襲撃
襲撃してきたのは、サラマンダー級の魔装機甲兵だった。
魔装機甲兵の中ではそれほど強力なものではないが、生身の人間が戦う相手としては絶望的存在と言えた。
そもそも、この世界で、この鋼鉄の巨人に対抗できるのは、龍種を始めたとした巨獣か、同様の魔装機甲兵だけである。
だが、馬車に随伴しているのは、通常の騎士だけであって、こんな相手を想定していたわけでは無い。
いかに戦時下とは言え、戦線の遥か後方のこんなところに敵の魔装機甲兵が襲撃してくるとは、想定できるものではない。
稼働可能な味方の機体は、全て前線に送られているのが実情だ。
ともあれ、生身の敵ならばともかく、この相手には鍛え抜いた剣技は意味をなさない。
精兵である親衛騎士達も、なす術も無く、次々と……文字通りに蹂躙されていく。
即ち、鋼鉄の巨人に踏みつぶされ、残るのは原型すらも留めぬ肉塊だ。
ヘレーネは、もう一人の護衛に向かって叫んでいた。
「ソニア! どうなの」
「だめです。あいつの魔導圏内に巻き込まれたようです。私の魔力が発動できない」
ヘレーネと同年代の娘が、歯噛みするような表情で魔装機甲兵を睨みつけている。
スタイルの良い、しなやかな肢体に纏った、トロンヘイム派に属する魔導士固有の、妙に露出の多い衣装。
そこから露わになっている肌のあちらこちらで、魔紋が微かに光っているが、魔法発動時に見せる明確さは、今は片鱗もない。
魔装機甲兵が厄介な相手であるのは、その分厚い装甲もさることながら、内臓する魔導機関――『合わせ鏡の法式』によって、通常の魔導士数百人分にも達する魔力をまき散らす為に、生身の魔導士や魔導兵器の魔力を封じてしまう事が最大の理由だ。
あんな装甲だけの話であれば、ソニアの放つ魔導の火球ならば一撃で倒してしまえる相手だ。
抗う術が全くないとなれば、後は逃げるしかない。
しかし、魔装機甲兵はそれすらも許してくれる相手ではない。
巨体のせいで鈍重に見えるが、実際には陸上を走る存在の中では屈指のスピードを出すことができる。
遮るものとてない荒野の只中であってみれば、魔装機甲兵との単純な競争に勝てるはずも無い。
魔法が封じられており、応援を呼ぶ通話もできないとなれば、残された手段は、無駄と知りつつ、ただ、ひたすらに逃げるか、あるいは……
「ソニア、ヘレーネ」
馬車の中から、ヘレーネの護衛対象が語り掛けてきた。
「ここは降伏しましょう」
「姫様……!? 何を仰せられます」
「そうです。姫様がここで敵の手に落ちれば、このローセンダールはザミーンへの対抗手段を失います」
その時、魔装機甲兵から大音量が響く。
「さすがは、ローセンダールの白薔薇姫と謳われたフランチェスカ殿下。これ以上に無駄な血を流すまいとするご判断は賢明です」
魔装機甲兵は搭乗者の視覚聴覚を増幅する。
さきほどからの会話も筒抜けだったのだろう。
馬車が止まるのに合わせて、魔装機甲兵も足を止める。
そして、馬車の扉の中から、ドレス姿の少女が姿を現した。
その艶のある栗色の髪に、ローセンダールの王族であることを示す宝玉をつけたティアラが日の光に輝いている。
魔導士ソニアは妖艶、女戦士ヘレーネは精悍と言う形容が付く美女だが、この少女はその二人にも劣らぬ美貌の持ち主だった。
ローセンダール王国の第一王女フランチェスカである。
「おお、これはまさしくフランチェスカ殿下。昨年の舞踏会でお見かけした時よりも、お美しくなられましたな」
「見え透いた世辞はやめて頂きましょう。さ、この身柄をもってお前の功となすが良い。ですが、周りの者にこれ以上の手出しが許しません」
「姫様……」
くやしそうに声を絞り出すヘレーネと、同じく唇を噛みしめるソニアの間にあって、フランチェスカは顔色こそ蒼白ではあったが、毅然とした態度で鋼鉄の巨人を睥睨していた。
「お見事です。申し訳ありませんが、この機体は魔導機関を止めねば、操縦席の扉が開きませんので、このままで挨拶する非礼をお許し下さい。それと……」
魔装機甲兵の眼に位置する処に据え付けられた魔結晶が、不気味に輝く。
「周りの者には手出しを……と言うお言葉を入れるわけにもいきませぬ。ご容赦を」
不意に小さな火球が現れ、生き残りの騎士たちや、フランチェスカが乗っていた馬車を襲う。
瞬時にして、跡形も残らぬ消し炭になった。
「な、なんという事を」
両手を口に当てて絶句する少女を見ながら、魔装機甲兵の搭乗者は悪びれる様子も無かった。
「約定を交わしたわけでもありませぬし、この機体の事を知られるのも都合が悪い。いや、この機体自身はありふれたものですが、ここに現れたと言う事は、さすがに知られるわけにもいきませんので」
「ザミーンが、魔装機甲兵を移送する魔導技術の開発に成功した事を……と、そういう事ね」
ソニアが歯を食いしばるような声で言った。
「くはは。さすがは、王女殿下側近の魔導士殿。ご慧眼に感服します。いや、残念だ」
悪寒を覚えたように、フランチェスカが身を震わせた。
「まさか……」
「この機体で運べるのは、姫様お一人だけ。側近のお二人の事を知っていれば、別の機体を用意したのですが」
心底から申し訳なさそうな声ではあったが、妥協するつもりも一切無いようだ。
「なりません。許しませんよ」
ソニアとヘレーネの長身に左右の手を回し、しがみつく少女は、いやいやをするように首を振った。
その美しい瞳からは、口惜しさの余りに涙が溢れている。
側近の二人は、愛おしげに少女を見下ろし、そして、お互いに苦笑と諦念の混じったような表情で顔を見合わせた。
「姫様を守り切れなかったのは無念だが……」
「ここまで思われていたと、わかっただけでも良しとしましょうか」
その三人に向けて、鋼鉄の巨人がゆっくりと掌をあげる。
その指からは、まるで猫のように、鋭い爪を思わせる刃物が伸びていた。
「なるべく、苦しまないように。そして綺麗なご遺体を残す事だけは、お約束しましょう」
そして、その手を伸ばそうとした時。
魔装機甲兵を遮るように、輝く光球が出現した。
◇
マウスを操作する時に座椅子に行儀悪く凭れるような姿勢だったせいであろう。
不意に座椅子が消失した事を感じた時には、ズデっという感じで思い切り地面に後頭部を打ち付けていた。
「痛ててて……って地面? あれ?」
慎吾は慌てて周囲を見回す。
今まで部屋の中に居た筈なのに、いつのまに屋外に出たのだろうか。
まぁ、大戦イベントでは徹夜続きでの朦朧とした状態のままに、コンビニへの買い物を済ませた記憶はあるが、さすがに記憶が途切れたのは初めてである。
少しは自粛した方が良いのかもしれない。
不意に声をかけられて、顔をあげると、そこには三人の若い女性がいた。
なんだか、コスプレイヤーのような外人の娘さんたちだった。
(ありゃー、記憶がとんだ上にイベント会場まで来ちまったかよ)
よく見ると、自分の服装も普段通りでは無い。
『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』におけるシンゴが着用するパイロットスーツにも見えた。
(だけど、俺、こんなコスって持っていたっけっか?)
そもそも、イベント会場にしては他に人もいないし、殺風景でもある。
焦げ臭い、いやな匂いもただよっているし……
なおも、娘たちの一人が話しかけてくる。が、まったく、何を言っているかわからない。
片言の英語なら聞き取れるが、早口になるとさっぱりである。
だいたい、英語のようでもなさそうだ。
それにしても、美人さん揃いである。
真ん中の娘は、まだ少女のようだが、綺麗なドレス姿が非常に似合っている。まるでお姫様のようだ
その隣にいる、長い黒髪をサイドテールにしたやや年嵩の娘は、ゆったりとした長衣だが、あちらこちらの肌が露出しており、スタイルの良さが見て取れる。
(うわ~、大胆なスリット……って、あの位置でも紐が見えないって事はノーパンですか。ブラの紐も無いからノーブラ……あ、いやいや、詳しくないけど、最近だと貼り付けるタイプの下着もあるって)
比べると、残る一人の方は確実にブラジャーとパンティーを身に着けているようだ。
(っていうか、あれ、ビキニじゃん。ビキニアーマーじゃん。大胆~。……ってあれ?)
よく見ると、そのビキニアーマーには見覚えがある。
もう一人の娘の服装も、そういえば記憶に引っかかるものがあった。
(あ、ゲームのデモ画面に出ていた……)
不意に、背後から鳴り響いた大音響に、慎吾はビクっとなった。
(な、何だ? 何なんだよ、いったい)
振り返った先に、とても信じられないものが居た。
巨人。
正確には、巨大な甲冑と言うべきだろうか。
それが、先ほどから大きな音量で話かけてくるようだった。
「何言ってっか、わからねぇよ。それと、スピーカーを絞れ。近所迷惑だろうが!」
インカム越しに耳を押さえながら、負けじと怒鳴り返す。
その慎吾の「何の言っているかわからない」と、言う言葉に反応するものがあった。
あるいは、押さえた事で起動したのかもしれない。
彼が装着していた、そのインカムから機械的な音声が聞こえてきた。
「ユーザからの要求であると認識します。翻訳処理の開始シーケンスに入りました」
それは慎吾にとって耳に馴染んだものだ。
『ウォー・アンド・ビルド・オンライン』で慎吾のパートナーである人工知能(と言う設定)のチルだ。
ちなみに、このチルと言う名前は、慎吾が小学生の時に飼っていた猫からとっていたものだ。
「翻訳処理シーケンスを完了しました。以降、相手の音声を翻訳します」
インカムから、チルがそう言った途端に、目の前の巨人が放つ大音量が、翻訳されてインカムから聞こえてきたようだった。
『ふん、何も答える気は無いと見えるな。まぁ、何者かは知らぬが、この機体を見られたからには同じ事よ』
不意に小さな火球が現れ、襲い掛かってくる。
「うわったっとぉ」
慎吾は素早く、それを避けた。
そして、二度、びっくりした。
一度目は、何も無い空中に、突如として火球が出現したからであり、二度目は、自分がそれを回避して見せたからである。
自慢ではないが、運動神経は鈍い方で、ドッジボールなどでは真っ先に餌食になった方である。
だが、そんな芸当をこなして見せる人物に、少なくとも一人だけ心当たりがある。
慎吾のゲームキャラのシンゴだ。
せっせとポイントを割り振ったパイロットキャラは、反射神経だけはスバ抜けている。
ゲームの性質上、人間離れした筋力などを持ち合わせている事は無いが、銃器の扱いや剣の腕前はぶっちぎりだった筈だ。
ミッションの中には、稀にBMRでは入れない施設に潜入するものもあって、そうした「生身ミッション」の成績は、自軍の中では屈指の達成率だった。
(えーと、この身体って、もしかしたらシンゴなのか? そんな莫迦な)
あり得ないと言う思いに囚われかけるが、もっとありえない存在が目の前に聳えていると言う事実がある。
「チル、ひょっとしてBMRは呼べる?」
「否定。当該環境で運用可能な機体は四機。推奨される機体は一機ですが、現在ダウンロード中です」
全く感情の無い声がすかさず回答する。
次の瞬間、その声が前言を一部撤回した。
「訂正します。ダウンロードは完了しました。ただし、インストール、及び、改修に伴う演算に移行しますので、状況は変わりません」
「つまり、これって生身での敵ロボット撃破ミッションってこと?」
「敵データがありませんので、回答は保留します。ただし、正面のオブジェクトに敵性行動は認められますので、それに準じるものとして、行動を選択される事を推奨します」
「よっしゃああ、それだけ聞けば十分だ」
慎吾は既にゲームのノリである。
実際にはコンソールで操作していたわけであるが、のめり込んでいた時には、シンゴの手足を動かしていたような錯覚があった為、直接に体を動かす事に対する違和感は消え失せていた。
通常、生身でのミッションには、携行武器や弾薬を入れたバッグパックを持っていくのだが、現在、それは手中に無い。
従って、武装は腰のホルスターに納めたビームガンとレーザーソードだけであるが、シンゴならば無問題だ。
「いっちょう、やってやるぜ」
この世界において、鋼鉄の巨人、魔装機甲兵に生身で挑むと言う前代未聞の対決が始まろうとしていた。




