ビッグバン1
「かねてよりの懸念、――B、いえ、Aランク冒険者カルロの抹殺を完遂いたしました」
疲労の濃い、しわがれた声が響く。
そこは、照明器具が配置されていないにも関わらず妙に明るく、調度品の類すら一切置かれていない殺風景を極めた空間だった。前後左右上下共に、病的な白で統一され、肉眼で奥行きを把握するのは至難の業である。
無機質な空間には、煌びやかな装いの人間が三人と、ホログラム状の二つの人影が相対して佇んでいる。ピクトグラムのような、人の輪郭だけをかたどった簡素なホログラムの一つから、幼さを残す澄んだ声が発せられ空間に響く。
「ご苦労様、流石はエルトシル帝国の皇帝だ。あのエルフを、この数年間なにかにつけて放置してきたどこかの国王とは大違いだよ。ちゃんと働いたからにはご褒美をあげなくちゃね、何がいい?」
「――恐れ多くも私の願いは、この二十年間変わらず、ただ一つのみにございます」
恭しく低頭する老人。
「頑なだなー、君も。いいよ、後三回。僕達の命令通りに働いてくれたら望みを叶えてあげよう」
この老人こそ、トートス王国の北東に位置する大国。エルトシル帝国の現皇帝、エステガルド=フォン=エルトシルその人だ。
トリキュロス大平地の実質的な覇者が、極度に礼節を欠いたどこの馬の骨とも知れない人物に頭が上がらない。尊顔を知らない帝国市民が会話だけを聞けば、どちらが皇帝なのか取り違えることだろう。
「で、再三に渡る要求を実行しなかった君の言い訳を、僕は聞かなければならないのかな? アレクト国王?」
「謹んで申し上げます。ネロ様」
ホログラムの一つをネロと呼んだ若年男性の名は、アレクト=ファル=トートス。トートス王国の若き国王だ。アレクト国王は、額に緊張からくる汗を浮かべ、平民が貴族に語りかけるような畏まった言葉を使う。
「彼はエルフではありましたが、五十年前に発生したオーク軍による王都襲撃の際には、進んで陣頭に立ち、王都の城壁を堅守した人物。当時、高ランク冒険者は軒並み出払っており、彼の活躍がなければ王都住人に多大な犠牲を強いていたであろうと、先王から聞き及んでおりました。となれば――」
「アレクト、話が長い。要するに僕達の命令が聞けないんだ」
ネロの声が変化し、その節々に怒りが滲む。
アレクト国王は、深く頭を垂れて許しを乞うた。
「いかにネロ様のご命令といえど、王国の恩人を直接手に掛けるのは――」
「へー、お前って僕達の命令を私情で退けるんだ。これは反乱の兆しかな? トートス王国を地上から消滅させてもいいんだね?」
「そんな、……お許しくださいネロ様。全ての罰は私が甘んじて受けます。ですから、王国だけは、あの国だけは、なにとぞッ」
一国の王たる男が、蒼白し、両膝を屈して、床に額を擦りつけている。
「…………」
そんなアレクト国王を無言で見下ろしているのは、トートス王国の南東、エルトシル帝国の南に位置するナラクト公国の大公、デューク=シトレだ。壮年で浅黒い肌を持つ彼は、彫の深い顔を険しくし、明日は我が身と背中に汗を流す。
実際に、トートス王国を地上から消滅させるに足る力を、ホログラムの二名は有しているのだろう。でなければ、大平地の三大権力者が低頭し、汗を噴き、ワラジムシの如く身を床に屈めるはずがない。
「――もういいだろう、ネロ。アレクト国王も立つんだ。一国の長が、そう軽々と跪くものではない」
「メルカル! だってコイツは!」
メルカル、ネロはもう一つのホログラムをそう呼んだ。メルカルはネロとは違い、低く落ち着いた声音をしている。精神と肉体、両面の年齢が高いのだろう。
「恩人だったのだから仕方がないだろう。誰だって戸惑う、嫌なことはある。さあ、アレクト国王」
「いえ、ネロ様の許しがあるまでは」
「君も大概頑固者だな、百年前の先々王とそっくりだ。ネロは私が宥めるから、ほら早く」
メルカルはふと、つい昨日会ったかのように、百年前の人物である先々王と、現王とを比較した。しかし、その明らかに不自然な発言は、この場の五名にとっては通常の、別段気にする必要のない言葉であり、追求する者はいない。
「いいよ、もう」
「はっ」
ここでようやくアレクト国王は床から額を離し、直立の体勢に戻る。
「では、本日の最高意思伝達会議は閉会する。次回の会議日程は未定。おって連絡する」
「皆ご苦労さん。――アレクト、次は無いからな?」
ネロが名指しで忠告を突き付けたのを最後に、ホログラムは消え、部屋の照明も落ちた。殺風景ながら、どこか迫力のあった空間の趣も消え、蔓延るのは閉塞感に満ちた独房のそれだ。
「お二方、先に失礼します」
そう言うと、ナラクトの大公は幽鬼のようにスッと姿を消す。ここに出入り口はない、窓もない。メルカルやネロと同様、彼も立体映像に他ならず、本体は遠く離れた公国の一室にあったのだ。
「……あのお方達には逆らわない方が身の為だぞ? アレクト国王」
「わかっている」
「それなら、構わない」
エステガルド皇帝も同様に姿を消す。残された若い国王は、眉間に深い皺を刻み溜息を一つ。
「次は無い、か」
噛み締めるように呟き、アレクト国王も姿を消した。




