17. アンビスvs擬態金属生命①(ヒト型)
「どうなってるんだ……」
茂来武彦こと、総英雄長アビス・テンペストは正門の陰に隠れてあたふたしていた。
見れば、六階建ての校舎のどてっ腹に穴が開いている。
学内専用のバスも使わずに駆けつけて、目にした経営学科の有様がこれだった。幻界種が通う学校である以上、喧嘩が派手になるのは仕方がないことなのだが。
(やりたい放題に暴れたな)
正悪決戦――英研と悪研が競い合う日――の指定日でもないのに、一体誰だ。経営学科に通うシャルルを心配すると、今朝の記憶に付属したゆきの厚顔を思い出し、次いでうるんだ瞳と、腹部のくびれとへそ、扇情的な胸のふくらみが、
「……」
武彦を現実に引き戻したのは、身も世もない女子たちの叫び声だった。
これはただ事ではない。
武彦は逃げてくる女子たちとは逆方向に進んだ。焦慮がせり上がり、ぜえ、とこごったような吐息が漏れる。何か、嫌な予感がする。
「相原!」
絶望の予感は、確実なものとして表側に裏返った。
相原愛莉は地べたに横たわっていた。
「……茂来くん。うわ、また嫌なときにくるのね」
嫌なとき。つまり彼女の愛用の眼鏡がひしゃげ、V‐ドライブ内蔵の木刀を転がしておくしかないときだ。ブレザーの下、シャツは真っ赤な血で濡れていた。
「助けにきてくれたのなら、微妙に遅いかも」
「あ……いや。どうかな。遅れてこなきゃ、ヒーローじゃないだろ?」
愛莉は苦笑したまま答えない。
介抱の仕方もわからず、武彦は中途半端に出した手を引っ込めた。
キザったらしい返事をしただけで、何もできない。これっぽっちもわからない。一体全体、何が、何で、何を何すればいいのか……!
「昨日はごめんね」
愛莉が何について詫びているのかもわからなかった。
「茂来くんが頑張ってるのは、私にもわかってたんだけど……つい口がすぎちゃって、ごめんなさい」
「やめてくれよ。口がすぎたのはお互い様だろ。だから僕も謝ろうと思って」
「……私、エリートじゃないでしょ?」
「え」
「私なんて女はね、総英雄長にもなれない、いざってときの事件も解決できない、あまつさえ友達も守れないやつなの」
「そんなことはない!」
「無能で、臆病で、ちっぽけなやつをっ……エリートとは、言わないと思うんだけどな」
「……!」
笑みの形を作った唇が震えていた。武彦はだしぬけに、その唇に手を添えて、震えを止めてやりたくなった。もちろん、それもできなかった。
愛莉は投げ出した足先を見つめ、思いきり自分の胸ぐらをつかんだ。
「今になって理解したわ。ああもう! 嫌になっちゃうなぁ……! わ、私は昔っから、実はなんにもできっ、で、できなかったんだ……」
「あ、相原」
「ちくしょう……!! 今だって! 私は、何もできないままなんだ……っ!」
悔しいよお、と。彼女の顔が歪む。
ほろほろとこぼれた涙が、顔をおおった両手の下から染み出した。
「……あ」
あれだけ――まるで痴呆のように――わからないを連発していたのに。
ただ一言。それで気持ちは伝わった。見えていた景色が、変わる。
「ああ」と、武彦は立ち上がった。
つき添っていた愛莉の友人に応急処置を任せ、歩を進める。
自分でも驚くほど落ち着いていた。愛莉の本音に触れて、荒れていた胃の腑に、何か冷たい物が落ちたのだ。
「茂来くん……! お願い、皆をっ」
弱々しい涙声を聞いて歯噛みする。痛い。奥歯が割れそうだ。
だが、それがどうした。構うものか。重い頭を手で押さえ、歩きつづける。いち早く激情を読み取った『特性』が反応し、毛先で紫電が散った。
向かう先では、ゆきと金髪の少女が口論している。
といっても、ゆきが一方的にまくし立てている感じだ。武彦は二人の前に立った。
「で、どっちが敵だ」
目を見開き、「変態仮面!」と中傷を浴びせかけてきたのがゆき。
もう一人の金髪少女はとぼけた顔をしていた。アンドロイドの穏やかな表情とも違う。もっと無機的で、毛ほども人間味を感じさせなかった。
右腕を粘土のように胴体と接合させた時点で、決して人間ではないのだが。
「あなた、英雄長なの」
おもむろに金髪少女が問うた。巨大なフォークを片手にして、やはり泰然としている。
「ああ。僕は総英雄長V‐Ⅳ、アビス・テンペストだ。相原をやったのは君か?」
「うん」
「知ってるとは思うが、指定日以外の戦闘行為は禁じられている。ひとたび教育の一環から外れれば、乱闘なんてもんは暴力でしかないからだ」
「あなた、なめてるよ。それくらいは、わたしもご存じ」
「へえ。その結果にお前がもらう勲章が〝停学〟か〝退学〟の二つしかないってこともか? なあ、どうしてこんなことをする」
「だって、エーユーチョーをやっつけろって、言われたもん」
少女は落ちていたメトロノームを持ち上げ、腹の中へ。
当たり前のように沈み込ませた。
ずぶり、ずぶり。人とメトロノームが滑らかに同化している。
「けぷ」
「……マジックはそのくらいにしてくれるかい。それとも拍手した方が?」
「してもいいよ、って。ツェーネが言ってる。あと、相手が名乗ったら、自分も名乗るべき、だって。ねえ優しいでしょう、ツェーネ」
誰のことだ。ちょいと顎をしゃくると、ゆきは「その展開はもういいです」とおかしなことを言った。彼女は放っておこう。
「わたし、フロップよ。フルネームは【SIX/FLOP】で、あだ名は」
どこかで聞いた名だった。あれは、殿田の話だったか。
悪行秘密結社・研究会が擁する最終兵器。その名も、擬態金属生命。
「――V‐X」
「な、じゃあお前が……」
「わたし、がみがみされるの嫌いよ。すっごく」
フロップがぴょんと後退する。
広げた五指の先から、指はパチンコ玉サイズの球体に分離していった。
銀球は円錐形に変形し、重力に逆らって浮かんでいる。
「これ、無限回帰弾」ニコリともせずにフロップ。「全部わたしよ」
「っち」
濃密な危機感が神経系を走り、迷わず横っ飛びする。
殺到した銀の弾丸は、さながらショットガンのごとく。地面がどばんと破裂した。
噴き上がった土の柱を尻目に、武彦は靴底で地面をすって制動をかける。危なかった。だが、見た目ほど変わった攻撃ではない。隙だらけのところを速攻で叩く!
そくざに攻めへと転じ、フロップに肉薄した武彦は――弾丸に穿たれて死んだ。
「ッ!!」
さらに後ろへ跳躍できたのは、高い生存本能の賜ものだ。
至近距離を弾丸の群れが駆け抜けた。
それすらも宙でブレーキをかけ、慣性によって滑りつつも、頭をこちらに向け直す。再掃射。
「そっちのわたしたちは、追いかけっこが大好き。結構、粘り強いよ」
「冗談じゃないな」
フロップ自慢の追尾ショットガンのおかげで、皮肉を返す暇すらない。
無数の弾丸が追いすがり、反転、発射のたびに重低音を鳴らす。弾丸が帯びたプラズマ光の残滓は、空間に縦横無尽の光跡を描いている。
「……っ!!」
肩が重かった。生死の狭間にいるというのに、この気だるさはなんだ。
肩の重みは判断を、ひいては身体の動きも鈍らせる。
思えばいつもそうなのだ。総英雄長に選ばれてからは、いつだって肩が重かった。選ばれなかった生徒の苦渋と理想を、どうやって背負えばいいのかわからず、かといって捨てることもできなかった。
今では愛莉の想いも乗じ、想いの密集は肩を押し潰そうとする。
狐の尻尾を、『鳴神狐』の誇りすら隠すちっぽけな男を、だ。
正義も悪も、敵も味方も、外からも内からも総がかりで。
「悔しい」と、涙を呑んだ愛莉の声が、頭の中で反響しつづけていた。
悔しい、悔しい、悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しいと。
(そりゃあ悔しいとも――僕だって)
「ねちねち、ねちねち追っかけやがる!」
ほとほとウンザリだった。
「何もかもが目障りだ!」
今日ほど惨めになったことはない。
弾丸の群れが反転する。射線から退避すべきところを、逆に弾丸に向かって猪突する。
全速力で追い抜く。半秒もたたずに反転し直すだろうが、そんな時間は与えない。鳴神狐の能力を発動。瞬間放出した雷撃が背後ではじけ、弾丸を八方にはねのけた。
「歯を食いしばれ。電磁加速雷拳――」
「?」
「――ボルティック・バースト!」
「ぎゅぶぅっ!?」
にぶい衝撃が拳に伝わる。弾力があるような、ないような手ごたえ。
いずれにしろ人肌を想起することはない。
集束する雷電にともない、武彦は真正面からフロップを殴り抜いた。
フロップは簡単にふっ飛んで行った。




