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覚醒

 王族の『聖なる義務』を果たす為に、フリュム神殿へと向かったフランチェスカ王女の一行が、ザミーン帝国の魔装機甲兵の襲撃を受けたとの知らせに、ローセンダールの首都ヘルツェンにあるミルヴァ宮殿は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 いくつかの情報が錯綜する中、王女の無事が確認された為、ひとまずの帰還が決定され、迎えに行った近衛騎士団一個連隊が戻ってきたところで、一連の騒ぎは沈静化した。

 だが、喧騒が終わった後にミルヴァ宮殿を支配したのは、深い困惑であった。


 その「サロン」と呼ばれる部屋は、広間と言うにはささやかな規模で、配置された調度品も比較的質素と言うものであったが、伯爵以上の爵位を持つ貴族、及び、大臣や将軍クラスの武官のみが入室を許される、特別な施設だった。

 フランチェスカ王女の側近にして、宮廷魔導士でもあるソニアであっても、ここへ入ったのは、祖母の後を襲名した時の一度しか無い。

 ローセンダールと言う国家の意志決定の場でもあるその施設に、彼女が呼ばれたのはフランチェスカ王女と共に帰還した翌日の事であった。


 ボーデン領の領主とローセンダール宰相を兼務するボーデン侯爵は、穏やかで物静かな壮年期の人物で、この国における権力の頂点に立つには覇気が足りないと言う印象を受ける。

 誰に対しても、例え使用人であっても丁寧な言葉づかいをすると言うこの宰相へのローセンダール国民の人気は、かなり高いのだが、その性格は優しいとか甘いと言うにはほど遠いものである。

 今回、フランチェスカ王女の王位継承権を剥奪した上で、『聖なる義務』を課したのは、まさにこのストライム・ボーデン侯爵なのだから。


「魔装機甲兵を瞬時に移送する魔導技術ですか。厄介な話ではありますが、色々と制約がありそうですし、深刻な脅威となるにはもう少し猶予があるでしょう」


 ソニアからあらためて報告を受けたボーデン侯爵は、そう結論づけた。


「そう言えるのかな。単体と言えど魔装機甲兵を、その備えのない場所に瞬時に送り込む事ができると言うのは、深刻な脅威以外のなにものでもないと思うのだが」


 反論したのは、軍務卿であるサイラス将軍である。

 老境にさしかかっている年齢だが、その逞しい体躯からは衰えの気配などは微塵も感じられない偉丈夫だ。


「将軍の言われる『備えのない場所』にとっては脅威ですが、この首都ヘルツェンをはじめとした重要な拠点には必ず魔導機関が設けられております。魔導圏内による優位性を持たない、単体の魔装機甲兵への対応は将軍の手に余る事態だと、そういう事でしょうか」


 宰相は穏やかな口調で、年長の将軍に結構辛辣な事を言ってのけた。

 誰に対しても穏やかで丁寧であり、そして辛辣かつ苛烈なのが、このボーデン侯爵という人物であった。

 サイラス将軍は不機嫌そうに押し黙った。

 戦場にあっては百戦錬磨の権化とも言える初老の武人だが、会話を武器とするこの場所では不利である事を自覚してもいたので、これ以上は差し控えたと言ったところだろう。

 もっとも、この程度で容易く感情を激するような性格では将軍職などは務まらないわけでもあるし、宰相の挑発的なもの言いは、常の事でもある。


「深刻なのは王女殿下が、その『備えのない場所』で襲われた事実ですね。殿下がフリュム神殿に行かれる経路や日程等が、かなりの精度でザミーン側に漏れていたと言う事になるわけですから」

「その件は、現在、関係者を鋭意調査中です。ただ、相手が神殿関係者になりますので、少し面倒な事になりますが」


 宰相の言葉に答えたのは、防諜を管轄する文官の一人だった。

 ただし、彼の役職や姓名は、この部屋にいる面々のほとんどが知らされていない。

 ソニアには知る由もないが、じつは、防諜を管轄すると宰相から紹介される文官については、この部屋での会合で同じ人物が現れた試しが無く、また、この部屋に現れた人物を他の場所で見かけた事すらない。

 機密中の機密扱いとされるこのローセンダールの防諜組織に関しては、国王すらも詳細を知らないとも言われている。


「面倒な話は私が引き受けます。そちらはやるべき事を存分にやって下さい」


 ボーデン侯爵はあっさりと言った。

 わざわざ、防諜組織の人間をこの会合の場に呼び、そのような一幕を見せつけるようにしたのは、責任の所在を明確にして他に累を及ぼさないための配慮とも言えた。

 このような人物である為、軍部の長であるサイラス将軍も、その辛辣な言動に腹を立てる事はあっても、この宰相を放逐しようなどとは露ほども考える事はなかった。


「魔装機甲兵と言えば、戦線の方はどうなっていますか?」


 ボーデン侯爵はサイラス将軍では無く、もう一人の将軍に尋ねた。

 ローセンダールの軍部には、現在、三名の将軍がいる。

 その頂点にいるのがサイラス将軍であるが、その職責は主に軍部人事をはじめとした軍の内部統制に関わるものであり、対外に関する事項については他の二名が担う事になっている。

 宰相の質問を受けて、その二名の一人、ヴァルマー将軍が発言した。


「現状、膠着状態と言っていいでしょう。ザミーン帝国も《海魔(クラーケン》級や《空魔ギガント》級を投入しておりますが、こちらも《城塞キープ》がありますからねぇ」


 ヴァルマーは将軍という軍の重鎮には見えない、軽薄で締まりのない印象を与える細身の青年だった。

 軍服は一応まともに着ているが、普段は着崩しているのがまるわかりの状態であり、長く伸ばしたままの赤みを帯びた髪は、適当に後ろでくくっている。

 しかし、その外見とは裏腹に鍛え抜かれた武技の達人であり、サイラス将軍も一目置く剣の使い手だった。


「ですが、あちらはなんといっても西大陸の半分を占める大国、こちらは弱小国家の寄せ集めに過ぎない連合軍。攻める方の帝国には物資運送と言うハンデがあったわけですが、その移送の魔導技術を本格的に導入された日には、帝国の物量には敵わないでしょう。宰相閣下の言われる『もう少し猶予』がある間に、打開策を打ち出さねばなりません。連合軍も各国諸々の思惑がありますので、いつまでも団結していられるかは微妙なところですな。カウスティネン王国当たりは、そろそろ帝国側に寝返りそうな気配があるとバウフマンのやつが愚痴交じりに報告してきておりますよ」


 遥か遠くの前線にいる、もう一人の将軍である同輩の名を出してヴァルマーは歯に衣着せぬ口調で報告した。

 別に上官であるサイラス将軍に対する、先ほどの宰相の言葉への意趣返しと言うわけでも無く、これはこの青年の地なのである。

 もっとも、巧言令色と言う言葉が似合いそうな人物が数少ないと言うところが、ローセンダール首脳の特色でもあった。

 無駄に飾り立てた言葉で時間を浪費するような者は、まず、この「サロン」に呼ばれる事は無い。


「打開策ね。確かに、その為に王女殿下にフリュム神殿へと赴いてもらったわけですが……」


 宰相の言葉がそこで途絶え、「サロン」に居る面々の視線が、あらためて宮廷魔導士を務める黒髪の娘に集中する。

 現在のソニアは、宮廷魔導士の略式正装に身を包んでいる。

 あの妙に露出の多い衣服は、体に刻んだ魔紋で魔導を発動するトロンヘイム派魔導士の、いうなれば戦闘服だ。

 宮殿内では、現在のような略式正装の姿でいる事が多い。


「魔装機甲兵を生身で撃退とは、未だに信じられん」


 溜息まじりに首を振りながらサイラス将軍が、幾度となく口にした言葉を繰り返す。


「魔導圏内で発動したと言う銃に関しては、技研の方で解析を急がせておりますが、材質から何からが全く見たことも無い造りで、分解すらできないと報告が……」


 魔導技術管理庁の長官が困ったように言う。


「分解ですって? お約束が違うではありませんか!」


 それを聞いた黒髪の娘が美しい眉を吊り上げた。


「言わば恩人に当たる方の私物を勝手に持ち出させておいて、そのような……」

「その恩人に怪我を負わせた不肖の娘はどうしているかな」


 ソニアの怒りに満ちた声を遮ったのは、ラハト騎士団長だった。

 女戦士ヘレーネの父親であり、近衛騎士団を束ねる人物でもある。

 そのラハトの言葉は、その場に居合わせながらヘレーネの、言わば暴走を止められなかったソニアへの責を問うような響きがあり、彼女の感情を鎮静化する効き目があった。

 うっかりと失言をしてしまった魔導技術管理庁の長官が示す感謝の目配せに軽く頷いて見せて、ラハト団長は尚も言葉を続けた。


「まぁ、育て方を間違えた私にも責任はあるかもしれんがね。しかし、首元をざっくりとやられたと言う割には容体は安定していると聞いたが……」

「現場の調査結果や、お主の娘が浴びた返り血、そしてあの服についておった血の量を見るに、そうとうな出血だった事はたしかじゃな」


 ナハル治癒院の長である老婆が口をはさむ。

 ローセンダールの全医療施設を統括し監督する部局である治癒院を束ねる人物だ。


「しかし、傷口をあらためる事は無論、あのみょうちくりんな服を脱がせる事もできぬとあっては脈のひとつも測れぬ。儂にも手の出しようが無いわい」


 老婆の口調には驚きよりも呆れに近い成分が多く含まれていた。


「確かに容体は安定しているようではあるが、お主の娘が支払った『対価』による治癒の効果なのかどうか、それすらもわかりゃせんわい」

「それにしても、厄介な『対価』ですな。ある意味では幸運ではありますが、おかげで、その御仁を見に行く事もできません」


 と、ぼやくように言いながら、青年将軍のヴァルマーがラハト騎士団長を見る目つきは、からかうような、揶揄するようなものであった。


「ヴァルマー将軍が見舞いに行きたいと言うのなら、私としては構いませんよ。とっくに勘当した娘でもありますから。後が怖くなければ存分にどうぞ」


 ラハト騎士団長はあっさりと言ったが、ヴァルマー将軍はとんでもないと言うように、首を横に振った。


「いやいや、男としては、見に行きたくないと言えば嘘になりますが、さすがに、王女殿下を筆頭に、宮殿の女性陣に嫌われるような真似は勘弁願いたいところですな。何より、団長殿の娘は私にとっても愛弟子です。まぁ、目の保養は『対価の装備』だけで十分ですよ。それ以上は婿になる相手に取っておきましょう」


 へらへらとした口調と軽薄そのものと言った科白ではあったが、その中に、ヘレーネを思いやる気持ちが含まれているのを感じ取ったのか、ラハトは軽く頭を下げた。


「警備の方はどうなっていますか。こうなっては王女殿下の件よりもそちらの方が優先度が高いと言わざるを得ませんが」


 宰相が確認するように発言した。

 それに応えたのは、ラハト騎士団長だ。

 王族関連施設、及び宮殿内に限って言えば、武力や警備に関する権限はサイラス将軍を筆頭とする軍の上位に位置するのが近衛騎士団である。


「療養に割り当てた離宮は、近衛騎士の精鋭によって幾重にも取り囲んでおります。万が一にも他国の間諜スパイが忍び込むような事はありえませんし、逆に、ネズミ一匹、いや、蟻の一匹すら這い出る事のできるものではありません」

「魔導士による監視網も同様です。突然に現れたと伺っておりますので、あるいは、転移魔法を行使する可能性を鑑みて、魔力障壁も多重展開しております。羽虫の一匹でも出入りを許すものではありません」


 ローセンダールにおける公式魔導士の元締めとも言える魔導技術管理庁の長官も追従するように発言した。

 宮廷魔導士は王族に仕える魔導士なので、現在のソニアは命令系統を異にする立場にあるが、元々はこの長官が上司だったわけで、銃の提供を要請されて断り切れなかった理由も、そこにあった。

 宮殿における武力と魔導の、各々の責任者が自信に満ちて、蟻一匹、羽虫一匹の出入りすら許さないと言ったのは、あくまでも比喩に留まる。

 何故なら、現に話題となっている場所から、この「サロン」に侵入した存在があるからだ。



 イオンクラフトによって無音で浮遊する超小型プローブは、光学迷彩を施されている事もあって、常人が探知する事はまず不可能だった。

 そもそも機械である為、この世界ファーラの魔力障壁にとっては、空中を浮遊する綿埃と区別できるものでもない。

 超々高密度集積回路による内蔵されたカメラやマイクは、そのサイズに比べて驚くべき性能を発揮し、この「サロン」における様子を精密に記録していた。

 強力な電磁波放射によって容易く破損してしまうと言う弱点はあったが『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』では、例えば潜入ミッションなどで重用される機器のひとつであった。

 もっとも、プローブから送られる情報を見るべき人物は未だ昏睡状態にあった為、その情報は現在のところ記録されるままであったわけだが。

 BMRのパイロットスーツの常備でもあるこのプローブは、前述のように高い隠密性を持ってはいる。

 しかし、鋭い人間の勘までは誤魔化せず、黒髪の娘や、初老の偉丈夫、細身の青年などが、時折にいぶかしげにこちらを見るのだ。

 『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』においては、パイロット属性の直感スキルをコンプリートした相手には、この隠密性は全く無効となる設定となっているが、現状、そこまでのレベルに達した、もしくは、それと同等能力の存在はいないようだった。

 そうした判断と、一応、こちらを見られるたびに位置を変える程度の知能アルゴリズムは備わっているのだが、その知能に、別の情報が送信されてきた。

 パイロットスーツの生命維持機能からの信号だった。



         ◇



 深い深海から浮遊するように、覚醒する意識の中。

 未だ眼も見開かない段階で、シンゴにささやきかける者が居た。

 サポート用人工知能のチルだ。


『状況を報告します。現在、ユーザはインカムを装着していない状態の為、インプラント端末からの骨伝導によってこちらからの音声を受けている点を、まずはご了解下さい』

(ん~、また、ゲームしながら寝込んじまったか。やべぇなぁ、そろそろ、本当に自粛しないと)


 シンゴはチルの言葉を聞き流しながら、そんな呑気な事を考える。


『負傷した箇所への医療用ジェルの噴霧は、緊急事態でもありましたので、こちらで制御をおこないました。BMR搭乗時もそうですが、ヘルメットの装着を強く提言します。ヘルメットを装着し、スーツの喉元をきちんと合わせていれば、今回の事態はかなりの確率で防止できたものと判断します』

(んなこと言われてもなぁ。あれ見栄えが……)


 妙に几帳面なプレイヤーや、素顔を隠す的なスタイルのプレイヤーもいるにはいるが、やはり、ある程度に着崩した感が無いとパイロット属性重点型なシンゴにはしっくりこないものがある。

 とは言え、外見パラメータの調整には、あまり熱心では無い。

 標準サンプルのモデルにほとんど手を加える事無く、それをそのままに使用している。

 従って、現在のシンゴの外見は、端正と言えなくもない、ありふれた風貌の中肉中背の青年である。

 もっとも、これは九之池慎吾のリアルな外見とも一致する特徴であったから、ゲームにのめり込む要因にこそなれ、特にデメリットを感じる事もなかった。

 それに、生身での潜入ミッションなどでは、あまり目立つ外見では困ると言う点もあった。


『ナノマシンによる損傷個所の修復、及び、造血剤投与により、身体上の問題点はほぼ回復しました。理由は不明ですが、急激に自然治癒回復力が増加した事もあって、予測よりも極めて短時間にて、各種バイタルサインは通常の閾値に戻りました。現在のところ、ユーザの健康状態に特筆すべき点はありません。ですが、モニタ機能を除くパイロットスーツ生命維持機能の装備は、これでほとんどを使い果たした事になります。早急な補給を推奨します』

(えーと、BMRのコクピットにあるんだっけ。あ、オプション装備のあっちのほうだったかな)


 パイロットの負傷、及び、その対応に関する設定は適当に流し読みしたので、よく覚えていない。

 そもそもBMR戦では、機体が破壊されればそれまでである。

 一応、脱出機構がついているので、即死判定は滅多に無いこともあるが、パイロットの負傷云々よりも損傷した機体の修復期間の方が、いわゆるデスペナルティとしての比重は大きいと言う点もあって、パイロット属性重視のシンゴと言えども、そのあたりはスルーしている。


『現在位置は不明。友軍、及び、敵軍の相対的所在位置も不明』

(迷子って事? 帰還ミッションの実装は、次のバージョンだって聞いているけどな)


 そんな呑気な事を考えながら、シンゴは目を開けた。

 真っ先に知らない天井が見える。いや、これは天井では無くて……


(え? これって天蓋ベッドってやつか?)


 上半身を起こすと、周囲を見回した。

 慎吾のアパートよりも数倍のレベルで広い。

 調度品も高価な雰囲気だが、全体にレトロな感じだ。

 どうみても病院の病室などには見えないが、慎吾の脳裏に浮かんだのは、そういう次元の話ではなかった。


(やべ! パソコンを持ってきてねぇ。そろそろ、アップデート時期……あれ?)


 記憶の混乱か、軽い眩暈を感じた。

 ごちゃごちゃしている時は、帰納的に整理してみるのも一つの方法だと教わった事を思い出し、その通りにしてみる。

 まず、自分はここで寝ている、だが、ここは病院の病室では無い。

 なぜ、病院の病室だと思ったのか、それは、怪我をしたからである。

 どうして怪我をしたのか、それは……


 思い出した。

 首に突き立てられた長剣、そして、噴き出していた自分の血。

 殺されかかった事実の記憶に、恐怖と怒りでどす黒いものが堰を切ったように溢れ出しかけた。

 だが、『何か』がそれを押し止めた。

 そればかりか、その『何か』は、溢れ出そうとする闇にも似たシンゴの激情を、彼が本来持っている攻撃衝動の一部ともども、心のどこかに封印してしまったようであった。

 その封印がもたらしたものは、九之池慎吾と言う人間の、怒りと言う感情を一部取り去る事にもなったのだが、本人は、それと自覚する事なく、一瞬、意識の空白を覚えただけであった。

 その空白が通過した後、殺されかかった事実は記憶にあるが、それに対して、特に感情を抱く事が無くなってしまっていた。

 そして、そうした自身の心の、不自然なまでの平静さは、パイロットスーツ生命維持機能が投与した鎮静剤の効果のせいであろうと考えるようになった。

 いや、そもそも、パイロットスーツだとか、人工知能のチルだとか、あれはゲームの世界の話であって……


 しばらく考え込んだ慎吾は、いくつかの点を心の中で整理した。

 よく事情はわからないが、ゲームである筈の『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』における慎吾の分身であるシンゴとして、現在の自分は存在しているようだ。


(つまり、今の俺は、シンゴと同等の……いや、要するにシンゴってことだ。おっけえ)


 元々、深く考え込む方でも無く、現実とゲームとの区別も曖昧になりかけた廃人プレイヤーでもあった事でもある。

 慎吾からシンゴになった事で、少なくとも自分に困る事は無いと、あっさりと割り切ってしまった。

 『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』のキャラになる。いいじゃないか。

 と、そんなノリである。

 もっとも、ここが『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』の世界かと言うとそうでも無いようだ。

 あの世界は一応SFと言うか、スぺオペな世界観なのだが、ここはそんな科学空想的な雰囲気は微塵も感じられない。


(電気機器の類は皆無のようだし、むしろ、中世ヨーロッパ的な感じだよな。いや、ヨーロッパにも中世にも言った事ないけどさ)


 現実のヨーロッパも地方に行けば、中世時代からの街並みがそのまま残っていると聞いているが、さすがに電気機器……すくなくとも電燈くらいはあるだろう。

 しかし、この部屋はそれほど古くない造りであるようだが、そうしたものが一切無い。

 何よりも、あの巨人。

 一見、鋼鉄に見える金属の塊で装甲された、あれほどの大きさの人型が動き回るような場所が、現実世界とは思えなかった。


(そうすると、ここはゲーム世界とも異なる……まんま、異世界って事になるな)


 神様だか超越者だかが現れて解説してくれそうな気配が無いので、どうしてこういう状況になったかは、自分で考えるしかない。

 そもそもの始まりは、パソコンのディスプレイに現れた精密な動画だ。

 あるいは、次元の裂け目だかなんだかが、電脳世界とリンクしてああいう形で現れたのかもしれない。

 慎吾はそこをクリックして、つまり、そこにURLジャンプしようとわけだ。

 次元の裂け目のようなものは、彼の意志に反応して、文字通りにこの異世界へと慎吾をジャンプさせたのだろう。

 その時にメインで開いていた『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』の情報と混在する形で。


(うん、きっと、そうだ。そういう事にしよう)


 どうせ、明確にこの状況を説明できる等は不可能なのだ。

 シンゴはあっさりと結論づけた。


「……って事でいいか? チル」

(何の事だかわかりませんが、ユーザの意志に従い、サポートするのが私の存在理由です)

「まぁ、いいや。状況を教えてくれ。あー、まずは俺の置かれている部屋の情報だけ、わかる範囲で良いから」

(部屋の容積に関する情報は省略します。少なくとも危険なものは存在しません。電子機器に関しては、ユーザの持ち物以外には存在しません。銃はホルスターから抜いた状態でしたので、持ち去られてしまいましたが、レーザーブレードはロックされたままでしたので、そのままです)


 それを聞いて、シンゴは考え込んだ。

 このパイロットスーツ、及び、その装備はシンゴのパーソナルデータでロックされている。

 従って、シンゴが自分で脱がない限り、パイロットスーツは取り外す事はできないし、その装備も同様だ。

 例外的な状況であった銃は持ち去られたようだが、これもシンゴの生体認証が無ければ使用できない仕組みになっている筈だし、予備はBMRのコクピットだか、オプション装備の「あれ」の中にあった筈だ。

 ふと違和感を感じて、首元を触ると、乾いたものが張り付いている。

 チルの言っていた医療用ジェルだ。

 ナノマシンによる細胞賦活効果を持つこれは、負傷した場所を覆い治療が済むまで皮膚と同化する、パイロットスーツに備えられた緊急メディカルシステムの一つだった。


(なお、その部屋にはユーザ以外に、もう一人の個体が存在します)

「へ?」


 誰もいなかった筈だが……と、再び周囲を見回す。

 ふと、視線を下に向けると、シンゴの眼が大きく見開かれた。

 そこに、シンゴに剣を突きつけ、あまつさえ、首を切り裂いた娘が居た。

 あの露出過剰なビキニアーマーすら身につけず、代わりと言うか何というか、首輪のようなものと、猿轡のようなものをつけている。

 そんな恰好の娘が、四つん這いになって、覚悟と羞恥がないまぜになった表情でシンゴを見上げているのだ。

 シンゴは(色々な意味で)固まってしまっていた。

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