31. 狐モドキの夢
総英雄長の快進撃で、チームは壊滅の危機に瀕していた。
ささやかな企ては破られ、リーダーの怪人が瀕死の有様ともなれば、下級戦闘員にできることは多くない。大抵はいつ襲うかも知れない英雄長の必殺技――もっぱらその余波――に対して、身構えているくらいが普通だった。
雑魚は雑魚。全身スーツで個性を潰すだけではなく、行動制限も徹底されている。
たとえリーダーがなぶり殺しにされていようが、下級戦闘員は空とぼけて、無能を演じつづけなければならない。
悪行秘密結社・研究会の伝統と模範で塗り固められた不文律。
おかしな話だ。仲間よりも大事な規則などは間違っている。
そう思った狐モドキは、友人TとRの制止をふり切り、先輩怪人と総英雄長の間に割って入った。
鳴神狐の力を発揮して暴れ、結果としてチームの完全敗北だけはまぬかれた。
それが、今からちょうど一年くらい前の話だ。
事件の数か月後には、狐モドキはゲームセンターに入り浸りになっていた。
彼の行動は非常に軽率なものとして、上から大目玉を食ったのだった。
仲間を守るためにやった、との言い分は通用しなかったし、監督不十分で非難を浴びた先輩怪人は、狐を想起させるあらゆる物を視界に入れると、虫唾が走る病にかかってしまった。
彼いわく、「台無し」になったらしい。
戦いではなく芸能をやっていたとは、まさしくお笑いだ。まさかボコボコにされたかったとは、狐モドキにはわかるはずもない。
電子音が反響する室内で、狐モドキはひたすらにゲーム画面を見つめていた。操作用のレバーを取っていると、友人たちとの思い出が鮮やかに蘇る。
「エビ、ザリガニ、カニの怪人トリオを結成しよう!」
こんなことを言い出したのは誰だったか。
狐モドキは「センスがない」と返した気がするが、気がつけば役にも立たない三位一体攻撃まで勘案し、日夜練習していたのだから、青春というものは不思議だ。
自分が鼻つまみ者と化した今では、怪人トリオ計画もご破算だった。
格闘ゲームのプロにでもなるか、と、気なしに思った。
三人で始めた格闘ゲームの腕もずいぶん上達して、上達しすぎて、彼らではもう相手にならない。
目の奥に込み上げるものがあり、狐モドキは荒っぽくレバーを振り回した。
画面の中では仮面をかぶったキャラクターが大暴れしている。心配事もなく、制限も課せられずにやりたい放題。高度な技を心置きなく繰り出すさまは、まるで……まるで馬鹿みたいだった。
「今のは明らかなハメ技だ」
ある日、対戦の後にいちゃもんをつけてきた輩がいた。
とんだ困ったちゃんである。狐モドキが対戦で使用したのはれっきとしたコンボで、最高のシチュエーションでヒットしても、体力が五割ほど削れるだけである。
困ったちゃんがコンボの概念を理解してくれるかは微妙だったが、喧嘩になったらなったで望むところだ。
荒んだ眼で睨み上げると、見覚えのある顔が破顔した。
「格闘ゲームかと思えば、お手玉で遊んでいたなんてな」
当時の総英雄長だった男は、つまらない冗談を飛ばしたのだった。
「後悔はしていません。僕は、間違ったことはしていませんし」
やりつくしたストーリーモードをつづけながら、隣のゲーム筐体に向かう男に言った。
男はステージの三で、コンピュータ相手に〝いい勝負〟をしていた。力量を見る限り、ゲームクリアに漕ぎ付くのはまず無理だろう。
「ほー。俺はてっきり落ち込んでいるかと、あ、クソッタレ!」男の操作キャラクターが向こうずねを蹴られて死んだ。「すねを蹴られて死ぬって、なんか嫌だな」
確かに。ニヤつきそうになったのを押しとどめ、申し訳程度に同意を示す。妙にイライラした。総英雄長が、これほど間の抜けたやつだったとは。
(僕の夢を台無しにした元凶が、こんな……)
「これが英研だったなら、僕はさぞかし称賛されるんでしょうね?」
ついつい出てしまった嫌味に、男はユーモアも効かせずに、
「いや、されないよ」即答。
「……は?」
「下っ端が出しゃばっちまうと、英研でもほぼ同じことになるなぁ。俺だって、昔は先輩が怖くて雑魚に徹したもんだし。反抗すれば君みたいになるってわかってたから。自分を殺すこと、それが努力だと思っていた」
「努力? っはぁ、努力だって!? はは、はははっ、それのどこが! ふざけるなよ、人のことを馬鹿みたいに言いやがって!!」
「馬鹿じゃないのかい?」
「いい加減にしろよ! そりゃ、ちゃんとわかってたよっ! 僕だってこうなるかもしれないって、少しはさっ! わかってはいたけど……でも」
仲間のためにやったことじゃないか、と狐モドキは言った。
くじけ切った矜持を反映して、語気は尻すぼみになった。
「理解してもらえると思ったんだ。だって正しいことだろ。な、なのに……!」
結局、誰にも理解はしてもらえなかった。総英雄長にも。
「ちくしょう……どいつもこいつも! ほざくだけの能無しだ……」
夢も希望もない。要領よく嘘を吐けるやつが、世の中でのし上がっていく。並んだボタンの上に水滴が零れた。狐モドキは力任せに袖でぬぐった。
「理解されるのって簡単なようで、すげー難しいよな。君がやってみせたお手玉よりも、多分、難しいんじゃないかな?」
男は席を立った。筐体は画面に『コンテニュー?』と表示し、初心者のプレイヤーからさらなるコインをせびろうと躍起になっている。無駄だ。
(ゲームオーバーだよ、下手くそ)
「そだな。俺には君を肯定しようとも、否定しようとも思えない。それは無鉄砲さとも、忘れちゃいけない尊いものとも思えるから。だがまぁ、少なくとも俺は君のとった行動ができなかった」
「……」
「なあ茂来くん。悪研が駄目なら、いっそ英研に入ってみたらどうだい?」
「っ!」
狐モドキは、答えない。数秒、数十秒という短い時間の中では到底答えられない。いつにも増して、目は画面内のキャラクターに釘付けになっていた。
英研に誘われた後では、ミスばかりしたのを覚えている。
友人たちとの約束もあるのだ。男の差し出した手を、狐モドキは頑として握ろうとしなかった。次の日も、その次の日も、ゲームセンターに足を運び、男が現れて四日目。
頼りない男の意地はぽっきりと折れたのだった。
狐モドキは悪研を抜け、『無敵英雄研究会』に入った。
どうして今更、こんなことを思い出す?
「……さい…も…くん!」
空白を揺蕩っていた意識に、疑問が芽生える。
途端、記憶が噴き出した。
甘い声が投げつける雑言、夜風になびくツインテール、流星弾、足場を失った浮遊感。
「起きなさいよ! 茂来くん!!」
厳しい声に叱咤され、武彦ははっと顔を上げた。
身体中に激痛が走り――とりわけ左腕と左足は、二度と動かしたくない――目が覚めた。爽快な目覚めではないが、おかげ様でまともに思考を巡らすことはできそうだ。
「よかったぁ。生きてる」不吉なことを言う相原。
(相原……?)
見ると、空飛ぶUFOにシエシエと相原が乗り、脇のサイドカーのような乗り物にはルカルカが、UFO本体とサイドカーを繋ぐ支柱にサイファーが座り、外付けロボットアームの基軸にピードゥが寄りかかっていた。
変てこなUFOに、武彦を含め六人も乗っているわけだ。
武彦は巨大なアームにつかまれていた。本来ならシエシエの腕に主砲を接合、取り外す目的のロボットアームに。ぶらぶらと揺れる。
戦艦から落下した武彦を、シエシエが『インベーダー』で空中キャッチしてくれたらしい。
「あ、相原! 君、怪我はもういいのか?」
「あんたよりはマシでしょ! 私は別に、お腹に小っちゃい穴が開いただけだもん。これだけ騒がしくされてたら寝てもいられないしね。病院も浮いてるのよ」
「相原ぁ……」沈鬱な気分がのし掛かり、武彦の顔を俯かせた。「すまない」
「え、な、なんで謝るのよ!?」
「だって僕は、負けたんだ。手も足も出なかった……。必死にはやったんだよ、でもっ、すまない。もう迷わせないと言ったのに、君に……、君たちに、僕は顔向けが」
「何よ、私は慰めに来てあげたわけじゃないのよ」
「う」
立体表示のヘッドアップ・ディスプレーを抜け、身を乗り出した相原が、武彦の顔を両手で挟み込む。至近距離で見つめるとび色の瞳は、涙に濡れてはいない。
怜悧な輝きを宿し、かといって人情を蔑ろにするわけでもない――瞳には温みがあった。
「あんたは負けた。それは知ってる。けどさ、それを言うなら私たちだってそうじゃない。みんなが一度ずつ負けてる。身体はとにかく、プライドはどうしようもなくボロボロ! でも、負けたやつ同士だから、あんたの惨めさもわかる……」
丁度いいじゃない、と強かに笑み、相原は真っ直ぐに武彦を見据えた。
「最後は全員で勝つわよ」
目を見張った。離れていく相原の瞳を追いかけて、子供のように手を伸ばしたところで、ピードゥがにぃ、と牙を見せた。
「しけた面じゃ。お前さん、相変わらず翼をもがれた天使みたいじゃのう」
「あの……、どういう意味?」
「ピードゥは翼さえあれば、あなたの力は天使に匹敵すると、遠回しに褒めているのです」
サイファーが補足する。それは遠回しすぎる。
「ボス! 故障しかけのルカルカですが、まだ自転車は漕げる、かと」
「保証期間切れのシエシエも、肩こりをいとわない、かも?」
「お、お前ら……っ」
「そういうことよ。総英雄長さん? 最後に勝つからこそ英雄って、あいつに教えてあげましょ! って、もう泣くなってばっ、ふてぶてしく笑うのよ! あんたは私たちのリーダーなんだからね!」
「あ、ああ! ああ……っ。すん」武彦は涙目で、「でもお前ら、助けにしては遅すぎない?」
「こんなもんでしょ」
相原が言った。
溢れる涙を何度もぬぐう。狐モドキは差し出された手を、ようやく取ることができた。
(そうか)
理想の実現に躍起になるあまり、見えていなかったのだ。
側にはいつも、仲間たちがいてくれた。




