21. 全面戦争
「こんなときにっ!」
八つ当たりで気が紛れた試しは、実のところ一度もなかった。
乱暴に叩きつけた拳の底がうずくのを、武彦は鬱々とした気分で知覚した。
太鼓を叩くリズムゲームならともかく。
焦りに駆られてテーブルを叩きつけたのだから、気が晴れないのは当たり前だった。
学園中央に建てられたプランニングハウス。
部屋の長テーブルに座るのは、今では工業学科・英雄長V‐Ⅱのシエシエ、ルカルカと武彦の三人だけだ。
収納とディスプレーを兼ねたガラステーブルの内に、歴代の英雄長の嗜好品――キャラクター付のボトルキャップや切手、ミニフィギュア等――を見て取ると、えも言われぬ焦りが増幅した。
「クソ!」
部下からの報告は簡潔に纏めるとこうだ。
サイファーがやられた。
それもスイカをかぶった変質者に返り討ちに合った、という与太話を、どう処理すべきなのか見当もつかない。というよりも、武彦はどうあっても信じたくなかった。水上ゆきのような絶対的な不審者が、学園に二人いるという現実を。
(二人。あるいは……)
ともかく「ドッキリ大成功!」と書かれた看板はまだ出てきていない。少なくとも、紛れもない事実として認識しておく必要がある。
密かに尊敬していた実力者たちが、立てつづけに惨敗を喫する事実。サイファーの性質がより影に近かったせいか。武彦の胸に差した影も、より重く沈殿していくように思えた。
「ごめんよ。少し感情的になった」
無礼を詫びると、ルカルカたちはカシャカシャとまばたきした。
「ううん。ルカルカも、音ゲーは大好き、かと」
「お家に『くぽぽ』あるよ、ボス、遊びにくる?」
返答はおかしなものだったが、人と同じく真心がこもっていた。
ちなみに『くぽぽ』とは、CPP〈クール・アンド・ポロロニック・ポップス〉を商標としたリズムゲームだ。音楽に合わせて専用のオール(櫂)を振りたくるのだが、これがもはや芸術的につらい。下手なエクササイズを凌駕していることに定評があった。
「サイファーの件も不幸が重なっただけ……とは、いかなそうだな」
誰ともなしに呟き、テーブルから離れる。
時刻は十八時過ぎ。扇状に張られた窓からの景色は、温かな生活の灯で満たされていた。
滋味のある灯に、住人を区分するものはない。
英研と悪研――『無敵英雄研究会』と『悪行秘密結社・研究会』――は仄かな光の溜りに、ゆるりと、その境界線を溶かしてしまう。
正悪決戦の指定日でなければ、誰だって狭い土地でいがみ合いをつづけたくはない。武彦と殿田がそうであるように。たとえば愛莉の参加する女子会には、悪研の友人も参加しているのかもしれない。
組織間の争いは、学生を切磋琢磨させるための言葉のあや。しょせんは設定だったはず。
(それなのに……)
学園上空に浮かぶ三隻のロビン・フッドMXを目に認め、嘆息する。
巨大な飛行兵器が、未来学園の空を遊弋していた。
擬態金属生命・V‐Xを投入した強襲作戦が、言葉のあやの勝利を目指して立案されたとは思えない。
考えれば考えるほどに、わからないことばかりが増えていく。
どつぼにはまった武彦を引き上げたのは、シエシエの一声だった。
「ボス、シエシエたちは、何をするの?」彼女は言った。「三人しかいないよ?」
「頼りになる仲間は大勢いるよ」
「みんなでわーわーって、戦うの?」
シエシエはテーブルの収納ガラスを覗き込み、「すごく、嫌かと」
ルカルカが彼女の背を優しく支えた。ごしごし擦る。
「みんなで騒ぐのは、お祭りでいいかと。お祭りは楽しいよ?」
「綿あめ、わふわふ! でもルカルカは、食べられないんですけどー?」
背中を擦っていたルカルカを、シエシエの尻尾が叩いた。
「みんな、楽しそうにしてない。楽しくないお祭りは、シエシエは嫌い」
「そうかも? そういえば、屋台にはオイルも置いてないです? ルカルカは悲しく寂しくて、ひとりコンビニによったです。したら、ある男女が医療品置き場の棚でお喋りしてて、お医者さんの卵かなって、ルカルカは――ヒエェッ!」
KYなアンドロイドめ。拳骨を落として黙らせる。
「戦うのは嫌か?」
「嫌。やりたくない」シエシエは素直に認めた。
「どうしても?」
「どしても! だってシエシエは、みんなの言った通りにしてきただけだもん! 意地悪合戦はしたくない! 誰も楽しくない! 誰得デスカ、かと!」
楽しくない。それもそうだ。同感だった。
「そうかい。だったら君は……。うん、戦わなくていいよ」
「ボス!?」
叱責に身構え、けれど譲らない姿勢を保っていた身には、拍子抜けする言葉だったらしい。思わず叫んだルカルカよりも、シエシエの方がよほど動揺していた。
「お熱なの? 登場シーンから既にして狂ってたの?」
ひどい物言いのルカルカ。
「なんだよ。本人が戦いたくないなら仕方ないだろ」
「寝ぼけてるかも!? エイユウチョーが休むの、いけないよ? ボス、試しにルカルカのフルネームを言ってみて?」
「ルカチェシカ・ルールリカ」
「どして覚えてるの!? きも悪い! おかしくなくなくない!?」
「それは一体どっちなんだ」
眉をひそめて考え込んだ武彦に、シエシエは伏し目がちで「どして、ボス?」と問うた。彼女が醸し出すオーラは、捨てられた仔犬にそっくりだ。
「心配しなくていい。僕も勝算があるから言ってるんだ」
V‐Xに、未知数の変質者。他にもまだ隠しているのかもしれない。
不確定要素の多い相手の戦力を意識し、また、遊弋する三隻のロビン・フッドMXを見据えて、それでも断言する。
「やつらは僕たちをなめている。それはとても――ラッキーだね。恐らくこちらの二手目で、やつらは保有戦力の99パーセントを喪失することになる」
「そんなの……嘘、かと」
「どうかな。たとえそうならなくても、あとは僕に任せろよ。なんとかしてみせるさ」
「ほ、ほんと? でも……、なんともならなかったなら?」
「うーん。流石にな。悲鳴を上げてる僕を見て、君がふとその気になったら、助けて欲しいかもしれない。僕はボスなんだろ?」
言うだけ野暮だった。
彼女たちも英雄長だ。言うまでもなく、それくらいはわかっている。
眼球を湿らす必要のないアンドロイドは、涙というものが流せない。
いかに自分が感動しているか、悲しんでいるかを伝えるための方法は、アンドロイド各人の悩みどころであり、それはシエシエの場合、相手に突進して腹に頭を押し付ける、という行動で補われていた。
そこまでは良かった。
「わがまま言ってごめんなさい、ボス! シエシエも頑張る! 頑張るよう……!!」
ゴス、ドス、ドスン。
「や、気にす、っげふ、気にするな」半笑いで手を上げ、「頭突きをやめろ!」
「ヒャーッ!!」
拳骨を食らったアンドロイドが床に倒れる。
見下ろしたルカルカが、不満そうに口をとがらせた
「で、ボス? 二手って? もしかして、二段変形する土下座?」
「ふむ。本質的には良い線をいっているけど……いやごめん、全く違う。時に、君は正義のヒーローが常に独占している権利を知っているかい?」
「ルカルカは、知ってる。ヒーローはアンドロイドを殴れる」彼女は根に持っていた。
「絶対に勝つことさ」
「へー? スゴーイ。かも?」恨みは根深かった。
「学園の『基盤』を迎撃モードに移行させたあとに、『チャイム』を鳴らす」
「「えっ」」
そろって目を丸くした様子を見て、少しだけ優越感に浸る武彦だった。
彼女たちはもったいぶった隠語に戸惑っているわけではない。『学園の基盤』と『チャイム』が示すものは、英雄長なら誰もが知っている。
噂話として、だが。
「どちらも実在するんだ。特に『チャイム』の力は凄まじい。比類するものが思い当らないくらいには、ね」
総英雄長だけに伝えられる兵器の存在は、英雄の切り札であり、最終兵器。学園の鐘が鳴れば。そう――『Qualink system』が起動すれば、敵戦力の99パーセントを喪失させるというのも、決して絵空事ではない。
名を、超感覚統制塔、カド・ボルティレックス。
V‐Xが鉄クズに見えるほどの超兵器である。




