6. 溶けてしまいたいのに②
「さぼるだってさ」「ねぇ? 堂々とだよ、ありえなくない?」「普通さぁ、先輩の呼び出しを無視する?」「仕方ないって。あいつは総英雄長の妹様だもん」
「妹はいいぞ」
「常識もないし、最低なやつぅー」「妹に生まれるってのもまぁ、才能なんじゃないのぉ?」「わー、言えてるぅー!」
くすくすくす。
要領よくひそめられた声が重なり、八方からシャルルを圧迫する。
クラスにいじめられっ子がいれば、しばしば見受けられる状況。いじめられっ子の心情と軌を同じくして、自分がいじめとはいかずとも、嫌がらせの対象になっているのだ、と少しずつ自覚し始めた。絶望にも似た自覚だった。
虚無に心が侵される。
それだけでは済まない。
無関心ぶるのをやめたのは、彼女たちだけではなかった。
「聞えよがしにねちねちねち! 何、この空気? あんたたちね、卑怯だと思わないの!? 弱い者いじめをする自分が、多少でも正しいって!?」
激したのは、三年生を示す赤色サンダルの女子生徒だった。
りゅうとした身なりで立つ経営学科の英雄長、相原愛莉。
彼女の乱入に、陰ならぬ陰口を叩いていた女生徒たちは、一様に慌てふためいた。
少なくとも最初のうちだけは。
「なんなの、あいつ」とこぼしたのは、確かに勇気のある人だったのだろう。
その点では、他の生徒に勇気があったかどうかは定かではない。
後は尻馬に乗れば済む話だった。
「必死すぎだろ」「大体、誰のことかなんて言ってないじゃん」「勘違いな正義感出しまくりー、だっさー」「ていうか誰?」「あれだって、最近ボロ負けした英雄長」「うわぁ。八つ当たりかよ」「キモっ」
「……ふん、信じられないわね。全く。信じられないくらいに浅ましいわ。あなたたち正気なの? 幻覚が見えるキノコを食べたとかじゃなくて? 繰り返すけどね、あなたたちの言葉に正当性があると思う? 胸に手を当てて聞いてみなさいよ」
果たして、誰も胸に手を当てやしない世の中だった。
「はいはい」「胸に手を当てて聞いてみなさいよ。だって!」「キモイんだけどぉ」「っ古!年齢さばよんでんじゃないの、こいつ」
「ばっ! さばなんてよんでないわよ!!」
「信用できないんだけど」「食いつきすぎ」「キモー」「マジ必死なんだけど」
「何よ! う、うう。何よ……!」
英雄長、威勢よく登場するも数秒で撃沈。
口喧嘩はめっぽう弱かった。
「あはは、どっかの誰かさんはいいよねー。使えない英雄長にまで優しくして貰えて!」
と、今度雑言を飛ばした彼女も勇気はあった。だが運はなかった。
「アァアン?」乱入者その二、突撃。
愛莉をそしった生徒の前まで、ずかずかと歩いて行く。彼女の友人の少女だ。
「か、かほちゃん……」
「おいてめぇ、もういっぺん言ってみろ」
「は、はぁ?」
「はぁ、じゃねえだろ、てめえはつんぼか。今の台詞をもういっぺん聞かせてみろって言ってんだ。猿でもできる簡単な話だよ」
「いや。べっつにぃ? うちは何も」
「言ってないの? えぇ?」
彼女は微笑んだ。それから急転し、真っ赤に染まる。
「っんなわけねえだろうが! てめえと違ってちゃあんと聞こえてんだよ! 聞こえた上でもういっぺん聞いてやろうって言ってんじゃねえか。ほら言ってみろ! おい……どうしたよ。言わねえのか? え?それとも言えねえのか!? もし他に言いてえことがあったら、それでもいいんだぞ!?」
「はぁ……? はぁ、はいはぁい……すみませんでしたぁー」
「どこ見てんだよ。あたしに言ってんなら心当たりはねえぞ?」
「……っひ、ご、ごめん、なさい」
犠牲になった彼女は、愛莉に九割、シャルルにも一割ほどの謝意を割いて頭を下げた。
「っち。他でまだ言い足りねえやつは?」
誰も挙手しないのを見ると、彼女は胸糞悪そうに引き上げてきた。
「ほい英雄長、軌道修正しときましたんで、後は煮るなり焼くなりよろしくどうぞ」
「ごめん、かほちゃん。私、不甲斐なくて。あわわ……怒ってる?」
なぜか愛莉も怯えていた。
シャルルは彼女に親近感を覚えてしまった。恐らくは、その物腰の低さゆえに。
気を取り直し、愛莉はこちらを向いてにっぱり笑んだ。
「シャルルちゃん、良かったら」
「駄目」出し抜けに言うフロップ。「相原は、シャルルをトモダチにしようと企んでる! シャルルはわたしのトモダチ。シャルルがいなくなったらわたし、独りぼっちだよ。あなたは沢山トモダチがいるんだから、シャルルは取っちゃだめ!」
「あら」
謎の論理を展開するフロップに、愛莉はあっけらかんと返した。
「そしたら、あんたごと取っちゃおうかしら」
「あなたは、フロップにもわかるように言うべき」フロップは口をへの字に曲げ、「ツェーネはわかったって顔してる。むかつく!」
「あのねぇ、お友達は増やしてもいいのよ、金属ちゃん? 良かったらだけど、あんたも一緒にご飯食べよ? もちろんシャルルちゃんとも一緒に。ここで堂々とね!」
「っ! でも。でもわたし」
フロップは会得した感情を駆使し、良心の呵責まで扱えるようになっていた。
対英雄長殲滅兵器・V‐Xとして、愛莉を〝ボロ負け〟させた張本人。
並々ならぬ事情を孕み、両者の間には深い溝が横たわっている。フロップはそう思っていたのだが、しょせんそれは、慎ましい金属の抱いた杞憂だった。
「メトロノームで私のお腹をつついたこと? もう治ったわよ?」
金属の心がほっと弛緩するのを、シャルルはまじまじと見た。
「ん、なら、いいよ。わたし……異論も反論も、グウの音も出ない。シャルルは」
優しい眼差しが、自分に向けられる。
労わるように、急に見つめて脅かさないように、ゆっくりと。温かに。とても、温かに。
そう。ここでの問題は、未だに収まりのつかない自分の心にこそあった。
「ごめんなさいっ!」
席を立ち、なりふり構わずに食堂から逃げ出した。
脇目もふらずに廊下を走り、教室へ。鞄を掴んで今度は校舎から走り出た。
遅れて鞄を肩に、それから巨大フォークを鞘に入れ、心配したフロップが追いかけてくる。皆の優しさを無碍にした自分なんかのために。
糸になった脳みそをかき回したように、頭の中がこんがらがっている。
シャルルは助けてもらった。優しい人たち。兄の大切な仲間。
(助けてもらわなきゃいけないのが――あたし)
「うう、う、ううう……っ」
校舎の陰に隠れると、よろよろとへたりこんだ。フロップも大人しくそれにならう。
彼女は何も言わなかったし、シャルルも無理をして喋る気はなかった。
擬態金属生命の学習は差し当たり理想的だ。
機微に至るまでの思いやりを、彼女はとっくに学んでいた。
「あ」しばらくして、フロップが言った。「シャルル、ごめんね。わたし、うっかりしてたよ」
「……どしたの?」
「あの、怒らないで。わたし、サラダを持ってくるのを忘れた」
「……馬鹿みたい」
剽軽な言葉がおかしくて、けれど煩わしくもあって、やはり考えたくない。
臭いものに蓋をするつもりで、シャルルは両手で顔を覆いこんだ。




