9. 自律兵器は待っちゃくれない
忌々しい時間だった。
『部下の教育がなってないねぇ、道徳の授業でも取り入れたらどうだい。ロブスタン』
と、怪人ザ・フリルヴァイパーが言う。
『おつむの足りない部下を持つと苦労するだろうな。心中お察しするよ』
と、同じく怪人のC・プディングマン。
親愛なる怪人仲間から送られる嫌味の数々を、ロブスタンは快く聞き入れた。
そうして今日中に太陽が爆発するのと同じくらいの可能性で、できるならば建設的に事態を解決しようと試みた。
『っち、悪かった。だが、お前レベルにまで知能を落とすことは難しい。部下が哀れだ』
ザ・フリルヴァイパーへ、愛憎をこめて。
『っち、まあな。お前たちが同期で本当に良かった。もしも俺の部下になっていたらと思うと……ぞっとするね! 吐きそうだ。いやすまん』
こちらはプディングマンへ。
余りのストレスに、反論と返答の前には必ず舌打ち――最終的には二点バーストが基本スタイルとなった――を置かなくてはならなかったが、彼女たちもそれくらいの威圧には耐えてしかるべきだ。目の前で部下を貶すのだから、当然の義務だろう。
いや。ロブスタンに雑言を吐くことで、あわよくば組織体制が改善されると信じ込んでいるような馬鹿どもだから、それすらもわからないかもしれない。
親愛なる怪人仲間を視界に入れなくてもいいという、喜ばしい許可が下りた後。
忌々しい時間はまだ続いていた。
これからは――時間的にはもう三十分ほど後――多くの怪人たちの口の端に上ってい愛しき部下と、カウンセリングじみたものを繰り広げなくてはならない。
自分から呼び出した以上、面倒くさいと思うのは間違っているが――いいや、だからって面倒くさくならないわけがない!
何せ相手は茂来武彦の妹で、若干なんておしとやかな表現よりは遥かに、全く、尋常ならざる次元で喋りにくい相手だった。
メールの返信も『はい』の一言だけで、果たして来るのかどうか。
茂来鮭流がどうしようもない腑抜けだった場合、ロブスタンはがらんとした教室で、ひたすら瞑想を続けることになる。
(チクショウ。大体なんだ。俺は素敵なセラピストじゃないぞ)
ザリガニアーマーを纏ったセラピストがいるだろうか? そもそもこれはは、つまり自分の口のことだが、思ったことしか言えない上に、やたらめったら冗長になるろくでもない口だ。
「クソ。嫌になる」
今日は確かに良心的だった。独りごとの前置きに、舌打ちがいらないのだから。
人文学科校舎の廊下を歩き、指定した3‐Dの教室を目指す。
部室としても使われていない教室。雑談の場にしたがる輩はいるかもしれないが、実にツイていない彼らに関しては、今日のところは撤退してもらうしかない。
……しかし、これから三十分も、本当に何をしていればいいのか。
考えを逆転させ、いっそお喋り役のサクラでも呼び込むべきか。3‐D教室で勝手に雑談をしてくれるような賑やかなグループを。
黙って机に座っている男を見つけては、「待たせた?」なんて軽いノリで入りたくなくなるかもしれない。そんな軽いノリで入ってこられても困るが。
と、ロブスタンは廊下の先で、シャルルよりもずっと面倒くさい男の姿を見つけた。
熊だった。
あろうことか、校舎で放し飼いになっている獰猛な熊。というわけではないが、彼はもっと謎めいた地盤の上に仁王立ちをする男だ。
学生帽に昔ながらの詰襟服で固めた熊は、人文学科の英雄長のピードゥ・サムド。英雄の長でありながら、同時にこの校舎を取り仕切る番長だ。当然ながら幻界種で、二足歩行。
3‐D教室にいたのなら、人文学科で最も「他所へ行け」と言いにくい男である。
相手は熊なのだし、恥じるつもりはない。ちまたのうわさでは、こんな大男というか熊を、徒手空拳で制した女子がいるというのだから、全く。
幻界種の輩は意味がわからない。
3‐Dの教室はピードゥのいる位置よりも手前にあった。サクラ作戦は取りやめにして、そそくさと入ろうとしたのだが、
「おう、ロブ!」
流石は熊だ。野性本能か嗅覚かのどちらかで、目ざとく見つけられてしまった。
今はザリガニアーマーを着ていないのだが、不幸なことに、彼とは直接面識があった。
無視はできない。この熊は何よりも規範を重んずる。
「やあピードゥ、その節はどうも」と、フレンドリーに片手を上げて見せればいい。
ロブスタンはその通りにした。
最大限の善意を費やすと、狂気の沙汰といえるほど友好的な見方なら、あるいは人好きもするかもしれない程度の微笑を作り、ちょいと片手を上げた瞬間。
並んだ窓の一つから、大量の水しぶきが廊下へ吹き込んだ。
一斉に飛び散り、きらきらと光を瞬かせる不思議な水しぶき。盛大な破砕音で、それらが割れた窓ガラスだと理解した。
三階の窓をぶち割って侵入したのは、なけなしの善意を帳消しにする、未知の存在。
「ジェットロケット!? フロッパーズか!」
POFs擬態端末でできたランドセル型の飛行装備は、廊下で右往左往した末にロブスタンを見つけ、嬉々としてスラスターを焚いた。ピードゥの背後を回り、Uターン。
しつけの足らない馬鹿犬のように飛びついてくると、自ら変形してロブスタンに背負われた。自分から動いて強制使用させるとは、自律兵器の風上にも置けない。
「やめろ、おい、おろさんか! たわけた金属だ!」
ジェットフロッパーズは元気にボ、ボ、とスラスターを点火して遊んでいる。
家に置き去りにしたのがそれほど不満だったのだろうか。
「おいおいィ……ッ」
「ピードゥ。見てないでこのクソなロケットをはぎ取ってくれ。吹き飛んじまう!」
「アァ? なぁにを言っとるんじゃ。お前さんの合図で飛んできたんじゃろうが」
「な、何?」
ロブスタンは生涯最高に毒気の抜かれ、目を丸くした。
スラスターの瞬間点火で覚束ない千鳥足を演じるままに、ああ、と納得する。
傍からはジェットフロッパーズが、自分の〝挨拶〟に合わせて突っ込んできたように見えるらしい。さらにそれを躊躇もなく、これも傍から見た場合だが、背負っているということは。
「待て! お前は勘違いをしている。こいつが勝手に暴走したのだ!」
「……本当かァ?」
「ああ!」と。
お次の闖入者は、人の善意を無駄にするほど野暮ではない。
言葉が熊のカマボコ耳に届く前に、校舎を揺るがす爆音でもってかき消した。
「んなぁあ!?」
ロブスタンとピードゥの境で、廊下の壁が吹き飛んだ。
紫の光の筋が、床や壁を伝って不規則に散る。
現れたのは、POFs擬態端末で構成されたプラズマ・ブラスターならぬ、最低の粗大ゴミ候補だった。外からの砲撃で吹き飛ばした壁をくぐって、ロブスタンの腕に身を預ける。
可愛らしい? 馬鹿な。
フロッパーズに身を預けられるのに、拒否権などあろうものか。恋人同士が腕をからめるよりも一方的に、ぐにゅうと伸びたグリップが腕に巻き付いた。
「っぺ、おーぅい? 覚悟はできてんだろうなァ、ロブゥ?」
「実は出来ていないのだが、ああ、なんてこった!」
背筋に沿って戦慄が駆け上る。粉塵で煤けたピードゥに、返せる言葉はない。
急遽スラスターを全開にしたジェットフロッパーズによって、ロブスタンはなんとかその場を脱した。ブラスターフロッパーズが廊下に開けたのは、逃亡用の大穴だった。
順序が逆になっているようだが、そんなことは考えたくもない状況だ。
「このクソッタレ金属、どこへ連れて行く気だ!」
質問に対してもフロッパーズは沈黙を返し、蒼炎を噴射し続ける。
ほどなくして――ゼロコンマ五秒ほど――それほど長く飛んでもいないことがわかった。
頭上に影が差す。校舎から跳躍していた熊が、加速する前にロブスタンを捉えた影。
「飛ぶほど急がんでもええじゃろうよ」
「……嫌になるぜ」
背に振り下ろされた無慈悲な拳が、追いかけっこスタートの符牒となった。
ピードゥの他にも既にしてこちらを追う存在があったのだが、当然、そんな目に映りにくい輩を見つけることはできなかった。




