18. アンビスvs擬態金属生命②(タマゴ型)
「おい、雪女。関係がないのなら今のうちに逃げておけ」
「え、は、はい? あんた……」
「思うに、あいつはパンチ一発で終わるような安上がりの化け物じゃない」
言った通りだった。「ですけど、おでこちゃんは」と言いかけたゆきの尻を叩くと、彼女もやっと従ってくれた。
そこでほっと気を緩めるほど、武彦は間抜けではない。
だからといって、すべてのアクシデントに対応できるわけでもなかった。
フロップの次なる手は予想の斜め上をいった。
ふき飛んだ先でフロップの右腕がとけ広がり、刃渡り三十メートル以上の規格外のブレードに変化した。それが、ぶんと横薙ぎにされる。
「おい頭を、ちっ!!」
尻を蹴飛ばしてゆきを伏せさせるのには成功したが、自分自身は避けられなかった。
アビス・テンペストの専用装備、ガントレットに搭載された防御フィールドを起動。前腕に位置する半楕円形のドームを中央に、金色の同心円が展開。拡張された三つの光のリングが、極長ブレードの衝撃を軽減する。
「ぐっ!」
はじき飛ばされたすえに、校舎の壁に叩きつけられる。
背中で暴れまわる痛みに耐えつつ、ふぅ、と長く息を吐く。こうして戦っている今も、もやもやした気分は変わらない。ただし総英雄長につき物の葛藤はなかった。
己の弱さに改めて打ちひしがれながら、しかし満足しているのだ。
境遇に理解を求め、他の誰かの理想の破綻におびえる毎日。
そこから救ってくれたのは、くしくも愛莉の吐露にこそあった。
自分の理想と、弱さとを比べて、どうしようもなくなった心が吐き出したジレンマ。
そんなものに、武彦は強く共感した。
嘆き、あがき、進む先も決められずにまた嘆く。エリートだろうが下級戦闘員だろうが、頭を抱える姿の頼りなさは変わらない。
弱い〝人〟の姿だ。武彦は今日初めて人を理解し、そうして自分の姿を理解した。
――反吐が出そうだった。
「フロップは、知ってる。こういうときはもう一周、回るの」
地面につき立てたフォークを支柱にして、ポールダンスよろしくぐるりと一周。フロップは再び極長ブレードを薙いだ。
「…………」
気分は最低で、しかし未だかつてないくらいに思考はクリアで。
(なぜ?)
いまいましい理解のあとに、懐かしい欲動が心の奥底でうごめいた。
誰かの役に立ちたい。とうにカビの生えた思惟だというのに。当時を懐古する暇もなく、冷え冷えとした清水となって、心の垢を落としていく。
いいや違う。信念はわだかりを焼きつくし、心を紅蓮の炎で染め上げる。
迫ったブレードの刀身にとび乗って、そこで初めて自分の取った行為の危うさに気がついた。
(はは。まるでゲーム感覚だな。だけど……)
「悪くない!」
猛回転する三十メートルの刀身を渡り、中央のフロップを蹴りつける。
「あう」後生大事にフォークを抱えて、ごろごろと転がるフロップ。「蹴られると痛い!」
「ツェーネとやらがそう言っているのか?」
「ち、違う。わたしが言ってる」
「それは良かった。安心したよ!」
「あ、あ、あなた……、変よ。どうして、いきいきしてるの」
いきいき? 確かに。
総英雄長として、そんな言葉を意識するのも珍しい。
「言うほど快適な気分じゃあないよ。自分がいかに弱いか知らされたばかりだからね」
武彦は弱い。そう、他の学生たちと一緒だ。
「?」
「強く見せようとしても、実力がないんだ。土台無理な話だったのさ」
愛莉も頑張っている女の子というだけで、見た目ほど強くはなかった。悩める学生にすぎない。
武彦と一緒だ。
今度は腹の底が熱くなり始めた。他人の弱さを知って安心しているのだろうか。恐らくそれもあるだろう。だが、あえて違うと言い張るのなら。
「エリートだと思っていた人にも、弱さがある。僕でも手助けくらいはできる」
人の理想。全寮制未来学園VVの、総英雄長たるべき態度。
くだらない。元々そんなものは、去年までの武彦の眼中にはなかった。
小さな手助けをするだけで満足してしまう、みんなの便利屋・茂来支店。
「弱いやつの気持ちは、悲しいくらいにわかるんでね!」
愛莉が、思い出させてくれた。
「非難を避けるために人を思うんじゃない。目の前の暗鬱な面を、きれいさっぱりふき飛ばしてやるために、いつだって僕は! ……思い出したぞ! この胸の、熱いたかぶりをっ! 僕は心底、誰かの役に立ちたいと思える!!」
今日。武彦は自分という人物を、真に理解したのだった。
フロップは気持ち悪そうに顔をしかめた。
「わたしにはわけが、わからない! ツェーネも!」
彼女の悲鳴を合図に、校舎のそこここの窓を破って、机に、リコーダーに、花瓶、モップにボール籠や万能包丁、果てはサッカーゴールにホワイトボードまでが飛来する。
どれも例外なく浮遊し、怪しげな紫電を尾にして、フロップへ向かった。
全身を圧する物量を、フロップは甘んじて受け入れる。
――同化。
ごぷごぷ、と。フロップは取り込んだ質量に比例して、体積を増やしていった。人の形は早々に歪み、水銀のような粘性の塊が、混沌たる姿を作っていく。
すべての『備品』との同化が終わると、そこに金髪の少女は立っていなかった。彼女は物々しい擬態金属生命だ。
豚タイプの蚊取り線香を、より前衛的にしたフォルムとでもいうべきか。
全長は二メートル半ほど。高さも同じくらいはあろうかという、ぬらついた卵型の胴体に、底面からは六本脚が針のように伸びている。上部には小振りの頭部が生えていた。
背から一本だけ伸びた長い触手が、器用にフォークに巻きつく。
「V‐Xの名は伊達ではない、か。はははっ、それでなくてはね!」
「フロップは、イカれた総英雄長、アビス・テンペストを排除」
頭部に光の単眼が浮かび上がると、フロップは高みから武彦を見下ろした。胴体から分離した複数の銀の塊が、空中で弓と矢に変化する。
「P‐CM自律姿勢制御――全弾、体調良好。攻撃を開始!」
胴体が細かく波打つのとともに、無機的な声が告げた。
浮遊する弓でプラズマ光がまたたく。
「さあこいよ! 金属女!」
あえて言うまでもない。大量の矢が押し寄せる。すぐさま疾走してかわすと、次いで円錐形に変形した弓の本体が飛来した。ずいぶんと応用力があるものだ。
「そっちのわたし、さっきよりストーカー気質」
先んじて地に刺さっていた矢が飛び上がり、後続の円錐形の飛来物を受け止める。拾ったところで弓と矢に再変形し、一斉に散開した。
「だと思っていたよ」
弓型の射手は無限回帰弾とやらの性質を持つものの、性能は段違いだった。
同じ動きに終始していた追尾ショットガンに比べ、弓型はどれもが個別に旋回し、攻撃のタイミングもてんでバラバラだ。
「ちっ!!」
かすった矢が、アビス・テンペストの仮面をえぐり取っていった。
後方、左方からつづけざまに弓矢が迫る。相手の弾数は文字通りに無限。反撃の隙も皆無だ。
フロップは弓の一つを側に置き、ヤケクソな特攻くらいでは敵を近づかせもしない。
戦域をくまなく視野に入れ、六本脚のよちよち歩きでつかず離れず、最適な距離を保ちつつ、遅れをとる射手があれば随時補充する。
偶発的な危うさまでが取りのぞかれた戦法。フロップの思惑には欠点が見当たらない。
「だが無意味だ!」
なぜなら今の武彦は理論を置き去りにするレベルで、ノっている。
「最、大、出、力!」大きく足を広げ、両拳を打ちつける。「ふき飛べぇえええ!!」
全身からの雷電の拡散は一瞬。あえて隙も狙うまでもなく。金色の波濤が、校庭を埋め尽くした。
辺りを席巻した雷鳴が消えてしまう前に、感電した弓と矢が落ちてくる。
「はっはははーッ! なかなかどうして、ぶちまけるのも気分が良いもんだなァア!!」
「あ、あの……わたし、引いてる。すごく。あなた、頭は大丈夫なの」
「知ったことかッ!」
「ええ……!?」
ガントレット底面から銀球が排出され、風船のようにふくらむ。もう一方のガントレットでは側面がスライドし、ビーコン弾を発射した。
ビーコン弾は地面に着弾。
上部を開き、空に向けて誘導レーザーの照射を開始。学園中央部に鎮座する専用の即戦力投射砲に、位置情報を送信する。
「レイボルツ・ストライク!」
こちらは牽制。投擲された雷弾を嫌って、フロップがノミさながらに跳ねた。校舎の壁に六本脚を突き刺し、地面と垂直に定位する。
……三。
二年生の終わりに勢いで造った投射砲が、その砲口を持ち上げる。
校舎に張り付いたまま、フロップが体積を削って新たな射手を生成した。
……二。
方位と射角を調整した投射砲が、経営学科校舎に向けて装具、自律飛行体を発射する。
さらに跳ねるフロップ。
弓がこちらを補足するまでの時間稼ぎのつもりか、芸もなくフォークを飛ばしてくる。
あれだけの集中砲火の後に、だ。
アホらしく思いながら横に移動して避けた。と。フォークの速度が弱まる。その柄にからみついた触手が、ぎりぎりと細まり、
「おわ!」
とっさに伏せたのが功を奏した。プラズマ光をまとった触手が横様に振られ、ゴールポストを両断していた。
……一。
ごうと風を起こし、ようやく装具が到着する。フロップよりも巨大な鉄球。それは触手を巻き返し、そのまま胴体に同化させたフロップに向かう。フォークを取り戻した彼女が、頭上をふさぐ影に気づく。
外れた? いいや。
巨大鉄球からワイヤーロープが射出され、ガントレットに接続される。
武彦は足を踏ん張り……ぐい、と腕を引いた。さながらさっきのお返しのように、巨大鉄球がゆっくりと動きを止める。ちょうど、フロップの真上だった。
鳴神狐の雷電がワイヤーロープを伝わり、巨大鉄球は燦然と輝いた。
「?」
フロップは微動だにしない。
「――零、だ。潰れろ」
「……ぎょ」巨大鉄球が軌道を変え、「ぎょえぇええええええええええええ!?」
轟音がブチ落ちた。




