ビッグバン18
翌朝――。
「……ウルクナル様、当ホテルに何かご不備がありましたでしょうか?」
「特には、どうして?」
「昨晩の夕食、今朝の朝食。……失礼かと存じますが、共に無理をして口に運んでいるように感じられました」
「そんなことない、とても美味しかった。本当に」
「左様で御座いますか。――またの機会がありましたら、是非とも当ホテルをご利用くださいませ」
「うん、そうするよ。……エルフである俺を受け入れてくれてありがとうございました」
「い、いえ、そんな」
ハッとした顔で硬直した支配人は、数秒の後、深々と頭を下げ、ウルクナルを見送る。支配人の低頭は、彼が完全に見えなくなるまでの十数秒間続けられるのだった。
エルトシル帝国の北、ドラゴン山脈。
早朝。酒焼け声が山中に轟く。
「番号二十七、番号二十七! 居るか!」
「ここに」
「エルフ? おお! そうかお前がウルクナルだな、Aランク冒険者の。気張れよ、お前の順番だ。――Aランク冒険者ウルクナル、一番右端の山に登り、ワイバーンを討伐せよ!」
「はい」
「何なら、山頂まで登ってドラゴンを討伐して来ても構わないぞ? ドラゴンの証明部位は両目玉、持ち帰れば、お前は即SSランク冒険者の仲間入りだッ!」
ガハハハッと笑う酒臭いベテラン冒険者にガシガシと肩を叩かれ、ウルクナルは引き攣った笑みを浮かべる。幸先が悪いことこの上ない。
ドラゴン山脈。連なる山々が、ドラゴンの背に似ていることからその名で呼ばれている。そして、実際にこの山には、ドラゴンが生息しているのだ。ドラゴンはSSランク昇格モンスターなので、Aランク冒険者如きにどうにかなる魔物ではない。出会えば即、死を賜るだろう。
しかしながら、Sランク試験中に冒険者がドラゴンと遭遇する可能性は極めて低い。
何故なら、エルトシル帝国が誇る十名のSSSランク冒険者達が、ドラゴンを威嚇し、一時的に山から遠ざけてくれるからだ。よって受験者達はドラゴンの影に怯える必要がなくなり、己の力を十全に発揮し、ワイバーンと真っ向勝負を挑めるのである。
帝都を出立して、三日が経ち。やっとドラゴン山脈の麓へと辿りつけたウルクナルは、その日の内に、山に登る申請をした。
受験者に対して、山の数が足りないのである。複数人が協力してのワイバーン狩りなどの違反行為や、証明部位の奪い合いで無益な血を流さない為にも、予約し、日程を調節するという作業が必要なのだ。
「高いな、おまけに吹雪いてる」
麓からでも山の様子は窺えた。ウルクナルはこれから自分が登る山の頂上を望む。分厚い雲が三分の一より上に覆い被さっていた。五合目は、丁度あの雲の下。中腹に漂う霞とも雲ともつかないアレは、雪なのだろう。
「行くか」
魔力で飛行してもよかったが、節約することにした。山では何があるか分からない。確実にワイバーンを屠れるだけの魔力を残す為にも、徒歩で登山を開始するウルクナルだった。
山道は、凶悪な魔物の生息する山だけあって一切整備されていない。Aランク冒険者以上でなければ、立ち寄れない地帯にあるせいだろう。この山脈の周辺は、Bランク相当のモンスターが闊歩する草原が広がっているのだ。
険しい山道を歩いて四時間。最初の魔物と遭遇した。
「……あれが、ビッグフット?」
ビッグフット、レベル五十、証明部位両耳、報酬三十万ソル。
白い体毛を纏う、巨大な猩々。体長は二メートルあり、非常に発達した長い両腕は、まるで巨木の幹だ。二足でも歩けるようだが、長い両手で地面を掴みながら、前かがみの姿勢で歩行する。
ビッグフットは、ウルクナルの気配を察知したのか、雄叫びを上げた。
「お、沢山出てきた」
岩場の影から次々と飛び出してくるビッグフット達。その数は、あっと言う間に六頭へと膨れ上がった。
「歓迎してくれるのは、嬉しいけどさ――」
ウルクナルは、体内から魔力を放出し、体を覆う。捕食者の笑みが浮かんでいた。
「邪魔なんだよッ」
ダンッと地を蹴ったウルクナルは、一体のビッグフットに肉薄、胸部を殴りつける。爆薬が炸裂したかのような轟音の後には、胸に大きな風穴を開けた一匹の猿の骸が転がっていた。
「試してみるか」
右腕を肘から指先まで一直線に揃え、指先から押し固めた微細な魔力塊を噴射する。その手刀は、文字通り刀となって、ビッグフットの両腕、そして首を斬り飛ばす。
原理はウォーターカッターに近い。超高速で水を噴射し、金属を切断するのがウォーターカッター。超高速で、微細な魔力塊を吹き付け、物体を削って切断するのが、ウルクナルの手刀である。
「いいなこれ、よし、次!」
魔力を瞬時に燃やし尽くすのではなく、削り取るように攻撃している為、非常に燃費がよい。噴射した魔力を回収し、何度も再利用できるのだ。
瞬間的に、半分の仲間を失ったビッグフットは怒り狂った。雄叫びを上げ、更なる増援を呼び、持ち前の剛腕を生かして、バルクですら持ち上げるのに苦労しそうな巨岩を投擲してくる。ビッグフットがAランクたる由縁は、その数と剛腕、そして生命力だ。
「がッ!?」
腕の無いビッグフットが、ウルクナルの背中に飛び乗ってきた。両腕を斬り飛ばしたにも関わらず、このビッグフットはまだ生きている。ビッグフットの生命力を甘く考えていたようだ。ウルクナルは横倒しにされ、その上に別の個体が岩石を投擲してくる。同族もろとも殺す、このビッグフットという魔物の凶暴さは、他に例を見ない。賢く、数が多く、凶暴。人間の要素を煮詰めたような魔物だ。
「退けえッ」
ウルクナルは、体に這わせていた魔力を爆発させ、降ってくる岩と周囲数匹の魔物を粉々に吹き飛ばす。
「あー強い。手こずるな、厄介だ」
ザコでも、強い。既に二割の魔力が消費されていたが、闘いは終わらず、山道はまだまだ続く。両腕に魔力を這わせたウルクナルは、十匹にまで増えたビッグフットの群れに、一人飛び込んだ。獣道に無数の曼珠沙華が咲き誇る。
「はあ、はあ、はあ」
呼吸が整うまで、薄っすらと雪の積もる急斜面に佇む冒険者。足元には、乱切りにされた肉塊が転がり、赤い池が広がっている。
「……処理するか」
何年前から愛用しているのか忘れてしまった、古びた短刀を抜いたウルクナルは、散らばった魔物の首を集め、耳を削ぎ落す。計十二頭分の耳が集まり、これだけでも、金貨三百六十枚分の価値がある。
「流石は、Sランクフィールド。稼ぎの効率が違う。……ん?」
ウルクナルは、ミンチ状になったビッグフットの肉に、輝く物体が埋もれているのを発見。もしやと思い、近付いてみたところ。
「やっぱり、魔結晶だ」
直径は親指の先端から付け根まで、淡いオレンジ色に輝く立派な魔結晶。これ一個で、宝石貨五枚は確実だ。
「まだあるッ!」
一個、金貨数百枚の価値がある魔結晶が、散乱した魔物の死体からゴロゴロと。サイズにバラつきはあれど、十二の骸から四つの魔結晶を発見した。緩衝材で包み、ポーチに仕舞う。
「マシューが喜ぶな」
三分の一の確率で魔結晶が魔物の体内から出てくる。これは異常だ。ウルクナルは、この一年でビッグアントを十数万匹屠ったが、魔結晶はゼロ。隅々まで開いて体内を探したのは百匹だけだが、ゼロには変わりない。
法則として、高レベルなモンスター程、体内に魔結晶を宿しているようだ。
周囲に敵影はない。先を急がなければならないのに、ウルクナルは立ち尽くしたままだった。珍しく逡巡しているのだ。巨突猛進の権化であったウルクナルだが、ここはカルロを殺し、仲間を殺そうとした黒集団の本拠地と思しき国。そのSランク昇格試験地。人目はない。邪魔者を排除するには最適な場所だ。
ウルクナルは、懐から包みを摘み出し、その中の丸薬を一粒飲み下す。増魔力剤だ。
「これ飲むと、後が辛いんだよなー。疲れが取れないし、変な夢とか見るし」
魔力が最も回復するのは睡眠時だが、昼間も少量ながら回復する。増魔力剤が服用されたことで、魔力生産量は二倍に引き上げられた。一時間もあれば、消費した分の魔力が戻り、彼の貯蔵庫は再び満たされるだろう。
ウルクナルは、麓を見下ろす。下山するのも手だが、次の順番が自分に回ってくるのは、何日後か。人間ばかりで同族がいない、話せる相手が居ないのだ。第一、数日でもあの何もない麓で腐っているのは性に合わない。
「進むか」
しばらく山道を歩いていると、管楽器の華やかで騒がしい音色が麓の方から聞えてくる。
「合格者か、誰だろ?」
ワイバーンを討伐し、証明部位を持ち帰った者が現れたのだろう。このように、合格者が現れれば盛大に祝し、死者が出たことが判明すれば――。
「――!」
甲高い警笛が三度鳴らされる。隣の山からだ。ウルクナルは、あの山から笛の音を聞くことをある程度予期していた。山に登る前、規定時間になっても帰ってこなかった冒険者が一人存在し、ベテランのSSランク冒険者が山に入って捜索していたのだ。
音のする方向は、山の中腹。ワイバーンとの闘いに敗れたのだろう。
一層気を引き締め、吹雪いてきた山道を行く。




