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ビッグバン15

「で、俺はもう帰っていいのかな? それとも……」

 ウルクナルは眼前に聳える岩石と土の混合物で覆われた半球形の山を眺めた。入口らしき場所は見受けられない。壁に触れてみると、案外ボロボロと剥がれ落ちる。だが、地に落ちた土は磁石に引き寄せられる砂鉄であるかのように、ドームに張り付き、修復される。

「何これ、面白い」


 この壁に興味が湧いたウルクナル、右腕に五十の魔力を込め、一撃。ドッと音がして、土砂が飛び散り、小さなクレーターができるも、瞬時に修復される。

(なるほど、元々の魔力貯蔵量の少ないアイツが突破できなかった訳だ。二千以上の魔力を込めれば突破可能、か)

 そう心で思い、場を離れようとしたが。急に、土と岩石の殻が、ドームから全て崩れ落ちていく。

「入れって、こと?」

 土煙が晴れ、現れたのは、半球形というシンプルな形状をしながらも、緻密な銀色の幾何学的装飾が施された王家の隠れ離宮でありシェルター。その入口だ。壁の一部が窪んで上部へとせり上がる、人一人が通れる大きさの黒い穴が出現した。


 ウルクナルは、警戒を解かず、かつ魔力を纏いながら建物内部に足を踏み入れる。ビッグアントクイーンクラスの巨体が現れない限り、一発で消滅させられる魔力量だ。

「ん?」

 暗がりからペタペタと足音らしき物音が聞え、その方向に向かって身構えたウルクナル。

 どんな怪物が現れるかと緊張から汗を掻いていたが、張り詰めた彼を嘲笑うかのように、物陰から跳び出してきたのは、少女よりも幼い、幼女だ。彼女は金色の髪を靡かせ、青い虹彩でウルクナルを下方から見上げた。

「な、名前を教えなさい!」

 何故か頬を赤く染め、尊大な命令口調で名を尋ねてくる幼女。毒気を抜かれたウルクナルは、魔力を仕舞いこみ。彼女と視線を合わせる為に膝を折る。


「ウルクナルだ。お前は?」

「ウルクナルか! よい名だな!」

「……チビの癖に偉そうだなお前」

「お前ではない! シルフィールだ!」

「シルフィールってのは、お前の名前か?」

「そうだ! 特別に私を名で呼ぶことを許すぞ、敬称も要らぬ。さあ、呼ぶのだウルクナルッ」

「えー、何かヤダ、危険な香りがする」

 などと、珍妙な会話を繰り広げていたウルクナル達だったが、空間の奥の方から声が届き、中断される。

「シルフィール、壁が崩れてくるかもしれない、こっちへ来るんだ!」

「はい、お父様」


 その声に、シルフィールは機敏に反応する。そこに幼児期特有の固執は見られない。躾が行き届いている証拠なのだろう。立ち上がったウルクナルは、その男性を目視する。記憶力に自信のないウルクナルでも、その人物が誰かを即座に思い出す。ウルクナルが算数や国語の勉強に使用している書物の一ページ目に、肖像画が載せられているのだから。

彼こそが、間違いなく、この国の王、アレクト国王だ。――肖像画よりも大分老け込んでいたが。

「さあ、命の恩人よ。あなたもこちらへ、ここは崩落の危険がある」

「…………」

 こういう場合、膝を折って頭を垂れなければならないのだろうが、コイツもまた、カルロを殺した実行犯の一人なのかもしれないと思うと、折る膝も垂れる頭も見当たらない。

 ブスッとした仏頂面を吊り下げ、国王の後に続き階段を降る。

 地下一階に降りてすぐ、バーカウンターに、上品なインテリアがウルクナルを出迎えた。あの激戦を間近で掻い潜ったにも関わらず、瓦礫などは言うに及ばず、カウンターに展示された繊細なガラス品すら一点も砕けていない。


「なんだ、ここ。高い物ばっかり」

 この三年で多少なりとも物の価値を理解し始めたウルクナルは、驚愕に目を見開いて、その芸術品と言って差し支えない数々の物品を眺めた。

「どうぞ、お座りください、命の恩人よ」

「え、あ、うん。ありがとう、ございます」

(妙に腰の低い王様だな、この人。王って言ったらやっぱり、偉そうな人って印象があるのに)

 王宮近衛の耳に入れば、不敬罪として殴打の末、独房に放り込まれかねない。

 アレクト国王としても思うところがあったのだろう、優しい笑みを浮かべると言った。

「やはり私は、国王らしくないかな?」

「――俺、喋っちゃいました?」

 ゾクリと悪寒に肩を振るわせるウルクナル。


「いいや、毎日毎日、王宮の人目の無い場所で、臣下達から陰口を言われ続けているものでね。自然とわかってしまうのだ」

「ウルクナル、話してないで座れ!」

「う、うん」

 トートス王国の王女であるシルフィールの命令に逆らう訳にはいかない。ウルクナルは、彼女が叩いた場所、つまり、シルフィールの隣に腰掛ける。ふんわりとした肉厚のクッションが包み込んでくれる。夢見の座り心地だ。

 アレクト国王はカウンターから酒瓶を一本持ってくる。八十年物のジュエルワイン。オークションに出品したら、宝石貨数十枚単位で値段をつり上げたとしても、コレクター達は怯まずに更なる高値を声高らかに叫ぶことだろう。

「……開けるんですか? そのボトル」

「ん?」


 ウルクナルが尋ねた時にはもう遅かった。既に、コルクが八十年にも及んだ役割を剥奪させられている。ジュエルワインの代名詞でもある正真正銘本物の石英から削り出されたボトルと、同じくクリスタル製のグラス。

「さあ、ウルクナル、飲んでくれ」

「……頂きます」

 流されている気がしないでもないが、宝石貨百枚の超高級ワインが放つ豊潤で重厚な香りからは逃れられない。結局ウルクナルは、ワインを一本、殆ど飲み干してしまうのだった。

 呂律が回らぬ程ではないが、気分はよくなったウルクナル。これが国王の策であった事を知るのはずっと後の話。ウルクナルをシルフィールで出迎えさせたのは、流石に偶然だと言っていたが、ウルクナルは信じられなかった。ともかく、ウルクナルはアレクト国王にまんまと懐柔させられたのだ。

「ウルクナルは、強いんだな! 武器はこの手袋なのか? 変わっているな! 触ってもいいか?」

「珍しいこともあるものだ。人見知りのシルフィールがこうも心を開くとは」


「そうなの?」

 美味い酒と無邪気なシルフィールのお陰で、拷問してでも国王の口から黒幕の正体を突き止めてやるという気迫と気概が消え去っていた。どうしたものかと、妙に懐いてくれるシルフィールに愛用のグローブを触らせていたウルクナルだったが、欲しかった情報を得る機会は、自ずとやってきた。

「――ウルクナル、君は、私に何か聞きたいことがあるのではないか? 君は、私と娘の命を助けてくれた。君にまだ恩を返し切れていない。何でも聞いてくれ、私が知り得る限りの情報を包み隠さずに話そう」

「……数に制限はあるか?」

「ない。好きなだけ、納得がいくまで、何度でも構わない」

「そうか……なら単刀直入に言う。Aランク冒険者のカルロ、彼の終末報告書は偽造された物か?」

「――そうだ。私が命令し、改竄させた」

 瞬間、ウルクナルの身体から濃縮された魔力の塊が溢れだす。シルフィールは小さな悲鳴を漏らしてウルクナルから距離を取る。質問を重ねた。


「お前が、カルロの殺害を実行させたのか?」

「いや、違う」

「――本当か?」

「ああ、本当だ。天地神明に誓おう。私は、アレクト=ファル=トートスは、カルロの殺害には直接関与していないし、当然、殺せとの命令を下してもいない。第一、我々が、王国の恩人であるカルロを殺せるわけがない。昔カルロは、襲来してきた魔物の大軍勢に単騎で飛び込み、王都が防衛の準備を終えるまでの時間を稼いでくれたエルフなんだ。彼が居なければ、王都は甚大な被害を被っていただろうと、先代の国王より言い聞かされてきた。我々王族は、王国の恩人たるカルロを亡きものにしてしまう程、恥知らずではないよ」

 五秒間。ウルクナルはアレクト国王の瞳を凝視し続けた。確証は、ない。ただ、ウルクナルはこの男が、嘘を言っているように思えなかったのだ。怒りと魔力を収める。

「わかってくれたようで、嬉しいよ」


「どういたしまして。――というか、カルロってそんなことしてたのか……知らなかった」

「彼は、素晴らしいエルフだった。カルロの葬儀は国葬にしたかったのだが、家臣団の猛烈な反対があってな。やむなく」

「そうだったのか」

カルロの葬儀は、ナタリアや鍛冶屋のゴードにエルフリードの面々で取り行われた極々小規模のもので、とてもAランク冒険者の葬儀ではなかった。しかし温かく、騒がしく、華やかな葬儀ではあった。

「……次、いいか?」

「ああ、構わないとも」

 ウルクナルとしても、ダラダラと回りくどい話し合いは好ましくない。過程を無視して、核心を突く。

「一連の、黒マントの連中。カルロを殺したり、俺達を襲ったり、あんたら王族を殺そうとしたり。アレは誰が、何の目的で、送り込むんだ? 何の利益がある。全てを話して欲しい」


 アレクト国王としても、その質問が必ず問い掛けられることを予期していた。心の準備を済ませていたつもりだったのだが、いざ真実を語ろうとすると、喉が切り取られてしまったかの如く空虚に息を吐くばかり。数度、深呼吸した。

 アレクト国王は、八十年物のジュエルワイン、その残りをグラスに注ぐと一気に飲み干す。素面では話せない内容なのだろう。ウルクナルは、彼の決心を静かに待った。

「――ガダルニア、という国名を聞いたことはあるか?」

「ガダルニア? いや、ない」

 これはウルクナルでも即答できる回答だ。何せ、この世界には三つしか国がない、とされているのだから。エルトシル、ナラクト、トートス。三つの国があるからトリキュロス大平地なのである。

「弱小国、だから影が薄くて知られていないとか?」


 ウルクナルはガダルニアを想像してみた。名前も知られていないのだ。きっと、誰にも知られていない小さな国に違いない。と思い発言したところ、何故かアレクト国王が苦しそうに笑い始めた。

「――くくくっ、はっはっはっはっはっ」

 前半は抑え目に、後半は腹の底からの大笑い。実に愉快そうに、気持ち良さそうに、アレクト国王は数分間笑い続けた。ウルクナルは、首を傾げて笑う国王を眺めていた。すると、シルフィールが服を引っ張って、耳元でお礼を言う。

「ありがと、ウルクナル」

「ん?」

「お父様がこんなに笑っているところ、初めて見た」

 顔を真っ赤にして、一頻り笑い続けたアレクト国王の顔は実に晴れ晴れとしていて、ふっ切れた様子。一言謝り、水で喉を潤した彼は、ゆっくりと話始めた。


「ガダルニアというのは、一言で表すなら大国」

「大国? エルトシル帝国みたいな?」

「いやいや、訂正しよう。ガダルニアは超大国だ。ウルクナルは、トリキュロス大平地の三国、その総人口を知っているか?」

「……多分、百万人だったかな? 人間が九十万人で、エルフが十万人」

「その通りだ。超大国ガダルニアの総人口は、二千万人」

「に、二千万ッ?!」

 文字通り桁が違う。三国の総人口の二十倍。トートス王国一国で比較すれば百倍。超大国と呼ぶに相応しい規模だ。だがアレクト国王は、この程度で驚いてもらっては困る、と苦笑した。

「ガダルニアは、何も人口が多いだけの国ではない。国土も広大で肥沃。技術だって我々の数百年から一千年先を行っている」


「冗談だろ?」

「冗談だったらどれだけ救われることか……いや、彼ら無しでは、今日の生活が成り立たないのもまた事実か」

「……どういうことだよ、分かるように言ってくれ」

 アレクト国王は席を立つと、身の周りの物品を無造作に集め、テーブルの上に並べる。そして、懐から古びた杖と短剣も取り出す。

「これら全て、ガダルニアから伝来した技術によって製造された物だ」

「は?」

 ウルクナルは、首を傾げて目を点にするしかなかった。テーブルには、食器や衣服、酒に硬貨、ナイフに魔道具の杖。日常生活で必須の品々。これがなければ今日の生活は有り得ないと断言できる製品の数々。

「ガダルニアとは、我がトートス王国が建国される更に千年もの昔から、この地上で栄華を築いている国で。トリキュロス大平地の三国は、実のところ、ガダルニアの流刑地として始まった国にすぎない」

「…………」


 アレクト国王の口から次々と語られていく真実。ガダルニアという国を理解するには欠かせない、この世界の真実がウルクナルの脳内に捻じ込まれていく。

 それは最早暴力に等しかった。

 各国に根付く宗教の否定から始まり。

 エルトシル、ナラクト、トートス。この三国が、ガダルニアで重罪を犯し、追放された人間が建国した国であること。今なお、ガダルニアは三国を犯罪者の集まり、賊軍として認識し、ここ千年間、絶えず監視し続けていること。

 ガダルニアは三国の国力、その均衡を保つ役割は自分達にあると自負しており、トートス王国が発祥だとされる労働者派遣連合商会も、ガダルニアが力添えしたからこそ成立する組織であることなど。ウルクナルが、三年間かけて獲得してきた常識の大半が陳腐化してしまった。

「それだけではない、各国のSSSランク冒険者は全員、SSランク冒険者は半数が、ガダルニアから派遣された監視者、もしくは協力者だ。ガダルニアが不穏分子であると断定すれば、彼らがエルフや我々を、速やかに殺処分することになっている」

「じゃあ、さっき俺が斃したあの冒険者は……」


「十中八九、ガダルニアの命を受け、私を消しに来たのだろう。嘗められていてよかった。SSSランクが派遣されていたら、と思うとゾッとする。これも日々の成果だ」

「成果?」

「暗愚、愚鈍、鈍感。そんな演技をガダルニアの使者達と会談する度に、ここ五年間続けてきた。お陰で、髪は白髪、顔には皺。最悪な五年間だった。しかし、今日報われた」

 ウルクナルはしばらく腕組みして沈黙していた。アレクト国王から齎された情報を噛み砕き、吸収しようと奮闘しているのだ。国王の話を真剣に聞き、何となくは把握できたが、まだ思考が着地できていない、フワフワしているのだ。

「一連の事件の黒幕は、超大国ガダルニア。ガダルニアが全部悪い。――それでオッケー?」

 ウルクナルの言葉に目を丸くしたアレクトは、くつくつと愉快そうに笑い。首を縦に振った。

「バカにしてる?」


「いや、してないよ。大体合っている。実際、六割正しい」

「そうか六割か。うん、悪くない」

 その言葉に、またもやアレクト国王は笑った。

「ねえ、やっぱりバカにしてるでしょ?」

 国王は、実に愉快そうに笑い続ける。まるで、この五年間に溜め込み続けたストレスを燃やし尽くすかのように。

「恩賞、ではないのだが。これを、受け取ってくれ」

「……これは?」


「Sランク試験への推薦状と、エルトシル帝国への入国許可証。必要になる物だ。受け取ってほしい」

「エ、エルフである俺が、……これを受け取っても構わないのか?」

 ウルクナルは、トートス王国の商館で、同ランクの冒険者が言っていた言葉を思い出す。エルフでも、幸運に恵まれれば、何かの間違いでAランク冒険者には成れるかもしれない。だが、Sランクには絶対に上がれない。何故なら、Sランク試験を受けるには、国王の推薦状が必須だからだ。

 ――Sランク試験を受ける為に必須の、推薦状が目の前に。この時の彼がどんな顔をしていたかは、想像に容易い。

「エルフだとか、人間だとか。そんな事は実にどうでもいい。何せ我々は、ガダルニア人からしてみれば同じ罪人なのだからな。それに比べれば、種族の違いやレベルなど、些事に等しい」

「――!」


「人間の代表である私が、むろん全員に言えることではないのだが、人々の心情を代弁するとだな。我々人間は、あなた達エルフの髪の色が……慣れないだとか、耳が長くて気持ち悪いだとかで差別しているのではないのだ」

「え?」

「我々は単純に羨ましいのだ。長い年月を生きられるという能力が、病魔に侵されぬその肉体が」

 エルフは病気に罹らない。まことしやかに囁かれている迷信の類だとウルクナルは考えていた。長い間、辺鄙な村に一人きりで暮らしていたウルクナルには引例がなく、王都に来ても、魔物を追いかける毎日で、病気のことなど思考の欄外だ。

 言われてみれば確かにそうで、この三年間、エルフリードのメンバーやナタリアは一度も風邪を引いていないし、重い病気を患ってもいない。寿命が長く、病魔にも侵されない。それは素晴らしいことなのだろう。だが、ウルクナルはアレクト国王の、羨ましいという言葉が理解できなかった。


「俺達が羨ましい? 嘘だよ。だって、レベルは上がり難い、魔法を使える割合も低い。こんな体のどこが羨ましいのさ? 俺は運よく様々なことに恵まれて、かつ幾度となく死ぬ思いをしながら努力を続けたから、今の生活が続けられる。もっと生きていたいと思える。だけど、大多数のエルフは、数百年間続く地獄の中を生き続けなければならないんだ。俺は、レベルが上がり易い人間の体の方が羨ましいよ」

「隣の芝生は青く見えてしまうものだ。確かに、王都に住む市民達は、病魔に侵されぬ限り、エルフの身体を貰っても有難がらないだろう。だが、権力者は違う。権力者は皆、老いと死を、心の底から恐れている。エルフのように、若々しい外見を維持したまま、病魔の影に怯えることなく、数百年を生き続けたいのだよ」

「…………」


「一つ例を挙げよう。トリキュロス大平地一の大国、エルトシル帝国現皇帝、エステガルド=フォン=エルトシルの長年の悲願は、エルフになることだ」

「エルフ? なんで皇帝が? そもそも、人間がエルフになれるの?」

「なれるらしい、ガダルニアの使者が言うには、だがな。……皇帝は、不治の病を罹っていて、完治もできない。このまま放置すれば、必ず死に至ると宣告されたらしい。高価な生薬や、ガダルニアから贈られた薬によって延命しているらしいが。薬を飲み始めて彼は豹変してしまった。かつては、優しく穏やかな人物だったんだが、いつしか生への妄執に取り憑かれ、遂には病気に罹らず、長い時を生きるエルフを憎悪し始めた。エルトシル帝国が、エルフにトートス王国を遥かに凌ぐ圧制を敷くのは、皇帝の勅命に起因する。とにかく、エルフの肉体を羨む人間が、権力者を中心に存在することは確かだ」

「そいつらが、エルフを憎むから、今の社会があるのか?」


「否定はできない。が、それだけでもない。そこにはやはり、レベルというヒエラルキーが、目に見える数字として常に存在し続けていることに原因があるのだろう」

 静かな、沈鬱とした口調で会話していたアレクト国王だったが、一転し、微笑を浮かべる。

「まあ、それも、そろそろ終焉を迎えるのではないかと、私は予想しているがね」

「どういうことだ?」

「レベル十や二十などの差は、無に等しくなるという意味さ」


 この時のウルクナルは、彼の言葉を図りかねた。端的に言えば、意味が分からなかったのだ。まるで、天才発明家マシューを幻視するような発言に、ただただ首を捻るのみである。

 アレクト国王はガダルニア製の懐中時計を覗きながら言う。

「今すぐ、ウルクナルはエルトシル帝国に出立するんだろう? 高速馬車を用意しよう」

「え?」

「何を驚いているんだ? 三年に一度開かれるSランク昇格試験は、もう始まっているぞ?」

「はあッ!?」




 十数分後。ウルクナルは到着した高速馬車に乗せられ、王都トートスまでノンストップで向かうことになる。

一方のアレクト国王は、娘のシルフィールを連れ一路西へ。トートス王国最西端の街カルで秘密裏に建造した地下シェルター、そこにしばらく身を隠すのである。

 国王は娘を抱え、馬車に揺られながら、興奮を隠せないのか笑みを浮かべ、懐から古びた一冊の手帳を取り出した。重厚な黒革の手帳を開けば、古びた紙とインクの香りが匂い立つ。

「ウルクナルが、ダダールの自宅に居てくれて本当に助かった」

並大抵の実力者では、SSランク冒険者エコーに太刀打ちできず。かといって、高ランク冒険者は軒並みガダルニアの手下。アレクト国王は、最初からウルクナルに襲撃者撃退の依頼をするべく、配下の秘書官をエルフリードのギルドホームへ向かわせたのだ。


「私は運がいい。ウルクナルは既に、覚醒第四段階へ進もうとしている。ただ、こちら側で彼の行動を偽装させるのも長期間は難しい。彼にはなるべく早く、糸口を掴んでもらうしかなさそうだな。……彼の生存本能頼りとは、まったく、ぶが悪い賭けだ」

 手帳には、細かな文字がビッシリと書き殴られていたが、幾つかの文や単語には、三重の黒丸で囲まれ、強調されていた。

 強調された箇所には、こんな言葉が記されている。


 アンドロメダ。ペルセウス腕。オリオン肢。恒星。古のエルフ。トリキュロス大平地の極東で行われたガダルニアのエルフ実験。百五十年前の事故。七十年前、トートス王国北東の森で発見された材質不明の金属塊。魔結晶の真実。エルフと魔結晶。ガダルニアが、高レベルエルフを抹殺する理由。ガダルニア上層部の現状。ガダルニア軍事力の現状。惑星規模で起きる五十年に一度の魔物大進行。冒険者パーティエルフリードのリーダー、ウルクナルが扱う魔法。


 アレクトは、誰の耳にも入らない小さな声で呟く。

「私は五年待った。王家は、百五十年間待ち続けた。そして掴んだ。千載、いや万に一つの好機を。そろそろ、五十年に一度のあの季節。そして、ガダルニアの実情。残された時間は非常に短く、ただ座していても、私達を待ち受けているのは破滅のみ。であれば、ウルクナル、私は全てを君に託そう」

 百五十年間掛けて、王家が極秘裏に、少しずつ集めた情報が、勝利への道筋を示してくれる。

 既に、インフレーション期を迎える為の土台は完成していたのだ。

 ――今、賽は投げられた。

 新秩序の誕生、ビッグバンまでもう間もなく。


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