11. 軍曹の出張カウンセリング②
ロブスタンの喝を受けたシャルル...
ロブスタンは顎を引き上げ、話を続ける。
「一年前のあの時。同じ状況で、お前の兄貴はこともあろうに尻尾を巻いて逃げやがった。俺は時たまゲームセンターに顔を覗かせる以外で、何もしてやれなかった」
感情の起伏に欠け、あくまでも無感動な物言い。
鈍い女を自認するシャルルでも、更地のように平淡な言葉の連なりに、彼が是が非でも隠しておきたい『何か』が埋もれているとわかる。するとふいに、その『何か』を掘り出してみたくなった。
泣きっ面を上げ、ロブスタンの横顔を窺う。
「だが今度は違う。俺はたとえ憎まれてでも、お前にあるべき正義を完遂させてやる」
「…………」
ロブスタンは落ちゆく太陽を睨んでいる。
への字に曲げた口は固く結ばれ、暮色を映した褐色の瞳も微動だにしない。辛酸をなめた直後のようなよろしくない顔で、彼は鋼鉄製の像となり果てている。
シャルルはそこにまた、『何か』を幻視した。
硬く膠着した頬をほぐそうとしたのか、『何か』をすくおうとしたのかは定かではない。
やおら指をさし向け、ロブスタンの目元をそっとなぞっていた。
指は、何もすくわなかった。ロブスタンは笑み、「余計なお世話だ」と吐き捨てた。
のんびりし過ぎたらしい。ロブスタンが言った通り、というには少々語弊があるものの、概ねではほぼ同じ事件が発生した。
背後で激震が襲った。
何かと思えば、忠告通りの、熊。
学生服を着ているおかげで辛うじて野熊でない――オシャレな野熊かもしれないけど――とわかるものの、人が取り決めた程度の定義は超越して、見た目は露骨に熊だった。
兄の仲間で、五人いる英雄長の一人。ピードゥ・サムド。
「がぁああ! おどれら! 好きィ放題やらかしおってからにッ!!」
ピードゥはシャルルたちの真後ろで、分厚い胸板をそびやかした。
自慢の一張羅はボロボロに擦り切れていて、靴も両方とも脱げてしまっていた。
「あーららぁ? シャルルちゃんじゃなあい? こんにちわぁー」
そこへ。陽気な挨拶と共に、誰かが土手先から下りてくる。
ぐるる、とピードゥが野性的に唸った。
それもそのはず。雑多な形態を持つ幻界種でも、ピードゥを見れば苦労せずに熊を想起できる。が、その点、彼女に限っては原型すらも想像がつかない。
降りてきた一人、ダークスーツで身を包んだ大男は、寡黙にも見える厳しい面立ちだ。
右目の上には、どこぞのヤクザめいた傷跡が刻まれている。背にした亀の甲羅のような装備からは鞭状の太い水流を伸ばし、宙に留めていた。
そして、問題は片割れの女。
たっぷりとしたアサギ色の髪をなでつけながら、彼女は男の留めた水の鞭に乗り、純白のフリルドレスに浮き輪をつけた姿で、微笑みをまき散らしている。
親しみを出す気はさらさらないらしく、冷笑に類する笑みだ。
彼女は優艶と足を組み、しなった水の上からこちらを見下ろしている。
腕まくりした右腕は滑らかな鱗に覆われ、前腕部からは、扇状の魚の鰭のようなものが揺らめいていた。彩度の高い赤茶と白の縞模様が、鰭を一種の美として際立たせている。
記憶の中で、水上ゆきが「幻界種は異星人じゃありませんよ」と嘯いた。
「急に襲ってきおって! 貴様ら、野蛮極まる土人じゃあ!」
「喧嘩両成敗。それだけのことだろう」
「そうよぉ。これってさ、決戦指定日でもないのに喧嘩を始めた怪人と、英雄長、ロブスタン軍曹とピードゥ・サムドをー、それに寂しそうなシャルルちゃんも含めてあげてぇ、仲良く仲裁するだけじゃなぁい?」
女は片足を伸ばし、つま先につっかけたミュールをぶらぶらと揺らす。
「っち」ロブスタンは舌打ちした。
「お、こ、ら、な、い、の。はぁいよく聞いてぇん! 両者をいさめて名を上げるのは?」
「悪行秘密結社・研究会が誇る最強の怪人コンビ」と、大男。
「私を支える彼ぇ、九頭竜のC・《コキュートス》プディングマンにー?」
「俺の腕で舞う、麗しき乙女。彼女、ザ・フリルヴァイパーこと笠蓑子ハナが……」
「よそ見をするな」ロブスタンは闖入者を無視。「まだカウンセリングは終わっていない」
「で、でも先輩……!」
彼はシャルルの顔を両手で挟み込み――ザリガニが鋏で挟むよりは丁寧に――「俺の目を見ろ」と言った。文句を言って聞いてくれる人でもなく、素直に従うしかない。
褐色の瞳を見つめ合うと、不思議と怖れが和らいでいく。
「それでいいんだ。お前はひとつだけを見続けろ。これから言うひとつだけを、だ」
「……は、い」
シャルルは頷いた。瞬きも忘れる。
彼の瞳の向こう側には、『何か』があった。
「お前が何をしたいのか。そいつを教えてやることはできん。代わりに、事実を教えよう。お前が入った組織は、間違いようもなくクソな悪行秘密結社・研究会だ」
「……」
シャルルは頷く。
瞳の向こうで、乱暴な口調の裏に埋没した、真摯な『何か』が見え隠れしていた。
(後、もう少しで……)
「心外にも貶されてしまったのなら、取るべき行為はただひとつ。シンプルイズザベスト! 簡潔な悪役論で完結しているんだよ! 悲しい、怖い、辛いって? はんッ! さあシャルル。これがお待ちかねで、とっておきのひとつだ――っだったらどうした!!」
「……っ!」
「こらこらぁ、あはははー?」
瞬間、大男の繰る水の鞭がぐんと伸びた。
ウォータースライダーの如く空間を滑った笠蓑子ハナが迫り、大振りに右腕を薙ぐ。
扇状の鰭が三つに。即座に造られた鰭の鉤爪が、ベンチの半分を抉り取る。
シャルルは地面に投げ出されていた。ロブスタンが上から覆いかぶさっている。
「おぉおおおぅい!? 無視してんじゃねえよぉ! 見なよぉ、私の美しい鰭は、神経毒を」
「いいかシャルル、終わったというのなら、今、もう一度始めろ」
「な!? こ、こここいつぅ! まぁあた無視してぇ!」
ロブスタンは動じない。それに、きっと自分も。
「自分の気持ちに嘘をつくな、格好をつけるな。お前の果たすべき正義に従え。目障りなやつがいれば叩き潰せ! お前は、何も考えん馬鹿でいいのだ。なぜなら、お前にはそれができる! お前は馬鹿の申し子なのだから! わかったか!」
「……いえす・さー」
わかったのならカウンセリングは終わりだ、と吐き捨てたロブスタンを横にずらし、シャルルはおもむろに立ちあがった。
彼は背中に鰭攻撃を受けていた。破けた制服に血が滲んでいる。
「すぅー」
深呼吸。怒れるピードゥを、機械の甲羅を背負った大男を、浮き輪に収まった笠蓑子ハナに視線を移し、最後に真っ赤な夕焼け空を仰いだ。
日常を塞ぐ障害は依然として残っている。
心配事もたくさん。けれど、彼は言った。
だったらどうした、と。
教えられた言葉はどうしようもなく、馬鹿みたいで。
シャルルは魔法の言葉を反芻して、目の先に積み上がった心配事を再確認した。
悩みは一つ一つがやっかいで、知恵の輪のように正しい手順を置いて解かなくてはいけない。
そう思い込んでいたのだ。
実は、違うのかもしれない。端から甘くはない現実で、全てにおいて完璧な答えを望むべきではなかった。何よりしおらしく物を考えているなんて、何よりも嫌いだったはずなのに。
「どうすればいいのか、全然わからない。だから。あたしは」
これが知恵の輪だというのなら、全部まとめて引きちぎってやる。
「独りぼっちになっちゃったねぇ、シャルルちゃぁあん? どぉう? 見逃して欲し」
肺いっぱいに息を吸いこむと、当然の帰結として、吐き出す。
声も一緒に。
「んむ。む、わっあぁああああああああああああああああ!! わああああああぁあ――っ!!」
「「!?」」
「フローップ!!」
友達を放って逃げ出すわけもなく、呼ぶと、すぐさまジェットフロッパーズが飛んでくる。胸に飛び込んできたフロップの分身を受け止めて、けれどシャルルは首を振った。
「違うよう! あたしは、あたしの知ってる方のあなたを呼んだんだ!」
フロッパーズは胸の中で微震した。
「ホントにさ! あたしが間違ってた! ごめん! 後でもっとちゃんと謝るからさっ、お願い。今は手伝って! こいつらをやっつけよう、で! 先輩を病院に運ばなきゃ!」
フロッパーズを両手で挟み込み、ぐいぐい押してみる。
キィイイン。高い金属音を響かせ、フロッパーズはもぞもぞと蠢いた。
「知ってるよ。戦うのが怖いって、でもっ、構うもんか! だってあたしもいるんだ!」
「……」
「やろうフロップ!! あたしと一緒にっ!」
(やっぱり、あたしって馬鹿だ)
フロップは思っていたよりもずっと大人だった。シャルルが首を横に振った瞬間に、彼女は全てを理解し、超特急でこちらに向かっていたのだ。
黄昏の空に影を作り、空から銀の液体が降りてきた。
それは生きた金属の友達。アリスバンドが映える、液体化した【SIX/FLOP】の本体だ。
全身に帯びさせたプラズマ光は彼女なりの恥じらいだろうか。
シャルルはブレザーとネクタイを脱ぎ捨て、真上から殺到する友人を快く迎え入れた。




