暗黒時代22
「ぎゃああああッ」
正午のトートスの森に絹を裂くような悲鳴が響く。
「サラ頑張れー」
「サラ! 泣く暇があったら魔法使え! 逃げるなッ」
「やっぱりこうなりましたか。魔法学術院は昔から、温室栽培された箱入り息子や娘の溜まり場でしたからね」
呑気に応援するウルクナル、アドバイスを送るバルク、溜息を吐くマシュー。
「いやいやいやーッ」
悲鳴を上げ、逃げ回るサラ。
何故彼女がワーキャーとうるさいのか、その原因はモンスターにあった。
現在地は南森の深部、ゴブリンソルジャーやブラックベアーが徘徊する危険地帯だ。冒険者が数多く死んでいる場所でもある。となると、森で倒れた冒険者の死体は誰が片付けるのか、ここは王都ではないので、Gランクエルフもいなければ、徳の高い僧侶もいない。であれば、浄化されずに放置された死体が、魔物となって生者を襲い出すのは必定だ。
「来ないでッ」
ヨタヨタと近づいてくる白骨死体、名称ワイト。手には生前愛用していたらしき錆び付いた剣を握っているものの、レベルは十とそこまで強い魔物ではない。武器の扱いに心得があり、数的に対等な条件であれば、レベル一桁の冒険者でも完封できるはずだ。
当初、出現した数は六であったが、ウルクナル達エルフリードの敵ではなかった。戦闘開始から十秒足らずで五体を粉々に葬り去った。
ワイトを一体残したのは、バルクの提案によるものだ。サラのお手並みを拝見したかったらしい。晒し上げにしている訳では決してなく、仲間の戦闘能力を把握しておくのは、戦術を構築する上での必須事項だからだ。これにウルクナルとマシューも同意し、三人に生温かく見守られながら、サラのエルフリードとしての初戦闘が始まるはずだったのだが。
「無理、無理、もう嫌ーッ」
四系統の魔法を駆使した、さぞ鮮やかな戦いを目にできると期待していた面々だったが、彼女は黄色い悲鳴を上げるだけで、戦いは一向に始まらず。挙句、戦闘を放棄していた。
誰にだって生理的に受け付けないものはあるが、冒険者を志す者がそんなヤワでは話にならない。
「ありゃマシューの言う通り使い物にならないぞ、ウルクナル」
「……うーん」
仕方が無いので、ウルクナルは鞭を振るうことにした。
「魔導師になって、嫌な奴らを見返すんじゃなかったのか? それだと一生、欠陥魔導師のままだぞ?」
「――!」
ウルクナルが発破を掛けると、彼女はハッと我に帰り、唇を噛み締めた。
「私は魔導師になる。私は魔導師になる。私は、――私は! 絶対に魔導師になってあいつらを見返すんだもんッ!」
魔法の言葉を自分に言い聞かせ、勇気を捻り出したサラは、杖を抜き切っ先をワイト
へ向ける。詠唱。
「火柱よ、在れ」
中級火系統魔法、ファイアーボーンが発動した。彼女の魔力百四十を代価に、ワイトは立ち上る火柱に身体を焼き尽くされる。完全にオーバーキルだ。彼女が保有する魔力の半分近くが消費されてしまった。この調子では、次の戦闘で魔力残量が危険域に達し、サラは戦線離脱を余儀なくされる。魔力が少なくなると魔法使いは身動きができなくなり、最悪気絶するのだ。
ただ、行使した中級魔法のインパクトは抜群で、彼女に対してネガティブな印象で埋め尽くされていたマシューの思考を百八十度回転させるには十分な力があった。
「凄い」
これはマシューの感嘆だ。
マシューは己が科学至上主義に凝り固まっていたことを思いしらされる。それ程までに、彼女の放った魔法はエネルギッシュで、鮮やかだったのだ。
「どうしよう、やっちゃった……」
炎が消え、辺りに元の明るさが戻ると、消し炭になったワイトの残骸の側にへたり込むサラ。勢いに任せて、自分でも滅多に使わない中級魔法を行使してしまったことに落ち込んでいるのだ。体に圧し掛かる倦怠感が、魔力残量の少なさを警告してくれる。次、同じ魔法を放てば自分は高確率で行動不能に陥るだろう。
「あ、あのー」
悔しくて堪らないが、自分の不甲斐なさからくる申し訳なさがわずかに勝る。何と言い訳してこれから始まる冒険について行こうか考えていると。
「サラ、僕は感動した! 君の魔法は美しい!」
「……え、あ、うん。ありがと」
マシューに固く手を握られる。
「さっきはきつく当たってごめんなさい。昔、魔法至上主義の人に、やれ美しくない、やれ華がないと意味不明なことを散々言われた所為で、魔法使い対して苦手意識があって、つい」
魔法至上主義の人物、それは、マシューのライフル銃を突っぱねた軍事大臣スベルバー卿のことだ。彼はまだ、あの時受けた屈辱を原動力にしているらしい。
「今やっと、あの人が言っていた意味がわかりました。僕も、これからはもっとダイナミックな物を開発して、放置していた魔法分野にも臆せず手を伸ばしてみようかと思います。ありがとう」
「……ど、どういたしまして?」
ぶんぶんとシェイクハンドするマシュー。サラは彼が何故ここまで中級魔法如きで興奮しているのか理解できず、戸惑い気味だ。ただ、自分の魔法で喜んでもらえているのは確かなので、悪い気はしない。心なしか、身体が軽くなった。
「おーい、二人とも先に行くぞ」
「はい! 行きましょう、サラ」
「うん」
紅一点、サラを加えた新生エルフリード一行は、トートスの森を進む。
「居た。ブラックベアーだ。それも二頭」
「ええッ」
「大きな声だすな、気付かれるだろが」と、バルクは青筋を浮かべ、声を殺してサラを窘める。
「ごめん。だって、あのブラックベアーが、それも二頭だなんて」
Eランク冒険者のサラにとって、ブラックベアーは強敵であり絶望そのもの。あの魔物に出会うことは死を意味する。
「に、逃げないの? わ、私、もう魔法使えないよ?」
「強気なんだか、弱気なんだかよくわかんねーヤツだな。大丈夫だ。俺達に任せろ」
バルクはガツンと胸のプレートにガントレットを叩きつける。
「バカ、静かにしろ!」
「わりー」
今度はウルクナルに叱られるバルク。
(この人達って)
サラはこのエルフリードが、他の冒険者パーティとは気質が異なることに気付く。
冒険者基礎教練講座を受講した際の、商会側が編成した訓練パーティで行われたモンスター討伐とは全てが違う。人間とエルフの混成パーティだったが、常に空気がギスギスしていて、会話は戦闘開始前の片言、雑談なんて誰一人していなかった。差別的言動が無かっただけマシではあったが。
アレとコレは確実に何かが違う。ただ今のサラには、構成メンバーが自分も含め、全員エルフであること以外の相違点を見い出せなかった。
「マシュー、狙撃できるか?」
「ふふふ。僕の開発した新型ライフル銃ならば余裕過ぎて欠伸が出ます」
「まあ、エルフリードの共同財産から三百万ソル、金貨三百枚を開発に注ぎ込んだからな」
「宝石貨三枚も使ったんだから、ブラックベアーぐらい仕留められないと寂しいよね」
「バルク、ウルクナル、心配ご無用。サラの魔法に比べれば地味かもしれませんが、地味ながら最高の効率を実現するのが科学の英知です。胴体を狙います」
「頭を狙わなくて平気なのか? 威力が足りずに一撃で殺せないんじゃ」
「その為の新型弾です」
マシューが二人に手渡した弾丸は、これまでの球形とは違い、細長い。先端は丸みを帯びていて小さな窪みが一つ、底部には円錐形の大きな窪みが開けられている。そして、円筒形の銃弾の胴体には、三本の溝が刻まれていた。
「変な形だな」
「変とは失礼ですね。弾道学に適した形状なんです! 粉砕弾と命名しました」
二人と会話しながら銃の装填を終えたマシューは、銃口をモンスターの脇腹に向ける。目標は大型のブラックベアーだ。従来の銃だったらなら、頭を撃ち抜かない限り一発で仕留めるのは難しい相手だったが。
「本当に仕留められるんだな?」
「二言はありません」
「わかった、マシューを信じる。発射後に突撃、バルクは俺の後を追え。サラ、ここで見学」
「おう」
「ねえ、本当に大丈夫なの? その変な機械は……武器なの?」
サラは、マシューが構える銃に怪訝な表情を向ける。
「平気、平気。マシューが大丈夫だって言ってんだから」
ウルクナルは破面して、不安がるサラを宥めた。
「撃ちます」
撃鉄が、パーカッションキャップを押し潰す。直後、炸薬の黒色火薬が燃焼し、新型の弾丸が銃身内を回転しながら突き進む。銃口を飛び出た弾丸は、狂いなくブラックベアーの胴体へ飛び込み、次の瞬間、着弾位置から肉片を伴って血流が噴き出す。
大量の血液と肋骨の欠片、臓物を地面に撒き散らし、致命傷を負った魔物はもう動けない。
重要器官を破壊されたブラックベアーは、しばらくもがき苦しんだ後に、呆気なく絶命した。
マシューが開発したのは、ミニエー弾と呼ばれる弾種で、これまでの球形弾と比べて飛距離が数倍に引き上げられ、威力も格段に向上されている。
また、弾丸底部の円錐状の窪みによって、発射時の圧力で弾丸が拡張され、刻まれたライフリングに弾が密着する。そのため、布で弾丸を包む必要がなく。紙薬莢の使用が可能になり、弾薬装填に要する時間は、マスケット銃と同等程度まで向上。
これにパーカッションキャップが加わるので、新型銃の装填速度は、三国で実用化されたどんな銃よりも早い。もちろん、射程も段違いだ。もし射程を最大限生かし得る平地で、既存のマスケット銃と新型ライフルとが同数同士で撃ち合えば、旧式銃を手にした軍は、如何に有能な指揮官が居たとしても壊滅的打撃を被ることだろう。
マシューの開発した粉砕弾とパーカッションキャップによって、前装填式のライフル銃は完成をみた。だが、マシューの貪欲な知的好奇心は銃を一丁造った程度では満たされない。彼の次なる研究は既に始まっている。
「やりました!」
「さすが、マシュー!」
(あれは、何? 私の常識がちっとも通用しない。あの強靭なブラックベアーが、魔力も剣を振るう筋肉もないエルフの学者に殺された?)
サラはポカンと口を開けたまま、状況の変化に流される。銃の原理がまったく理解できず、脳がオーバーヒートしているのだ。彼女の魔法に関する知識の中に、あそこまで破壊的で、長距離から一方的に、かつ代償を必要としない手軽な魔法は存在せず。攻撃魔法とは何の為にあるのか、という根幹に激しい揺さぶりをかけられた。彼女を支配していた常識のタガがまた一つ取り除かれる。
「バルク、行くぞ」
ウルクナルとバルクは同時に飛び出し、茂みを走り抜ける。
仲間が殺されてもブラックベアーは逃げない。この魔物は好戦的で、仲間が殺されたくらいでは怯まずに襲い掛かってくるのだ。二本脚で立ち警戒していた一体、それをウルクナルが襲う。
「せいっ」
掛け声一つ。全力で短距離まで詰め寄ったウルクナルは、両腕を勢いよく回し、背中を向け、地を蹴って飛ぶ。助走をつけた空中での後ろ回し蹴りによって、左足の踵がブラックベアーの首を撃ち抜いた。
「ふっ」
地に降りたウルクナルは、すかさず両手の甲を前方に向け、ガードを固める。
野獣の咆哮。鉄をも削るパンチが迫っていた。
火花が散り、異音が轟く。
ウルクナルが、グローブに備えられた魔物鉄ワイバーンの装甲板で、魔物の爪を流し受けたのだ。表面には傷一つなく、鈍い金属光沢を放っていた。
ウルクナルが真正面から魔物に殴りかかろうとした時。
「オラッ」
巨大な金属の塊が、ブラックベアーに激突する。バルクだ。あのブラックベアーがまるで突風に煽られた小屋のように横転し、土埃を巻き上げる。
「バルク! コイツは俺の獲物だぞ!」
「はやい者勝ちだ」
魔物は怒りに我を忘れ、肉弾戦車と化し、バルクへと突進。肉の塊と金属の塊がぶつかり合う。バルクはあのブラックベアーの突進を左腕、その腕に装備された盾のみで防ぎ切ってみせた。盾に生えた金属の突起に、魔物の肉と骨が砕かれる。
バルクは盾で魔物を押し退けると、頭部にハンマーを振り下ろす。ゴードお手製の重量六十キロもあるハンマーの一撃によって、魔物は肉塊へと変化した。
サラは二人に対する感嘆を禁じ得ない。
「強過ぎる。ねえ、マシュー。あなた達の狩りはいつもこうなの?」
「いえ、今日は随分とスローペースですよ。普段ならとっくに、エルトシル帝国との国境付近に到着しています。魔物も、あれと同型のものを最低五頭は討伐しているはずです」
サラは、空を見る。太陽が高い位置で輝いているではないか。
「ブラックベアーを午前中に最低五頭? ……エルフリードって本当にDランク冒険者のパーティ?」
彼女の呟きは、ウルクナルの声に打ち消された。
「マシュー、解体手伝ってくれ!」
「はい、今行きます。サラも来て下さい。訓練を受けていてもセントールから来たばかりの頃は魔物の解体って少々ショッキングですが、慣れてください」
「それぐらい……。でも、どうしてセントールから来た人が、血を見るのが苦手だって知っているの? イメージ?」
「いえ、僕がそうだったし、周りに居た人達もそうだったから」
「マシュー、だったよね。あなたもセントールに居たことが?」
二人は、魔物の死体へと歩きながら会話する。
「はい、高等学術院に席を置いていました」
「うそ、すっご。マシューって何歳だっけ?」
「十四歳です」
「! 八歳で学術院に入学した天才エルフってまさか」
「僕ですね、たぶん。でも、その話には落ちがあります。天才エルフは落第したんです。学術院も卒業していません。……一応、卒業試験には合格していたんですけどね」
「……それってまさか、エルフであることが原因で?」
「そうですね。ですが、半分は僕にも責任が有ったのだと、最近は考えられるようになってきました。僕が自室に閉じこもり、人との対話を避けてきた結果なのだと」
「――!」
このマシューの言葉はサラの胸に大きく突き刺さった。魔力が少ないから、エルフだから、無条件で学院の生徒全員から自分は嘲られているのだと、彼女は被害妄想を膨らませていたのだ。あの時の自分が、そこ抜けて明るい性格の持ち主だったなら、六年も席を置いていたのだ、人間の友人の一人や二人出来ていてもおかしくはない。
もっと社交的だったなら、自分の夢を聞いても、笑わないで真剣に聞き入ってくれる誰かが居たのだろうか。センチメンタルな気分に浸っていたサラだったが、現実、自分がしなければならない仕事からは逃げられない。
「サラ、ここを切ってください」
「は、はい……うっ」
短剣を握らされ、臓物を撒き散らして惨殺された魔物に刃を入れるサラ。彼女は顔色を七変化させながら、解体に挑む。




