空戦
ザミーン帝国空軍所属の《空魔》級三番機である《クワポリガ》。
その艦橋の艦長席に座る帝国第三皇女テレーゼは、ローセンダール守備隊が事実上壊滅した報告を受けていたところだった。
軍服に身を包み、美しいが酷薄な印象がある彼女は、苛烈な命令も眉ひとつ動かさずに下す事で知られる『氷姫』の異称で、敵のみならず帝国軍兵士にも恐れられているザミーン帝国きっての猛将でもあった。
必要があれば、味方すら犠牲にする事もいとわず、事実、兄にあたる第二皇子が所属する部隊ごと、敵軍を焼き払った事がある。
当時の記録によれば、第二皇子の陣営は敵の包囲下にあり、これを救出するには少なからぬ帝国側の犠牲が見積られていたと言う事実はあったのだが、第二皇子は、五人いる皇子の中でも、特に幼少の頃からテレーゼを可愛がっていた兄だと言う事は知られていたから、その決断と実行に、味方の方が恐怖したのだ。
「ギリアムはよくやったな。《ローセンダールの若獅子》との一騎打ちはまさしく余興ではあったが。まぁ、よかろう。敵の将軍を下した功ではある。魔導士専用機の鹵獲も合わせ、陛下に私から昇進を奏上しよう。後の制圧は……」
「おそれながら、殿下」
《クワポリガ》の索敵を担当する魔導士の一人の声が、彼女の思惟を中断させた。
「なにか?」
テレーゼは怒らなかった。
これは、緊急と思われる報告はいつでも行うべしとの下知を出していた事もある。
しかし、彼女は少女の頃から、なぜか感情を滅多に現さなくなり、その笑い声はもちろん、怒声すらも聞いた者はいない。
「は、何かがこちらに近づいております」
滅多に感情を現さないテレーゼではあったが、その美しい眉がほんの少し動く。
「報告は正確にしろ。何かが、ではわからん」
その魔導士は緊張の為に満面に汗を浮かべながら、尚も言葉を続けた。
「信じられない速さで飛翔する魔装機甲兵ほどの大きさの物体です。この《クワポリガ》の索敵限界の外から現れましたが、たった数秒で、二〇ククトの距離まで接近しました。現在は速度を落としておりますが、このような物体については寡聞にして知りません」
《クワポリガ》の索敵範囲は二千ククトだから、確かにこれはただ事ではない。
しかも、それは飛翔してくると言う。
まずもって鳥の類ではありえないし、帝国軍にもそのような速度を出せる魔導兵器は無い。
この《クワポリガ》は《空魔》級でも屈指の最高速度を誇るが、それでも一時間で百ククトが限界だ。
だが、その物体は一秒で千ククト近くを移動した事になる。
いや、そもそも、それは飛翔体だと言うが……
「情報官、帝国軍以外の飛行型魔装機甲兵、いや、それ以外の魔導兵器でもかまわん。該当するものはあるか」
情報統括庁から派遣されてきた文官が、起立して応える。
「おそれながら殿下。そのような報告、及び、類する情報は、少なくとも情報統括庁は受けておりません」
テレーゼは少し考え込んだが、すぐに次の命令を出す。
「画面に映せるか? 正面の水晶版に表示しろ」
命令は即座に実行され、《クワポリガ》の魔結晶視界が捕えた映像が、艦橋の正面水晶版に表示された。
「なんだ? これは」
テレーゼの艶やかな唇から洩れた言葉は、奇しくも、治癒院を狙っていたシルフィードの搭乗者と、ほぼ時を同じくして発せられた。
◇
『FV‐14Sが上空に到着しました。着陸位置を指定して下さい』
「ここで良い。広さとしては十分だ」
『了解しました。退避して下さい。FV‐14S着陸します』
チルの遠隔操作により、スラスターを逆噴射させて《ファーブネル》が降下してきた。
凄まじい豪風が、離宮の庭に植えてあった樹木をなぎ倒す。
ただし、噴射と言う言葉からイメージされる輻射熱はほとんど無い。
BMRに搭載されているスラスターは、エネルギー効率を極限にまで向上させており、熱となってロスするエネルギーは皆無に近い。
一つには、輻射熱と言う要因は、機体の召喚に色々と制約が発生するからと言う配慮なのだろうが、この異世界に顕現したBMRも、その設定に忠実に従っていた。
豪風の直撃をやり過ごすまで建物の陰に隠れていたシンゴが、着陸した《ファーブネル》の元に駆け寄ると、ヘレーネもその後に続いた。
搭乗口を低くする為に、何かに祈るように膝をついた姿の《ファーブネル》を見て、ヘレーネは目を見張った。
「こ、こんな魔装機甲兵は初めて見る」
巨大な甲冑と言うイメージの魔装機甲兵とは明らかに異なる鋭角的なフォルムだ。
制空迷彩を施されたシルバーグレーのメカニックなデザインは周囲の中世風の建物との違和感が半端無い。
『魔装なんとかじゃない。BMRだ』
シンゴの説明をチルが素直に翻訳する。
さすがに、BMR絡みで、十八禁ゲームな語彙は使いようが無いようだ。
「びぃえむ……?」
『言いにくかったらバムロードでもいいさ。じゃ、逝ってくるわ』
ネット上でのスラングを交えた言葉を残し、差し出すように置かれた《ファーブネル》の掌を足掛かりに、シンゴは軽快な動作で、開いたハッチへと飛び込んだ。
操縦席に座り、素早くハーネスを締める。
パイロットスーツに各種ケーブルを接続しようとしたところで、開けたままのハッチからヘレーネがよじ上がってくるのが見えた。
『おい、ちょっと待てよ』
「私もいくぞ。貴様を逃がすわけにはいかん」
『いや、サブシートはあるけど、これから戦闘……』
『ハッチを閉鎖。緊急発進します』
ヘレーネが入り込んだところで、チルが唐突に告げて、ハッチが閉じられた。
離宮の庭に着陸した《ファーブネル》に向けて、上空のシルフィードが攻撃態勢に入ったのを察知したのだ。
この時、ハッチにヘレーネの纏ったカーテンがはさまってしまい、そのままコクピットの床に転げ落ちたヘレーネの体から、剥ぎ取られる形となった。
「うわあああ」
『あわあああ』
ふたつの悲鳴をコクピットの中で響かせながら、空戦用BMRは緊急発進した。
◇
照準に捕えていた筈の「それ」が、信じられないような加速で上昇してくるのを見て、攻撃態勢に入ったシルフィードは、慌てて回避行動に移った。
それらの映像は《クワポリガ》の方でも確認されていた。
「私の記憶違いでなければ」
ザミーン帝国第三皇女テレーゼが、侍従を兼任する武官に確認するように言った。
「あの機体に乗り込んだ――最初の男は知らぬが、その次に乗り込んだのは……」
「は、ローセンダール近衛騎士団団長の娘に間違いありません」
その武官の言葉に、テレーゼは軽く頷いた。
「うむ。確か、フランチェスカ王女の護衛でもあった筈だな。と言う事は「あれ」はローセンダール側の機体と言う事になる」
「おそれながら殿下。ローセンダールがあのような機体を開発、所持していたとは……」
蒼白になって言いかける情報統括庁の文官へ、ザミーン帝国の『氷姫』は異名に相応しい冷ややかな一瞥を向けた。
「ローセンダールの防諜組織が曲者揃いである事は知っている。あちらが一枚上手だったと言う事だ」
そして、今度は別の魔導士に視線を向ける。
「分析官。あの機体をどう見る」
「はい、《クワポリガ》の魔導圏内にいるにも関わらず、全く影響を受けていないようです。加えて、飛来した時の常識外れの速度を考慮しますと、極めて強力な魔導機関を搭載しているものと考えます。魔導士専用機として、増幅域を抑えた魔導機関の開発については情報がありましたが、あれは、その真逆のシロモノのようですな。あるいは、増幅抑止の研究課程で「合わせ鏡の法式」に関する新たな技術を開発したのかもしれません」
テレーゼ皇女の威圧を受け流すように、その魔導士は飄々と自分の推測を述べた。
その内容は、テレーゼの考えとも一致した。
「全軍に通達せよ。あの機体の鹵獲を最優先とする。《クワポリガ》も全力を持ってこれに当たる」
この首都に残されたまっとうな戦力は、あの機体のみであるとの判断の元、テレーゼ皇女は新たな命令を下したのであった。
◇
上昇し、一定高度でスラスター噴射を調整する。
静止状態となった《ファーブネル》のコクピットでは、カーテンの残骸を巻き付け直したヘレーネが、サブシートに落ち着いてハーネスをぎこちない手つきで締めているところだった。
新しい手形も痛々しいシンゴは不条理を感じつつ、状況を確認していた。
「あのデカブツはともかくとして、他の……ええと、魔装機甲兵だっけ、あいつらはどうやって揚力を得ているんだ? どこにもスラスターの類はなさそうだな」
『肯定。あの動きは滑空機に近いものがありますが、それにしては不自然なものが大きいと分析します。おそらくは、重力制御によるものではないかと推測します』
浮遊する風の魔法など理解の範疇に無いチルは、そのように分析した。
「重力制御で機体を浮かせながら、攻撃も出来るって事か。かなりチートな技術だな。さすが異世界、恐るべし」
知らない事とはいえ、自分の事を棚に上げて、シンゴは慎重に周囲を見回す。
「特に指定しなかったから、《ファーブネル》は標準装備のままで召喚しちまったな。チル、この武装で通用すると思うか?」
『先日のミッションにおける敵性オブジェクトを参考にするならば、ビームバルカンは十分な出力であると判断します』
《ファーブネル》の空戦における固定武装は、二基のビームバルカンである。
これ以外に、ウェポンベイ(兵器庫)に二発の短距離空対空ミサイルと六発の中距離空対空ミサイルを搭載している。
ビームサーベルも両腕に格納しているが、これは地上戦闘での格闘戦で使用するもので、空戦では使用できない。
もっとも、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』では自由落下している機体同士での格闘戦もあるのだが、これは空戦の範疇には含まれないだろう。
『現在の敵オブジェクトの重力制御がどこまでの性能かは未知数ですが、あの形状からは、大気圏中での速度性能では《ファーブネル》が優勢であるものと推測します』
「つまり、スピード勝負ってことね。まぁ、敵の武装がどれほどの威力かは知らないが、当たらなければどうと言う……いや、当たらなきゃ大丈夫って事ね」
某作品キャラの科白をそのまま「引用」する寸前で(なぜか)慌てて言いかえるシンゴだった。
「とりあえず、この街の上空でドンパチやるわけにはいかないな。外へ出るぞ」
《ファーブネル》が静止からゆっくりとした移動を始めると、包囲したシルフィードもそれを追うように移動する。
その中にはテレーゼ皇女からの最優先命令に従い、《レバンゲル》の鹵獲を中断したギリアム機も、治癒院を狙っていた機体もいた。
全ての敵を引き付けている事を確認すると、移動速度を速めた。
『逃げるぞ!』
『追え』
シルフィードの間で交わされる会話が、翻訳されてシンゴの耳に入った。
「けひひ、けひけひ~」
思わず(本気で)笑ってしまうシンゴだった。
傍らのヘレーネが引いている事にも気が付かない。
包囲網が完全に首都の外に出たところで、シンゴは《ファーブネル》を飛行形態に移行させた。
シルバーグレーの人型ロボットが空中でジェット機に変形する。
これには、シルフィードの搭乗者は無論、その様子を水晶版で監視していたテレーゼ皇女を始めとする《クワポリガ》の艦橋の面々、そして、地上から目撃していたヴァルマーやソニアといったローセンダールの人々も目を剥いた。
「な……何だ、何なんだ、あれは?」
滅多に感情を現すことの無い、テレーゼ皇女の驚愕の叫びは、しかし、他の異世界の人々の代弁でもあっただろう。
「よっしゃああ、空戦ミッション、やってやるぜ」
例外は、コクピット内にいてそれを知る由も無いヘレーネと、相変わらずにゲーム感覚のシンゴだけであった。
空戦でこの変形は妥当だと思うのですが、ロボット対戦と言えないような orz
次回「救出(仮題)」は3/30を予定しています