暗黒時代1・2・3
初めまして、細川 晃です。
好物は醤油ラーメンです。
よろしくお願いします。
解放歴二〇五五年。
トリキュロス大平地の西、トートス王国。
その王国の首都である王都トートスは、昇る太陽の如く燦々と輝く。
「おおッ!」
少年は、前方に聳え立つ王都トートスの城門と城壁に感嘆した。総石レンガ造りの城壁は、投石機の攻撃を跳ね返し、鋼鉄で補強された厳めしい城門は、破城槌に長時間耐え続けられる設計となっているに違いない。
流石は王国一番の物流拠点をも兼ねる王都。商人らしき人達が、麦やら塩やら香辛料やらを満載した馬車を、忙しなく走らせ城門を目指す。ガラの悪い傭兵団が、ゾロゾロと隊列を組んで自分の横を通り過ぎる。少年はこんなに沢山の人間を一度に見たことがなかったので、わずかに眩暈を覚えた。
少年は頭全体を覆う粗末なフードのズレを直し、ボロだが一張羅の服の埃を払い、地面に下ろしていた継ぎ接ぎだらけの粗悪な鞄を、縫い目が雑な革製の手袋に包まれた両手で重そうに持ち上げ、背負う。鞄は円形になるまで物がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、今にも縫目が解けて爆発してしまいそうだが、今日一杯は踏ん張ってくれるはずだ。
「かっけー」
少年の横を、少数の重武装集団が意気揚々と通り過ぎて行く。貧相な傭兵とは明らかに違う。あれこそが冒険者。剣を振るい、魔法を操り、デーモンやドラゴンを討ち滅ぼす勇者達。あの装備の充実ぶりからして、相当に高位な冒険者集団なのだろう。少年は憧れを込めて、彼らの背中を満足するまで眺めてから、門へと進む。
だが――。
「止まれ」
「…………」
目と鼻の先で白銀の槍が左右から突き出され、固く交差する。全身に金属鎧を纏った二人の門兵が、敵意と嘲笑の渦巻く四つの瞳で頭上から少年を見下す。
「貴様、フードを取れ」
幾人もの人間達が、少年の真横を素知らぬ顔で通り抜けて行く。中には目深にフードを被った山賊のような外見の男も居たが、銀色に輝くカードを見せると、門兵は呼び止めもせずに素通りさせる。彼だけが絡まれていた。少年は、諦めの溜息を吐くと、蒸れて気持ち悪かった手袋を外す。
現われたのは、痩せ細り、土のすり込まれた瘤だらけの、――緑色の手。
緑色の両手で、そっとフードを取る。
「やはりな」
「薄汚いエルフめ。貴様、卑しいエルフの身でありながら、身分証明を無視して城門を通ろうとしたな?」
フードの下から現れたのは、およそ通常の人間ではありえない濃い緑色の素肌、木炭よりも一層黒い髪と瞳。どんな人種とも異なる、尋常ならざる色を持った人型だった。
「ここでも一緒か……」
緑の肌を持った幼顔の少年エルフは、ボソボソと疲れた声で呟く。
「貴様、その荷物は何だ」
門兵の一人が強引に少年の荷物を奪い取ると、歪んだ笑みを浮かべながら継ぎ接ぎだらけの鞄を破き、中身を土の上にぶちまけた。これまでの旅で使ってきたボロボロの寝袋や、カビの生えかけた硬いパンが土にまみれる。
「…………」
少年は耐えるしかない。
門兵は足で乱雑に荷を掻き分け、金に成りそうな品がないか執拗に探す。そして萎んだ巾着袋を発見すると素早く掴み取り、重さと感触を確かめ、嬉々として結び目を解き、硬貨を手のひらに乗せる。傷つき、歪み、酷く汚れてはいるが、純正の金貨だ。
「うひょー、エルフの癖に金貨を三枚も」
「……先々王の刻印か。えらく古い金貨だな、まあ良い。手癖の悪いエルフのことだ。きっと誰かの財布からくすねたんだろう」
「…………」
少年は黙っているしかなかった。声を荒げれば、殺される可能性すらある。
「おい、エルフ。この金は没収する」
「不服なら返してやっても良いが、身分証明書を持っていないお前には、我々が自由に窃盗の疑いを掛けられるぞ?」
金貨三枚と銀貨二枚。合計三万二百ソルは、少年が長い年月を掛けて、それこそ死に物狂いで掻き集めた金だ。怒りがないはずがない、悔しくないはずはない。しかし、少年には無言で金を差し出す、そんな屈辱的な道しか選べないのだ。エルフの社会的地位は限りなく低い。トートス王国に奴隷は存在しないが。国によっては、奴隷か、それ以下の扱いを受ける場合もある。
トートス王国は、現国王がエルフも王国の一員であるという考えの持ち主である為に、他国と比べればエルフに対する扱いは寛容だ。しかしそれでも、エルフに対する差別や区別は根強く残り、日常的に横行している。
この世界は、エルフが生きるには厳しい世界だった。
「今夜は豪遊だな」
「美味い酒がたらふく飲める。あー、ジュエルワイン飲みてー」
「バカ野郎。そんなクソ高い酒選んだら、金貨三枚なんか一口飲んだだけで消えて無くなるぞ」
少年は無一文になって門を通される。背後で門兵達がホクホク顔で会話していた。
「――――」
悔しい。怒り狂いそうな程に悔しい。――しかし、身分証明書を所持していないエルフが王都の城門を潜るには、この方法しかないのである。
身分証明書を有していないエルフが、王都の城門を無断で潜るのは重罪だ。エルフに裁判などという文化的で高等な制度は適用されず。命をも落としかねない十年間の強制労働を、遠方の地で必ず課せられる。その労働が、先ほどの金貨三枚と銀貨二枚で免除されたのだ。一文の値打ちもない感情は投げ捨て、自分が王都の門扉を無事に潜れたことを先ずは喜び、少年は胸を張って都の土を踏みしめた。
王都トートスは現在、王と妃の間に第一子が誕生したのを祝した祭りの真っ最中だ。
残念ながら、生まれたのは王位を継承できる男子ではなかったが、王と妃がまだ若いとあってか、楽観的なムードがある。悲観せずに、新たな王族の誕生を、国をあげて祝福していた。
「さあさあ、見て行ってください! かの大国、エルトシル帝国で焼かれた陶器の数々」
「そこのお兄さん! 今日の記念に魔結晶のネックレスを彼女へプレゼントしてはどうですか? お安くしときますよ?」
「ブラックベアー、高級食材ブラックベアーの串焼きだよー。今なら一本、たったの銀貨二十枚!」
「ワイルドピッグの揚げ物はいらんかねー。ワイルドピッグの揚げ物、一盛り銅貨五十枚!」
王宮へと続く、道幅十馬身はあろうかというメインストリートの両脇には様々な出店や屋台が立ち並ぶ。品物も、肉や野菜のシンプルな串焼きから、調度品、装飾品、武器、防具など多種多様。それらを求めて王国内外から人が集まり、大通りは人でごった返してある種のカオスだ。
ただ、一文無しになった少年エルフには一切縁がない。様々な欲求を噛み潰し、唾液と一緒に飲み込んで、人の波を掻き分けお目当ての建物を探す。
「あった」
それはすぐに見つかった。王都でも、王宮に次いで目立つ建物であるから当然ではある。
トートス労働者派遣連合商会。
人の欲望と経済の激流が生んだ怪物。五百年の歴史を誇る老舗中の老舗である。
天文学的な値段の王都の一等地を、一区画丸ごと、通常八店舗は出店可能な土地を買い上げ建てられた商館は、周囲の建物とは一線を画した五階建ての総赤レンガ造り。
精緻な彫刻と彫像が王都のメインストリート側に並べられていたが、それは華やかというよりも成金趣味で、他者を威圧する下品な装飾だった。
頻繁に人の出入りがある為か、観音開きの大扉は常に開け放たれ、一般市民、商人風の男、傭兵風の男、娼婦のような女が途切れることなく出入りしている。
トートス労働者派遣連合商会は、トートス王国貴族の重鎮、バルバード一族が取り仕切る労働者組合だ。
バルバードは所謂成り上がり貴族で、王族との血脈は皆無。また運営する領地も持ってはいない。――今から五百年の昔、バルバードはトートス労働者派遣連合商会の前身、労働者派遣商会で大成功を収め、莫大な資産を手に入れ、伯爵の地位を王から買い取ったのである。
バルバード伯爵が取り組んだ事業は極めて単純だ。人材を発見し、教育し、適材適所に派遣する、それだけ。黎明期こそ、システムが理解されず、商会は大量の赤字を吐き出し、バルバードは身売り寸前まで追い詰められていたそうだが、一度軌道に乗ると面白いように金が金庫に溜まっていったという。
現在では、トートスの経済は連合商会無しでは回らないとまで言われており、王都住人は口を揃え、連合商会が無くては立ち行かないと言うそうだ。
「……よし」
少年は気圧されつつも、臆さずに商館へ足を踏み入れた。
内部もまた壮麗な装飾が施されていて、複雑な文様の描かれた光沢のある石の床を踏みながら、キョロキョロと内部を見回していると、誰かに声を掛けられる。
「お客様」
その丁寧で落ち着いた女性の声音に、少年は自分が呼ばれているのだと気付けなかった。
「入口に立たれますと、他のお客様のご迷惑になります」
やや強めの口調で注意されて初めて、その注意が自分に向けられたものなのだと、少年は思い至る。
「あ、ごめんなさ――、ってあんたエルフか」
「はい、私はエルフでございますが、何か? ――申し遅れました。私はこの商館で一級コンシェルジュを任されているナタリアと申します。お見知りおきを」
「え、あ、うん」
そう言い、彼女は悠然と腰を折った。その優雅な一礼に、少年は瞠目するばかりで動けず、碌な言葉も発せない。
確かに彼女はエルフであったが、少年とは違い、男性用の小奇麗なスーツに身を包み、ベージュの蝶ネクタイで首元を飾っていた。一見すると細身で美形の男性、しかし仄かに甘い香水と胸元のささやかな膨らみが、このエルフが女性なのだと少年に知らせる。
まさに男装の麗人だ。
エルフの身でありながら、このナタリアという女性は、商館でも高位に位置しているらしい。その権力を手にするまでに、一体どれだけの屈辱を笑顔で嚥下し、どれだけの成果を黙々と積み上げたのだろうか。
少年には想像もできなかったが、彼女が凄いエルフであるということだけは、自ずと理解できた。
「さ、こちらへお進みください。エルフ専用のカウンターは商館一階奥、左隅になりますので――」
ナタリアは、無数のカウンターが並べられた商館奥を右手で示すが、少年は途端に顔を青くする。
「お、俺っ! さっき王都に着いたばかりで、何が何だか……っ」
右往左往する少年を数秒凝視し、彼を一般のエルフ職員に任せたのでは、他の利用者の迷惑になるだろうと判断したナタリアは、エルフ専用カウンターへの誘導を止め、普段から、とある人物が使っていて人間が座りたがらない例のソファへと導くことにした。
「――仕方がありませんね、わかりました。どうぞこちらへ」
「……ああ」
まるですり込みされた子鴨のようにナタリアの後を歩くと、小奇麗なソファ席に通される。そこは商館入口から右側に並べられた待合席であった。
「ここに座ってください。上着は脱いでくださいね。ソファが汚れると困るので」
「でも、俺はまだ何も」
「あなたのような田舎者のエルフが商館を訪れる理由は大抵予測できます。身分証明書のないエルフが城門を通るには、門兵に金貨を握らせるしかありませんからね。あなたも、王都で一発大きく当てようと、貧しい村から出てきた。合っていますか?」
「そ、そうだ」
心を手に取られたかの如き推察に、堪らずうろたえた。これ以上聞くこともないので、少年は大人しく上着を脱ぐと、床に置く。長旅の汚れが床を盛大に汚したが、見なかったことにする。案内されたソファに腰を下ろすと、余りの座り心地の良さに頬が綻んだ。
「――それでは改めまして、私はエルフのナタリア。ここでは、商館一級コンシェルジュを任されております。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「俺は、ウルクナルだ」
「……そうですか」
教養や礼節も何もありゃしない田舎者丸出しの不躾な自己紹介に、テーブルを挟んだ向かい側に座るナタリアは眉をひそめた。彼女はバインダーに挟んだ高級な白紙にサラサラとペンを走らせ、要項を書き込んでいく。
「本日の用件は、トートス労働者派遣連合商会への労働者登録ですね?」
「ああ」
「年齢を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……多分、十五歳」
「多分?」
「十五歳! 間違いない!」
ウルクナルは数字が数えられないので、自分が何歳なのか知らなかった。知っている数字を適当に言って誤魔化す。
「……なるほど」
しばらく無言の時間が続く。重い空気に居た堪れなくなったウルクナルはナタリアに問う。
「それは、何を書いているんだ?」
「登録手続きに必要な用紙です。ウルクナル様は字が書けませんよね? ですので、代わりに私が書かせて頂いております」
「あんた、すかした嫌な人かと思ったけど、良い人だったんだな」
「ありがとうございます。前半が余計ですが」
これまでの人生で一度も受けたことのない、ナタリアのきめ細やかな心遣いに感激するウルクナルだった。
「いつか、何かの形で礼をさせてくれ!」
「他者の心配をしている場合ではないと思いますけど?」
「そ、そうだけどさー。俺、こんな親切にされたことって今まで無くて」
ウルクナルの言葉に、ナタリアは切れ長の瞳を一層研ぎ澄ませ、ペンを走らせながら喋る。
「あまり申し上げたくはありませんが、勘違いされても困りますので、ハッキリと言わせていただきます。――私は、私情を交えてあなたを優しく扱っている訳ではありません。そうすることが、私の仕事であり、役割だからです。……留意してくださることを希望します」
「……わかったよ」
目に見えた拒絶にもめげず、ウルクナルがポツポツと会話していると、粗方書き終わったのか、バインダーをテーブルに置く。流麗な文字が紙の上で躍っていた。
「では、当組合のシステムを説明します。質問が御座いましたら、遠慮なくどうぞ」
ウルクナルは首肯した。
「えー、我が商会では文武を問わず様々な職業を斡旋し、お客様の天職を探し出すお手伝いをさせて頂いておりますが。あなた様はエルフですので、必然的に選択肢が限られてしまいます。特に、城仕えはどんなに高い技能を持ち合せていても絶望的だと考えてください」
「知ってる」
「ですよね」
トートス労働者派遣連合商会、商会が職場へと人材を派遣するに至るまでには、大まかに三つのステップが存在する。
一、労働者の希望する職業を聞く。二、現在王都で需要の高い職業をコンシェルジュが懇切丁寧に説明し、労働者に勧める。三、双方が合意した職業に労働者を派遣する。
派遣によって給料を一定の水準得られた労働者は、商会に月額の会費を納めることになっていた。会費は、収入額によって上下する仕組みとなっているので、労働者の負担が比較的軽いのも、商会が成功している理由の一つだろう。
甘い利益の元には、蟻が群がる。
当然過去には、複数の金持ち達が商会の経営ノウハウを真似して、同じような事業に乗り出したことがあった。が、それらは多額の負債だけを残してことごとく失敗に終わる。
理由はこれまた単純で、商会と同じ経営をするには、膨大な量の情報を正確に処理し、管理しなければならないからだ。
経済の状況を可能な限り把握し、顧客の収入状況を把握して管理し、毎月正確に測り取った金額を要求する。
確実な利益を出すには、何十万人分という顧客データを正確に把握しておく必要があり、ミスは致命的な信用問題に直結するので絶対に許されない。となれば、優秀な会計士を何百人何千人と雇わねばならないが、それにも莫大な経費が掛かる。
現在でも、膨大なデータの管理という経営上のハードルを、当時のバルバード伯爵がどのように解決したのかは、一切明かされていない。
「技能の無いエルフのあなたに提示できる職業コースは三つです」
ナタリアは手帳を取り出すと、教育を受けていないウルクナルの為に、図を書きながら丁寧な説明を始める。何だかんだ言いつつ、困っている同族を見捨てられないナタリアだった。
純白の手帳に三つの円を描き、書き込む。文字が読めないウルクナルだったが、彼女の真剣さに報いようと、足りない頭をフル回転させ理解に努める。
エルフに対して比較的寛容なトートス王国でも、他国の王族や貴族と頻繁に接する機会のある城仕えには、絶対になりえない。また、神父や巫女などの神仕え、教師などもエルフには縁の無い職業である。
「商業コース、工業コース、軍隊コースと三つありますが、軍隊はお勧めできません。エルフは戦闘向きの種族ではありませんし、そもそも、城に上がれませんので――」
「質問!」
「なんですか?」
ウルクナルが耳を劈くような声を張り上げると、ナタリアは高等学術院の老教授のように気だるげな声を出す。
「冒険者コースは?」
と、ウルクナルがナタリアに問うた瞬間。あれだけ騒がしかった商館のフロアが静まり返る。そして空間に、嘲りの滲んだ笑いが満ちた。如何に鈍感なウルクナルでも容易に気付ける、これは自分を侮辱している笑いだ。ウルクナルは血が滲む程両手を固く握り締め、唇を噛む。永遠にも思えるような十秒をひたすら耐え凌ぐ。
「――なんだ? 今日の商館は随分賑やかだな」
すると、顔をフルフェイス型の兜で包み、煌びやかな防具に身を包んだ人物が、嘲笑渦巻く商館の門扉に現れた。ドサリと重い音がして、巨大で丈夫な革袋が大理石の床に下ろされる。判事が木槌を振るったかの如く、嘲笑は止み、数秒の静寂の後に普段の騒がしさが取り戻された。
兜を外す。
「ナタリア、久しぶり。元気?」
そして、フレンドリーな口調でウルクナル達の方へ駆け寄ってくる。
濃い緑の肌に黒髪黒眼。彼はエルフだった。
「普通です。今、仕事の真っ最中ですので、冷やかしなら後にしてください。カルロ」
「つれないなー。ま、そこが良いんだけどな」
カルロという名前らしい青年のエルフ、彼はウルクナルに向き直ると、爪先から脳天までじっくりと見回した。
「お前、冒険者になるの?」
「ああ」
「ふーん。お前、名前は?」
「ウルクナル」
「俺はカルロだ」
カルロはウルクナルに手を伸ばして握手する。そして遠慮なく、ウルクナルの隣に腰かけた。
「なあ、ウルクナル。俺も冒険者やっているから、あんまり偉そうなことは言えないんだが、……やめた方が良いぞ? 考え直せ。吟遊詩人が語る華やかな美談なんて極一部だ。現実の冒険者の仕事は、危険だし、臭いし、きつい。お前みたいにキラキラした瞳を持った奴らの大半が、一カ月で瞳を濁らせ、一年で枝みてぇに痩せ細り、三年で手か足を無くして村へ帰るか、のたれ死ぬかだ。お前は、それでも冒険者になりたいのか?」
握手を交わした手を肩に置く。カルロはウルクナルの双眸から決して目を逸らさずに、真剣な眼差しと口調で、我が子を諭す父親のような親身さで語りかけた。
「なりたい」
「どうしてもか?」
「どうしても、なりたい!」
「…………。わかった。もう引き留めないよ」
二人が言葉を交わしている間、ナタリアは仕事の邪魔をされて不機嫌顔。そんな彼女を見て、カルロは荷物を掴んで席を立つ。
「ウルクナル、何で冒険者になりたいんだ? 何か目標でもあるのか?」
そんな問いかけに、ウルクナルは待っていましたと言わんばかりに両目を輝かせて宣う。
「俺は、最強の冒険者になるんだ!」
「――! そうか、頑張れよ」
「笑わないのか?」
ウルクナルは驚いた。自分の荒唐無稽な夢を聞いて、カルロが一切嘲笑しなかったからだ。
飛び出してきた村の神父ですら、ウルクナルが最強の冒険者になるという夢を打ち明けた途端、哀れみや嘲りにも似た表情を浮き彫りにさせた。
笑われることを前提で夢を口にしたので、どんなに辛辣な言葉を浴びせられても反撃できるようにと溜め込んでいた気力が、腹の中で出口を探して暴れまわる。
「ははッ、笑わねーよ。じゃあな、ウルクナル。――ナタリア、邪魔して悪かったな」
「まったくね」
「おーコワイ。へへッ」
ウルクナルはポカンとして、フロア奥のカウンターに向かうカルロの背中を眺めた。
「ナタリア、さっきのエルフは何者?」
「……カルロ。エルフの癖に冒険者をやっている命知らずのバカです。まあ、口だけのバカと違って、実力はトートス王国でも上位の冒険者だったりするのですが」
ナタリアは溜息交じりに呟くと、手帳を胸ポケットに仕舞い、バインダーを再び抱えて用紙をペンで引っ掻く。カリカリと小気味の良い音に耳を傾けながら、カルロの背を目で追う。彼は、奥に設置されたカウンターに革袋を置き、中から琥珀色に輝く薄い氷のような物体を受け付けに差し出して、貨幣と交換している。
ナタリアも手を止めると、カルロの背を眺め、眉間に皺を寄せて呟く。
「まったく、こんな大来の真ん中でエルフが証明部位を見せびらかすなんて」
「ナタリア、あの綺麗な破片は何?」
「とある魔物の証明部位です。証明部位を商会に渡すことで褒賞金を貰い、冒険者は生計を立てています」
ナタリアは、ウルクナルの為にと説明を続けていたが、彼の耳はもう彼女の声を拾ってはいなかった。
「――本来商館一階は、証明部位を持ち込んではならないなの場所ですが、カルロは高位の冒険者であり、証明部位も非常に丁寧な洗浄が行われているようですので、規定上は問題ありません。しかし彼はエルフですから、大金を得るとなれば他者を刺激してしまいます。ですからランクに関係なく、エルフの冒険者は商館地下にある換金所に――」
ナタリアの丁寧な説明を流し聞きし、冒険者は証明部位を商館一階のカウンターに持っていく、と曲解したウルクナルは、カルロの背に一層の熱い視線を注ぐ。
(一生、俺が毎日畑を耕しても稼げない金……)
大袋一杯の何かが全て引き取られ、カウンターの上に八十枚の金貨と十数枚の色とりどりな硬貨が積み上げられる。金貨とも銀貨とも銅貨とも違う。ウルクナルは、教会のステンドガラスのように輝くそれらの硬貨が何なのか、価値も名称も一切知らなかった。カルロは大喜びするでもなく、乱雑な手付きでその大金を巾着袋の形をした財布に流し込む。
(やっぱり、ここしかない。俺には冒険者しかないんだ)
俄然やる気が増したウルクナルは、声量三割増しでナタリアに質問する。
「ナタリア、カルロみたいにモンスターを倒せば商会から金が貰えるんだろ? 近場で一番利益を出しやすい場所を教えてくれないか? それと、武器や防具の貸出とかってあったりする?」
ウルクナルの言葉を聞いたナタリアは、大多数の人間と同じように、嘲笑を浮かべた。
「あなたは、何を言っているのですか?」
「へ?」
王都トートス、城壁外部の森林。
ウルクナルが王都で働き始めて一カ月が経過した。
「…………ッ」
こみ上げる胃液を飲み込んで、それを渾身の力で引き摺り、革袋の中へと突っ込む。
それは非常に重く、力仕事が得意ではないエルフには一層酷だ。精神と肉体の双方から押し寄せる苦痛によって、この腐乱死体撤去作業は、労働というよりも最早苦役に近かった。あまりの臭気に我慢できず、遠くの草場の影で吐き散らかす同業のエルフが続出している。
ウルクナルを含め、ここには十名のエルフが居たが、その全員が職業冒険者コースを選択した愚か者達だ。
商会の基本システムの一つとして、ランク制度というものがある。労働者の能力を一目で判別できるように、ランク分けするのだ。
ランクはGランクから始まってAランク、そしてSからSSSランクまでの十段階評価。これは全て、商会側で判断判定される。商会の判定を鵜呑みにする社会。商会の、社会との絶対なる信頼関係が織りなす魔法だった。
その中でも、冒険者コース、冒険者ギルドとも呼ばれているが、ウルクナルが突き進んでいる道は少々特殊だ。
冒険者は、通常の労働者のように、商会によって職場へ派遣され、長期雇用される存在ではなく。商会が冒険者にクエストという名の仕事を掲示する形で、個々が随時契約することになる。しかし、そのクエストも、受けるのはGやFランクなどの困窮した低ランク者まで、上に行けば行くだけ大金を手に入れ、自由になれる。城壁の外へと旅立ち、無限に広がる世界を駆けずり周り、モンスターと戦って金を稼ぐことになるのだ。
つまり、基本的に冒険者は、群には属さない一匹オオカミのフリーランス。何をするにも、法に触れない限り自由なのだ。
ただ、冒険者は自由と責任が相克していることを絶対に忘れてはいけない。
が、自由などという高なおな権利は、力有る者のみに許された特権である。帯剣すら許されない低ランクのエルフには関係のない話だ。
商会は、GやFランクの木っ端冒険者なら、困窮しても助ける価値が無いとアッサリ見捨てる。冒険者になりたい命知らずは吐いて捨てる程に居るので、低ランク冒険者が一度躓けば、それで終わりだ。いや、コロッと死ねたら、それはそれでラッキーなのかもしれない。手足を失ったら、失明したら、病気に罹ったら。多大なリスクを冒険者は常に抱えているのだ。
そんな現実を、最低階級、Gランク冒険者ウルクナルは骨の髄まで痛感させられていた。
ニュービー、新米冒険者達が吐き気を催しながら革袋に押し込めているのは、夢叶わず敗退した冒険者のなれの果て、凶暴な魔物犇めく山脈や洞窟で死ぬでもなく、平和で活気に満ちた王都トートス近くの森林で自殺した、隻腕冒険者の腐乱死体だ。死体は放置していると、ゾンビやワイトとなり魔物化するので、発見次第撤去し、高温の炎で焼却しなければならないのである。
「諦めて、堪るか」
ウルクナルは、自分の身長程の深さがある縦穴に死体袋を放り投げ、呟く。側に、青い刺繍が目を引く純白の法衣を身に纏った教会の神父が佇んでいて、七つの死者袋に鎮魂の祈りを捧げていた。
縦穴からわずかに離れた位置で、ウルクナルを含む十人のエルフは、装着していた手袋とマスクと前掛けを焚き火で燃やす。その後しばらくして、死体は赤い炎によって清められた。神父が魔力を消費して火炎を放ったのだろう。
ウルクナルは、そんな光景にうすら寒いものを感じ、足早に焼却地を離れた。
時給二百ソル。銀貨二枚。
ウルクナルは本日、五時間で四つの死体を片付け、熱心な働きを商会に認められて銀貨二枚のボーナスを貰い、計千二百ソル、銀貨十二枚を得た。
死体処理、それはエルフの冒険者のみに押しつけられる仕事の一つだ。
虐げられる者達エルフは、人間のGランク冒険者達が商会の私有するフィールドで有料の実地研修を受けている中、黙々と同業の先人達の遺体を運び続けた。
ウルクナルの神経はとうに擦り減り、眼光に先月までの輝きはない。
トートス王国に限らず、この大地に根付く根源的なシステムの一つとして、レベルという数値が存在する。これは、人間だろうがエルフだろうが樹木だろうが。生きとし生けるもの全てに、共通して定められている。
レベルが大きい程、その生物が強いことを表している。ここで言う強さとは、肉体的な能力のことだ。数値が高いと、握力や生命力などの力が増すのである。
人間とエルフは、共にレベル一の状態で生を受ける。そして人間とエルフのみが、レベルを持つ生物を殺めた場合にレベルが上昇し、低下することはない。これをレベルアップという。
――エルフが虐げられている要因の一つとして、このレベルがある。
エルフは人間と比べ、遺伝的にレベルが上がり難い体質にあるのだ。レベルとは明確に示された強さの指標。エルフに比べて容易にレベルが上がる人間が優遇され、エルフが虐げられてきたのには、肌の色という外見的な差別因子以上に、差別意識を煽るシステムが根底に潜んでいるのだ。
「あー。朝だー」
ウルクナルの朝は普段から早いが、今日は一際早く、日の出前にベッドから跳び起きた。
彼の住処は王都の北部、エルフが固まって住みつくスラム街一歩手前の――スラム街だ。あばら骨むき出しの住居や、柱が朽ち果てぺちゃっと潰れた家もある。どう言い繕ってもスラム街に他ならない。
粗末な住居が密集するスラム街でも、ウルクナルの住処は恵まれていた。乾パンのようだが布団もあるし、隙間風は冷たいが雨を防げる壁と屋根がある。仕事による収入も少なからずあるので、王都に住む低所得エルフの中ではマシな部類だ。
ウルクナルとしては、雨を凌げて、金を出せば食べ物が腹いっぱい食べられるので、現在の生活に満足はしていないものの、我慢できない状況ではなかった。村に居た時よりも裕福なのは事実だからである。
買い溜めしてある乾パンに、塩気の足りない干し肉を乗せて齧り、空きっ腹を埋め。ボサボサの寝癖を直しもせずに、部屋を出た。近くの公共の井戸で水を汲み、顔を洗って水を飲む。支度を終えたウルクナルは、日の出前の薄暗い王都の街を、西城門を目指して走った。
ウルクナルが早起きしたのには理由がある。今日は三日に一度の、Bランク冒険者カルロによる模擬戦闘訓練の日だからだ。
「遅いぞ、ウルクナル」
「……カルロが早すぎるんだって」
「うるせー、お前の為にと、一時間前に行動してやっているんだよ」
「カルロ、酒臭い。夜明け前から飲むなよ」
王都西の城門の側に、開けた土地がある。そこは商会が私有し、公共に解放している広場だ。そこに、ラフな普段着に袖を通したカルロがベンチに腰を下ろしていた。ついでに、酒の匂いも纏っている。
ウルクナルはそんなカルロに眉をひそめる。
「よーし、柔軟体操!」
カルロはベンチに座ったまま酒瓶を口に付け、ウルクナルを顎で指示する。
「…………」
腑に落ちないウルクナルだったが、稽古も時間もタダではない。文句を言う前に、地べたに腰を下ろして寝起き直後の凝り固まった身体を解す。彼の善意によってBランク冒険者の稽古を一回三百ソル、銀貨三枚で受けられるのだ。文句を言っている暇などない。
五十ソルもあれば、どこかの安い飯屋で満腹になるまで食事できるが、惜しくはない。決して、惜しくはないのだ。
「終わった」
身体が温まり額に汗が滲む。ウルクナルは体操を終えた。
「始めるか、ほらよ」
カルロは立ち上がると、ウルクナルに何やら袋を投げ渡す。
「……! これって」
「おう、手に取ってみろ」
袋はずっしりと重く、金属の打ち合わされる澄んだ高音が鳴っている。ウルクナルは焦る心を抑えて袋を開くと手を突っ込む。冷たくゴツゴツとした手触り。袋から出したそれは、金属パーツの縫い付けられた黒色の上等なグローブだった。
「おお!」
ウルクナルは目をキラキラさせてグローブを撫でる。そんな彼の好調な反応に気を良くしたカルロは、頬を緩ませてグローブの説明を行う。
「エルトシル帝国っていう国の、北東部の山脈に生息するワイバーンの翼膜で仕立てたグローブだ。耐刃性に優れ、耐久性も抜群。金属パーツは唯の鉄だが、金が溜まったら。ワイバーンの鱗を鋳溶かした魔物鉄でも、ビッグアントクイーンの甲殻でも、好きなパーツに取り換えてくれ。そうすれば、お前がBランクの冒険者になるまでは問題無く使い続けられるだろう」
「カルロ、ありがとう……!」
「おう、一カ月冒険者を続けられたら何か買ってやるって約束だったからな。お前はGランク冒険者の半数を諦めさせる一カ月の壁を乗り越えた。商会でもお前の評判はすこぶる良い。嫌な顔一つせずに、他人の嫌がる仕事を率先して行う。口で言っても中々実行できないことばかりだ」
一切憚らず、最強の冒険者になると宣言した不遜なエルフがいるらしい。そんな風に、ウルクナルは商会に属する冒険者の間でわずかながら有名になっていた。もっとも、名声を得て彼の名が売れている訳ではなく、あのエルフがいつまであの苦役を耐えられるか? そんな賭け事の対象にされているだけであったが。
その賭け事で、一カ月経っても冒険者を辞めないに賭けていたカルロが大勝し、一儲けしたことをウルクナルは知らない。
「さあ装備しろ、稽古を始めるぞ」
訓練用の木剣を握りカルロが構えたので、ウルクナルは慌ててグローブに手を通す。
「全然違う」
普段使っている銀貨五枚の安物とは比べ物にならない丈夫さ、新品なのに十年来使い込んだ愛用品のフィット感。まるで、身体の一部になったかのような感触にウルクナルのテンションは否応なく高まる。
「おら、ぼさっとすんな!」
「――!」
唐突なカルロの鋭い打ち込み。ウルクナルはそれを右腕で受け止めた。
グローブは、手の甲に装着された金属の板が手首までカバーしていて、一種の籠手になっている。金属板の上で木剣を滑らせ、ウルクナルは距離を取った。
「これ、凄い。全然痛くない!」
いきなり打ち込んで来たことに対する文句よりも、カルロから貰ったグローブの性能に驚愕するウルクナル。木剣だが、カルロの打ち込みを腕に受けても、衝撃が殆ど吸収され痛みは皆無。振動が腕を包み、微かに痺れる程度だ。
「やっぱり、反射神経と身のこなしだけは一級だよな。本当にその体捌きは自前のものなのか?」
「そうだよ」
「……だよな、話を聞く限りじゃ、お前の村って極貧みたいだし。エルフに体術教える酔狂なんて、居るわけがないし」
カルロは木剣で肩を叩きながら、ブツブツと呟く。彼は、第一刀を打ち込んだ後、毎回こうやってブツブツ言いながら考え込むのだ。これが彼の癖なのだろうと、ウルクナルは深く気にしてはいなかったが、訓練時間が減るのは迷惑だ。
「カルロ! 次!」
「分かったよ!」
この訓練を開始したのは、ウルクナルが、商会で労働者登録を行った二週間後だった。死体処理や臭くて不衛生な下水道掃除という、思い描いていた冒険者の姿とは似ても似つかない非情な現実に早くも押し潰されそうになっていたウルクナルに、カルロが声を掛け提案したのである。
カルロ愛用の得物が剣なので、手始めに剣をウルクナルに握らせてみたが、才能がないと一蹴されてしまう。槍や斧、ハンマーにと。様々な近接武器を握らせたが、ウルクナルの武器の扱いに関する才能は不毛の大地。才能の一切が存在していなかった。
訓練を投げ出したくなったカルロであったが、嫌々手合わせをしている内に、ウルクナルはフットワークが軽く、反射神経も鋭敏なことに気付く。速度を生かした身軽な装備で、敵を撹乱し戦闘をアシスト、攻撃は後方から弓。そんなスタイルに育成できれば、実戦でも役に立つのではと考えていたカルロだったが、ウルクナルには弓の才能もなかった。
半ば捨て鉢になったカルロは、筋力の乏しいエルフが最も不得手とされる超近接戦闘の格闘を試してみたところ。驚いたことに、ウルクナルは天賦の才を持っていたのだ。
ウルクナルは、訓練を重ねる毎にメキメキと頭角を表し、訓練を始めてわずか二週間で、Bランク冒険者カルロが放つ、上段からの切り下ろしを難無く防いでいた。
その都度カルロが、小難しい顔をして呟くのは、自分の剣が鈍ったのか、それともウルクナルに才があるのか判断しかねていたからである。嫉妬にも似た劣情が邪魔して、彼の才能を認めたくなかったのが本音だ。
本日の訓練でも、ウルクナルの体捌きは一段階成長し、レベル一のままなのにも関わらず、木剣所持ではあるが、Bクラス冒険者のカルロと十分渡り合えていた。
「――避けろよ、はッあッ!」
カルロの高速で振り抜かれた剣が、残像によってあたかも三本に分裂したかのように捉えられるが、ウルクナルは焦らずに対処する。
剣を振り抜く反対側へ半歩飛び、カルロの側面を取ったウルクナルは、胴を目掛けて拳を放つ。――が、Bランク冒険者は伊達ではない。脊髄反射の限界を超える速度で腕に命令を下し、持ち前の筋力で振り抜こうとする慣性を捩じ伏せた。
脇腹に迫る拳を避けつつ、木剣を振るう。一文字に空間を薙ぎ払い、その斬撃はウルクナルの腹へと吸い込まれるかに思われたが、――しかし。
ウルクナルは剣の間合い、キルゾーンから間一髪バックステップで離脱する。剣先が服に触れ、靡く。
苛烈な攻防から数秒、両者は距離を取ったまま固まったが、その睨み合いは三秒で崩れ、再び斬撃と打撃の応酬が繰り広げられる。最早、殺し合いに等しい両者の攻防は、一切途切れることなく延々と続けられた。
日が山脈の合間から顔を出し、陽光が王都に満ちてきている。起床した住人も多くなり、周囲では日常の喧騒が取り戻されつつあった。
「今日はこのくらいだな」
木剣を下ろしたカルロが稽古の終了を告げると、ウルクナルは緊張を吐きだす。
「ふー。ありがとうございました」
「おう」
緩い笑顔を作るカルロだったが、それは酒の助けによるものだ。素面だったなら、ウルクナルの成長速度に絶句して、憎しみと悔しさで顔をグチャグチャにしていたかもしれない。
ウルクナルとの訓練には、強い酒が欠かせなかった。
では何故、そんな辛い思いをしてまでウルクナルの訓練を引き受けているのかと言えば、彼の冒険者としての将来が楽しみで仕方がないからだし、下心もあるからだ。
このまま順調に成長していけば、ウルクナルは冒険者として必ず大成する。
Bランクなんて目ではない。
もしかすれば、アルカディア二千年の歴史上、未だに一度も成し遂げられていない、エルフ単独によるドラゴン討伐を彼は成し遂げてしまうかもしれないのだ。そうなれば、ウルクナルの名前はアルカディアの歴史に深く刻まれる。そして、ウルクナルの恩師であるカルロの名前もまた歴史に刻まれるだろう。
「ウルクナル、今日は何の仕事を取るんだ?」
「下水掃除、……はー」
「はは、頑張れ」
歴史に名を残す。カルロが生涯を掛け、命を賭して目標としている事柄だ。
エルフは人間よりも遥かに長命だ。だが、現在二百歳を迎えたカルロのレベルは、ここ三年で一すら上がっていなかった。昔に比べてモンスターと戦う時間が減ったのも原因の一つだろうが、この上がり難さは異常だ。エルフの二百歳は人間の二十代後半に相当するが、焦らずにはいられない。
まるで神が、エルフの成長を阻んでいるかの如き所業に、信じてもいない神への深い怒りを湛えたこともある。
そこに来ての、天才ウルクナルの出現だ。
同族から英雄が生まれるかもしれないという誇らしさと同時に、何故自分が英雄になれないのかという悔しさ。近頃のカルロは、年甲斐もなく焦っていた。