撃退
唐突に現れた妙な恰好をした青年が、魔装機甲兵に対峙するのを見て、女戦士ヘレーネは目を剥いた。
「あ、あいつ、どういうつもりだ。まさか、正面から魔装機甲兵に挑むつもりかよ」
同様の思いは、女魔導士ソニアとローセンダール王女フランチェスカも抱いているようで、固唾をのんで目の前の光景を見ている。
一方の魔装機甲兵の搭乗者も同じ思いであった。
「ぬぅ。生身で、この《サラマンダー》に挑むだと?」
この席から魔装機甲兵以外の者を見る時の光景、それは、後姿だけであった。
そう、通常は逃げるだけなのだ。
生身の人間と正面から対峙したのは、彼も初めての経験だった。
だが、不意に、のけぞるように笑いこける。
「くははは。そうか、恐怖で頭がおかしくなっているのだな」
その笑い声は、シンゴが腰のホルスターから抜いた銃を構えるのを見て、いっそう高くなった。
銃器はこの世界にも存在する。
魔力結晶に蓄積した魔力を打ち出す武器として、一般の将兵にも配備されている。
だが、魔装機甲兵には全く意味が無い。
魔装機甲兵が、魔導機関を稼動させている限り、個人の魔法、及び、銃器レベルの魔力では、発動すらできない。
いわんや、この《サラマンダー》は火の魔法に特化した機体である。
大抵の銃器に使用されている火の魔力結晶では、まず位負けしてしまう。
突然に現れ、対人用とはいえ《サラマンダー》の操る火球を躱した身のこなしには驚いたが、それまでだったようだ。
慎吾は、いきなり大音量で響き出した笑い声に顔をしかめながら、狙点を定めて撃った。
内部のエネルギーパックが、力場の塊を形成し、指向性を持った光条として撃ちだす携帯用のビームガン。
現在の世界では、未だに空想の産物だが、『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』では、ありふれた武器の一つだ。
と、いうか、慎吾にとっては実体弾無しで撃てる銃と言う認識しかない。
ともあれ、この世界の原理の外にあるビームガンは、魔導圏内であろうが何だろうが、エネルギーが十分であれば、使い手の意志通りに動作した。
これだけの近距離で、外しようのない巨大な的であってみれば、至極当然の結果ではあったが、荷電粒子が大気を切り裂く轟音と共に、銃口から放たれたビームは魔装機甲兵の分厚い装甲に命中した。
もっとも、成果としては表面を焦がした程度に留まる。
だが、そのビームの及ぼした打撃は、むしろ、精神面においてこそ多大なものがあったようだ。
「な、何だと?」
魔装機甲兵の搭乗者は絶句し、その光景を見ていた三人の美しい主従も目を見張っていた。
「あの銃、撃てたぜ」
「魔装機甲兵相手に……魔法を発動させた?」
女戦士ヘレーネや、フランチェスカ王女もそれぞれに驚きを口にしていたが、一番に驚いたのが女魔導士ソニアだった。
ソニアはローセンダール王国に代々使える宮廷魔導士だ。
先代である祖母から、現在の地位を譲り受けてから、さほどの日数がたったわけでは無いが、単身の魔導士と言う括りでは、おそらくは、歴代最強とも言われる程の力を持っている。
魔装機甲兵と言う存在がある以上、無敵と言うにはほど遠いわけだが、それでも、魔力の感知能力は、あるいは、魔装機甲兵をすら凌ぐかもしれない。
だが、そのソニアをもってして、今しがた目撃した光条に、魔力を感じる事はできなかった。
「魔法ではありません。今の輝きは魔法とは全く理の違うものです」
彼女は蒼白になりながらも、ようやく、それだけを言葉にすることができた。
◇
慎吾は、ビームの命中したところを見て、少し考え込むように言った。
「表面の塗装っぽいのが……少し焦げたかな?」
「材質の詳細は不明ながら、明らかな無機物系金属と推測されます。十分なダメージを与えるには出力不足と回答します」
すかさず、チルが分析結果を回答する。
「ま、そんなところか」
まったく、気落ちすることなく、慎吾はビームガンの設定を変更する。
熱量をミニマムまで下げ、一方で出力自体は最大にする。
衝撃モードと呼ばれる、対人戦において、敵を無力化する為の設定だ。
非殺傷モードとも言われるが、物理的な衝撃はヘビー級ボクサーのパンチの数十倍にはなるだろう。
もっとも、耐衝撃スーツを身につけた人間相手であれば、一撃で昏倒させるくらいの威力はあるが、BMRの装甲には傷一つつける事もできない。
せいぜい、装甲の中で脆弱な部分が多少はへこむかもしれないと言ったところだろうか。
今まで停止していた鋼鉄の巨人が動き出した。
おそらくは、巨体にものを言わせた攻めに転じるつもりだろう。
慎吾、いや、シンゴが装着しているのも、やはり耐衝撃に優れたパイロットスーツだが、あの巨人の一撃を受ければちり紙も同然である。
だが、この時を慎吾は待っていたのだ。
すかさず、衝撃モードに切り替えた銃の狙点を定め、撃った。
彼の狙撃スキルは、生身でも遺憾なく発揮され、巨人の頭部……眼の位置にあった魔結晶に、狙い過たず命中した。
この魔結晶は、魔装機甲兵の数少ない急所の一つであり、その装甲ほどの強度は無い。
魔装機甲兵同士の戦いにおいては、面当てを装着するなどして防御するのが常である。
だが、単体での対人殲滅戦、もしくは掃討戦を想定した機体は、確実な視界確保を防御よりも優先していた為、その単眼は剥き出しのままであった。
もっとも、生身の人間からの、例え、いかほどの強弓から放たれる矢等が当たったところで、傷一つつくものではない。
これが、据え置き式の大型弩砲ならば話は別だが、そうした兵器は、威力と反比例して命中精度が甘くなるものでもあるし、偶発的にその射線が魔結晶を捕えていたとしても、搭乗者が反応するより早く、魔装機甲兵に備わっている魔導小脳……魔装機甲兵の動きを司る自律システムが、飛来する矢の速度よりも早く対応する。
だが、亜光速で放たれた衝撃ビームに対応するのは、いかに魔装機甲兵と言えども無理だったようだ。
《サラマンダー》の単眼は、あっさりと砕けてしまった。
「ふふん、まずはメインカメラを潰してやったぜ」
慎吾はニヤリと笑いながら、逃げるように移動する。
たいていの巨大人型ロボットの例に倣い、BMRもお約束として、メインカメラは頭部の『眼』に当たる位置に設けられている。
このメインカメラの破壊は『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』における生身での対BMR戦においての、一つの定石である。
むろん、これだけでBMRを無力化できるものではないが、たいていのプレイヤーは、これをやられると怒りに我を忘れてしまう。
BMRに搭乗し全能感を増幅したパイロットとなったプレイヤーが、とるに足りないと感じる生身の敵に愛機を傷つけられたと如実に感じさせる行為なのだ。
それに対する怒りは、悪ガキの投石で愛車のフロントガラスにヒビを入れられたドライバーの比では無い。
まず冷静さを失い、次に踏み潰すか、叩き潰すかと言う行動に出る。
必然的に、逃げる慎吾を追いかける事になる。
冷静に考えれば、ビーム兵器を始めとして、生身の敵など瞬殺できる装備はいくらでもあるのだが、それでは気がおさまらないほどに激昂するのだ。
まっとうな対人戦闘などは滅多にあるものでは無いと言う事もあるだろうが、過去に慎吾がプレイヤー相手に行った、生身による対BMR戦では、皆が面白いように同じ反応を示した。
そこから先はステージに応じたメソッドになるが、現状のような陸上戦闘が勝率がもっとも高い。
いや、おそらく、二本足歩行の人型ロボットであるBMRと言う兵器の性質上、陸上戦闘が一番不向きとも言えるだろう。
何しろ、重力のあるステージなのだ。
通常の人間でも、歩行時に足を引っかけられれば容易く転倒する。
ジャイロ機構やオートバランサーが強化された陸戦用BMRと言えども、それは変わらない。
要するに二本足で移動するには、どうしても重心が不安定になる瞬間が存在するわけで、そのタイミングで、ほんの少し、衝撃ビームなどで余計に力を加えてやれば良いのだ。
怒りで我を忘れ、操縦が荒くなった機体であれば、猶の事、容易く転倒する。
むろん、誰でもできるわけでは無いが、パイロット属性に重点的にポイントを割り振ったシンゴには、それを可能にするだけのスキルがあった。
たまにチームを組むプレイヤーからは「転がしのシンゴ」なるニックネームまでもらっている。
もっとも、転倒したからと言って、それだけでどうこうなるようにデザインされたBMRは滅多にいない。
だが、手の届く高さになったコクピットのハッチを強制解除してパイロットに直接ホールドアップを促したり、機構上、装甲の無い関節部分に爆弾を仕掛けたりと、そこまでいけばやりようはいくらでもある。
現状のシンゴの武装――ビームガンとレーザーブレードだけでも、幾通りものやり方はあった。
どんな手で仕留めてやろうかと算段する慎吾だったが、しかし、その期待は大きく裏切られる事となる。
そもそも、今の慎吾が相手にしている魔装機甲兵はBMRでは無かった。
「ぬぅ!?」
唯一の『眼』を壊された為、《サラマンダー》の搭乗者は、外部の視覚情報を全て失ってしまっていた。
メインカメラ以外にも複数のサブセンサーを持つBMRと異なり、魔装機甲兵は人型を模した魔導兵器と言う性質上、『眼』を失ってしまっては、以降の行動に大きな障害が発生した。
視界のきかない、例えば水中戦に特化したウンディーネ級や、夜間行動を前提にした機体であれば代替手段はあったであろうが、このサラマンダー級には、そうした備えが無い。
動き始めた瞬間に視界を失ったと言う間の悪さも手伝って、機体から失われた均衡は魔導小脳でもカバーしきれなかった。
つまり、慎吾が次の手を打つまでも無く、鋼鉄の巨人は思いっきり転倒してしまったのだ。
そして、その衝撃は、魔装機甲兵のいくつかの機構に致命的な打撃を与えていた。
こうなっては仕方がない。
極秘である移送機構を搭載した機体をむざむざと敵の手に渡すわけにはいかない。
任務の失敗に加えて、魔装機甲兵を移送する魔導技術に関する情報を守秘できなかった責により、刑罰を受けるのは明らかであったが、このまま撤退するより他に手段はなかった。
搭乗者は歯噛みしながら、機体の移送機構を発動させた。
◇
勝手に転倒した挙句に、逃げるように姿を消した鋼鉄の巨人に、慎吾はむしろ呆気にとられてしまった。
「たかが、メインカメラをやられただけだっつーのに???」
微妙に危ないセリフが思わず口をつく。
「敵性オブジェクトはBMRでは無い可能性があります。BMRを前提とした予断による行動は、危険な場合があると勧告します」
すかさず、チルからの助言がある。
「ただし、現状において、当面の危機は回避されたものと判断します」
「ふん、まぁ、いいや。ミッションも終わったし、ポイントを確認してログアウト……」
この段階で、慎吾はようやく自分の置かれた状況が、尋常では無いと認識したようだった。
「えーと。ここって、どこ? っていうか、え? ええ???」
自分の体をペタペタと触りながら、周囲を見回す。
地平線まで続く荒野。
肌をなぶる風。
先ほどから嗅覚を刺激する、肉の焦げたようないやな匂い。
「少なくとも、近所……には、こんなところはなかったし、イベント会場にしても幕張とかビッグサイトじゃないし……地方に行くほど電車賃なんか持ってなかった筈だし」
そんな、パニック一歩手前の慎吾に、後ろから誰かが話しかけてくる。
『おい、お前』
すかさず、インカムから翻訳された言葉が流れてくる。
そういえば、コスプレイヤーな人たちが居たな、と、思い出し、振り返った鼻先に、突きつけられたものがあった。
切れ味の良さそうな刃物……と、言うか、長剣である。
ビキニアーマーな扮装をした、気の強そうな茶髪の娘が、険しい顔でこちらを睨んでいる。
「えーと??」
余計に訳がわからなくなり、慎吾の混乱に拍車がかかった。
『お前、何者だ?』
「いや、何者って言われても……」
『とにかく、その銃を寄越せ。さもないと……』
慎吾が握り締めたままのビームガンを見ながら、その娘はなおも言い募る。
さすがに、これにはカチンときた。
「むぅ……」
慎吾がもう少し人生経験が豊かであったら。
せめて、パニックに陥っていない冷静な状態であったなら。
この目の前の娘が、じつは怯えていた事に気が付いたかもしれない。
しかし、今の慎吾には、それを思いやるなどと言う事は不可能だった。
「いい加減にしろよ。ふざけた事を言うな。そんな摸造剣なんか突きつけやがって。美人な外人娘だろうが、コスプレイヤーだろうが、こちとら三次元な女には興味が無いんだ!」
などと、心にも無い事を怒鳴りつつ、詰め寄ろうとした慎吾の首筋に、その長剣が突き立てられた。
最初はヒンヤリとした感じしかしなかったが、熱い物が流れるのを自覚した途端、凄まじい痛覚が爆発した。
(え? これ……この噴き出してる赤いのって……俺の血?)
己のしでかした行動の結果に、娘があげる困惑と後悔と恐怖の圧縮された、泣き声にも似た悲鳴も耳に入らす。
なおも、いっそうに混乱した状態のままで、慎吾の意識はブラックアウトしていった。