ビッグバン16
Sランク昇格試験。三年に一度、エルトシル帝国で開かれるこの試験は別名、英雄認定試験と呼ばれ、この試練を突破した者は三国から英雄として、平民出身であろうと、子爵や伯爵などの中位貴族階級と遜色ない待遇でもって遇される。
期間は、現地の商会に推薦状を持って行き、受験者であると承認されてからの二十日間。
毎回、三国から数十名の受験希望者が、最高権力者の推薦状を手に挑むものの、合格割合は十パーセント未満という難関で知られるこの試験。それもそのはず、合格するには、帝国領土の北に位置する数千メートル級の山脈、その中腹に生息するワイバーン一頭を単独で討伐しなければならないからだ。正確には、ワイバーンの証明部位である頭部を山脈の麓に持ち帰ればいい。
その苛烈な試験内容故、毎回少なくない数の有望な冒険者が命を落とし、これまで順調に積み上げてきた名声を一瞬にして過去のものにしてしまう。
今回もまた、命知らずな冒険者達が、各国からエルトシル帝国に集結し始め、試験受付開始の一カ月前から現地に滞在し、気候に身体を慣らしていた。蛮勇を常とする冒険者が、愚か者ではない証拠である。
だが、トートス王国には、愚か者に成り下がってしまったAランク冒険者が一人。
トートス王国王都、ドワーフの鉄、早朝。
「ゴードッ!」
「おお、ウルクナル! 久しぶりだな! エルフの英雄様が王都に凱旋――」
「これを直してッ、超特急でッ!」
史上初めて、Sランク試験に挑むエルフのウルクナルは、最も信頼する技師に、先の先頭でボロボロになってしまったグローブを投げ渡し、必要そうな物品を店中からかき集めた。
「こりゃまた、えらく使い込んだなー、最高級品の魔物鉄ドラゴンが、一年やそこら使い込んだくらいで、ここまで擦り減っているのを俺は初めてみるぞ。お前殆ど毎日、ビッグアント共と闘っていたんだろう?」
「まあな、ゴードこれをくれ」
実は、これが予備で、ビッグアントクイーンを斃す際、一年以上愛用していたグローブが、ズタボロになっていることは伏せておく。話が長くなりそうだからだ。
「はいよ」
ウルクナルが店内からかき集め、カウンターの上に乗せたのは、防寒具一式に大きく頑丈なリュックサック、滑り止めのスパイク、アイスピック、ロープなど。登山においておよそ必要になるであろう物品の数々だ。それらを勘定しながら、ゴードは額に皺を寄せる。長年、高ランク冒険者の相手をしてきたゴードには、分かってしまうのだ。
「お前さん、まさかとは思うが……」
「あれ? 宝石貨三十枚じゃ足りなかった?」
ゴードは、積み上げられた光り輝く硬貨の山など目もくれず、ウルクナルを凝視する。
「Sランク試験を受ける気か?」
「そうだ、もう時間がない。今日中にグローブを整備して欲しんだ!」
「マシュー達はどうした? 一緒じゃないのか?」
「……皆は、ダダールだ。まだ怪我が治ってなくて、マシューは重傷を負ってる」
「……。はあ、エルフの癖に、何を生き急いでんだか。要らぬお節介かもしれないけどよ。そのSランク昇格試験には、重傷の仲間ほっぽり出してまで挑む価値があるのか?」
「――ある」
迷いなく、ウルクナルはゴードを凝視して即答する。その堂々たる佇まいと剛毅な信念に、拳の力を緩めるゴード。数瞬でも彼が言い淀んだなら、鉄拳が飛んでいたことだろう。
「わかった。もう何も聞かねえ。俺はお前達の保護者でもなければ、同業者でもない。多少手先が器用なだけの鍛冶師だ。だからこそ鍛冶師の誇りにかけて、注文通り、今日中にお前のグローブ仕上げてやる」
「ゴード!」
「その代わり、お前さんが、無事にSランクに昇格したら、俺の店の宣伝を泣こうが喚こうが、引き受けてもらう。最短でも三日掛かる作業を一日で終わらせるんだ。それぐらいの見返りが有ってもいいだろ?」
「あ、ああっ! ありがとなゴードッ」
「ほら、さっさと行け! 今日はもう店じまいだ。バカな客がアホみてぇな依頼を持ちこんだからな」
頻りに頷くウルクナルは、購入したばかりの値札が付いたバックに登山セットを詰め込み、大急ぎで街の人混みに飛び込んだ。店内に一人残されたゴードは、最近ガタが来始めた腰を庇いつつ立ち上がり、通りに出していた看板を仕舞って閉店とする。
「今日中に仕上げてやるとか威勢のいいこと言っちまったが」
ゴードは、無茶な戦いに引っ張り回されたであろう自身の最高傑作の一つを眺めながら呟く。
「鉄砲にクソ重いハンマーに魔力炉。何でこう、俺のところには面倒な依頼ばかり舞い込んでくるんだか。……一日じゃとても手が足りんな、また応援呼ぶか、鍛冶仲間に借りができちまうなこりゃ、はあー」
ゴードの店を後にしたウルクナルは、半日掛けて一年ぶりの王都を駆けずり回った。
膨大な量の金を支払って王都の一等地に建築したものの、一年間一度も帰らなかったエルフリードの王都拠点を眺め。知人の家を訪問し。エルトシルの食事が口に合わないことも考え、食べ慣れた干し肉などのドライフード類をまとめ買い。
ウルクナルは景気づけに、昔カルロに連れて行ってもらった例の高級料亭シルバーフォレストへ向かう。料亭の店主であるサイモン=イノウエが提供する絶品料理を、彼は心ゆくまで堪能した。
何だかんだで、王都を満喫したウルクナル。次の日の早朝に、再びゴードの店を訪れた。完璧に修繕されたグローブは、新品同様の光沢を放ち、これまで通り、ウルクナルの両手に馴染む。
完璧な仕事をしてくれたゴードに再度礼を言うと。アレクト国王が用意してくれた推薦状を携えて、高速馬車に乗ったウルクナルは慌ただしく王都を旅立った。
――朱に色付いた太陽が、地平の彼方へ沈もうとしていた。
エルトシル帝国の帝都、ペンドラゴン。トリキュロス大平地で最も栄えた都であり、総人口は王都トートスの二倍、二十万人。トートスの森とは比較にならない高レベルモンスターが闊歩する地帯で周囲を囲まれている為、帝都には巨大な城壁が二重に築かれ、冒険者や兵士のレベルも総じて非常に高い。
トートス王国正規軍の入隊最低条件レベルが十五であることを鑑みれば、レベル二十五が入隊最低条件であるエルトシル帝国軍がいかに精強であるかが窺い知れる。
ガダルニアという絶対的力を持った調停者が存在しなければ、貧弱なトートス王国など、帝国に捻り潰されていただろう。
ただ、帝国が大平地一の大国である由縁は、なにも軍事力が抜きん出ているからではない。教育、文化、芸術。文明が健全に発展していく上で欠かせない全ての要素が、王国の水準を遥かに凌いでいる。それが、エルトシル帝国が大国である由縁なのだ。
「すげー」
三年前、王都に初めて訪れた時と同じ音を、ウルクナルは口から漏らしていた。
増魔力剤の副作用からか、普段よりも魔力生産量が少ないウルクナルは、二日と半日、おとなしくアレクト国王が用意してくれた馬車に揺られ続けた。
高速馬車内部の彼は、流れてゆく景色に釘付けで、口はだらしなく開いたまま。
気付けば、帝都でも経済を循環させる機関として根を下ろした、トートス王国発祥の施設である労働者派遣連合商会が目の前に。
エルトシルの商館は、王都のものに比べれば劣るものの、帝国の重厚な街並みに没することなく、一目で見分けられる程度には荘厳な造りをしていた。
「ありがとな」
「幸運を」
御者に礼を言い、ウルクナルは推薦状を握りしめ、商会の門を潜る。
「ナタ――、は居ないんだった」
商会の建物に入って一言目にナタリアを呼ぶ癖は、外国に居る間に直してしまった方が良さそうだ。ただ、あのナタリアならば、昼夜を走り抜いた高速馬車よりも先に帝都に到着し、エルトシルの商会でカウンター業務に勤しんでいても不思議ではないと思えてしまうのだから恐ろしい。
周囲から、トートス王国よりも濃い奇異と侮蔑の視線が集まるのを感じ取りながら、ナタリアの居ないカウンターを目指して歩みを進める。ギルドカードと推薦状を提出した。
「これ、お願い」
「はい、承ります」
エルフであるウルクナルを応対するのは、エルフの努め。帝国でこれに反すると、罰せられる場合もあるので気を付けなければなるまい。罰金は金貨一枚と、エルフの低レベル冒険者には致命傷になりかねない高額を要求される。
罰金が払えないと、強制的に鉱山へ送られ、低賃金で使い潰されてしまうのだ。年に数人、そのことを知らなかった出稼ぎのエルフが、金貨を払えずに鉱山へ送られ、日の光も届かぬ劣悪な環境での長時間労働によって、心身を腐らせていくという。ただそれも、トートス王国よりもエルフ差別の激しい帝国では当然のこと。
帝都に暮らすエルフ達は皆、今日も厄介事に巻き込まれぬよう下を向いて、己のカラに閉じこもる。理不尽な暴力を避ける為には、帝国の人間と目を合わせないのが一番なのだ。
今日も、沈鬱とした日となるのだろう。そう考えていた商館内のエルフ達だったが。
「嘘、本物?」
現在、エルフ唯一のAランク冒険者であるウルクナルが、Sランク昇格試験への推薦状を引っ提げて現れたのは、この場の誰にとっても想定外の事態。悪政に苦しむエルフ達の希望の星であり、憧れのエルフであったウルクナルを前にして、応対していた女性エルフ職員が、いち早く驚きと喜びの黄色い悲鳴を上げる。
「キャー、ウルクナル様ッ!?」
「嘘!? 本物!?」
黄色い悲鳴と歓声の輪は、瞬く間に広がっていった。
「可愛いッ!」
「わ、私、あなたの大ファンなんです! Aランク昇格おめでとうございます!」
「Sランク試験を受けるんですよね!? 頑張ってください!」
「う、うん。ありがとう」
求められたので握手すれば、喜びの悲鳴。名前を呼ばれたので、そちらを向けばまたもや歓声。
周囲を喜色満面の若い女性エルフに囲まれ、その外側を男性エルフ。外縁、遠巻きには面白くなさそうな人間達。様々な意味で居た堪れなくなったウルクナルは、自分がSランク昇格試験の受験者として承認されるまでの数分を耐え抜き、返却されたギルドカードを懐に仕舞うと、逃げるように商館から飛び出した。
「はー、エライ目にあった。何なんだよこの国。――ん?」
肩で息をしながら足早に街を歩いていたウルクナルだったが、さっきから妙に自分が観られている気がした。いつから自分はこんなにも自意識過剰になってしまったのかと泣きたくなったが、その訳は、防具屋の前に展示された鏡面仕上げのフルプレートアーマーを眺めて判明した。
「――あッ!」
思わず声が漏れる。鎧に写り込んだウルクナルの顔は、紅色のキスマークで埋め尽くされていたのだ。クスクスと、笑い声が全方位から聞こえてくる、気がした。顔から火を噴きながら、ウルクナルは共同の井戸を探して街を全力疾走するのだった。




