7. ともだち
翌日。
登校して教室で席につくなり、腹の奥がぎゅっと蠕動し、憂うつが気化したような重々しさが喉を通過していった。
どっとため息が漏れた。運悪くそのタイミングは、前の席の友人が武彦にあいさつするのと、かぶってしまった。
「おやまぁ、陰気な半眼にやつれた面して? 朝から物憂げにため息ついちゃう、ね。まるでエロゲーの主人公みたいなやつだな。こりゃあ転校生でも来るかな?」
「わけがわからん」
おざなりに言い捨てても、殿田ツトムルはニヤつくのをやめない。
彼は武彦と同じく人文学科の学友で、性格が悪い。
間違えた。皮肉しか言えないように舌が設計されているだけで、根は良いやつである。
ツトムルという名前が体現する通り、彼は何においても、とにかく少数派のものを好むシニカルセンスを保有している。
風変わりな名前は、両親に人間と幻界種を持ったおかげであって、つまるところ種族における姓名の傾向をかけ合わせた結果だ。
今どき種族違いのハーフは珍しくもない。
「一限目の古文の要約、やってきた?」
あ、と声を上げるかわりに、またため息をついた。
「そういえばやってないな。しまった。つい忘れてたよ」
「マジかよ! 俺は誰にノートを見せてもらえばいいのさ!? このサボり魔が!」
「疲れてたんだよ」
お前は気楽そうでいいな、と言いそうになって思い直し、武彦は三度目のため息。
減るものでもなし。ため息はいくらでもつける。しかし、それで憂いが身体から出て行くかといえば、全くそうではないのが辛い。
「俺だって昨日は大変だったんだぜ」
大変だったという割には、さも自慢げに言う殿田である。
「何かあったのか」
「あったとも」殿田はにっと笑み、「生れて初めて雷を浴びたんだ」
「ぬ」
話を聞くとこうだ。
殿田がゲームセンターで、格闘ゲームをきっかけにリアルファイトを始めようとしていたとき、彼の属する〝チーム〟から招集がかかった。
連絡は学園専用のSNSを介したミニメールで、本人いわく非常に軽率な行動により、メールは既読状態になってしまった。
ならば悪の縦社会で、上からの指示を無視するわけにはいかない。
センスのよろしくない制服を着て待ち合わせ場所に向かうと、工場の屋根に登らされた。
五分後に『英雄長』の面々が工場へ入って行くのを見たが、それに対するアクションは禁じられた。さらに十分後、総英雄長に追われたロブスタン軍曹が合流。そこからは場の流れで。
殿田ツトムルは、悪研の下級戦闘員だった。
「受け身の練習はしてるんだけどよぉ、感電させられるとは思わねーじゃん? 普通」
「そ、そうだよな。ごめん」
「ばっか! なんで茂来が謝るんだよ!」
武彦には感電させた心当たりと、罪悪感があるからだ。
幻界種と人間のハーフとはいえ、殿田は幻界種の親から『特別特異特性』を受け継いでいない。つまり、種族としてはまっとうな人間に当たる。電撃を受けるのは苦痛だったろう。
心労をおもんぱかり、自己嫌悪でしょぼくれた武彦に、殿田は逆に戸惑ったようだ。
「元気ねえなぁ。もしかして」殿田は目を細めた。「下痢か?」
「いいや」
「恋わずらい、とか?」
「言い回しが微妙に古いぞ。当然違う」
「だったら元気出せっての! お前はアレか、もやしか! ビニールハウス出身の!」
「やかましい。ハウス栽培をなめるな」
「知ってるかぁ? 古今東西どこでもだよ。鍋パーティーを開くとよぉ、いるんだよなぁ。狂ったようにもやしを入れて、味を薄めちまうもやしっ子がよォ!」
「古典に〝鍋パーティー〟の記述はない」
「つまんねーツッコミすんなよー! なはは!」
全く。前の席に座らせておくと、うっとうしくて敵わない。こんな男でも悪研では「イー!」と叫ぶことしか許されないのだから、おかしな話である。
ホームルームも間近になり、次に嘆息したのは殿田の方だった。
「でもさぁ、ほんと誰なんだろうなぁ」
「もやしっ子の話か?」と、武彦。
殿田は鼻を鳴らし、言下に否定した。
もやし談義には飽きてしまったよう。
「新しい総英雄長のことだよ。ほら、アンビス・ペロリストってヤバいやつ」
「それは確かにヤバいが……、彼の通り名はアビス・テンペストだったと思う」
「そうそれ。茂来は英研だったよな、あいつが誰だか知ってる?」
苦笑した。それから、首を横に振る。
「さっぱり」
「あいつさぁ、なんで顔を隠すんだろうな。しみったれた仮面でさ。他の英雄長もちぃっと態度が悪いしぃ?」
「うん。僕もそう思うよ」
「うちのチームじゃあいつの評判は良くないぜ。俺としても、前の総英雄長のが良かったな、やっぱヒーローならスッキリしてて欲しいってかぁ。最近の英雄業界じゃ、ミステリアスなのが流行ってんのかね」
「どうだか。実は自信がないだけかもな」
「ロブスタンは絶賛してたけど、だぁーめだ、俺は納得いかん。張り合いがねぇもの」
「へえ」
(ロブスタン。やっぱりあいつは良いやつだ!)
と、再度ロブスタンに感銘を受けたところで、友人から悪しざまに評されたもやもやは晴れなかった。
本当に、おかしなものだ。
全寮制未来学園VVでは、未来の社会をになう人材を育成する。
そのために採用されたのは、伸びやかな学習方針とは正反対。両極をなす組織を競い合わせ、実戦で力をつけさせる教育プログラムである。
設定されたのは、学生にはたいてい略されるか、読み飛ばされる『悪行秘密結社・研究会』と、『無敵英雄研究会』の二つの派閥。
未来学園は高校でありながら専攻学科が存在し、広大な学内には人文学科、経営学科、工業学科、法律学科ごとに四つの校舎が存在している。
英研の場合は、各学科の代表者たる『英雄長』がトップ4に据えられ、さらに全学科を代表する『総英雄長』がこれを率いる。
英雄長の任命には実力以上に、前任者の意向が尊重されやすい。
対して悪研は学科を問わず、複数のチーム分けで所属部隊を決め、働きによって――下級戦闘員は別として――幹部に昇格するシステムだ。
両派閥の生徒たちは学園側が課すルールの下、『正悪決戦』の指定日にて、ランク別に対応するチーム戦を行うこととなる。
(なんだかな)
順当に行くと、武彦は英研の最高責任者になるのだが。実感がない。
というのも、前の『総英雄長』から投げやりな指名を受けただけなのだ。
平社員だったのが、一足飛びでオーナーになった感じ。
それでも武彦は精一杯やっているつもりだった。足りないと言うのなら、ぜひとも良いやり方を教えて欲しいくらいには。
「……茂来?」
「いいや、なんでもない。ちょっと腹が痛くって」
「やっぱ下痢かよ。意地張ってないでトイレ行けよ。別に恥ずかしくねーから」
殿田が鈍感で良かったのか、悪かったのか。微妙なところだ。
「こっちからも聞いておきたいんだけどさ」
「うん?」
さりげなさを装おうとして上手くいかず、妙に抑揚のない声になる。
「お前のとこに、水上ゆきって名前の女幹部がいないか?」
「んん。水上ゆきぃ?」
殿田の反応は、『見ず知らずの名を問われた反応』に見えた。
まんまである。武彦は、それが本当に彼女を知らないがための反応なのか、あるいは末端の戦闘員にまで及ぶ守秘義務なのか探ろうとした。
「知ってるかい? 隠さなくてもいいよ、どうせ僕とお前の仲じゃないか」
「さあ? 聞いたことねえ名前だけど」
「そうやってごまかせと、幹部たちから釘を刺されているんだな?」
「あのなー。悪研でも、中二病への対処の仕方なんて教わらねえよ」
「ふむ」
半眼で睨めつけてわかったことは、気味悪がられているという事実だけ。
「ならいいや。僕の早とちりだったよ、ごめん」
「あ、いや俺も言い方が悪かったわ。お前マジに疲れてんだなぁ……」
「やめろ」
友の憐憫から逃げた視線は、教室を横断して窓の外へ向いた。
綺麗な青空が広がっている。
見ていると、綿あめのような雲がたなびく下を数羽の鳥たちが飛んで行った。
ほぅと息を付く。今度は鬱屈ではなく、いくらかの安堵が胸にしみた。
人の営みの外へ目を逃せば、安らぎの景色はどこにでも広がっている。……逆に。
「かわりの情報っちゃなんだけど」
殿田はいかにも「悪だくみをしています」という、顔つきになる。
「ここだけの話、うちの対英雄長用の最終兵器は、とっくに起動状態に」
「……っ、………!?」
逆に。
人と、そして幻界種の世界を見返せば、そこにはいつでも頭痛の種が植わっている。どっかりと。ところ構わず根を下ろし、いくら引っこ抜いてもきりがない。
武彦が目を下ろした先。校庭には例の女がいた。
空よりも蒼い瞳と視線がまじわると、水上ゆきは笑顔で手を振った。
(かわいい)
つい思ってしまった自分を恥じる間もなく、ゆきは跳躍。
「っとと、やあアンビスくんっ! おっはようございまぁす!!」
ベランダの縁で仁王立ちしつつ、ゆきは気持ちの良い挨拶をした。
臙脂のジャージに、失われた時代を感じさせるブルマ、そしてなんら物怖じのないドヤ顔。
校庭から二階のベランダまで、ひとっ跳びだ。
せめて下駄箱くらいは通って欲しかった。
「あ、あいつ、アンビスって。今お前のこと」
「トイレに行ってくる」言って、席を立った。「下痢気味なんだ。もう耐えられない」
クラス中の注視を集める中、ひどい告白となった。