表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
S3フラワーズ  作者: 青井けい
小話① 秘密はないけど秘密兵器
39/48

4.  茂来家伝統のヘボ狐

 瞼を開けると、窓から差し込む朝日に、細かな埃が漂っているのが見えた。

 何度も瞬きをしつつ、夢に置いてきぼりになった、もう半分の意識が覚醒するのを待つ。

 そのうちに意識が浮上してくる気配があり、シャルルは半身を起こした。


 両腕を開いて大きく伸びをする。


 デジタル時計を見ると、朝の七時十分。横の布団では兄の武彦が寝息を立てていた。

 シャルルは武彦をゆすって声をかけ、それからロフトを下りた。


 しゃっとカーテンを開けて、もう一度、今度は全身で伸びをする。寝癖のついた尻尾もピンと立てて起こしてやる。ウール仕立ての白毛のスリッパを履くと、のそのそと洗面所へ。

 顔を洗ってから、しゃこしゃこと歯磨きをする。


 ひどい顔だ。腫れぼったい瞼が重たいせいで、狐よりも糸目になっている。いつもよりも多く冷水を顔に浴びせ、最後に泡立てた洗顔クリームで洗った。

 化粧水の上から乳液でコーティングして、頬をぺちぺち。

 続いて、鏡の前で笑顔の練習だ。


「にっこり」


 寝起きの笑顔は三・五秒だけ保たれ、次の瞬間には、それで生気をこそぎ取られてしまったかのように暗く翳った。こちらを見つめる丸顔は自信なさげで、蒼白だ。


 軽くため息をつき、鏡面の丸顔に背を向ける。

 玄関前の立ち鏡の前に進み出て、しょぼくれた尻尾を引っ張ってみた。尻尾は手で掴んでいる間は元気でいてくれた。離してしまうと元通りに垂れてしまう。

 尻尾には嘘をつけない。


 リビングに戻ると、鍋に水を張って火にかけた。

 ロフトに上り、まだ眠っているぐーたらな兄を揺さぶる。局所的に、マグニチュード8レベルの大地震が発生。


「お兄ちゃん、朝だよ。あーさー!」

「うー」言語を忘却し、唸る武彦。

「起きなきゃ駄目だよ。七時二十分だからね、遅刻しちゃうよ」

「うー」

「お兄ちゃん、朝だってばぁ」

「わかってる! もう。一度言えばわかるに決まってるだろうが……ったく!」


 わかっているようなので、目覚まし時計(スヌーズ機能は解除されていた)を二分後にセット、やかましく鳴り出す前に退避しておく。ちなみに、「もう言わなくていい」との訴えを素直に聞くと、遅刻した後で散々嫌味を言われるので注意が必要だ。


 アニメに出てくる素晴らしき妹たちは、嬉々として兄を起こしている。

 シャルルには無理だ。どうせなら朝に強い兄が良かった。


 洗面所に戻ると制服に着替え、霧吹きで髪を湿らせる。ドライヤーを近づけたり遠のけたりしながら髪をセットしたら、尻尾にも同じことをやる。

 お湯が沸くまでのタイムアタックだ。


 が、チャレンジは失敗。戻った時には、お湯は溶岩と見まがうほどに泡を噴いていた。

 ロフトからは血の気のない地縛霊か、あるいは兄の武彦が顔を出している。


「むかつく。見てないで降りてきてよ。遅れたって知らないよ」


 火を止めたら、茶葉を入れたティーポッドに熱湯を注ぐ。

 カップラーメンと同じ時間待ち、ハチミツ入りのカップに注ぎ入れた。

 三本のチョコチップのスティックパンと、一杯のマテ茶が今朝のごはんだ。


 気分が安らいだところへ、洗面所から武彦が戻ってきた。

 部屋には三人掛けのソファーにテーブル、その向こうにテレビが置いてあるだけで、必然的に並んで座ることになる。


「スティックパンはセルフサービス?」


 武彦はおどけた風に言った。さっきの暴言は忘れてしまったよう。

 黙ってテレビ――アニメに負けず劣らず目の大きな美人アナウンサーが、最近は隠者ファッションがブームなのだと言い張っている――を見つめていると、彼は袋からパンを取ってきて、あむと頬張る。


「自分でカップを取ってきたら、お茶をわけたげる。飲めるサラダなんだよ」

「んんー? んお、あふはほ」


 パンの粉を飛ばしながら何かを言って、カップを取ってきた。

 約束通り注いでやったマテ茶を、眉間に縦皺を刻んで飲む。


「こいつは……うーん、気が利くね。うん、眠気が吹っ飛んだ」

「癖になる味なんだぁ。本当はね、フィルターがついた〝変てこストロー〟で飲むんだけど、うちにはなくて……。今度通販で買ってみようかな……」


 シャルルは口を噤んだ。

 憂鬱が急に沸き上り、喉に言葉が詰まってしまったのだ。


「シャルル?」


 横目で兄を窺い、テレビに視線を戻す。眼球の裏側が気味悪く疼いた気がした。

(何か言わなきゃ……)

 震える唇を開きかけ、閉じて、また開いた。


「あたし、今日は学校に行きたくない」

「えっ?」我が兄は心配性だ。「どうした? シャルル、何か嫌なことでも」

「……だってぇ! 前にお兄ちゃんに殴られたせいで、まだお腹が痛いんだもーん!」

「え、ええぇー?」

 武彦は「なんだよう」とあからさまに安堵した。

「お前な。びっくりさせるなよな。いじめられてるのかと思ったぞ」

「ふふん、そんなわけがないのだ! なんたってー、あたしは総英雄長の妹様だもん」


 ぶい、とピースサインを作って立ち上がる。尻尾は限界まで持ち上げた。


「ちょっち早いけど、もう行くね。玄関の鍵はよろしくぅ!」

「あ、お、おい」


 やっぱり武彦は、心配性で神経質なシャルルの兄だった。

 微妙に意気地なしで、あえて触れてこないだけで。

 子供の時から自分の吐く嘘なんて、うっとうしいくらいお見通しなのだ。


「前の事だけどさ、おい! お前は悪くないからな!! もしかして、本当にもしかして、失敗したと思ってるかもしれないけど、別に失敗してないしっ、万が一失敗だとしても、人生にある何千何百回のうちの一回だよ! 気にするなよ!? いいな、シャルル!」

「気にしないよぉー」


 そう言って出て行きたかったのだが、できなかった。

 彼の考える〝もしかして〟は、実際に自分の中で行われているのだから。


 シャルルは外へ飛び出した。

 後ろ手にドアを閉めると、へなへなと尻尾が垂れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ