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S3フラワーズ  作者: 青井けい
第一章 何でもありな何でも屋
8/48

8.  クマさんのいる水曜日

「下痢気味なんだ。もう耐えられない」


 ゆきが声をかけると、アンビスこと武彦――そんなようなニックネームらしい――は謎めいた告白をした。教室の空気が一層冷えた。

 クラスメートが彼の欠乏したギャグセンスを理解するには、迷宮入りの事件を解決する程度の努力が必要だろう。

 潜入捜査をするなら、せっかくなので知り合いのいる校舎を選んでみたのだが。当の武彦は恋人との逢瀬を見つかったみたいにあたふたしている。

 思わず苦笑した。


「あのー、近くの人、戸を開けてください。鍵がかかってるんです」

「……!」

「朝は換気をした方がいいですよー。ほれほれ」

 ゆきは豪放ごうほうを貫く。性格が悪い? 違う。


『――学生よ。人とは生まれながらのやすりか、あるいは平ぺったい皮膚に不可視の鮫肌を持っています。このざらついた鮫肌社会で、他人と肌を密着させて生きるには、相手が嫌になるくらい自分の心を硬くするしかありません。

 わたしもそうしました。大人は辛く厳しい心的強化訓練を乗りこえたからこそ、誰もが図太く見えてしまいがちなのです。ぜひ許しなさい』


(なーんて、どうだろう。格言っぽくないかな、この言い訳)

「おぅーい、誰か開けてくださいよぅ」


 武彦が小走りに駆け寄ってきた。

 ガラス戸ごしに待てども、開けてくれない。


「明らかな校則違反だ!」彼はいきなり叫んだ。

 校則違反。久しぶりに聞く言葉に、しばし呆気にとられた。

「なんてクソ真面目なんでしょうか。これは風変わりな転校生のサプライズですよ、ドッキリ大成功ってね?」

「そういう意味じゃない!」

 武彦はがんとしてゆずらない。

「校則違反だ……!」

「すみません。ドッキリは失敗ですね。で、まずはここを開けてくれませんか? これじゃ動物園の檻にいるみたいで居心地悪いですよぉ」


 試しに出した猫なで声を聞くと、生徒たちは一様に立ち上がった。

 お、と期待したのもむなしく、見事な団結力で教室の隅へ退避する。全員でドン引きを表現しているわけだ。


(陰口のなさそうなクラスだな!)


「とにかく下に降りて、どっか行け。二階まで跳んできたんだから降りるのもできるんだろ?早く行けよ! 面倒なことになる!」

「ええと。扉から入った方が、転校生としてウケがいいとおっしゃりたい?」

「アホォ! お前、何も調べなかったのか!?」

「はい」


 聞くが早いか首肯を返す。

 転校の手続きすら、ゆきはしていない。面倒だったのが一番の理由だ。持ち前の話術でなんとかなると高をくくったのは、少々考えが足りなかったか?

 ああもう、とうめく武彦。校則違反くらいで大げさだ。ゆきが学生だった頃は、授業中に携帯ゲーム機を持ち出して、縦55ミリ×幅95ミリの枠の中で銃撃戦を繰り広げたものなのに。


「転校できる雰囲気じゃないし、シャルルちゃんの方に行こうかなぁ」

「だからアホか! 行けってば! 見つからないうちに!」


 見つからないうちに? 誰に? 

(怖い先生なのかな)


 ゆきにはわからなかった。クエスチョンマークにこれほど親しみを感じたこともない。居ても立ってもいられずに、武彦は戸を開けた。

 その時だった。

 息をのむ間に肌があわ立った。その理由は、生徒たちが自分の後ろを見て目を見開いたからでも、武彦が表情を引きつらせたから、でもない。

 知らずゆきは、肉食獣に目を付けられた獲物と自分とを重ねていた。

 後退した背が柔らかな肉感に押され、獣の体温を感じとる。


「っは、第二級校則違反者が、よもや女子とはのう」


 熊だ。

 ゆきの後ろに、二足歩行の熊が立っている。


「ぎょにゃああああぁああア――!!」


 人は恐怖を目前にすると、ついうっかり悲鳴を忘れ、ただ短く息をのむ。

 この事実は、デートで彼女とお化け屋敷に入ったときは忘れてもいい。

 が、ゆきには見逃せない点だった。

 ゆきは悲鳴をあげた。つまり、すかさず熊の剛腕に両腕をからめ、背負い投げの要領で投げ飛ばすくらいには、余裕があることを意味している。

 ゆきの場合は、だが。

 背負い投げをさせたのは自衛本能だ。

 熊はハチミツを主食にしているようには見えなかったし、観察してから判断する暇もなかった。動物愛護団体が出張ってくるべきじゃないはずだ。

 女の子でも幻界種なら力持ち。

 腕の力に引っ張られて熊の巨体が浮き上がり、


「ふんぬ!」


 ぴたり、と止まった。見上げるとベランダの屋根に、熊の伸びた爪がつき立っている。どんと巨体が降り立った。

 今度はゆきの身体が浮き上がる。教室へのダイブ。


「うげぉ!」


 女の口から出たとは思えない悲鳴を上げ、教室の床につっ伏していた。

 容赦のない扱いだ。収集車に放り込まれる、ごみ袋の気持ちがわかるくらいには。


「朝から熱烈な歓迎じゃあのうッ! なぁ茂来ィ?」

 普通に喋っている。ということは迷い熊ではないのだ。幻界種か。

「わしゃあ威勢のええ女子には目がなくてのう! このまま持ち帰っちまおうかのう、がっはははははははは!」


 おっさんくさい哄笑。誰なのかは知らないが、間違いない。熊は番長だろう。ひと目で見ただけで断言できるほど、身なりで『番長』を主張している。

 校章のついた学帽を目深にかぶり、着崩したつめ襟の学生服は朝風を受け、今にはためき出しそうな霊力が感ぜられる。そして土足である。


「ピードゥ。お前どこから」

「上のベランダから普通に降りて来ただけじゃろうが! ええか。階段なんてぇもんはよォ!ありゃあ、足腰の弱え年寄りのために造られたもんに違ェねえのよお!」

「違いありすぎるだろ」

「これぞ本物のザ・エレベーターってのう! くふふ、おうコラ笑わんかァ!」

「あははー、おもしろーい! では、あのー、わたしはこれで失礼させてもらいますねー」


 がし。

 そこはきっちり腕をつかんで引き留められる。熊の手でどんな風に腕をつかまれているかは、見る気にならなかった。


「茂来よう、お前さんも隅におけんもんだなぁ」 

「何?」

「惚れた女をかばいたいっちゅう気持ちも、わかるがのう」

「え……? いや、いやや違う! そいつは不審者だ! 僕の部屋に不法……」

「照れるな照れるな!」熊は肩を揺すって大笑した。「が、規則は規則じゃ。危険行為、英雄長以外の制服着用義務の放棄、土足での入室等。目をつむって済ますには、ちと多いのう」

「よしそいつは諦める」

「ちょっとぉ!? ダークヒーローでもそんなに冷めてないですよ!」

「で、でもさ、やっぱり僕にも連帯責任がきちゃう感じ、かな?」

「ああ! なんか納得した!」

 熊は不服そうだ。学生服のポケットに荒っぽく腕をつっこむ。


「ええか茂来。確かに、わしらは正義と悪に分かれて競い合っておる。だが同時に、こうして机をならべ、同じ釜の飯を食い、勉学に励むこともできるではないか! おのが属する組織と、おのが友との関係をへだて、また繋げるものが何か、お前さんにわかるか?」

「期末試験だ」

「わかります! わたしもみんなのノートを買い集めて……」

「個人の分別だッ!! 根幹の観念で物を考えろ。未来学学園とはすなわち、英雄も悪党も等しく通う教育の場に他ならない! わしらが心血をそそぐ正悪闘争といえども、学園側のルールに背くことはないのだ! しかるに学園を保つための校則とはッ、正義だ悪だァそれ以前にッ、人が人として存在する上での――訓戒であるッ! これを著しく乱すやからは教育放棄者と見なし、厳しい罰を与えねばならん!!」


「えー」と、ゆき。

 アホみたいに長い台詞によれば、ゆきは裁かれるべき立場にあるとのこと。

「英雄長V‐Ⅰのわしが指揮せずとも、いやしくも人文学科を先行しておるのだ。在校生は、すべからく人としての分別を持つべきじゃ。お前さんとて例外じゃあないぞ。女子と関係があるのなら、立場に相応しい責任を負ってもらわねば」


 責任は武彦にまで飛び火してしまう。

 いくらゆきでも、学生の足を引っ張るのは気が引けた。


「すみませぇん! こいつ、態度がなってねえもんでして、ほら、コミュニケーションが下手くそなやつっているでしょう? こいつもその口なんですよぉ、へへへ、多分、その女とも全く無関係だと……」

「態度がでか過ぎやしないか?」

 間に割り込んだ軽薄そうな男(割り込んだ時点で軽薄ではないが)を肩で押しのけて、武彦が言った。


「うおぉい!? やめろって、茂来。罰則くらいは受けとけ!」

「そういう問題じゃない! 悪いが殿田は黙っててくれ。これは僕たち英研の問題だ」

 ピードゥをにらむ武彦の瞳は、激しい怒りに揺れていた。

「僕たちは仲間だ……って、勝手に思っていたんだけどね。勝手な思い違いだったのかな。なあ、お前のいう分別ってのは、かたくなに感情を無視し続けることか? お互いの立場ってのも考慮に入れるべきだと思うぞ、ピードゥ」

「あえて考慮に入れていないと言ったら……どうじゃ」

「なんだと」

「お前さん、自分で言うとる通り、思い違いをしとるじゃろう。となりで黙々と役目をこなすだけの男を、わしは仲間とは呼ばん。たとえ熊でも呼ばんのだ」

「何を、じゃあっ! どうすればいいんだよ……! 僕は……っ」

「かっはっは、気に食わなそうな面だなぁ。だったらどうする? わしとるか?」

「な、何を、お前……っ!」

「舌先三寸。言葉の先で女々しく突き合ったところで、得られるもんはないわい。そっぽを向いた相手を振り向かせたいというなら、使うのはこれじゃろう」

 掲げられたのは、にくきゅう。……ではなく、拳。


「拳は肉体言語とも呼ばれる。全世界共通の言語じゃア。もしお前さんがわしに勝てれば、今回の件は水に流してやってもええぞ。どうじゃ? ……もっとも、わしが腰抜けの総英雄長殿に負けることにはならんじゃろうがなァ。がっはははははは!」

「……っ」


 バチチッ、と閃光がほとばしる。武彦の髪から火花が散っていた。幻界種の『特別特異特性』の一端だ。シャルルから聞くところによると、鳴神狐なるかみこの雷電能力。


(アンビスの能力の説明は置いておいて)

 素早く挙手をして、ゆきは言った。


「――あのう。それ、わたしじゃ駄目ですか?」


「ああン?」うっとうしそうに睨みつけられる。

 男同士の果し合いに水をさしたわけだ。しかし、重要なことだ。

「ピードゥさんは自分に勝てれば、この件は水に流すと言いましたけども。ええっと、あれって、別にアンビスじゃなくて、わたしがやってもいいんですよね?」

「「……」」

 中途半端はいけない。消防車の放水ばりに水をさし続ける。

「何を言い出すかと思えば! 威勢がいいにもほどがあらぁな! ああこの際、誰でも構わんわ! わしを倒せると言うんならこの胸にッ、どーんとかかってこんかいッ!!」

「本当にいいんですよね?」 

「くどい!」


 熊はまたポケットに手を入れ、傲然と胸をそびやかした。

 正対すると、ゆきの目線の位置に張り出した胸板がくる。高身長の男性というのは多くの女性を魅了するが、ピードゥに限ってはそれほど魅力的には映らなかった。大きすぎて、視界の外にはみ出している。


「がおんと咆える熊といえども、わしは男の中の男を自負しておる! 二言はないわい! お前さんも一緒にやってみるがええ!」

「はい。では……お構いなくぅー」


 にっこり微笑むゆき。そして――ぶん殴る。

 次の瞬間には、目の前にピードゥは立っていなかった。正拳突きが巨体をふき飛ばし、教室奥のロッカーにめり込ませていたからだ。



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