29. 球形要塞 × 飛行戦艦
「ようし。これで中ボスは退場したね。後はボクたちだけ」
フロップを撃ち落とし、望月メイは満足げに腕を組んだ。
お星様のような光弾は雪女の最硬防御壁を破り、学園の防衛機構を大破させ、最後にフロップまで撃墜したのだ。
理解が追いつかない状況の中でも、一つだけ確かなことがある。
武彦と武彦たちが対峙する強敵、そして武彦以上の実力の便利屋を倒してしまうのに、メイは一分もかけないということだ。
(……弱気になるな、まだ僕が残ってる)
「あいつは仲間じゃなかったのか」
問うと、メイは億劫そうに腰をねじり、
「そだけどさー。中ボスがいちゃあ緊張感が出ないだろ?」
「どういう意味だ」
「どういう意味だぁあ? っぷっぷー! ちゃぁあんと考えなよキミ、これは組織のトップの戦いなんだよ? いっちゃん最後の大詰め、頂上決戦ってわけさっ」
「悪いんだが、さっきと同じ質問をさせてくれ」
仰々しく肩をすくめるメイ。
「だかんね、頂上決戦での勝利ってのは、組織全体の勝利と同義じゃなくちゃいけないだろ?負けるわけにはいかない戦い。それなのに!? ボクの後にも中ボスが控えてるってんじゃ、キミィ、緊張感が出ないって!」
悪研の総帥と、英研のリーダー。
武彦と自分とを交互に指さす。
「お前……、そんな理由で仲間を」
「うふん? 雰囲気も重要な要素だと思うけどー? それともキミは、ボクがここで下卑た笑い声を上げるのを期待していたのかな!? だとしたら参ったね! 空気読めてないのはボクじゃんか! あっははは! ごめんねぇ?」
楽しげに笑う。ボロを纏った肩とともに、スイカのかぶり物が小刻みに揺れていた。
「ぐ……っ!」
お星様を操るスイカ頭。
変態めいた風采の女こそ、ついに現れた悪の総帥だ。
あくまで自称でしかないのだが、ゆきやフロップよろしく、武彦の常識に知らんぷりをかます腐れ人格者なのは間違いなかった。
夜天をふさぐ不気味な球形要塞を見れば、総帥というのもあながち嘘ではないとわかる。あるいは、要塞などなくても。
「ツッコミが返ってこないな。どうやらお総英雄長の、お頭は、お固いみたいだね!」
「スイカよりはな」
少しだけ、ウケた。スイカの頭をこんと叩くと、メイは後ろ手に組んでデッキを歩き出す。
庭でも歩くように闊歩する癖に、一挙手一投足のどれもが、武彦の寿命を縮めるだけの威圧感を放っていた。
ゆきから感じた強者の驕りとも違う。メイには実力以上に、何かがある。
自分よりも小柄な相手を前に、得体の知れない劣等感が湧いた。
態度、格好、口ぶり、雰囲気、力。彼女の持つ何が武彦を卑屈にさせるのか。わからない。ただ、どうしてか近付き難いのだ。
「さっきの話、聞いてたよ」メイは言った。「便利屋がどうだかってやつさね。――感心しないねぇ。自分の主義主張を、人に押し付けちゃあいけないだろ?」
「悪の総帥がお説教か。心に沁みるよ」
「そんなつもりじゃないよ。だけど悪とか、正義とか。正しい間違っている以前の話なんだよね、残念なーがらぁー」
カン、カン、と鳴る踵の音にも脅されているようだ。
「ナンセンスなんだよ。キミのしていることは、どうしようもなくね。立場も超越してふがいなくて、ひ弱でヘタレ鼻たれがすることで……はぁ。浅ましいんだな」
何を言う。
食ってかかろうとした武彦の横を、スイカの頭が素通りしていく。
悠々と視界の外へ。隙だらけの背にも頓着なく歩きつづけるのは、武彦の隙がわざわざ狙うほどのものではないからだ。
頂上決戦と謳いながら、実際には格下を押し倒してやるだけのイージーゲーム。悪の総帥に「お前は謙虚さが足りない」と教えてやるのは、野暮だろうか。
「お前の目的はなんだ」
しかるべきやり取りをするつもりだった。
芸がないことを。
「はァ? そんなの知ってどうすんの」
「それは……」どうするのか。言葉に詰まる。
「おやァ? おやおやおやっ!? いいよぉ悪くない! 敵の親玉に目的を喋らせようってんだね!? なんだかんだ言って、キミも雰囲気作りに積極的じゃん! 特に、総英雄長が納得できるくらいに壮大かつ、空前絶後の目的を求められている気がするね!」
いちいち癪に障るやつだ。武彦は聞えよがしに舌打ちした。
これでも努力した方だった。
舌打ちするくらいの虚勢で精一杯なのだから。
「あれ、ムラムラしてなぁい? 始めたければいつでも構わないんだよ? ボクはね?」
無邪気に言うメイに、そうか、と納得する。
武彦の劣等感は、彼女の〝持っているもの〟に対して滲み出ているのではない。事実は全くの逆で、彼女の〝持っていないもの〟に起因していたのだ。
それはつまり、暴力を制御する箍。
動物園を憩いの場にしているのは、ひとえに檻があるためで、檻という仕切りをなくせば危険地帯と化す。
仕切りとは、人にすれば善悪を弁えさせる理性だ。メイにはそれがない。武彦から見たスイカ頭は、宇宙船員が見るエイリアンの頭部と大差なかった。
「信じるかい?」楽しそうな声が、背後から右側へ。「世界最大の人工衛星が月そのものだって言ったら、キミは信じる? アンドロイドの生産プラントと都市があるって言ったら?」
「ふざけるな!」
「はは、だよね。でも幻界種はね、実は宇宙からやって来た五人の異星人と、彼らが創り出した人造生命体の末裔なんだ。そいでボクは異星人の一人の、そのひ孫。あんときの婆ちゃんは、五百年くらい昔だったかな? とっても若くて、ぴちぴちの女の子だったんだよ」
「ふざけるなと言っている!」
と。メイが横を駆け抜けた。
スキップをする度に靴底からデフォルメの星が散り、絵本の一場面のような風情を醸す。
後ろ手に組んだ腕はそのままに、再び瓦礫の上に立った彼女の背中は、なぜだろう。異様に大きく映った。
「ふざけてるって、どうして思うのさ?」
「何」
信じられないからだろ、とメイ。
「ずばり、ボクの目的は世界征服だ! とでも言いたいけどね。事実はこうだ。超常級・人工衛星都市――月を所有する大総督の、その〝ひ孫様〟が、地球くんだり入学してやった学園で、まさかまさかの十四年連続留年! 彼女も堪忍袋の緒が切れたぁー」
スイカ頭と、纏っていたボロがかき消える。
メイの裸体が夜空の下に晒されることはなく、次の瞬間にはファー付きコートを着込んだ女がいるだけだった。
「ほい! 悪の総帥は、学園を乗っ取ってでも卒業したいのさ。悪研の勝利なんておまけだよん。いいかな? 闘争は賑やかなどんちゃん騒ぎ、涙は別れの涙、だよ。キミも祝っておくれよ、今夜は未来学園のクソ生徒と、そして、ボクの卒業式だ」
ウェーブのかかったツインテールが、風に揺られる。
唇に浮いた微笑を見るや否や、えも言われぬ衝撃が目玉を貫いて、電撃となって脳髄へとつき抜けた。
(なんなんだよ、こいつは……)
切れ長の双眸はやや釣り上がり、その中心であどけなさを残した瞳が輝いている。墨色の髪は濡れているようにしとやかで、肢体は細く、またふくらかに、蠱惑滴なプロポーションを保ち、眼球を介して甘ったるいフェロモンを注入してくる。
だけ、ではない。妙なのは姿の違いによるものに限らず、におい、声音、態度、体形、姿勢、仕草、性格。どれもが妙なのだ。
どうにかしてあの肌に触れてみたいが、それ以上に従いたい。この女の役に立ちたい。
美しい。
恐ろしく、近寄りがたく、果ては異形の如く。彼女は美しい。
異性として渇望するほどに望ましく、けれど、決して侵しがたい光の塊。それは兵隊アリの見上げる女王の姿だとか、あるいは地球人が見上げる、月の姫。
武彦の知らない美の観念を、望月メイは存在するだけで証明していた。
「卒業式」
夢現で呟いていた。今や劣等感は消えていた。
メイは、生物として別物だ。
「信じられない? 現実で考えればありえないから? 絶対にありえない。……ぷふふっ! ねぇ? これだから現実ってやつはさァ」メイは天に向けて指を立て、「怖いんだよ」
つられて空を仰ぎ、武彦は息を呑んだ。
球形要塞――メルクリウスというらしい――の下半球が、リンゴの皮でも剥くように装甲を剥がし、その奥から巨大なマジックハンドを撃ち出したのだ。
暴力的な衝撃。
巨大マジックハンドにわしづかみにされたのだから、戦艦全体が激震に襲われるのはやむを得ない。二本の爪を両舷に刺し、マジックハンドは要塞の内へ伸縮支柱を伸ばしている。
アームの設定は最大だ。プライズの脇腹を掻けるだけのゲームセンターが、泣いて謝るくらいの強さ。
「耐衝撃反射フィールド付きの要塞だよ。外からの攻撃ははね返すだけだから、やめておいてね。もっちろん? 逃げようったって、そうは問屋が卸さなぁあい! ではでは……」
「お、お……」鮮やかな手際で、飛行戦艦は鹵獲された。「おぉおおっ!?」
「――アーブダァークショーンッ!」
テンションマックス。メイは高らかに呪文を唱えた。
螺旋状に剥がれた装甲をスロープにして、全身タイツの下級戦闘員が滑り降りてくる。その中には、ロブスタン軍曹の姿もあった。
鹵獲の次は、あっという間の武力制圧。
「雰囲気作りはおしまいだよ! キミは切り札を壊され、防衛機構も仲間も失い、自慢の船まで押さえられて!? 絶体絶命のピンチってわけだね、でも、目の前には悪の総帥様が! ピンチとチャンスとの混在だよ、ああ、あぁあわくわくするね!? だってさァ、普通なら乗り切れない、こういう難局を切り抜けてこそ……英雄ってんだろ?」
メイがひとさし指を振る。
空間に魔法陣が顕現。例のお星様がひとつ、くるくると回転しながら現れた。
「っ!!」
そうして、流れ星は飛ぶのだ。
突然の攻撃を余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》で避ける間はなく、武彦は無理に上体をよじった。
星が擦過したコートの胸元が破れる。焼かれた痛みが走ったのと同時、つづけざまにメイが中指を弾くのを見た。「犯人はお前だ」とひとさし指を向けていたのを、そのままピースサインに変えた形になる。
体勢が崩れたところへ、第二の流れ星が飛来する。
流星弾の見た目がファンシーに見える理由は、一つだけ。まだ誰の返り血も浴びていないからだ。たとえば武彦の身体のどこかにめり込めば、それも変わる。
防御などは論外だった。速やかに回避に移り――がくりと膝が抜けた。ゆきとの戦いで消耗し、脚が言うことを聞かなくなっていた。
「クソ!」同心円防御フィールド展開。
両腕のガントレットから展開させた三重の同心円と、メイの流星弾がぶつかる。結果は両者の性能比を鑑みれば、考えるまでもなかった。
「うああぁあ!」
防御フィールドは一瞬で壊裂。衝撃に圧されたガントレットがひしげ、その真下で熱い液体のとばしりが広がると、左腕の感覚が消えた。武彦は紙のようにふき飛ばされる。
爆散する光で視界が塗りたくられ、やがて暗闇に覆われた。




