光柱
『水中の敵性オブジェクトの殲滅を確認。状況終了と認識します』
人工知能の宣言を聞きながら、シンゴは大きく息をついた。
《ケト》がいかに逃げ回ろうとも、対潜用の空戦四式から逃れられるものでは無い。
だが、分散回避行動を取られた為に効率が落ち、胸部装備に格納した《ハイドラⅢ》のパッケージは全て使い切ってしまった。
「まぁ、犠牲皆無ってわけにも行かなかったが、少なくとも今回は無用に敵兵を殺めなくて済んだかな」
そう呟いた瞬間、チルの警告より速く、シンゴの指先がコンソールの上を踊った。
ほとんど反射的に、吊り下げていたMADを腹部の装備ごとパージすると同時に、《グランブール・フライヤー・タイプⅣ》に回避行動を取らせる。
『飛翔体、複数接近』
「くっ、何だ?」
それまで、機体のあった空間を巨大な白い何かが次々と通過していく。
『成分はほぼ水分のようです。表面温度は融点以下を測定』
「つまり、氷の塊ってことか」
ただの氷の塊と言えど、これだけの質量がもたらす運動エネルギーは、直撃すればBMRと言えどもただでは済まない。
そして、これだけの数を放たれては、機動性に劣る空戦四式では回避マニューバにも限界がある。
事実、いくつかの氷塊は、左肩の八ミリ機銃で弾道を逸らさなければ、危ない局面があった。
あるいは、《ハイドラⅢ》を使い果たして、重量が軽減している事も寄与したかもしれない。
『二時の方向です。飛翔体複数、再び接近します』
チルの報告に従い、《グランブール》のメインセンサをそちらに向けると、暗視モードの画面に、更に広範囲に放たれた氷塊が向かってくる映像が表示された。
ケト級が送ってきた座標に対し、ようやくその射程距離に達した《ザハーグ》による水の魔法――周囲の海水を氷結させた質量弾による攻撃である。
もはや精密な位置を知る事はできない為、一種の飽和攻撃を仕掛けて来たのだ。
あるいは、名高い『銀狐』の撃破と言う栄誉を、何とか得ようと考えたのかも知れない。
しかし、それは生き永らえる機会を得た部下達をも巻き添えにする、愚かな行為でしか無かった。
「しょうがねぇ。攻撃元の位置はわかるか」
『位置特定まで、三秒かかります』
「了解。特定したら、データを回してくれ」
シンゴは、回避行動をとりつつも、ディスプレイに対艦ミサイルの管制制御を呼び出した。
対潜用である空戦四式だが、海上で運用される事から回転翼ユニットには広範囲をカバーするレーダーが有り、右肩に対艦ミサイル《クラマ》が一基装備されている。
『敵位置を特定。三百キロ先の艦艇一隻と確認。データ諸元を回します』
「こっちもくたばるわけにはいかないんだ。悪く思うなよ」
あるいは、空戦装備が四式では無く、例えば対艦用の参式であれば、逆に撃沈せずに無力化できたかもしれない。
だが、もっとも機動性に劣る四式では、他に選択肢は無かった。
やりきれない思いと共に、シンゴは《クラマ》の発射ボタンをタップした。
右肩から切り離された《クラマ》は、推進装置に点火するや、数瞬で亜音速となって、目標めがけて複雑な軌道を描きながら飛翔していった。
そして、なおも飛来する氷塊への回避運動を続けた後。
着弾、及び、敵艦の反応がレーダーから消えた旨をチルから報告されると、シンゴは憮然とした面持ちになった。
ローセンダールの首都においては、一種のトランス状態でシルフィードとその搭乗員を手にかけたようだが、その時の記憶はあやふやなところがある。
そして、港町ケメルで遭遇した、同胞とも言うべきプレイヤーの、そのあまりの変わり方に思いをはせる。
あるいは、この世界の人々との殺し合いに慣れてしまった結果が、あのケントのような変貌に繋がっていくのだろうか。
金森薫ことカーラの夫である、セレのコンドラートは、シンゴの首筋にある傷痕が、そうした変貌を防ぐ「何か」であるような話をしていたが、正確なところは誰にも分からない。
(いっそ、それこそ、神々とやらに尋ねてみるか?)
しばし思い悩むシンゴだったが、チルからの警告に我に返った。
『急激な回避運動による負荷ダメージ甚大と判断。四式装備に支障が発生する可能性があります』
緊急措置とは言え、本来は対潜用の空戦四式で強引な回避マニューバを行った代償だった。
おそらくはグレート・ストレージでオーバーホールするか、予備と交換の必要があるだろう。
「それまでは、水中の敵が現れても、この四式は使えないって事か」
取り得る選択肢が狭まると言う事は、それはそれで悩ましい話だ。
「まあいい。友軍の艦隊を救うと言う目的は達した。セレの方も心配だし、そろそろフラン王女も到着する頃だろう。《ガリア・キャリアー》の所在地……いや、ローセンダールの陣地まで帰投する。あ、いや、待て」
未だに上空で輝く探照灯ユニットの元で救援活動を行っているクレベナ艦隊の方向を見ながら、シンゴは何かに聞き耳を立てるようだった。
シンゴをあらゆる面でサポートする人工知能チルが、支援も記録もできないそれは、避難先の港町ケメルで、闇魔法の影響からようやく回復したソニアの、悲鳴や哀願にも似た念話だった。
◇
アナムルにおけるローセンダールの陣地まで、ようやくフランチェスカ王女一行の馬車が到着したものの、陣地内に入る事もできずに立ち往生してしまった。
「いったい、何事か」
馬車の窓から顔を出したのは、宮廷魔導士を港町ケメルまで送って行った筈の、茶髪の女戦士ヘレーネだった。
彼女は、ローセンダール陣地が、各国の軍勢に取り囲まれている有り様に気がつくと顔色を変えて、馬車の奥にいる主君ともう一名に声をかけた。
「ただ事ならぬ様子です。状況を確認するまで、しばしお待ち下さい」
そして、腰の剣に手をかけ、ゆっくりと馬車から外へ出た。
他国の武官達とローセンダールの守備兵が何か揉めているようではあるが、しかし、殺伐としたものは感じられない。
不審に思いながらも、慎重に様子を窺うヘレーネに、声をかけてくる者がいた。
「おや。たしか、ラハトんとこのヘレーネ嬢ちゃんじゃないか?」
それは、ビガの傭兵を束ねるオディロンだった。
くたびれた軍服姿の、平凡なじいさんと言う印象を受けるが、サイラス将軍の古い知己にして好敵手でもあった昔日の猛将である。
ビガとローセンダールが友好関係を樹立した後は、首都を幾度か訪問している事もあって、ラハトやヘレーネとも顔馴染みの老人だ。
「オディのじいちゃんか。いったい、これは何事なんだ?」
「その呼び方は、やめてくれんかの。少し間違うと、下らぬシャレにしかならん。しかし、大きくなったなあ。こないだ会った時は……」
「こないだも何も五年ぶりだよ」
「おお、そうだったか。いや、色々と大きくなったものだ」
『対価の装備』を身に纏ったヘレーネの、その露出の大きい胸や腰に遠慮の無い眼を向けてくる。
飄々とした雰囲気で、粘っこい視線でこそ無いが、だからと言って、あまり気分の良いものでも無い。
「うるさい。ジロジロ見るな。それで何の騒ぎなんだ」
「うむ。第二軍の魔導機器が揃いも揃って不活性になってのう。どうやらここら一帯の魔力が、何かに吸い取られているそうなんじゃが」
「知ってるよ。うちの宮廷魔導士も具合が悪くなって。それでケメルまで連れて行くところだったんだ。まぁ、後はオヤジに任せて来たけどな」
連絡の早馬とはすれ違いになったが、王女一行の馬車と行き会う事ができた彼女は、ヴァルマー将軍から預かった命令書と親友の身柄を父親であるラハト近衛騎士団長に託し、入れ替わりに王女達と共にアナムルに引き返して来たのである。
「ああ、この状況は本物の魔法使いには堪えるやもしれんな。そんな中で、ローセンダールの陣地から、見たことも無い魔装機甲兵が一機だけ、もの凄い音を立てて空へ飛んでいったのでな。あるいは、そいつが何か関わりがあるのではないかと言う事で、クレベナやクルクハン、ミラースの連中が押しかけているところじゃ」
そこまで聞いたヘレーネは頭を抱えたくなった。
この状況下において、そんな事のできる機体は他に考えられない。
即ち、由緒正しきティアンスン伯爵に叙せられ、常人の数倍の武力の持ち主にして、常人の少なくとも一倍半はムッツリスケベな、あの青年の所有機に違い無い。
それなりの理由があって出撃したのだろうが、もう少し目立たない方法は取れなかったのだろうか。
その時、喧噪の中で他を圧倒する驚愕の叫びが上がった。
「何だ? 沖の方で何かが光っているぞ?」
人々の視線が、一斉に沖に向けられる。
ヘレーネとオディロンも、そちらに視線を向け、そして声を失った。
遙かな沖合で、煌々とした輝きが上空に浮かんでいる。
まるで、三つ目の小さな月が出現したようでもあった。
「あ、もう一つ……」
しんと静まりかえった人々の中から、誰かが低く囁くのが聞こえた。
その声の主が指摘した通り、沖合に浮かぶ輝きが数を増やしている。
さすがにクラウスのような視力の持ち主は滅多にいない為、クレベナやクルクハンの艦隊が停泊している筈の沖合で何事が起こっているのか、誰もが同じ疑念を持ったようだ。
しかし、遙か沖の海上に浮かぶ輝きは、この世界の人々に何かを感じさせたのだろう。
どことなく、それを口にできない雰囲気が形成されており、ただ沈黙だけが周囲を支配していた。
「ヘレーネ。私は急がなくてはいけません」
他の人々と同様に沖合の輝きに見入っていた茶髪の女戦士は、馬車から身を乗り出すようにして声をかけてきた主君の声に我に返ったようだった。
「も、申し訳ありません、殿下。ですが、ローセンダールへの陣地へは、人で埋め尽くされて馬車が進めそうにありません」
「そうですか。しかし、この方を連れたまま、危険な『闇』に対峙するわけにもいきません。どうしたら……」
栗色の髪の少女は、後ろに視線をやりながら、悩ましげな表情を美しい顔に浮かべた。
確かにフランチェスカの言う通りではあるが、さりとて、こんな場所に置き去りにするわけにも行かない。
信用できるオディロンに託すと言う手もあるが、当人はオディロンに面識が無い筈なので、いたずらに不安がらせるだけであろう。
少なくとも、ローセンダール陣地の、できればヴァルマーに委ねるべきなのだが、この状況では難しい。
武装した軍勢の中を無理に押し通れば、友軍とは言え、万が一と言う事もある。
悩むだけの時間をどのくらい費やしたものか、気がつくと、沖合の空に浮かんでいた輝きが徐々に消えていくところだった。
そして、それに伴うように、そちらの方角から雷に似ているようで全く異なる轟音が徐々に近づいてきた。
「さっき、ローセンダールの陣地から飛び立った機体だ」
「戻って来たのか」
「しかし、何だかよたよたしている感じだな」
見慣れぬ、しかし、明らかな不調を抱えていると思しき人型の機体は、ローセンダールの陣地を素通りして、更に向こうに行くようだった。
「どこへ行くんだ?」
「あっちはセレの陣地じゃないか」
「ああ、確か、ザミーンの強襲を受けたとか伝令が来たな」
「だが、あそこは瘴気が強くなって近づけたものじゃないぞ」
少しでも魔力を持つ、この世界の人々にとって、闇魔法に覆われたそこは、瘴気にまみれた不可侵領域と化しているようだった。
「あいつ、あそこに行って何をするつもりだ?」
そんな疑念の声が上がった瞬間。
その見慣れぬ機体は、その声に回答するように、セレの陣地近くの上空に停止した状態で何かを放出したのだった。
◇
『各探照灯ユニットとの接続に問題ありません』
その報告を聞いたシンゴは、胸部装備に残っていた閃光弾パッケージ……音響を押さえて、輝度を増幅させるように調整したそれを、《グランブール》が所持していたランチャーにセットした。
弾薬パッケージの規格さえチャンバーに合致すれば、グレネード弾は無論の事、魚雷から無力化ガス弾までを射出可能なオールマイティーランチャーだが、特に型式番号とか制式名称は付与されていない。
シンゴ達プレイヤーは、単に「ランチャー」と呼称している。
そして、そのランチャーを構えながら、こちらを見ているであろう人々に、外部スピーカーから警告を発した。
「失明したくなければ、眼を閉じて地面に俯せていろ」
警告に従わない者は、シャレでなく失明する可能性もあったが、その場合は「対価」を払って神々が何とかしてくれるのを期待するしかない。
ともかく、この「闇」をこれ以上放置するわけにはいかない。
(夜なんでわからなかったが、なんだか、柱のようになっているな)
(ああ、既にそこまで……)
ソニアの悲痛とも言える思念が、シンゴの意識に伝わってくる。
この世界の言語を転写した際、何かの繋がりができたとは言っていたが、ここまで明確な意思のやり取りが可能になったのは、それだけソニアが必死だと言うことだろうか。
(あれは、魔力を吸い上げて成長します。今は魔力を奪うだけですが、やがて、その周囲一帯は、生命力をも奪う禁忌領域となるでしょう。その領域……「界」を支えるのが、シンゴ殿が見ている闇の柱です。ともかく、そうなってからでは、全てが手遅れになります)
(ますますもって、ブラックホールってとこだな。だが、セレには、大事な知り合いもいる。そんな事はさせない)
シンゴの決意は本物だったが、もちろん、根拠も成算もあったものではない。
相変わらずの、いちかばちかの思いつきだったが、シンゴとしても、打てる手立てはこれしかなかった。
「出力全開。照射開始」
《グランブール》の核融合エンジンと直結させた、オートジャイロで浮遊する五つの探照灯ユニットに組み込まれた発光素子が、誘導放出によって指向性を持った凄まじい輝きを発振した。
自然界の明るさで最も明るいとされるのが、真夏の快晴における十万ルクスであるが、それは、その数百倍の照度を記録したかもしれない。
すなわち、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』と言うゲーム世界が生み出した超科学の光が、この世界の魔導に由来する闇に容赦なく浴びせかけられたのだ。
それは、直視すれば確実に視神経が灼き切れていたであろうほどの、凶暴とも言える光量だった。
だが、《ダークノーム》の暴走によって生じた闇は抵抗するかのように、自然界ではあり得ない、膨大な光を吸収していった。
警告に逆らってその光景を見ていた人々が、おかげで失明を免れたのは、ある意味では皮肉とも言うべきだったかもしれない。
その光を吸い込む闇の柱の中から、何かの意識が、首をもたげたようだった。
「見ツケタ。オ前ダ……」
「はん? 何を言ってやがる」
その何かは、BMRの装甲を見透かしたしたかのように、明らかにシンゴに向かって、呪詛めいた言葉を投げかけた。
「オ前ノセイデ、我ハ全てを失ッタ。オ前ノセイダ。オ前ガ、邪魔サエシナケレバ」
「邪魔をした?」
「グゥウ。生身デ魔装機甲兵ニ……。信用シテハ、モラエヌ。任務ニ失敗シタ。守秘スベキ機密ヲ……。ググ。シカモ、生身ノ男ニ撃退サレタナド、戯ケタ説明ナドト……」
その「闇」が放つ声は、整合性を欠く言葉の羅列であり、シンゴには理解不可能であった。
ただ、その念の不快さだけが、騒音を間近で聞かせられたような感覚を与え、彼を苛立たせた。
その錯覚のままに、彼は怒鳴っていた。
「何言ってっか、わからねぇよ。それと、スピーカーを絞れ。近所迷惑だろうが!」
以前も同じセリフを怒鳴ったような既視感が瞬時に彼の脳裏をよぎる。
その既視感と共に、「あの時」の記憶が奔流のように溢れ出る。
そして、それまで意識する事の無かった、首筋の『傷痕』が、爆発的な感覚を生じさせたのだ。
シンゴの身に生じた異変を「闇」も察知した様子で、驚愕に身じろぎするような気配があった。
「ナ……何ダト……!?」
「言っておくが、お前がどこの誰であろうが、俺には興味が無い」
雰囲気を豹変させたシンゴは、冷ややかに言った。
「だが、お前が抱えた闇から生じたこの柱を、これ以上放置するのは、俺にとっても具合が悪い。白薔薇姫の取引の元、神々が介入する前にケリをつけさせてもらうぞ」
彼はそう言うと、人工知能に命じた。
「五分後に、この空域に到着以降のコクピット内の記録を全て消去しろ。お前の記録もだ」
『了解しました』
チルは感情の無い声で命令を受領した。
それを確認すると、シンゴは、半ば苦笑するように言った。
「しかし、闇に対して力業で光をぶつけるとは。我ながら強引だが、まぁ、良いセンをいっているかもな」
由来が何であれ、本来、闇とは光の前にはなすすべも無く消え失せるものである。
それは、単に光が届かないと言う現象に過ぎない。
ましてや、光を生成しているのは、魔法生物である《空魔》を叩きのめし、水妖を斃したBMRが搭載する核融合エンジンだ。
それが出力全開で生み出す、波動と粒子としての性質を併せ持つ光量子エネルギーが、「闇」に容赦なく叩き込まれていく。
そして、ついに、「闇」が軋みを挙げ始めたようだった。
そのタイミングを量ったかのように、《グランブール》の手にあるランチャーが、どこかに狙いを定め、立て続けに閃光弾を射出した。
言うなれば、それが致命傷だったのだろう。
あるいは、光量子エネルギーの規模から言えば、ラクダの背骨を砕いた一本の藁だったのかもしれないが、「闇」が何かの限界を超えた事実は間違い無かった。
魔導の「闇」は音も無く砕け散り、そして、属性転換を起こした。
この夜、アナムルで生じた巨大な光の柱は、東大陸南方各地は元より、中央地域からも目撃されたと言う。
ケメルの宿舎で床にあった宮廷魔導士は、不意にシンゴの思念が絶たれた事に恐慌寸前の状態になっていたが、窓越しにその光の柱を見て安堵の息をつき、ようやく眠りについた。
アナムルの沖合、ミルカ号の甲板上で、驚愕する乗組員と共に、その光の柱を見たガルシアことグラシアナは、あの見慣れぬ、やかましい音を立てていた機体が、何かをなしたのだと、理由も無く考えていた。
そして、その柱は進行する《リバイアサン》麾下の艦隊も目撃するところだった。
◇
艦隊の司令官席で、提督服を着た若者がクスクスと笑った。
「へぇ。どうやったか知らないけど、闇魔法は解除できたようだねぇ。さすがはローセンダールの白薔薇姫ってとこかな」
実際の経緯とは異なるわけだが、当然ながら、その事実は彼の知るところでは無い。
「頑張った御姫様には、ご褒美をあげなくちゃね。そうだな」
若者は少し考え込んでいたが、不意に顔を上げると、魔導士の一人を呼んだ。
「な、何でありましょうか」
呼ばれた魔導士の顔には、未だに怯えの色がある。
そんな事は気にもとめぬふうで、若者はあっさりと言った。
「今から……ええと、こっちの単位では五時間か。その時刻を以て、シルフィード級三百機が強襲をかける。その通告を、あっちにいる間諜から伝えてくれるように段取ってくれるかな?」
「え……いや、それは、仰せに従いますが……」
「ああ、むろん、これは降伏勧告さ。降伏すれば、全員の命は保証すると、そう付け加えてくれればいい」
若者の言葉に、魔導士は安堵の表情を浮かべて、すぐさま命令を実行すべく、通信の魔導器が設置されている場所に向かった。
間諜は正体が露見すれば、それこそ命の保証は無い。
しかし、降伏勧告の使者を兼務する事になるならば、その限りでは無いだろう。
《ダークノーム》の搭乗者を、それが本人の希望と言え、危険な転送魔法で送り出した事にも良心が咎めている彼にとって、間諜として向こうに渡っている顔見知りを危険に晒さずに済んだ事は、ありがたい話であった。
もっとも、そのせいで、若者が命令を発した直後に低く呟くのを聞き逃す事になったのである。
「まぁ、信じるか、信じないかはあなた次第……ってのがあったよね~」
三百機のシルフィード級を構成するのが、攻撃対象を全て焦土と化す、不必要なまでの殺戮で悪名高い部隊、通称ケルビム師団であると知ったら、あの魔導士はどんな表情になるだろうか。
若者はそう考えながら、相変わらずに、無邪気とさえ言える様子で、その魔導士の後ろ姿を見送ったのである。




