27. 上の上にある世界と天井
しゃにむに硬いだけ。ただし、硬さでは何物にも負けない。
ふと思った。そんな物が仕事の役に立つのだろうか。
町の便利屋が持っているにしては、とりわけ必要のない能力だ。
「どうしてだ?」
言って、武彦は自分の言葉に驚いた。
適当な感想でお茶を濁そうとしたはずが、思いがけない問いかけをしている。きっと舞い戻った夜の静けさが、しけた心の隙間に入り込んだせいだ。
「どうしてお前は、それほどの力があるのに……プロの便利屋が……」
ゆきは片眉をつり上げて武彦を見る。
武彦も憮然と見つめ返した。自分の言わんとするところが、自分自身にもわからない。
蒼色の瞳は意識に入らず、泥沼の底を見下ろしているような鬱屈さが胸に充満した。
「便利屋は、違う、もっと……!」
「ええっとぉ? 何が言いたいんです? 頭ぶちました?」
「便利屋は困っているやつを助ける存在だ! 目先の利得を追って、滅茶苦茶するやつなんかじゃない!! 絶対に違う!」
ゆきの顔が凍り付く。それは雪女らしく、限りなく冷淡で。
冷めていた。
負け犬とは違い、鳴神狐のヘボ狐はある程度の矜持を持っている。
たとえ尻尾が垂れていても、咆える時には正面から咆える。それだけに、言葉は「後で覚えていろよ!」等の捨て台詞よりは、心がこめられている。
人を笑顔にさせるのではなく、暗鬱な面をきれいさっぱりなくしてしまう存在が、便利屋。
長年抱いてきた幻想は、しかし、武彦の偽りのない想いだ。
「アンビスくん」それを。ゆきは口に手を当てて、「よ、よくもまぁ。恥ずかしげもなくそんなことが言えますねぇ」
彼女は嗤った。
「理想主義ってやつですね。やだなぁ、もう。わたしに何を求めてるんです?」
「どうしてだよっ。お、お前だってそうだろ」
「あっはっはー……」
「困っているやつを助けたいから、便利屋に……」
「はあ。子供みたいなこと言わないでよ」
乾いた笑いはすぐに止まった。
「あのねえ。便利な人と便利屋では違いますよ。わたしたちが便利というのは、依頼をなされたお客様に限っての話ですし」
「なっ」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
辛辣な口ぶりに加え、嫌悪を孕んだ瞳の蒼色がつき刺さった。
未熟な思想を見透かされているようで、恐ろしいのに、目を逸らせない。
「ふざけろ……、お前なんかが、お前が! 本物の便利屋なわけがない!」
「あんたに認めて貰わなくとも、お客様が認めてくださいます」
「上辺だけだ。思いやりがなけりゃ、便利屋なんてただの」
「じゃあ聞きますが。認められるために必要なのは、何? え? いいですか学生さん。必要なのはね、優れた人格、じゃありませんよ。もっと具体的な実力、実績、とにもかくにも実のある力です」
「……」
それではあまりにも冷たすぎる。
「ピンとこない? わたしが言いたいの簡単なことですよ。つまり、あんたの言う思いやりなんてものは、負け犬の餌としても劣悪だってことです」
「そんな!」武彦は嫌々をするように首を振った。「違うよ」
「違うって? そう思いたいんですか」
「いいや違うさ!! だってお前は、そんな冷めた奴には見えなかった!」
「だったら答えは出てるじゃないですかぁー……。見えなかっただけ、です」
そうではない、と武彦は信じたかった。
ゆきは馬鹿で、不法侵入をする上に、空気が読めず、暴力的で……。
(そうだ。暴力的だ!)
「お前は僕のためにピードゥを殴ったじゃないか! あれは依頼とは関係ないぞ! それって他人のためで、思いやりだろ。さもなきゃ好きでやったのか!」
「ちょっと待って。別にね、わたしに一切思いやりがないって言ってるわけじゃ……」
「どうなんだよ! 熊をいたぶるのが好きなのか!」
「いやいや!? だ、だからー……っ」
ゆきは打って変わって赤面して、
「そういうことにしたきゃ、いいですよ! 大好きですよ、英雄気取りの熊ってむかつきますし、それにあの。実はわたし、副業で悪の総帥もやってますし!」
ぷんすか、怒る。
「そんなわけあるか!」怒鳴ろうとしたときだった。
「――キミ、嘘つきだね。悪の組織の総帥やってんのはボクだぞ」
「「わっ!?」」
間近から声をかけられ、ヒートアップしていた二人は一緒に跳び上がる。
見ると、スイカをかぶった変質者が瓦礫の上で足を組んでいて、二度驚いた。
カボチャのお化けを模したギザギザの口に、ぽっかり空いた三角形の眼孔。いつの間に。それよりもどこから来たのか。
「いけないなー。嘘つきは泥棒の始まりって……ううん。それよりもキミ」
スイカ頭はゆきについと指を向けた。
「色々とお膳立てをしてくれてありがとう。でも、もう邪魔だからね。どっか行ってろ」
「っ!」
とっさにでも反応したゆきは流石だった。
凍結時空域とやらで防壁を形成し、スイカ頭が指先から放った光の粒を防ぐ。
すさまじい衝突音。巻き起こった力の渦に押されて、戦艦までもが微震している。
連射される光の粒と最硬の防御壁(凍結時空域)の攻防は、流れ星によって幕を下ろした。
比喩ではない。光の尾を引き、ヒトデの形の流れ星が落ちると、
最硬の空間物質は、パリン、と。
「……は?」
砕け散った。
爆散する光を受け、ゆきの身体が弾き飛ばされる。
鈍い音を立てて甲板を転がっていき、動きを止めた。
「は?」
武彦もゆきに便乗して疑問符を出す。
まだ話の決着はついていないのに。迷惑な便利屋は倒れたままで、ぴくりともしない。カド・ボルティレックスの律動も既に途絶え、戦艦上には風の音だけが残っていた。
「お、おい……っ!? え、お前、世界最硬のぶっし、つ……?」
「上には上がいる。うーん、共感できる話だね」と、スイカ頭。「世界は広いって。なあ、そう思わないかい?」
武彦の視線はスイカ頭には戻らない。
戦艦の浮かぶ、その遥か上。満月が照らし出す絶望的な光景に釘付けになっていた。
「……なんだってんだ。ちくしょう」
馬鹿げている。今まで『何』を相手にしてきた?
「もしも世界を広いと思わないなら、ボクたちは気が合うよ! ボクにとっても世界は狭いんだ。広いって言っているやつの気が知れないくらいには、さ」
「お、お、お前は」
次に言うべき言葉を見つけるのにしばらくかかった。
「何……?」
「あはっ! 何ぃって言われるとねー? れっきとした人間様なんだけど。あぁ違うよね。キミはそんなことが聞きたいわけじゃあないよね? はてさて、どう答えようか」
どうしようもなく軽々しく、「こんなのはどうかな」とスイカ頭は指を立て、
「世界最強の」彼女は言った。「――魔法使い」
けたけたと笑い、瓦礫の上からぴょんと降りる。
「どうも初めまして! ボクは悪行秘密結社・研究会で、初代からの総帥をやっています。噂の十四年連続留年生、望月メイといいまーす」
よろしくね、とスイカ頭。望月メイは快活に挨拶したのだった。




