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エルフ・インフレーション  作者: 細川 晃
第一章 暗黒時代

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暗黒時代18

 ウルクナルの視線の先から、ガチガチゴリゴリと何か硬質な物が噛み砕かれる音まで届いている。

「行くぞッ」

 三人は走って声のした方へ、王都のある方角へと進む。それはすぐに現れた。

 体長は優にウルクナルの二倍、肩幅は四倍、体重は二十数倍。黒い体毛に全身が覆われ、図太い四本の足が、自重によって地面にめり込んでいる。凶悪な爪の生えた前足は、一撃でオークを殺し、人類を真っ二つにするだろう。頑丈な顎とその尖った歯は、鋼鉄の鎧さえ噛み砕き、血肉を貪る。

 ブラックベアー、レベル二十八、報奨金金貨五枚。通称Dランクの門番が現れた。

「くそッ、どうしてコイツがこんな王都の近くでッ」

「バルマ……畜生ッ、バルマまでやられたッ」


 生臭い臭気で鼻が効かない。金属部品で補強された木製の盾は砕け、剣は折れ曲がり、千切れた手足が無造作に転がっている。あるだけでも三人分の食い残しだ。生存者は二人、元は五人パーティだったのだろう。

「撃て」

 混迷を極めた最中の冷静な命令。黒色火薬の爆発的燃焼によって、発射された五十七口径の弾丸が、人間の冒険者を喰い殺そうとしているブラックベアーの脇腹に命中。魔物はもんどりうって地を転んだ。

「え、あ」

「何が……」

「逃げろ! 早く逃げろ!」

 叫びながら、ウルクナルはブラックベアー目掛けて突進。後方では木の陰に隠れてマシューが装填を、バルクは盾を構えてウルクナルの後を追う。


 ウルクナルは、叫び、走って、同時にマシューから借り受けた弩を発射する。

狙いは頭――としたいが確実性を求め胴体を狙う。二本放つと弩を捨て、ブラックベアーに肉薄した。

 生存していたEランク冒険者二名はほうほうのていで転びながら逃げ、王都に向かって一目散だ。その方が、自由に動けてウルクナルとしては気楽なので、薄情だとは思わない。

 ウルクナルはブラックベアーの顔面をグローブで殴る。立て続けに、渾身の力を込めて殴った。鉄製の金具に血がこびり付き、魔物は呻く。

「……ッ」

 強烈な殺気を感じ取ったウルクナルはバックステップ。数瞬前まで彼が立っていた空間が、筋肉の巻かれた丸太のような腕で薙ぎ払われる。魔物の右腕によって地面が掘削され、土埃が舞う。土が目に入って涙が出た。これでは危険と、ウルクナルは後退する。

「バルク、一旦後退。視界確保!」


「了解」

 ウルクナルは自分が捨てた弩を拾い、横たわるブラックベアーに三発打ち込む。が、ボルトが魔物に効いているのか確証が持てない。何故なら、銃弾と五本のボルトをその身に受けたはずのモンスターがのっそりと起き上がったからだ。

「流石はDランクの門番、タフ過ぎる」

 バルクは呆れ気味にぼやいた。

「装填完了しました! 撃てます!」

 木々の影からマシューの言葉。

 ブラックベアーはバルクに向かって突進を開始する。バルクは盾を地面に突き刺し耐衝撃の構えだ。

「撃てッ」


 放たれた弾丸は、頭部を狙ったのだろうが惜しくも外れ、肩口に食い込む。走る速度が低下したものの、魔物はバルクと衝突する。

「バルクッ!?」

 あの巨体のバルクが、ブラックベアーとの衝突よってふわっと浮き上がり、背後の木に叩き付けられる。ウルクナルは、全力で走った。

「あ……くそ」

 盾は手放していないものの、バルクは頭部から血を流し、腕は痺れて力が入らない。たったの一撃でボロボロだ。もし、銃弾によって減速していなかったら彼は死んでいたかもしれない。

 ブラックベアーは前足を振るう。耳を劈く異音が鳴り響き、火花が散る。ゴードから買った肉厚の盾は突進で凹み、引っ掻きによって深い溝が三本刻まれていた。ブラックベアーの爪は鋼鉄すら抉るらしい。道理で金属の防具を着こんだEランク冒険者達が粘土のように食い千切られていた訳だ。


「……ッ」

 バルクは魔物の攻撃によって体制を崩し、真横に殴り飛ばされた。満身創痍の彼を喰い殺そうとアギトが迫る。しかし、その寸前で、ブラックベアーは悶え苦しんだ。

 魔物の脇腹に突き刺さったままのボルトに飛び蹴りして、鏃を体内深く押しこんだウルクナルが、脇腹を足場にして後方宙返り。地面に降り立つと、バルクの元に走って向かう。

「平気か、バルク」

「何とか」

 頭からダラダラと血を流しているバルクを引き摺って木の影に運ぶ。彼の復帰は厳しそうだ。

 マシューは、七転八倒して苦しんでいるブラックベアーに三発目の銃弾を浴びせたが、これも致命傷に至っていない。予想通り、魔物は血を大量に流しているものの、立ち上がり怒り狂っていた。

「火力が足りない」


 マシューは歯がゆそうに呻く。それはウルクナルとて同じ気持ちだ。

 防御の要であり、攻撃の要でもあったバルクが倒れた今、攻撃手段はウルクナルの格闘とマシューの銃撃のみである。ウルクナルの戦闘スタイルは素早さを生かしたヒットアンドウェイ、オーク程度なら有効だが、ブラックベアークラスの頑丈さを持つ魔物を死に至らしめるには、パワーが単純に足りない。

 マシューのライフル銃によって頭部を撃ち抜くしか、ヤツを仕留める方法は無さそうだ。マシューが装填を終えるまでの数十秒間、ウルクナルは単独で、Dランクの門番たる魔物に立ち向かわなくてはならなかった。

「マシュー、今度は頭を狙え! 俺は時間を稼ぐ!」

「はいッ」

 ウルクナルはグローブを激しく打ち合せ己を鼓舞し、真正面からブラックベアーに挑む。


 現在、ブラックベアーは標的をマシューに定めている。彼によって放たれた銃弾が、確実に効いている証拠なのだろう。危険性の高い敵から順に排除するのは戦闘の常だ。相手もその程度の知能は持ち合せているらしい。

先ずは、魔物の敵意を自分に向けさせなければならなかった。

どうすれば良いのか、簡単だ。憎たらしい攻撃をすればいい。

「ふッ」

ウルクナルは、魔物の右側面へと周り込むと、傷ついた腹を一発殴り、離脱する。憤怒したブラックベアーの攻撃を回避し、もう一発。チクチクと嫌らしく攻めた。

 作戦は首尾よく成功し、魔物の憎しみがウルクナルへと注がれる。真の正念場はここから始まった。

 ウルクナルとブラックベアーは真正面から向き合い、さながらボクシングでもしているかのような立ち回りを見せる。ただ、リングもなければ、レフェリーも居なかった。両者に定められ、確実に機能するルールはただ一つ、どちらかが死ぬまで終わらない、だ。


 ウルクナルは、爪先立ちによって軽いフットワークを更に軽くする。ブラックベアーの攻撃を右に左にと飛び跳ね回避し、グローブを魔物の顔面に突き刺した。

 あのタフなブラックベアーも着実に消耗している。ウルクナルの拳が顔面を抉る度に、顔を左右にふってよろめいた。

 魔物の攻撃力の凄まじさは、そのパンチが物語たっている。前足を振るう度に風が唸りを上げ、枯れ葉が舞う。バルクの盾に深い爪跡を残したパンチだ。局部装甲付きのレザーアーマーなど紙も同然。一撃でも貰えば、ウルクナルは文字通り粉砕されるだろう。

「…………」


 そんな絶壁に渡された一本の縄の上で、タップダンスを踊るかの如き所業の最中、ウルクナルは、妙な感覚が心の奥底から湧き上がってくるのを知る。

 それが何なのか、彼には計り知れなかったが、恐怖などと言うチンケな感情ではないのは確かだ。

「……ふ、ふふ」

 体中が熱かった。体が発火してしまいそうだ。血管の中を溶岩よりも遥かに高温な何かが高速で移動している。これが何なのか、今のウルクナルには分からなかった。

「――ははははははッ」

 意識する前に、頬がつり上がり、息が切れて苦しいのに笑いが止まらない。ブラックベアーとの殺し合いが楽しくて、楽しくて、マシューが銃の装填が終わったと知らせてくれているのに、戦いを中断できなかった。

「……ウルクナル?」

 マシューの声は彼には届かない。


 ウルクナルの戦闘スタイルが変化していた。これまで彼は、飛んだり跳ねたり、身軽さを生かした大きな動きで攻撃をかわし、一か所に長居しなかったのだが。

 今の彼は、魔物の攻撃を一歩二歩、後退左右の二次元的な動きのみで避けている。ウルクナルはブラックベアーの正面を陣取り、既に九十秒以上も執拗なグローブによる打撃攻撃を浴びせ続けていた。

 ブラックベアーの爪でなぞられ、頬が裂けようとも彼は眉一つ動かさない。尋常ならざる集中力でもって、魔物の行動を完全に把握。

 コンマ一秒先の未来を予測して、拳を置く。ウルクナルの拳は面白いようにブラックベアーの顔面中心、鼻頭を捉え。魔物の顔はボコボコに腫れあがっている。

 両者の殴り合いが始まって数分が経過。着実に差が生まれていた。

 ウルクナルは最小の動きで最大の成果を、ブラックベアーは最大の動きで最小の成果しか得られていなかった。タフで頑丈なブラックベアーだが、その巨体を動かし続けて消耗戦を戦うのは、体力的に不利だ。頭部から流血し、口の中に血が入って、ピンク色の泡を吹いている。


 ウルクナルはDランクの門番、レベル二十八の魔物を圧倒していた。

 決着が近い。

「バルク、大丈夫ですか?」

「ああ、俺は平気なんだが」

 流血によって顔を赤く染めたバルクがマシューの元に寄り、二人はウルクナルの死闘を見守った。マシューは銃を使おうとしたが、丁度射線をウルクナルが塞ぎ使えない。大声で叫んでも彼は聞き入れてくれなかった。聞こえていないのかもしれない。

「ウルクナルのヤツ、本当にどうしちまったんだ」

 バルクの呟きは、戦場の騒音で潰された。

 ウルクナル対ブラックベアーの闘いは、言うなれば我慢比べだ。

 先に根を上げた方が、無様な隙を晒し、耐え抜いた方が、勝機を得る。そして今、ウルクナルは我慢比べに競り勝った。モンスターが無様な隙を晒したのだ。


 ブラックベアーは、右前足を使った渾身の突き攻撃を繰り出した。

 勝機到来。

 ウルクナルは、その攻撃をワンステップで回避すると、血抜きに使う短剣を腰から引き抜き、逆手に持つ。ブラックベアーの顎の下に身体を捻りながら滑り込み、喉元を引き裂いた。そして鮮血噴き出す切り口に、あろうことかウルクナルは、己の手を突き刺す。貫手だ。肉を掻き分け、魔物の右頸動脈を引き千切った。

 まさに滝の如き量の血液が、切り口から溢れだし、ウルクナルの全身を汚す。

 ブラックベアーは、だらりと力なく地に頭を垂れた。

 ウルクナルの勝利である。

「ウルクナルッ」

「……あの野郎、やっちまいやがった」


 ブラックベアーが力尽きたのを確認すると、茂みからパーティメンバー達が飛びだし、ウルクナルの元に駆け寄った。

 ウルクナルは微笑を浮かべると、短剣を用いて血抜き作業に取り掛かる。

「バルク、手伝ってくれ、こいつ滅茶苦茶重い」

「おう、任せろ」

「僕も手伝います」

 あのブラックベアーと一戦を交え、五体満足のままこの世界で生を享受できていることが、マシューとバルクには未だ信じられなかった。手触りと強い鉄の匂いが、現実なのだと二人に知らせてくれる。

「マシュー、史上最強のエルフのことで、一つ教えてほしいことがあるんだけどさ」

 短剣をブラックベアーに這わせながら、ウルクナルは尋ねる。


「はい、何ですか?」

「そのエルフの名前、知ってる?」

「はい、知っていますよ。彼の名前は、――エルフリード。エルフという言葉の語源でもあります」

「エルフリードか、……よし」

「何がよしなんだよ?」

「なあ、バルク。俺の夢ってなんだか知ってたっけ?」

「いや」

「最強の、冒険者になることだ」

「…………」

 一時間前のバルクなら、正気か? と尋ねていたかもしれない。だが、頭ごなしに彼の夢を否定することはもうできなかった。彼が自分の夢に一歩近づく様子を、己の眼で見てしまったのだから。


「エルフリード、最強を目指す俺達のパーティに相応しい名前だ」

「え、僕も最強を目指さないといけないんですか!?」

「当然。マシューも冒険者だし、パーティメンバーだからな、目指せ最強! 最強になれば研究資金だって底を尽きなくなる。研究し放題だ!」

「……研究し放題」

 マシューは宝石貨をジャブジャブと注ぎ込んで研究を進める自分を想像して、頬を上気させる。ウルクナルの提案した未来は非常に魅力的だ。

「バルク、確かにカルロの言った、三カ月でCランクは冗談だったのかもしれない。だけど、それぐらいの無茶をやらなきゃ、俺達エルフは強くなれない。人間を超えられない」

「…………」


「それに、カルロだって口先だけじゃない、エルフリードが達成して以来二千年ぶりの偉業に挑戦しているんだ。カルロが不可能に挑戦しているのに、最強を目指す俺が不可能に挑戦しないのはおかしい。俺はカルロに負けたくないんだ」

 ブラックベアーの生き血を頭から被り真っ赤になったウルクナルは、身体の赤よりも鮮烈な赤い闘志を瞳の奥に抱き、バルクを見詰める。バルクは、ウルクナルに傾注した。

「バルクも一緒に目指さないか、最強を。やっぱり、仲間は多い方が嬉しいし、心強いんだ」

「はあー。わかった、わかったよ。全力疾走ってのも気持ちがよさそうだ」

「バルク!」

「俺も入れてくれよ、エルフリードに」


 エルフリードの面々は、樹木を切り倒し、イカダを造ってその上にブラックベアーの巨体を乗せて運ぼうとしたが、ビクとも動かない。そこでマシューは丸太の下に太めの枝を複数個並べて、その上を滑らせて前進する方法を提案した。

 エルフ達は日が落ち暗い森を長時間かけて少しずつ王都へと向かい、その途中、商会が派遣したブラックベアー討伐部隊の冒険者達と鉢合わせする。ウルクナル達が引き摺っていた巨大なブラックベアーの死体に、討伐部隊の面々は度肝を抜いていた。

 魔物の死体は、丸ごと商会によって引き取られることが決まる。翌日までには換金した金を渡すと言われたので、全てを任せ、ウルクナル達は銭湯に向かった。

 こうして、エルフのみが所属する特異な冒険者パーティの存在は、史上最速でDランク獲得条件を満たしたウルクナルの名と共に、王都トートスで盛大に鳴り響く。


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