困惑
長い夜が明けると、光の柱は、朝の陽光に溶けるように消えていった。
だが、その影響か、アムナルに居た人々は一睡もしていない筈だったが、十分な睡眠を取ったかのように、活力に溢れた動きを始めていた。
早々に招集された東大陸連合軍第二軍の緊急会議は、その被害状況に関する報告から始まった。
真っ先に報告にあがったのが、あの『闇』に捕らわれていたセレ陣地の状況だったが、これは予想に反して、多くの生存者がいることが確認された。
その大半が、ひどく衰弱しているようではあるが、単に意識を失っているだけで済んでいると言うことだった。
《ヴェーチェル》の搭乗席から救出された女将軍カーラも、未だに意識は回復しないものの、別段に命に別状はなさそうだった。
一方で、相応の魔力を持つ者の中には、既に事切れている者がいた。
特に、魔装機甲兵の搭乗者や、その整備技術者とも言うべき魔導士が被害の多数を占めた。
男女比率で言えば、ほとんどの男が息絶えていたのに対し、女騎士の方は生存者が多かったとも報告されたが、女性の方が生命力が強いと言う傾向は、あるいは、この世界でも同様なのかもしれない。
カーラの夫たるコンドラートは、魔力を失った事が逆にさいわいしてか、死者の列に加わる事を免れていた。
とは言え、人的被害はともかくとして、軍事的な意味合いでは、セレ軍は壊滅したに等しかった。
少なくとも、直ちに戦列に加わることは不可能だろう。
東大陸連合軍第二軍としては、前線における陸軍戦力に大きな欠損を生じたわけで、これは早急に対処する必要があった。
それは海軍戦力も同じである。
クレベナ艦隊は艦艇の半分が残ったと言うものの、ろくに戦わずして半分の戦力を失ったという事実は、彼らの士気を低下させる事甚だしいものがあった。
特に、旗艦ミレーユ号と、旗艦と運命を共にした艦隊司令を失ったことは大きな痛手だった。
要するに、クレベナ海軍は再編しなければ戦力とは言えず、東大陸連合軍第二軍の海軍戦力はクルクハン艦隊のみとなったわけだ。
そうした状況を鑑み、ローセンダールとビガはセレを、クルクハンとミラースがクレベナを、それぞれの本国から増援が来るまで支援すると言う方針が、極めて短い時間で決定された。
当面の事後処理としては、そこでひと区切りをつけ、緊急会議は終了した。
ビガの傭兵団長は、セレ支援の詳細を詰める必要もあった為、ローセンダール陣地に招かれ、そこでしばしの休息を取る事となった。
軍首脳用の天幕に、バウフマンが手ずから淹れる紅茶の馥郁たる香りが広がっていた。
ボーデン宰相には及ばないが、彼女の腕も中々のもので、受け取った紅茶を一口含んだオディロンの眼が軽く見開かれる。
ヴァルマーは、差し出された紅茶を受け取りながらも、少し憮然とした表情になって言った。
「まぁ、戦死した連中や、その遺族には済まない話だが、思ったよりは軍事的損失が少なく済んで何よりだ……と割り切らなきゃならん立場がつらいところだな」
「そう言う役目です、私たちは」
「やな役目だよな」
「やらなくて済む役目なら、さっさと放り出していますよ。誰かがやらないといけないから、やっているまでです」
「お前さんはえらいよな」
「それが生き残った部下や民を守る為でもあります」
オディロンは、ティーカップを皿に戻しながら二人の会話を聞いていた。
その眼には穏やかな光がある。
(サイラスは後継者に恵まれたな。この二人は良将となる資質がある。少なくとも、部下や民を見捨てたり、自分の面子を優先するような愚将にはなるまいて)
そう考えながら、ビガの老将は別の話題を口にした。
「うちもそうじゃが、ローセンダールの魔導機器も、例の闇魔法の影響からまだ復旧せんようじゃな」
東大陸連合軍第二軍の、現在直面する最大の懸念事項である。
「この瞬間にも、ザミーンの攻勢があるやもしれん。どうしたものかな」
「クレベナ艦隊はともかく、クルクハン艦隊が健在です。おっつけ、うちの艦も来る頃合いです。それだけの海軍戦力があれば、ザミーン軍が攻めて来ても、当面の時間は稼げるでしょう」
「それはザミーンが投入してくる戦力規模によるのでは無いかな」
そうオディロンが言うと、ヴァルマーはティーカップをテーブルに置き、居ずまいを正した。
サイラス将軍とも互角に戦ったと言うビガの老将に、何かを試されていると感じたようだった。
「俺は、ザミーンの次の攻撃はもう少し先だと思いますぜ」
「ほう。そもそも、今回の会議は、ザミーン南方軍出征の予兆有りとの連絡に対しての話し合いと言うのが主旨じゃったのう。ま、これは毎度の話ではあるが、しかし、ローセンダールとしては、別の思惑があったようじゃな」
テレーゼ皇女の件も含めて、サイラス将軍から密かな協力要請があった筈だが、そんな素振りは少しも見せずに、ビガの老将はぬけぬけと言った。
ヴァルマーも、その辺りは心得たものである。
同盟軍の中であっても、密約に類するそれは、公にできる性質のものではなかった。
「それはともかく」
と、ヴァルマーはあっさり受け流した。
「ザミーン側が今回の出征で大規模な戦力を用意しているなら、昨夜のうちに仕掛けてくる筈です。なんたって、闇魔法のおかげで魔導兵器は一切使えない状態だし、艦隊だって封印を解放できなかったわけです。事実、そのおかげでクレベナ艦隊は事実上半減しちまっている」
「ふむ」
「侵攻する側のザミーンにとって、補給は唯一の泣きどころですからね。そうなると、自ずと作戦目標は絞られてくる。仕掛けてくるなら、一気に来る筈でしょう」
バウフマンも口を挟んで来た。
「補給と言えば、ザミーンの転移技術はどうなっているのでしょうね」
「こっちに、その存在がバレちまっているが、奇襲とか、後方攪乱という意味ではなお有効だな。それに、いつ転移してくるかわからんと言う脅威に、こっちも兵力を割かなきゃならん」
あるいは、秘匿されていた時よりも、厄介な状況であるとも言えた。
「だが、補給手段として使うには、まだまだ未熟だな。たぶん、数が限られるんだろう。そうでなけりゃ、あんな機体を単機で送り込んでくる筈がない」
「おお、そう言えば、《ダークノーム》に乗っていたやつは、どうなった? 機体そのものは属性変換とやらの影響で、四散していたが、搭乗席部分は原型を止めていたと聞いておる。今朝がたに戻られた、そちらの宮廷魔導士殿が、検分に立ち会ったそうじゃが」
オディロンの問いに、ヴァルマーは微妙な表情になった。
ややあって、バウフマンの視線を受けて、ヴァルマーが咳払いをしつつ重い口を開いた。
「ええと、ですね。結論から言うと、今頃は俺の婚約者と遊んでいる筈です」
「なに?」
さすがの老将も、その「結論」には、驚くと言うより呆れたようだった。
バウフマンも苦笑しながら、年下の同僚をたしなめた。
「結論から先に言うのは報告の常套だけど、さすがに飛躍しすぎよ」
「だったら、お前が言ってくれ」
ふて腐れたような表情を浮かべるヴァルマーに苦笑しながら、軍服姿の貴婦人が順を追って説明する。
「あの機体の搭乗者は、ザミーン南方軍司令の副官……愛人でもありますが、その人物の身内でした」
「ほう」
ローセンダールの防諜組織……他国への不干渉と言う国是もあって、そのように呼ばれているが、じつのところ、それは東大陸でも屈指の情報収集能力を持つ諜報機関である。
オディロンの、ビガの将帥としての立場では、西大陸において、そこまでの情報を得た手段や経緯を知りたくもあった筈だが、さすがに一線を越える領域でもあり、大人しく耳を傾ける事にしたようだった。
ローセンダール側としては、情報収集能力の一端を披露する事になったが、これはバウフマンの、一種の駆け引きであっただろう。
ビガは友軍……それも、もっとも信頼の厚い同盟軍であるが、それだけに、万が一にも背信があれば、即座にローセンダールの把握するところである、との威圧的な意思表示なのだ。
だが、軍事的同盟関係などと言うものが綺麗事では済まない事は、オディロンとしても百も承知である。
ここは、素直にローセンダールの女将軍を賞賛する局面であろう。
ビガの老将は、そのように考えたようだ。
そして、オディロンが視線で先を促すと、バウフマンは言葉を続けた。
「どうやら、彼……は、先だって転移魔法でフランチェスカ王女一行を襲撃したサラマンダーの搭乗者でもあったようです」
バウフマンの説明に奇妙な間が入ったようだが、老将は紅茶に口をつけながら、そこは黙って聞いていた。
「それまでは、彼……の人生は順風満帆だったようですね。ザミーンの侵攻が始まる前には、若くしてローセンダールへの外交武官を務めたほどの経歴の持ち主でした。魔装機甲兵の操縦技術にも優れた気鋭で、ザミーン帝国軍でもかなり中枢にいたようです。極秘の機能を備えた機体を任された事からも、それが窺えます」
「では、任務失敗は――加えて、極秘事項の守秘にも失敗したわけじゃから、軍人としての経歴には、かなりの痛手であったろうな」
「それこそ、絵に描いたような転落ぶりだったようです。姉の、つまりは、ザミーン南方軍司令の庇護で、ようやく軍籍を保っていると言う状態で……」
「ふうむ。そういうことなら、かなり心に闇を抱えておったじゃろう。そんな人物に、よりによって《ダークノーム》などと言う機体を与えた挙げ句に、未熟とも言える魔導で転送するとはな。たしか、あの機体は闇魔法に特化させた実験機――はっきりに言えば欠陥機じゃろう」
「はい。明らかに闇魔法の暴走を狙っていたとしか思えません」
ここで、オディロンは首を捻った。
「はて? そうなると、真っ先に、あの「闇」に取り込まれそうなものだが……ヴァルマー殿の婚約者と遊んでいる? つまりは、生きておったのか」
ここで老将軍は、さらに一つの事実に、初めて気がついたようだった。
「あ、いやいや、ちと待ってくれんかの。あまりの事にうっかり聞き流してしまったが……ヴァルマー殿に婚約者じゃと?」
「なんでも、フランチェスカ王女に無理矢理にくっついて来たそうです。殿下も懐かれてしまって、さすがに拒めなかったとか」
そう言うバウフマンの表情は、必死で笑いを堪えているふうだった。
「フランチェスカ王女殿下に……懐く? 確か、王女殿下におかれては、未だ十五か、そのあたりではなかったか」
ヴァルマーの婚約者として想定される年齢の女性には、相応しく無い表現に思えたのだろう。
いよいよもって、わけが分からぬと言うふうで、ビガの老将も混乱してきたようだ。
「ヴァルマー殿の婚約者は、ボーデン宰相の末娘です。確か、今年で四つだったか……」
「アニエスは、そんな子供じゃねぇ。今年で六つだ!」
たまりかねたようにヴァルマーが叫ぶ。
だが、たまりかねたのはバウフマンの方だったようで、「し、失礼します」とだけ言い残し、その場を離れてしまった。
そして、日頃の貴婦人然とした雰囲気をぶち壊すような、彼女のゲラゲラと笑う声が聞こえてくる。
「まったく、何て女だ」
そう吐き捨てるように言うヴァルマー将軍を、ビガの老将は生温かく見つめた。
(サイラスよ。さっきの言葉は取り消させてもらうかもしれん。まぁ、英雄色を好むとは言うし、戦時における英雄は平時には……などとも言うが、いくらなんでも、これはなぁ)
その視線に気がついたようで、ヴァルマーが慌てたように弁解を始める。
「い、いや、オディロン将軍。こ、これは神々も認めた話でして。むろん、アニエスが成人するまでは、白い婚姻です。ええ、それまでは指一本触れるような事は。いやいや、そうは言っても、頬をつついたり撫でる程度のスキンシップは、ですね」
「まずはご婚約おめでとうと言っておこうか。で、話を戻すが、《ダークノーム》の搭乗者は生きておるのじゃな」
年の功と言うべきか、ヴァルマーが並べる言い訳をあっさりとスルーすると、オディロンは(強引に)話題を元に戻した。
「ええ、まぁ、そう……とも言えますね」
「ふむ。そうなると、じゃ。貴重な情報源を、ローセンダールで独占するのは、いかがなものかと思うがの」
「《ダークノーム》の搭乗席にいた人物は、確かに生きていました。ですが、先ほどバウフマンのやつが語った人物は、既にこの世におりません」
またしても訳が分からない話になってきた。
配下の者が、このような報告を続ければ、とっくに怒鳴りつけているところである。
年を取って、多少は丸くなったとは言え、オディロンとて一軍を率いる将なのだ。
だが、その時現れた二人の闖入者に、老将の気は削がれてしまった。
侍女らしい女性の制止する声を振り切って、この場に駆け込んできた人物の一人は愛らしい幼女だったのだ。
「ヴァルマー様、まだ、お仕事終わらないの?」
「申し訳無い、アニエス殿。さすがに今日はお相手できかねる。明日なれば、お時間を作りますゆえ、ご勘弁願いたい」
その幼女、アニエスに向かって、ヴァルマーが恭しく言った。
年相応に、不満げな様子を隠しきれなかったようだが、ボーデン家の躾けはしっかりしていたのだろう。
オディロンの存在に気づくと、ヴァルマーに頭を下げ、幼い口調で言った。
「お客様がおいでとは気づきませんでした。申し訳ありません」
そして、オディロンに向かって、見事なまでに淑女の礼を取った。
「夫がお世話になっております。妻のアニエスと申します。大事なお話のところ、誠に失礼致しました。年端もいかぬ身のゆえの事と、ご容赦いただければありがたく存じます」
その言葉の後半は、まさに、その通りである。
これにはビガの猛将と言えども苦笑するしかない。
「いやいや、ご夫君との大事な時間を取り上げるのは本意ではないが、これも役目ゆえ、こちらこそご容赦願いたい。おお、申し遅れた。ビガの傭兵を率いるオディロンと申す。奥方には、今後ともよしなに願いたい」
「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。大変にお見苦しい真似を致しました。それでは失礼致します」
オディロンとアニエスのそんなやりとりを、もう一人の闖入者が、ポカンとした様子で見ていた。
こちらは、アニエスよりも、更に年下と見える幼女だが、純粋無垢と言う表現が見事に当てはまる容貌だった。
アニエスに手を引かれて、大人しく出ていったが、オディロンには深い印象を与えたようだ。
「今のがお主の婚約者……いや、当人は既にして妻のつもりのようだな。まぁ、夫婦円満なようで何よりだ」
その目付きは、いっそうに生温かいものではあったが、しかし微笑ましいと言った成分も、多分に含まれているようだった。
「して、お主の奥方と共にいたのは、その親戚か何かかの? 奥方も愛らしかったが、あの子もなかなかに……」
「ですから、さっき申し上げたではありませんか。『あれ』が《ダークノーム》の搭乗席にいた人物です」
ビガの老将が、目を丸くして口をあんぐりとさせる、などと言う表情を見せたのは、この時のヴァルマーが初めてであろう。
「な……ああ、そう言えば、そんな事を……いや、しかし……」
「宮廷魔導士殿が言うには、あの「闇」が「光」へと属性変換する、その中心に居たせいではないかとの事です。まぁ、こんな事は滅多にある話じゃないので、確実な事は言えないそうですが。何にせよ、今の彼女……は、転移して来た機体に搭乗していた人物とは別人と言って良いでしょうね。魔導士殿が検分した限りでは、会話はできますが、記憶の方はまっさらだったそうです」
ようやく、気を取り直した様子で、オディロンは首を振った。
「いやはや、たまげたわい」
「で、どうします? 強引に連れて行って口を割らせますか。もっとも、アニエスが許す筈もありませんし、俺もアニエスと同じ立場ですよ」
「ビガとしても、幼児虐待の悪評を被るのは願い下げじゃ。シャブラ辺りならやりかねんがな」
オディロンはこめかみを揉んで、しばらく何かに耐える表情だったが、大きく息をつくと、こう言った。
「うむ、《ダークノーム》の搭乗者は闇に呑まれてしまった。そう言う事にしておこう」
「ローセンダールも同じ見解です。セレは別として、公式にはそのようにしておきましょう」
ローセンダールとビガの間で、あっさりと一つの密約を交わした後、話題は元へと戻った。
「ともあれ、心に少なからぬ闇を抱えた搭乗者ごと、《ダークノーム》と言う機体を転送して来たのは、バウフマンが言ったように、明らかに闇魔法の暴走を狙っていたとしか考えられません。ですから、陽動と見えたこっちが本命で、クレベナ艦隊を襲った連中の方が、むしろ気を反らせる為の囮だったかもしれません。あの「闇」が手がつけられなくなるまで育てば、それでこっちはおしまいですからね」
ヴァルマーの主張に、オディロンは冷め切った紅茶をすすりながら首を傾げた。
「しかし、ザミーンがそこまでやるかの」
「まぁ、連中は西大陸の覇者たる大帝国です。普通なら、堂々と大軍でもって押し寄せるでしょう。ただ、何か事情があれば、話は別です」
「つまり、お主が次の攻勢まで時間がかかると読んだのは、それか」
「事情は知りませんが、限られた戦力しか動員できない、それゆえの奇手かと。まぁ、奇手と言うには悪辣に過ぎますがね」
「その事情とやらで、考えられるのはザミーンの南方軍が別の敵とも戦う必要があると……いや、必要なのは根拠無き推論では無く、事実に基づく想定じゃろう」
オディロンはこの件はそこで打ち切ったようだった。
そして、もう一つの疑問を口にした。
「そういえば、クレベナ艦隊を救い、闇魔法を打ち破った英雄、ティアンスン伯爵はいかがしたかな?」
「あー」
オディロンにそう問われたヴァルマーは、困ったような表情を浮かべ、こちらも冷めてしまった紅茶に口をつけたのだった。
◇
「困りました」
フランチェスカ王女にそう言われて、シンゴも困っていた。
そうで無くても、困る話は山ほどある。
例えば、無理がたたって《グランブール》の空戦四式は完全に壊れてしまっていた。
あの光の柱が生じた時、シンゴが意識を失った為に自動制御で何とか機体を着地させたものの、それが限界であったようで、機能停止とともに勝手にパージしてしまっていた。
そうでなくても、闇魔法が光魔法に属性変換するという、この世界でも滅多に無い魔導現象の至近距離にあった《グランブール》本体は、各種回路が色々とダメージを受けているようで、動作が完全におかしくなっている。
何しろ、コクピットの保安装置も機能しなくなっているくらいだ。
空戦四式の一部装備と癒着した装甲も、かなり変形、変質しているようで、魔装機甲兵のような甲冑を思わせるフォルムになった上に、白褐色であったものが、輝くような純白になっている。
機体のそこかしこにある、金銀の紋様と見えるものは、あるいは、回路配線が浮き出たものかもしれない。
元のデザインを知らない人々は、陽光の中に佇むこの機体を見て、『白騎士』もしくは『光の騎士』などと呼んでいるようだが、その実体は故障中で、まともに動かす事もできないBMRである。
ここまでくると修理するより、予備パーツで最初から組み上げて、データを移行した方が早いかもしれない。
パイロット属性と言うには、カテゴリ的に微妙であるが、整備関連のスキルをカンストしているシンゴならば、グレート・ストレージの施設があれば可能な筈だった。
事実、改修を繰り返した現在の機体も、当初から残っている部分はコクピット周辺の一部でしか無い。
ポイントを注ぎ込んだ各種改修については、設計データに反映されている為、ダウングレードする事無く再生できると、人工知能のチルも回答している。
しかし、そうなると、現在、彼の手元にある稼働可能な機体と言えば、戦闘にはなるべく使いたくない《ガリア》と、後は海戦型BMRだけとなる……。
そんな事に考えを集中させる彼を、あるいは現実逃避と呼ぶのだろう。
だが、フランチェスカ王女が繰り返す言葉が、それを許さなかった。
「本当に困っているんです。ええ、シンゴ様には感謝しておりますとも。全ての魔導機器が機能を喪失した絶望的な状況下で、クレベナ艦隊を救い、闇魔法を討ち払った偉業は賞賛に値します。ですが、あのような……」
王女が不本意そうに糾弾しているのは、意識を失ったシンゴをコクピットから搬出する際に、ディスプレイに表示されていた映像である。
どういうわけか、出陣時に記録したテレーゼ皇女達三名の「お宝な」動画データがリピート再生されていたのだ。
さいわい、と言うべきかは微妙なところではあるが、その目撃者はヘレーネだけである。
これは、この世界で唯一、識別信号を設定された人物が彼女であり、従って、シンゴ抜きにチルと自由に会話できるのも彼女だけと言う事情があった。
チルと交渉し、コクピットのロックを解除させた彼女が、気を失っているシンゴと、ディスプレイの映像を目撃した、と言う次第だ。
おかしな例えになるが、男子の部屋に入り込んで、いかがわしい雑誌の類いを見つけてしまった状況に近いとも言えるだろうか。
バウフマン辺りであれば、「しょうがないですね」の一言で済ませたかもしれないが、まだ若いヘレーネに、そういう理解を求めても無駄であった。
そんなわけで、シンゴを搬出した後、憤然とした表情の茶髪の女戦士は、フランチェスカ王女に注進に及んだのだ。
しかし、これはヘレーネの判断ミスと言っていいだろう。
伯爵位にあるシンゴへの叱責という観点では、筋から言えば確かに王女しかいないわけだが、この手の話でお灸を据えると言う事であれば、やはりバウフマン辺りが妥当であった筈だ。
もっとも、フランチェスカ王女は、幼くして嫁ぐ可能性のある王家の娘として、男性のそちら方面の教育、及び、理解は、武に専念した年上の側近を凌駕していると言っても良かったが、それでも、この年代の少女としては、この手の話を振られても対応に困るのは無理からぬ事と言える。
差し当たり、保安装置の動かなくなった《グランブール》を厳重に見張るように手配し、回復したシンゴを叱責すべく、人払いをしたうえで、王女専用の天幕に呼び寄せたわけだが、そこから先、どうして良いものかわからないと言うのが実情だ。
確かにザミーン帝国の皇女に関しては、外交問題にもなりかねない話でもあり、釘を刺しておく必要があるが、一方で、今回の功績も無視できぬ話であって、これはこれで称揚しなければならない。
功罪を判断するのは、王家の、つまりは上に立つ者の義務ではあるが、これほど功罪の質に落差があっては、誰であっても対応に困るところだろう。
事実、王女から相談を持ち掛けられたヴァルマーも困ったような表情を浮かべ、「臣には、その件に関して口を出す権限は無いものと考えます」と応えるだけであった。
これは、男たる自分には、とやかく言う権利が無いと言う意味だったが、将軍職としての権限からは逸脱する旨で解釈した王女は、結局、バウフマンに相談する事も無く、自分自身でこの件に対応する事にしたのである。
しかし、いくら対応の選択に困ったからと言って、この時に王女が口にした言葉はまずかったかもしれない。
例え「民が受けた恩を返すのは王家の義務である」と言うのがローセンダール王家の信条だったとしてもだ。
「私も、殿方についての教育は受けておりますから、そのぅ、そうした事は理解できるつもりです。ですが、テレーゼ皇女は他所の国の方ですので、お控え下さいませ」
「ええと、その……」
「しかし、大恩あるシンゴ様が、どうしてもとおっしゃるなら、私が代わりに見せて差し上げます」
王族に連なる美しい少女は、顔を赤らめながらも、きっぱりと言い切った。
この時、シンゴがパイロットスーツを着用していれば、チルが最大規模のメディカルアラートを発したかもしれない。
だが、近衛騎士服を着用していた彼が示した反応は、大量に噴出した鼻血だけだった。
まるでマンガか何かのようなリアクションだが、しかし、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』におけるアバターの描写には、このような一面があったのも事実である。
「まあ、シンゴ様、大丈夫で……うっ」
驚いた様子のフランチェスカ王女が、突如として呻いたかと思うと、その栗色の髪が輝くような純白に変わった。
ローセンダールの巫女姫に、前触れも無く神が降下した証だった。
『我が名はフレア、告知者である。ナズルの裁定を得て、そなたの血を『対価』として顕現した』
さすがにシンゴも驚き、そして慌てた。
神々との会話には、一定の段取りや言い回し、手順がある。
一通りの説明は聞いていたが、無論、彼が詳細を覚えている筈も無い。
あるいは、パイロットスーツを着用していれば、人工知能チルが代わりに受け答えできたかもしれないが、現状、チルの発言はインプラントの骨伝導スピーカでしか聞こえない。
「あー、ええと」
『良い。我らとの会話について、取り決めの盟約をそなたは知るまい。ゆえに、先んじてその『対価』を指定した』
「そういうのもありなのか。それで、その、何の御用で?」
シンゴが当然の疑問を口にすると、銀色の瞳がシンゴの首筋……騎士服のカラーに覆われた部分に向けられたようだった。
だが、白薔薇姫がシンゴに問うたのは、一種の確認であった。
『あの「闇」を打ち払ったのは、そなたであろう』
「ええ、まぁ、そうなりますかね」
『ふむ。ところで、この『贄』は、闇を打ち払う祈願を我らに行い、己の身体の一部を『対価』として既に支払っていた。その事実は知っていたか』
「え、いや。今、初めて聞きました。しかし、身体の一部を『対価』に支払ったって……」
少なくとも、シンゴの見るところ、その艶やかな髪に一房でも切り取った後は見られない。
美しい容貌や四肢にも欠損は見受けられない。
「ま、まさか、臓器とか……」
『我らが受け取った『対価』はこれだ』
そう言うなり、白薔薇姫はおもむろに裾を持ち上げて見せた。
「ぶひゅううう」
それこそ、まさかの不意打ちである。
真正面から目撃する事になったシンゴの口から、奇妙な音が漏れた。
(え、ええと、つるつる? いやいや、そうじゃなくて)
「ちょ、ちょっと! いくら神様だからって……」
さすがに、神とはいえ、依代たる王女の身体を好き勝手にしていい筈が無い。
シンゴが思わず抗議の声を上げると、白薔薇姫に宿ったフレアと言う神格は不思議そうな表情を浮かべて見せた。
『この『贄』が約定を口にしたではないか。そなたが見る分には特に問題は無い筈だ』
「え、ええと、同意があっても条例違反……いや、どうでもいいから、早く仕舞ってくれ」
『何をうろたえているかは、我らにはわからぬが、まぁ、よかろう』
神々にとって、人間の羞恥心と言うものは理解の外にあるようだった。
白薔薇姫の身仕舞を正すと、フレアは淡々と言葉を続けた。
『本来なれば人同士の争いには介入せぬ我らだ。とは言え、あの闇を放置する事は、我らにとっても危険であった』
あの闇魔法は、神々にとっても見過ごす事のできない性質のものだったようだ。
『そのゆえをもって、ナズルは特別な裁定を下した。なれば、『贄』が差し出した、この『対価』は戻すわけにはいかぬ』
「あー、ああ!? 王女が支払った『対価』って……」
ようやくシンゴにも、王女が支払った『対価』が何であるのか理解できたようだ。
「っていうか、何でそんなものをっ!」
『我らにとっても『贄』は大事な存在だ。ゆえに、もっとも支障の無い『対価』を選択したようだな。これはナズルの範疇であって、我には何とも言えぬ』
神々の論理は、全く見当もつかない次元にあるようだった。
(そういや、お守り代わりって話も、どこかで聞いた事があるな。まぁ、深く考えるのはやめておこう)
シンゴは頭を一つ振ると、若干疲れたような表情になって、銀色の瞳を正面から見つめて言った。
「えーと。それで、俺に何の用だ」
『うむ。我らがかなえる筈だった祈願を、そなたがやり遂げてしまった。しかも「闇」を「光」に成したとは我らにも望外の事。これでは、裁定のバランスが崩れてしまう。ゆえに、そなたの願いを二つだけかなえてやる。『対価』抜きでだ。ただし、盟約に適わぬ願いを口にした場合、その機会は失われる事となる。気を付けるが良い』
「え?」
『今すぐとは言わぬ。考える時間を与えよう。もっとも、我らにはいつでも同じ事なのだがな』
神々と人間の時間軸は相当に異なるようだ。
それにしても、告知を司ると言うだけあって、フレアと言う神格は人間の事がある程度は理解できるようだ。
『願いを決めたら、『贄』に告げるが良い』
そこまで言うと、フレアは去ったようだ。
変じた時と同様、唐突に王女の髪の色が戻る。
よろめく、王女の身体を咄嗟に支えながら、シンゴはいっそうに困惑した。
(そりゃあ、願い事はいくつもあるけどよ。盟約に適う願いってどんな願いだよ)




