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傷痕

 変形と言うギミックは『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』に限らず、慎吾にとっては目新しいものでも何でもない。

 元々は、ロボットアニメのスポンサーであった玩具メーカーの意向から始まったとか、何とか言う話だが、慎吾にとっては、変形するロボットと変形しないロボットがいる程度の認識しかない。

 だが、瞬時にしてその形を変えた《ファーブネル》は、ロボットアニメを始めとする、そうした文化には無縁の異世界ファーラの人々にとって、凄まじい衝撃を与えたようだった。



         ◇



「く……、私は眼をどうにかしたのか。今まで人型と見えていたようだが……あれは、鳥……ではないな。むぅ……」


 その美しい瞳が台無しになるほどに、やたらと擦りながら《クワポリガ》の艦長席で、ザミーン帝国第三皇女テレーゼが呻いていると、傍らの武官が気遣うように言った。


「殿下、このクラウスも同様でありますれば、そのようにお眼を傷つけるような真似はお止め下さい」

「そうか、お前にも、あの人型が「化けた」のが見えたのだな」


 シンゴが聞いたら怒り出しそうな表現で、皇女はようやく現状を受け入れたようだった。


「分析官」


 テレーゼに呼ばれた魔導士も、眼のあたりを揉みながら困惑を隠せないようだった。


「恐れながら殿下。やつがれめも同じであります」

「そんなことは聞いておらぬ」

「はい。まず、「あれ」が今の今まで人型であった事は間違いありません。それが瞬時にして、あのような鳥もどきの形になりました」

「魔導の業か?」

「《クワポリガ》の強力な魔導圏内におりますれば、ひどく分かりにくくはありますが、「あれ」が形を変えた時に、特に魔力を感じた等と言う事はありません」

「お前でも、あの目晦ましの仕掛けはわからぬか」

「後ほど、記録を検証しませんと何とも。ただ、目晦ましと言うわけでもなさそうですぞ」


 魔導士が注意を喚起すると、テレーゼはようやく、鳥もどきに変わった敵の動きに気が付いた。



         ◇



「何だ、あの速さは。このシルフィードが全く追いつけぬ」


 シルフィードの搭乗者の一人が呻くように言った。

 風の魔法に特化した飛行型魔装機甲兵であるシルフィード級は《空魔ギガント》級を別とすれば、天空の覇者の代名詞でもあった筈だ。

 他の国にも飛行型魔装機甲兵が無いわけでもないが、速度や機動性でシルフィードを上回る機体は存在しない。

 だが、あの鳥もどきの速度は、遥かにそれを上回っているのだ。



 《ファーブネル》の戦闘機形態である《ファーブネル・フライヤー》は、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』初期の運営に参画していたと噂されるその道の専門家が、まっとうに航空力学に基づいてデザインしたとも言われているが、真偽のほどは定かではない。

 ただ、《ファーブネル》とそれ以降の空戦型BMRでは、素人目にもわかるほどにデザインのコンセプトが異なると言う事実だけは確かだった。

 もっとも、異世界ファーラの空を自在に駈けるフライヤーのコクピットで「ヒャッハー」しているシンゴには、どうでも良いことでもあったようだ。


「ん~、大空を自由に飛ぶってのは気持ちいいものだなぁ」


 螺旋を描くバレルロールや宙返り(ループ)を始めとする各種の空戦闘機動コンバットマニューバでシルフィードを翻弄しながら、シンゴはご機嫌だった。

 現実の戦闘機であれば、確実にブラックアウトかレッドアウトを起こしているレベルの速度でそれらを行っているのだが、コクピットを保護する重力制御のおかげで、軽いGしか感じない。

 モニタを全天周囲方式に切り替え、思い切り開放感を味わっているようにも見える。

 もっとも、これは遊んでいる、と言うわけでもない。

 普通の大学生にしてゲーム廃人だった九之池慎吾は自動車の免許すら所持しておらず、いわんや、こんな戦闘機を操縦した経験などあるわけも無い。

 『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』におけるBMRの操作は専用のゲームパッドで行っていたわけだが、このコクピットに並ぶ各種機器は初めて見るものばかりだ。

 しかし、その眼は各種計器の表示を読み取り、その手は指先をコンソールの上で軽やかに躍らせたかと思えば、次の瞬間には的確に操縦桿を操り、フットペダルを踏む足にも全く迷いは無い。

 今の彼はパイロット属性を極限にまで高めたシンゴなのだから、それも当然と言える。

 だが、今の自分に対して、サラマンダーを相手にした生身での戦闘とは別種の驚きを感じてもいた。

 つまり、《ファーブネル・フライヤー》が演じている、このアクロバティックなマニューバは、言わばシンゴが自身の技量を再確認する儀式でもあった。


 一方、サブシートに居るヘレーネにとっては、自分から乗り込んだ事とは言え災難以外の何物でも無いと言えた。

 全天周囲モニタの光景や軽いとはいえ明確に感じられるGは、体感的には非常識なまでの高さに宙づりにされ、振り回されているようなもので、この異世界ファーラの人間にとっては、全くの未知の感覚であり恐怖であった。


「ひぃ、ひぃぃ」


 必死でハーネスを握り締め、涙を浮かべて掠れた悲鳴らしいものを喉から漏らしている。

 日頃の美しくも勇ましい女戦士ぶりの片鱗も無い。


「ふむ」


 何を思ったか、シンゴは唐突に全スラスターを停止させた。

 失速した機体は、きりもみ状態のまま墜落していく。

 しかし、サポート用人工知能のチルは警告を出すわけでもなく、急激に減少する高度と、地表に激突するまでの時間をカウントするだけであった。

 重力制御装置もオフにした為、自由落下状態における体が浮くような不快かつ不安な感覚が、永劫と思えるほどに途切れることなく続く。

 先ほどまでが猛烈なローラーコースターだったとすれば、今度は究極のフリーフォールである。

 絶叫マシーンなどあるわけもない異世界ファーラで育ったヘレーネにとって、これはトドメとなったようだ。

 ぐりんと白目をむいて気絶してしまった。

 だが、シンゴはそんな事にも気がつかないようで、軽く腕を組み目を閉じてチルのカウントに耳を傾けていた。

 ついに、チルが警告を発する、その直前に、シンゴは眼を見開くと同時に機体のスラスターを起動させた。

 地表に激突する寸前で、《ファーブネル・フライヤー》は機体を起こし、再び空へと舞い上がっていく。


「緊急起動にも問題無いようだな」

『肯定。ちなみに、ユーザの操作は、警告より三ミリ秒ほど早かったと記録されています』

「ふ~ん。この間は五ミリ秒だったから、新記録かな」


 改修した機体のテストを兼ねたいつものゲームだった。

 機体を起こすのが、チルかシンゴかを競うのだ。

 ただし、パイロット属性の補正無しで慎吾が行った場合、このゲームでの戦績は全廃……いや、全敗である。


『同乗者である「雌犬」が不活性化したようです』


 チルの言葉に、無理やりに同乗してきた娘の事を思い出し、そちらを見ると百年の恋も冷めてしまうほどの顔つきで気絶していた。


「あちゃあ~」


 少しばかり調子に乗り過ぎたかもしれないと、反省するシンゴだった。


『極めて微量ではありますが、ユーザ単独時よりもコクピットの質量が増大しており、現行の機動において、これも軽微ながら発生するロスの要因と考えられます。「雌犬」を廃棄する事で改善されるものと助言します』

「廃棄?」


 すぐにでも、ヘレーネをコクピットから放り出しそうなチルの言葉に、シンゴは慌ててかぶりを振って「必要ない」と命じた。


「ところで、一応、聞いておくけど、増大ってどのくらいだ?」


 ヘレーネに意識があれば、確実に生傷が増えそうな事を尋ねてみる。

 チルは即座に回答したが、これが標準より大きいのか小さいのかよくわからない。

 ただ、力無くぐったりとしている彼女の、大股開きになった肉感的な太腿に、つい視線がいってしまう。

 今、前方に回り込めば確実に(色々と)見える筈だが、空戦機動コンバットマニューバの最中にハーネスを外すわけにもいかない。


「ちぇっ」


 ままならぬ状況に、軽く舌打ちするシンゴだった。



         ◇



 ザミーン空軍のシルフィード達にしてみれば、ままならぬ、どころでは無い。

 テレーゼ皇女の命令を実行すべく、高速で機動する《ファーブネル・フライヤー》の後を、全機でもってあたふたと追いかけるその姿は傍から見ると滑稽きわまりないものであった。


「何をやっている」


 その様子を見ていた『氷姫』の異称を持つテレーゼ皇女も、声に憮然としたものが混じるのを抑えきれないようだった。

 ザミーンの精鋭が駆るシルフィード級が、右に左に、上へ下へと、完全に振り回された恰好で、機体が浮遊時に纏う『風の結界』が無ければ、味方同士で激突したであろう局面も幾度となくあった。

 ある一定の空間に活動範囲を限定する事が可能であれば、小回りが利き、動きに自由度のあるシルフィードに分があったであろうが、仕切るものなど全くない大空と言うステージでは、完全に《ファーブネル・フライヤー》の独壇場である。


「それにしても、何ともすばしっこいやつだ。捕えよ、と言うのは無理があったか」

「狐狩りには数が足りぬようですな。さよう、シルフィードが百機あってもまだ不足でしょう」


 下問されてもいないのに、分析官がすまして言う。


「狐か、まさにその通りだな。よし、今後あいつの事はそう呼ぶ事にしよう」


 かくして、その色から『銀狐』なる呼称が決定された。

 だが、決まったのはそれだけで、その『銀狐』を鹵獲する妙案が浮かぶわけでもない。


「……いや、逃げる狐を追いかけるのが無理なら、餌でおびき寄せる手があるな」


 テレーゼ皇女は何事かを思いついたようで、氷のようなアイスブルーの瞳をギラリと光らせたようにも見えた。



         ◇



 ヘレーネの太腿に見とれている間に首都の上空に戻ってしまった事に気が付いたシンゴは、「いかんいかん」と呟きながら、再び城壁の外へと進路を変えようとした。

 その時、街中の一角で黒煙を上げている箇所があるのが見えた。

 緊急発進時には色々と取り込んでいたせいで気づかなかったらしい。

 なんとなくいやなものを感じて、街中から遠ざかりながらも、即座にその部分を拡大したウィンドウを表示させる。

 BMRに搭載された全方位を網羅するセンサーが、その光景を表示させたウィンドウに映し出す。


「む……」


 それは、あの治癒院を狙っていたシルフィードの搭乗者がテレーゼ皇女の最優先命令を聞いて、舌打ちと共に行きがけの駄賃とばかりに雷球の一撃を加えた跡だった。

 適当な狙いではあったが、治癒院は一部が崩壊し、避難していた人々に少なからぬ犠牲が出ていた。

 ある者は焼け焦げ、また、ある者は崩れ落ちた石材に押しつぶされている。

 動かないわが子に半狂乱になる母親らしき女性や、あるいは、死んだ母親の身体に取りすがる幼子の姿がウィンドウに拡大されていた。


「う……」


 見ていられなくなったシンゴが視線を転じた先は、偶然にも守備隊が壊滅した東門前だった。

 強化した動態視力は、崩れ落ちた大型弩砲の跡に散乱する守備隊の兵士だった物体のみならず、《三叉槍トリアイナ》やシルフィードの残骸から覘く変わり果てた搭乗者の姿を、しっかりと捕えてしまっていた。


 頭ではわかっていたつもりだった。

 ここは『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』の世界では無い。

 例え、搭乗する機体が四散しても、本人は嘆くだけで済むPCゲームとはわけが違うのだ。

 シンゴは無意識のうちに、首筋に手をやった。

 役目を言えた医療用ジェルは既に乾いており、瘡蓋のように剥がれかけていた。

 医療用ジェルの残骸を剥がしてみると、パイロットグローブ越しに微かな盛り上がりを感じる。

 微かに疼きを感じるそれは、傍らで気絶している、この娘によって付けられた傷痕に違いなかった。


 そうだ。

 この異世界に来た直後、慎吾は殺されかけたのだ。

 あの時の爆発的な痛覚の記憶は薄らいではいるが、その前後の、自分の首に鋭利な剣が食い込んだ瞬間の冷たい感覚と、噴き出した自分の血の生暖かさの記憶だけは奇妙なほどに鮮明だった。


「う、うう……」


 無意識のうちに呼吸が荒くなり、それに応じて動悸が激しくなる。

 パイロットの異常を感知したチルが機体を空中静止状態に置くが、それすらも今のシンゴは気が付かない。

 眼を閉じて、歯を食いしばり、ひたすらに意味の無い呻き声を上げるばかりである。

 その急激なバイタルサインの異常は、仮にアナログなポリグラフで測定したとすれば、その針が吹き飛ぶほどに激しい動きを示したものと思われた。


 この世界は『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』では無い。

 ここでの戦いは、ポイントのやり取りでは済まない……


「いや」


 唐突に。

 シンゴの全てのバイタルサインが正常値に復帰した。

 ただし、完治した筈の傷痕の疼きはいっそうにひどくなっている。

 シンゴからは見えなかったが、スーツのメディカル機能による細胞賦活と、ヘレーネが支払った『対価』による治癒が複合した結果か、それは奇妙な紋様にも見える。

 その紋様らしきものは、脈打つように微かに明減を繰り返すようでもあった。


「これは、やっぱりゲームに違いないか。ま、賭けるのはポイントじゃなくて、自分の命って事になるけどな」


 目を開けて、ゆっくりと守備隊の残骸を見回す。

 その表情は、むしろ、穏やかとすら言えた。

 武器を手に戦いに臨んだ以上、それは命のやり取りである。

 相手を殺す覚悟を決めた兵士が、力及ばずに殺されただけの話だ。


「でもな」


 そして、先ほど表示させたウィンドウを見る。

 ここの焦げ跡とあの建物のそれは、ほとんど同じものだ。

 つまり、全ては静止したフライヤーを包囲しつつある、この巨大な騎士達の仕業と言う事になる。

 傷痕をまさぐっていた手が、再び操縦桿に添えられる。


「お前らがやったのは、ルール違反だ!」


 その咆哮にも近い叫びと共に、生身ですらBMRを撃破するシンゴ特務曹長が、静止状態にあったFV‐14Sをフルスロットルで発進させた。

前回の予告通り、次回「救出(仮題)」は3/30を予定…… orz

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