暗黒時代29
デーモンの塔。そんな名称の付けられた塔が、トートス王国の北部には乱立している。乱立しているのだ。名前の由来は単純。デーモンと呼ばれるモンスターが単独で建造している塔だからである。塔の高さは、低い物でも王宮の塔を軽々と越え、高い塔は雲にも届く。塔が高ければ高い程、強力なデーモンが住み着くとされていた。
デーモンは体長五メートルもあり、筋骨隆々な二足歩行する黒ヤギ、と言ったところだろうか。体中が鋼鉄の剣を弾く体毛で覆われ、皮膚は鉄鏃の矢を挫く。巨大な塔を単独で軽々と築きあげる剛腕を有し、自分の体長程もある大鎌で斬りつけてくる、攻守共に優れた厄介な魔物。
ヤツの弱点は、常に単独行動であること。そして、塔の近くから離れられないこと。
つまり、デーモンは長距離から魔法で攻撃し、弱ったところを仕留めるのが定石である。にも関わらず。
「おー、でけーなー」
「あ、あああ」
ウルクナル達は、魔法によって飛ばされ、並び立つ塔の中でも一番高い塔の頂上に居た。そこは綺麗な円形の広場であり、建築用の資材と思われる石材が山積みになっている。真横には霧状の白い物体。ウルクナルが、それを雲なのだと認識するまでしばらくの間があった。ここは雲の上なのだ。広場から見降ろすと、大地が薄っすらと霞んでいた。遥か彼方に街が見えるが、あれは王都ではない。トートス王国北の街マルトである。随分と遠くに来てしまったらしい。
そして目の前には、Bランク昇格モンスターのデーモン。大鎌を手に、荒い鼻息でこちらを睨んでいる。
「おい、人間。こいつの証明部位は何?」
「あ、う、あ」
「答えろッ」
「つ、角です」
「あれかー、大きいな」
二人は悠長に会話していたが、デーモンが彼らの悠長に付き合ってくれるとは限らない。唸りを上げて大鎌が振られる。その一薙ぎの風圧によって砂塵が巻き起こり、建築に用いる予定の、ウルクナルの身長よりも大きな石材が切断された。長方形の石材が切断され、ズルリと落ちる。あの大鎌は雑な作りをしているが、凄まじい切れ味を有しているようだ。
「ひ、ひいい――」
「うるさいなー、本当にお前Cランクの冒険者?」
後方に一歩下がっただけで鎌を回避するウルクナル。ポールの鼻の先数ミリを刃が通過し、前髪の一部が宙を舞う。彼は情けない悲鳴を出しながら、尻もちをつき、這いつくばって後ずさり。
背後は目も眩む霞んだ地上。逃げ場はない。ヌラヌラと輝く刃が不埒な侵入者の首を刎ねようと忍び寄る。鎌が天高く振り上げられ、太陽の光りを浴びて輝き。――振り下ろされる。
「ひゃあああ――」
「結構、辛いな」
耳を塞ぎたくなる強烈な衝突音。
「でも、まだ大丈夫」
目を疑わざるを得ない光景が展開されていた。
デーモンの体長をも上回る長大で、石材を鮮やかに切断する切れ味を誇る大鎌が、ちっぽけなウルクナルの、か細い腕一本で、真っ向からいとも容易く受け止められているではないか。
それは、見れば見る程、奇妙な光景。疑問符が湧きあがり、口が自然と開く。
反発し合う磁石のように、鎌とウルクナルの腕とが接触する寸前で停止している。しかし、そこには見えざる何かがあるのだ。大鎌は炎に炙られたかのように赤々と色付き。火花が散る。ギリギリと異音が絶えず鳴り響く。
「……っ」
ウルクナルは、血色の悪い顔を浮かべて苦しそうに息を吐いた。
ここは雲の上、塔の天辺は想像を絶する冷気に包まれているが、何故か中央部は肌が焦げる程に暑苦しい。とんでもない熱量が、デーモンとウルクナルの奇妙な鍔迫り合いから発せられている為だ。
背の低いウルクナルは圧し掛かってくるデーモンの腕力を直に受けている。足元の石材が、商館の床と同じようにひび割れた。今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
デーモンは大鎌を再度振るい、ウルクナルに斬りかかる。
衝撃波に、心臓が揺さぶられ、視界が揺れた。
ウルクナルは、真横の薙ぎ払いをまたしても片腕で受け止めてしまう。
「もっと調べたいけど、時間が無い」
崩れ落ちそうな倦怠感がウルクナルを襲う。
この時、ウルクナルの魔力残量は三分の一を切ろうとしていた。
そう、ウルクナルはこれまで魔法を行使してデーモンの激烈な威力を誇る物理攻撃を防いできたのだ。
この魔法に名称はない、何故なら、魔法大全集にも記載されていないからである。その魔法が、ウルクナルの膨大な魔力を、猛烈な早さで食い潰しているのだ。
凄まじく燃費の悪い魔法だが、抜群の性能を誇るらしい。防御一辺倒の土系統魔法を遥かに凌駕する防御性能だ。だが、この魔法の真価は、防御ではない。
「……とどめだ」
この魔法の真価は攻撃にこそある。
ウルクナルは、商館でポールを殺そうとしたように、体内の魔力を右腕一本に集約。ウルクナルが魔力を練ると、右腕に接する空間が歪み、ほんのりと青く色付く。
「はあッ」
喝一発。受け止めていた左腕一本で大鎌を弾き飛ばすと、デーモンに肉薄する。懐に潜り込む形だ。腰を捩じって右肘を後方に引く、左手をデーモンの腹に翳し狙いを定め、左足を前に突き出し屹立する。
「――ッ」
体内魔力の殆どを注いだ、まさしく渾身の一撃。
ウルクナルの全力の右拳が、デーモンの腹に吸い込まれ。塔最上階に立ちこめていた雲が吹き飛んだ。
炸裂音と共に、デーモンの胴体が粉微塵に引き千切られる。それは、体内に埋め込まれた爆弾が炸裂したかのような損壊。
レベル六十のデーモンが、レベル三十のエルフによって跡形もなく、完全に粉砕された。
「はあ、はあ」
と、ウルクナルは拳を突き出した姿勢のまま、荒い呼吸を繰り返す。
魔力が底を突きかけ、今にも気を失いそうだったが、そこは気合で乗り切る。痩せ我慢は得意中の得意だ。
禍々しく捩れた角を左右に生やしたデーモンの頭が、ドッと広場に落下した。ウルクナルの拳が生み出した爆発によって高く打ち上げられていたのだろう。
「あっ、グローブが……」
ウルクナルは自分の右腕を見て呻いた。カルロから送られた愛用のグローブが片方消し飛んでいる。サラの杖と同様に、膨大な魔力の奔流に耐えられなかったのだろう。愛用の装備を無くすのは、身を切られるように辛いものだ。
背後をちらりと見る。
顔面が青から白、白から土色へと変色させたポールがガタガタと震えて化物を見るような目でこちらに顔を向けていた。一歩近づくと、デーモンが近寄ってきたのと同じ、情けない悲鳴を上げて後退る。
これはこれで、寂しいと思うウルクナルだった。仲間達が、こんな自分でも嫌わないでいてくれることを願うばかりだ。
「よいしょ」
ウルクナルは重い体を引き摺って、証明部位のデーモンの頭を拾う。運よく角が残っている。これならば証明部位としても申し分ないだろう。これでウルクナルも、晴れてBランク冒険者の仲間入りだ。
ウルクナルは塔の縁に立ち、悲しげに呟く。
「カルロ、……一緒に冒険へ出掛けたかった」
ウルクナルは、再度背後の人間を見て、それから地上を見降ろした。足はもうガクガク、今にも倒れてしまいそうである。
「帰れるかな、これ」
次は、一章の総括になります。
 




