暗黒時代27
オークキングの焼け焦げた頭を手土産に、エルフリードはクレーターを後にし、トートスの森を王都に向かって足早で歩く。
途中、ブラックベアーやオーク、ゴブリンソルジャーなどと何度も遭遇したが、最早冒険者達の敵ではなかった。それは、バルクとサラのメインウェポンが消失していても同じこと。エルフリードは、快速で森を一直線に突っ切った。
王都に到着したのは、深夜。道中で食事をしていたらすっかり日が暮れてしまったのだ。昔のエルフリードなら日が傾けば問答無用で移動を止め、野営の準備を始めなければならなかったが。魔法使いであるサラが居れば、簡単に明かりが確保できるので、夕闇の中歩き、どうにか本日中に王都へ帰ってこられた。
遠征から戻ったエルフリードは、城門を潜ってすぐにある銭湯で、真っ先に身を清め、体を癒す。当然、サラは女湯だ。
商館は地下の換金所共々閉まっており利用できない。三階で宴会をしている冒険者達は、一晩中酒が飲める代わりに、施錠されているので外には出られないのだ。
翌日、朝。
ウルクナルは商館の地下、換金所に居た。
「よろしく」
「お預かりします」
「良い値段付けてね」
「駄目ですよ、僕の給料から引かれてしまいます」
換金所に詰めているエルフは屈むと、ウルクナルが差し出した革袋を掴んでカウンターの上に乗せる。同種族で、しかも頻繁に顔を合わせるので、換金所の彼とも大分仲が良い。朗らかに冗談を言い合っていたが。
袋を開いた途端、彼の表情が固まった。
「これは……」
「オークキング。臭いでしょ」
「これはあなたが?」
「仲間と一緒に、でも、首を切断したのは俺」
「そうみたいですね。この損傷を見るに、焼き殺したようですが。首は刃物によって乱雑に切断されている。この汚い切り口が、あなたの持っている安物の短剣が使われたことの証拠です」
「凄い、何で分かるの?」
「長いですから。ギルドカードをお借りしても?」
「うん」
ウルクナルは快くカードを提示する。
確かに、ウルクナルは己の手でオークキングを斃してはいない。しかし、斃した魔法に魔力を提供したので、商会が秘匿する魔法技術の結晶である優秀なギルドカードは、ウルクナルが討伐の一端を担っていたと判断したらしい。
この時、サラとウルクナルの二名に昇格権利が発生していたが、Cランク昇格はオークキング生首一つと引き換えに行われるものであり、二名同時の昇格はできない。今回は、サラがウルクナルに昇格権利を譲った形となる。
サラ曰く、自分よりもパーティリーダーであるウルクナルが昇格する方が、エルフリードは商会にCランク冒険者パーティとして扱われ、Cランクの特典をメンバー全員が享受できるからだとか。そんなこんなで彼女に不満はないらしい。
「カードの方にも、あなたが討伐したと記録されています」
ギルドカードを機械に通し、職員は情報を閲覧。レベルを計測し、ギルドカード裏面のステータス表を更新する。
「お返しします」
ウルクナルは逸る気持ちを抑え、更新されたばかりの表記を覗く。
「おー」
ウルクナルは感嘆した。レベルが三十へ到達している。前回が二十八だったので、一回の遠征でレベルが二も上昇したらしい。何日も森に潜り、オークの巣を消滅させてたったの二アップだけ、と思うかもしれないが。レベル二十終盤に到達したエルフのレベル一アップまでの道のりは険しい。
そして、レベル三十からは、レベルアップがこれまでよりも遥かに難しくなる。
あのカルロですらレベル五十五へ到達するのに二百年掛かっているのだ。
ウルクナルが如何に、カルロを凌ぐ才能の持ち主だとしても、これからは、年単位での成長スパンを覚悟しておいた方が良さそうだ。
もし、マシューの言うスーパーレベリングなるものが完成しなかった場合。
エルフであるウルクナルは、今のペースで進めても凡そ百数十年間、その気の遠くなる時間を魔物討伐に費やす他、カルロと同数のレベル五十五へと至る道は存在しないのである。その更に先、最終目標である最強へと至るには、久遠とも言える時間を掛け、高レベルへと続く道を魔物の屍で舗装しなければならない。
「Cランク昇格、おめでとうございます」
「ありがとう」
ただ今は、これからのことは頭の片隅に追いやって、カルロとの約束であったCランク昇格を素直に喜ぶウルクナルだった。
「これは、オークキング討伐の報奨金です。お納めください」
ウルクナルは、あの時のカルロのように、山と積まれた金貨を平然と財布に流し込む。
換金所を出て、エルフリードの面々が待っているであろう商館一階フロアへ向かう。
商館の入口、その大扉の前でバルクが一人たっていた。
何故か、彼の顔が青白い。
「……ウルクナル」
バルクはパーティメンバーであり親友の名を呼ぶ。目が泳ぎ、口が渇くのか嚥下を繰り返す。どうも様子が変だ。バルクらしくない。ブラックベアーの群れの中に放り込まれようと、ハンマーと盾さえあれば満面の笑みで仁王立ちできる剛毅な男バルクが、ウルクナルを前にして、叱られると覚悟して己の罪を自白する童の如き有様だ。
「どうしたんだよ、バルク」
バルクは唐突に言う。
「――カルロが死んだ」
「え?」
「カルロが死んだんだ」
「……は?」
ウルクナルは、バルクの言葉が理解できなかった。いや、頭では理解できていたのかもしれない。心が理解するのを拒んでいるのだ。
バルクは、親友の両肩を無骨な手で掴むと、言い聞かせた。
「さっき商会から、高ランク冒険者死亡の知らせがあったんだ」
低ランク冒険者が何人魔物に喰い殺されようと見向きもしない商会だが、Cランク以上が死んだとなれば話が違う。高ランク冒険者の損失は、莫大な損益を出す。他の高ランク冒険者に警告する意味も込め、死亡した冒険者の情報は死因や遺言、負傷から絶命する瞬間までの経過、その他諸々が事細かく開示されるのだ。
「トートス王国南の街、ダダール。そこのBランク冒険者パーティ推奨のフィールド、ビッグアントの洞窟。カルロはそこのAランク昇格モンスター、ビッグアントクイーンの討伐に見事成功するものの、受けた傷が深く、意識不明の重体。ダダールの医療所に運び込まれ、懸命な処置が行われたが、昨晩未明、息を引き取ったそうだ」
「…………」
ウルクナルの思考は半分停止していた。バルクの言葉が信じられなかったのだ。ウルクナルにとって、カルロという存在は特別。
王都に滞在している間は、毎朝欠かさず一人で行っている訓練に登場するカルロの幻影は、絶対的な強さでもって、自分を毎日二十回も殺したのだ。たかがAランク昇格モンスター如きに負ける存在ではない。
と、ウルクナルは半ば心を閉ざし、自分の中だけの常識を盲信した。あのカルロが死ぬはずがない。ありえないことなのだから。
「ウルクナル、大丈夫か」
「ああ。大丈夫、ちょっと退いてくれ」
「ウルクナル?」
ウルクナルはバルクの両手からスルリと抜けると、商館に足を踏み入れた。
今日も変わらず商館内部は騒がしく、半年前に初めて訪れた時と変りない。苛立たしいまでに、何もかもがあの時のままだ。
ウルクナルは、大扉入ってすぐの、いつもの席でウルクナルを心配そうに見つめる仲間の存在に気付きもせず、フロアを歩く。
「ナタリア!」
カウンターに着いたウルクナルは、彼女の名前を呼んだ。
「おはようございます。ウルクナル様」
「――ナタリア?」
「本日のご用件は何でしょうか?」
「……Cランク昇格手続きをお願い」
「かしこまりました」
ナタリアの顔は、それはもう散々だった。目が真っ赤に充血し、化粧が完全に崩れている。髪の毛もボサボサ。鉄仮面が剥がれ落ちていた。あの、愚直なまでに真面目で、堅物で、感情の起伏の少ない彼女が、ここまで取り乱している。
今にして思い返せば、ナタリアは、カルロが側に居るといつも以上にお喋りで、ちょっぴり明るい女性に変化していたように思えるのだ。それはつまり、そういうことなのだろう。
カルロは二百年近く冒険者を続けていた。そしてナタリアも、商館では複数のエルフの部下を持つ、言わば幹部。現在の地位を手に入れるのに、どれだけの時間が費やされたのだろうか。
二人は二百年来の顔見知りであったのだ。浮いた噂は終ぞ聞かなかったが、強い思いを抱いていてもおかしくはない。寧ろ、その方が納得できる。
ナタリアは淡々と作業をこなしていた。相変わらず、速筆で達筆だ。ミスも無い。
「…………」
彼女が、ナタリアが、もがきのたうち回りながらもカルロの死を乗り越え。今日も、昨日と変わらず仕事を続けている。それに比べて自分はどうだと、ウルクナルは自問した。
(弱いな俺、強いなナタリアは)
自分はカルロの死を聞き流し、ありえないと自分の常識を信じ込み、現実を頑なに認めようとはしない。その証拠に、カルロの死が、タチの悪い冗談にしか聞えず。涙一つ零れない。きっと手の込んだドッキリで、自分がギルドカードを金色に更新し、四階に息を切らして飛び込んだら、カルロを含むメンバーの全員が、大爆笑しながら自分を出迎えてくれるに違いない。そんな幻想を心に抱いていた。
しかしウルクナルは、ナタリアを見て目が覚め、確信した。信じざるを得ない。あの堅物のナタリアにこんな演技は不可能だ。
間違いなく、カルロは死んだのだろう。
ナタリアの頬には涙の痕がある。モンスターと戦うと血が流れるが、辛い現実と戦うと涙が流れる。涙が零れるということは、闘っている証拠なのだ。そしてその涙が枯れ、今、彼女は仕事をしている。カルロの死という現実と戦い、屈服させている。それに比べて自分は何だと、ウルクナルは自責した。
「ウルクナル様をCランク冒険者と認定します。お納めください」
「ありがとう」
金色のギルドカード。それはCランク冒険者の証であり、強者の証だ。
商館四階への入場許可証でもある。
「ありがとう、ナタリア」
視界狭窄から脱したウルクナルが、もう一度礼を言う。彼はフロアを見渡すと、カルロとウルクナルの特等席であった大門側のソファに、この半年で築き上げたパーティ、エルフリードのメンバーが座っているのを発見。冷え切って荒れ果てた心の中が、温かい何かの奔流によって洗い流される。
ウルクナルが、目に涙を溜めて彼らの元に向かい、温かな輪に包まれた。
――その時だった。




