乾いていて、五千の魔力を注いで溶かした魔結晶は、喉を伝って、食道、胃へ。
ウルクナルは死を覚悟した。何てことをしてしまったのだと、只管に己を叱責する。だが、不思議と後悔はなかった。何故かはわからないが、今のウルクナルは非常に満たされていたのだ。飲み込んだ魔結晶が、五臓六腑に沁み渡り、心地よい。
「あれ……何ともない。どうしてだ?」
超高温の液体魔結晶を飲んだにも関わらず、ウルクナルが死ぬことはなかった。
「……もっと、もっと、食べないと」
自制を、心が受け付けない。ウルクナルは、バックパックから、また一つビッグフットの魔結晶を取り出し、五千の魔力を込め、液体魔結晶に口を付けた。
この時の彼は、まだ己の肉体に起こった変化に気付いていない。それだけ、この食事に夢中なのだ。ウルクナルは計四度、――五千の魔力を放出した。
「美味しい」
もう一つ、もう一つだけ――。三日三晩砂漠を歩き、命からがらオアシスに辿りつけた遭難者が水を飲むように、一口また一口と液体化させた魔結晶で、喉を、体を、心を潤した。
液体魔結晶の味を形容するのは非常に困難だ。
どんなワインよりも豊潤で、どんなステーキよりもジューシー、どんな穀物よりも食べ慣れていて、どんな故郷の味よりも安心させる。
安直な、しかし極めてシンプルな一言で液体魔結晶の味を表すとすれば、美味しいのだ。味覚などという、舌の味蕾が発し、脳が受け取った電気信号的な味としてではなく。心や肉体の全てが一斉に歓喜し、我を忘れて一言、美味しいと呟くのだ。
「シルバーウルフの――」
レベル百の魔物であったシルバーウルフから得た、時価四億ソルは下らない特大魔結晶。その最後のイチジクの葉にウルクナルは手を伸ばす。
ビッグフットの魔結晶を四つ全て平らげてしまったウルクナルは、これまで通り、五千の魔力を注いでから結晶を飲もうとしたが。
「あれ、硬いままだ。おかしいな」
さらに三千の魔力を流そうとも、魔結晶に変化はない。じれったくなったウルクナルは、旧火鉢、現在溶岩溜まりに魔結晶を投げ入れた。一層激しく溶岩は煮立ち、池はその円周を広げる。
魔結晶の味の虜となってしまったウルクナルは、バックパックすら持たず、ふらふらと、洞窟の外へと踏み出し、血眼になって高レベルの魔結晶を体内に宿しているであろう獲物を探しに出かけた。




