ビッグバン12
翌日、早朝。
「あさー」
寝ぼけ顔のウルクナルは、寝床であるフローリングから起き上がり、瞼を擦りながら寝室を出た。彼の寝室は、広く、立派で、上質な造りをしていたが、ベッドにテーブルや椅子といった調度品の類が一切置かれていない。
体を鈍らせないように、日々、彼は床で寝起きしているので寝具は必要ないのである。ガランとした彼の部屋に飾られているのは、カルロから贈られたあのグローブだけであった。グローブの入った頑丈なショーケースが、ポツンと部屋の隅に置かれている。
ウルクナルが寝起きしているのは、ダダール第二城壁内部の土地を購入して建てられたエルフリードのセカンドホーム。赤く大きな屋根が特徴の一軒家である。
二階建ての、地下一階構造。相応の費用が掛かったが、ここ二年間半の稼ぎに比べれば、微々たるものだ。
この家は、二階がメンバー達の自室であり、一階は食事と談話などの共同スペース。地下は、サラとマシューの実験施設。屋外には、共同の訓練スペースが設けられている。
ダダールに移り住んで、一年と少し。その殆どがビッグアントクイーン討伐の遠征やら、仲間の負傷やらで、全員が揃ってゆっくり時間を過ごした日は両手で数える程だが、楽しい日々であったことには変わりない。
日課である鍛錬を終えたウルクナルは、一階の浴室でシャワーを浴び、同じく一階のダイニングで食事を口に詰める。料理などと言う洒落た技能には持ち合せがないので、買い溜めしてあるパンと干し肉とドライフルーツを朝食とした。
ダイニングには、部屋が殺風景過ぎると、インテリアに微塵も感心がない男共に代わり、サラが購入したシックなテーブルと、クッションのついた四脚の椅子。
その一脚に腰を下ろし、塩気の効いた干し肉を咀嚼する。
「ここって、こんなに広かったっけ」
ウルクナルはポツリと呟く。普段なら、最低二人か三人で食事をするが、今は一人きり。遠征中はいつだって、パーティメンバー全員と火を囲み、モンスターの闊歩するフィールドの真中で携行食を口にしている。何だかんだ言って数年ぶりに食べる一人での食事は、想像以上に味気ないものだった。一人静かに、ウルクナルはダイニングでの食事を終える。
これからどうしようかと、悩むウルクナル。
金は有っても使い方を知らないウルクナルは、街に繰り出しもせず。自室で算数の勉強をしていたが、一時間と経たずに飽きてしまう。
Aランクを取得し、三国で商会に冒険者登録している三千名のエルフの頂点に君臨したものの、彼の日常に劇的な変化はなかった。それどころか、今は、仲間全員が入院してしまい暇で仕方がない。退院は一番早いサラでも三日後、マシューに至っては命に別状はないものの、二週間は病室で絶対安静、その後リハビリ。城壁の外へは当分出られそうになかった。
ナタリアも忙しいようで遊びには来られそうにない。つまり、ウルクナルはこれから三日間、この家に一人だ。
「何だこれ、……美少年ハーメルシオン伯爵と美しき三人のメイド達?」
暇を持て余したウルクナルは、バルクの部屋に忍び込み、ベッドの下に隠された怪しげな本に目を通して午前中を終えるのだった。
「ん……あ?」
ガンガンと、激しく軽快に一階の玄関がノックされる。
午後の惰眠を貪っていたウルクナルは、ナタリアの言葉を思い出し、用心にと、予備のドラゴン製グローブとドラゴン製レザーアーマーを装着するのだった。三階から一階まで駆け降り、ノックが続く玄関扉をそっと開く。
魔力五百を消費し、扉から露出する上半身に魔力の力場を発生させ、右腕で魔力を練るのも忘れない。
「どちら様?」
ウルクナルは、扉の前に立っていた人物を見た途端、鈍い頭痛を覚える。人を見ただけで頭が痛くなったのは初めての経験なので、やや戸惑い気味だ。
玄関の前に立っていたのは、赤に金の刺繍という煌びやかな装いの恰幅のいい男性だ。見るからに、宮廷役人。エルフであるウルクナルとは一生関わり合いにならないであろう人種である。
「ここは、エルフリード様のお宅で間違いございませんでしょうか?」
この家は、メンバーの共同財産によって建てられた家なので、名義は個人ではなくパーティ名なのだ。
「そうですけど」
とても偉そうな人なので、ウルクナルは慣れない言葉遣いで、懸命に応対する。
彼は、出会い頭にライフル銃でズドンとはしないらしい。ウルクナルとしては、言葉で鍔迫り合いするよりも、真正面から襲い掛かってきてくれた方が手っ取り早くて楽なのだ。
「失礼ですが、あなた様が、Aランク冒険者のウルクナル様でございましょうか?」
「はい、そうです。あの、ご用件はなんでしょうか?」
「トートス王国王宮への招待状をお持ちいたしました。国王様は、ウルクナル様のAランク昇格を記念し、王宮で祝賀会をお開きになります。本日は、ウルクナル様を王宮へお連れする為、参上した次第でございます」
見れば、家の前の通りに、速く長く走ることに特化した六頭立ての高速馬車が待機しているではないか。落ち着いた佇まいの馬車だが、ちゃんと王家の家紋が刻印されている。華やかさなど微塵も感じられないが、あれでもれっきとした儀装馬車なのだ。
「は? えっと俺、エルフですけど。確かエルフって、王宮には絶対上がれないと――」
「ご心配には及びません。少々お言葉が悪うございますが、いわゆる無礼講でございます。さあ、参りましょう」
にこやかにほほ笑んだ男は、ウルクナルの耳元でそう呟くと、腕を掴んで彼を玄関から強引に引き摺りだそうとする。扉を閉めて、裏口から逃げ出してしまいたかったが。国王の名義で出された招待状を冠婚葬祭以外の理由で蔑ろにすれば即、不敬罪が適用される。ここで断われば、両手首に鎖が回るのだ。
「ちょ、ちょっと待って。せめて、着替えを!」
既に全身フル装備で臨戦態勢のウルクナルだったが、とっさに嘘をつく。ウルクナルはひり付くような危険を感知し、寝巻姿だと言い訳して役人の腕を振り払おうとしたが。
「心配は無用です。ささ、どうぞ」
言葉は穏やか、顔もにこやか、だがウルクナルを掴んだ手に朗らかさは一切なく、ウルクナルを強制的に玄関から引っこ抜き、引き摺って、馬車の中に放り込んだ。
「わッ、ま、待って!」
目を白黒させているウルクナルの気も知らず。宮廷役人は低頭し、御者は馬に鞭を打つ。
馬車が急発進したことにより、ウルクナルの身体はフカフカの座席に押し付けられた。
「はー。どうなんだろう、これ。誘拐なのか、パーティするだけなのか」
第二城門、第一城門共に、王家の家紋が刻印されたこの馬車を阻むことは許されない。それが緊急の高速馬車となればなお更だ。何十人という王国正規軍が、何の疑いも持たず、最敬礼して見送ってくれる。
「連れ去るにしても、こんなまどろっこしい真似はしないだろうし。本当にパーティするだけなのかも。……ナタリアにまた心配させちゃうな」
エルフであるウルクナルは、人に見下されるのは慣れているが、人に敬意を表されるのには慣れていない。今はただ、身を小さくして、自分がエルフであることを悟られないようにするのが精一杯だ。
城門を出ると、高速馬車は遂に本領を発揮した。景色が後方へと高速で流れ去って行く。選りすぐられた軍馬六騎と、御者の呼吸は完璧にシンクロし、単騎かそれ以上の速度で街道を突き進む。
ウルクナルを乗せた馬車は、一路北へ。トートス王国教育の要、セントールを目指す。
ダダールからセントールまでは、馬車で飛ばしても数時間は掛かる。これからどう過ごそうか、食事はちゃんと出るのか、トイレ休憩はあるのかなど。ツラツラと思い連ねていたウルクナルだったが、馬車に揺られて数十分、摩耗する金属の金切り声に意識は現実に引き戻された。
「あれ? 止まった。まさかもうセントール?」
急停車によって額を車内に打ち付けた彼は、涙目になりながら、外を窺う。激流となって後方に流れていた景色は淀み。晴天に生える一年ぶりの森の青さが、長らく荒野暮らしだったウルクナルには眩しかった。
「どこだ、ここ……」
「――ウルクナル様」と、御者が畏まった口調で話しかけてくる。彼の声から敵意や殺意は感じられなかったので、魔力を体に這わせるのを中断し、不貞腐れた声で返事した。
「何?」
「どうか、どうかッ、お怒りを鎮め、私の話をお聞きくださいますよう……!」
御者には、魔法の才があるらしく、ウルクナルが体内で練っている膨大な魔力に恐怖し、低い声音と相まって、彼が激怒しているのだと勘違いしていた。声が震えている。顔を見ていないが、きっと顔面蒼白なことだろう。
「で、何? いいから早く話してよ」
「は、はい! 実は、現在より三時間前、国王様を乗せた馬車一行が、セントールの南にある隠れ離宮へと向かう道中、襲撃を受けたのです。襲撃者は一名だけなのですが、超絶なる剣の使い手。国王も腕利きの近衛を従えていましたが、瞬く間に斬り伏せられ――」
「はあ、はいはい、わかった。まったく手の込んだ芝居してくれたよ、あの宮廷役人。俺にそいつを斃せって言うんだろ? でもさ、……んー、悪く受け取って欲しくないんだけど、王様大丈夫なの? 襲撃は三時間前にあったんでしょ?」
「国王様はどうにか、隠れ離宮に到着し、御身を隠していらっしゃいます。離宮には、万一の事態に備え、地下に三基の大出力の魔力炉が埋設されており、生み出した魔力を用いて、強力な土系統魔法による自動修復し続ける防御壁を展開させている為、国王様はご無事です」
魔力炉とは、一年半前唐突に発明された人工的に魔力を生み出す装置で、これにも魔結晶が大量に用いられている。故に、高い。天文学的な価格で、離宮に設置された三基の魔力炉で、立派な館が三度建てられる。
ちなみに、魔力炉の理論を開拓したのはサラで、理論に基づき設計したのはマシュー、金属部品を製造したのはゴードだったりする。
御者は台から降りると、馬車のドアを開け、低頭して話を続けた。
「ですが、魔力炉の連続可動はもって四時間。魔力炉が停止する前に、何としても、ウルクナル様に襲撃者を撃滅して頂きたいのです!」
「状況はわかった。質問いい?」
「はい!」
「何で、俺なんだ? 他にも一杯居るだろ、SからSSSまでの腕利き冒険者がさ」
「……失礼を承知で申し上げます。本来は、トートス王国が雇用するSSランク冒険者であるゼルド様とジルド様にご依頼するはずだったのですが。運悪く、滞在しているはずのセントールにいらっしゃらなかった。ダダールにも高位の冒険者は多数居ましたが、その誰もが負傷し入院中。……現在早急に依頼できるAランク冒険者がウルクナル様だけだったのです」
「……だったら、セントール方面軍をどうして動かさないの? 近衛やダダール防衛軍に比べたら質で劣るかもしれないけど、立派な正規軍でしょ、王様の一大事だってのにさ」
悔しげに言葉を詰まらせた御者は、ウルクナルの顔を見上げて言う。
「実は、セントール方面軍三百名を既に向かわせたのですが、――全滅いたしました。三割が死亡、死傷者は半数を超え、指揮官は戦死、統率を取ることすら儘ならず。……方面軍は襲撃者一名に返り討ちにされ、敗走しました。軍の再投入も検討したのですが、低レベルの兵士をいくら向かわせたところで、ドラゴンに勝てないのと一緒だと、国王様から直々に通信文が発せられ、援軍は取り止めに」
全滅という言葉を聞いた途端、ゾクリとした。ウルクナルは、頬に奇妙な力が入っているのを自覚しながら、再度質問する。
「正規軍は、レベル十五から三十、それを一人で三百か。……魔法使うの?」
「いいえ、魔法は一度も、純粋な剣士です。装備も特殊なものではなく、市販されている剣と革の鎧を」
市販されている剣と、革の鎧、この二つの言葉に、ウルクナルの心臓は強く高鳴った。
「そいつって、黒い外套とか纏ってた?」
「は、はい! 全身黒一色で、フードを被り……」
「――――」
意識せずとも、身体から魔力の塊が滲み出る。
「あ、ああッ」
ウルクナルの体内に渦巻く魔力の激流を垣間見た御者は、悲鳴を上げて尻餅をつく。
「ふふっ、でき過ぎな気もするけど、まあ、いいか。――で、俺にぶっ斃して欲しい奴は、今、どこに居るんだ? 早く教えろよ」
ウルクナルは耐え難い怒りを感じている。それによって、体内にある魔力貯蔵庫のバルブが無意識に緩み、魔力の原液が体外へと滴り落ちた。
馬車から降り立ったウルクナルは、地にへたり込んだままの御者が指差す方向を向く。
途端、青白い発光体を纏ったウルクナルは、獰猛な笑みを浮かべる。ここに彼の狂乱を鎮められる人物はいない。ナタリアならばそれすらも可能だったろう。だが、彼女はダダールに居る。パーティメンバーも同様だ。
「これは、Aランク冒険者ウルクナルと国王との間に結ばれた個人契約だと認識する。代金は追って請求するから、宝石貨をたんまりと用意しておけ」
ウルクナルは、迸る魔力を爆発させ、轟音と共に消え去った。
土埃が晴れ小さなクレーターが出現しても、一人残された中級魔法使いの御者は、身体を小刻みに震わせ、立ち上がることができない。御者は、自分が指差した方向の彼方で、雷鳴に似た音を幾度も聞くことになる。




