第四十三話:孤島「占い師」
「うわぁ、カラフルなキノコ!? こんなの絵本でしか見たことないよ〜!」
小さい子供のようにはしゃいでアークが言った。翌朝の今日ゲアン達一行は、カヤメル山の麓にある占い師の家を目指して歩いていた。山へ近付くに連れ湿った空気に包まれ、珍しい色や模様のキノコがあちこちに見付かる。
「あっ、あれじゃない?」
更に進むと蔓草が巻き付いた怪しげな小屋を発見した。
「なんだか怖い」
亡霊か何かが出そうなその雰囲気にレミアは表情を曇らせた。
「どこが玄関だ」
小屋を眺めてゲアンが呟く。その小屋は建物全体が蔓草に覆われていて入口が見付からない。
「ねぇねぇ、これ何だろう?」
何かを見つけてアークが仲間を呼んだ。小屋の側に立つ木の穴の中から何やらロープのような物を発見した。
「家に繋がっている」
近付いてそれを見たバドが思案げに言う。
「呼び鈴だったりして?」
好奇心旺盛なアークはさっそくそれを引いてみた。
しかし返ってきたのは沈黙だけだった。小屋からも反応は無くひっそりと静まり返っている。
「ダメじゃん!」
言ってアークはさらにその紐をぐいぐいと引っ張ってみた。今度はもっと執拗に。
「ライザさ〜ん、いないんですかぁ? いたら返事してください〜!」
そう叫んでみると
「何の用だい?」
びくっ!? としてアークは肩を浮かせた。ゆっくりと後ろを向くとそこに老婆が立っていた。彼を不審な者を見るように下から覗き込んでいた。
「なっ、なんで“後ろ”から……?」
胸に動悸を覚えながら化け物に遭遇してしまった時のように目を瞠るアーク。老婆は言った。
「魚を釣りに行って今戻ってきたのさ」
「ああ〜、なるほど」
顔に冷や汗を掻き、苦笑してごまかすアーク。
「失礼ですが、あなたはライザさんですか?」
「ああ、そうだよ。あんた方は何者だい?」
ゲアンが尋ねると老婆はギロリとした飛び出しそうな目で長身のゲアンを見据えた。
「カザルの知り合いです」
老婆はふ〜んと言ってゲアンを上から下から眺めやり、次いで連れの者達にも怪訝そうな視線を送る。
「こんな所へ何しに来たんだい?」
言いながら老婆は入口を塞ぐ植物の枝や蔓をどけようとした。
「あなたにぜひ占って頂きたいことがあって参りました」
「先にこれをどけるのを手伝っとくれ」
「はい」
ぶっきらぼうな老婆に頼まれてゲアンが手を貸し、彼女と一緒に蔓草をどけると中から小さな扉が現れた。そこからライザが家の中に入り
「入んな」と招かれてゲアン達も後に続いた。
中は薄暗く、異様な臭いが漂っていて思わずむせそうになる。アークは拒絶反応を示して「おえっ」と小さく言ってしまい、下瞼に涙の粒を浮かべた。レミアも血筋は魔女のものを受け継いでいるものの、これを良い臭いだとは思えなかった。
「悪いがその辺に適当に座っとくれ」
ライザに促されてゲアン達は、椅子も何も置かれていない床の空いている所に腰を降ろした。ぐにっ。
「うわぁ!? 何だ今の、何か変なの触っちゃった……」
床に着こうとして降ろした掌に、柔らかい妙な物が触れてアークは青ざめた。薄暗いので床に何か落ちていてもわからなかった。
「大丈夫?」と側にいたレミアが慰めの声をかけてやる。しかしアークはまだ引き攣った顔で恐る恐る視線を下ろし、触った物を確認した。
「わああ、何これ!?」
途端、彼は飛び上がった。
「何だったの?」
レミアが横からそれを覗き込むと
「キャッ!」
彼女も叫んで後ずさった。
「ネズミの死骸だな」
それを見たバドがさらっと言った。
「何でネズミの死骸なんかがここに……」
嫌悪に顔を歪めるアーク。触ってしまったことが悍ましい。早く手を洗いたかった。
「儀式で使うのさ」
「儀式?」
皆の視線がライザに集中した。
「ああ、あの世へ行った者と話したり、運勢を占う時にそれを使う。漢方薬の材料にもなる」
「うそっ、こんなの薬に入れちゃうの!? うわぁぁ……」
首を振り、有り得ないんですけどと身震いするアーク。ライザはふん! と鼻息を鳴らした。
「じゃあ、始めるよ」
「お願いします」とゲアンが促す。
「カザルの知り合いだと言ったねぇ」
ライザの声がやわらかくなった。
「元気にしてるかい、カザルは?」
「ええ、元気です」
ゲアンがそう答えると
「そうかい……」
心底安堵したようにライザは顔を緩ませた。それから顔を上げ、視線をゲアンの顔に向けた。老婆のぎょろっとした双眸が正面に座った青い瞳の青年の顔を凝視する。
「美しい瞳だ……」
そう賛美するとライザは
「あんたは“天使”かい?」
囁くような声で言った。
「いいえ、ただの人間です」
当然ながらゲアンはそう答えた。しかしそれを聞いた老婆の目は落胆の色には暮れず、まだ希望に輝いていた。
「しかしまるで天使のようだ。あんたを見てカザルが何を思ったのかはだいたい想像が付く」
「カザルにもそのようなことを言われました」
ライザは納得してうんうん頷きながら話を聞く。
「そうだろうねぇ、そう思ってしまうのも無理はないし、あの子にとってそれは“願い”だからねぇ……」
カザルのことを話す時の彼女は穏やかで、母性に満ちていた。彼女とカザルは、ただの占い師とその知り合いというだけの関係ではない気がした。
「私は天使ではありませんが、この国に起こった不可解な出来事を黙って見過ごすわけにはいきません」
「ほ〜、それは願ったり叶ったりだ。あの子もきっと喜ぶだろう」
ライザが歓喜して瞳を輝かせた。
「そこであなたに占って頂きたいのです」
「何を占って欲しいんだい?」
「この国の現在の国王のことです」
ライザが怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「そのことなら何度も占った。あの子に聞かなかったかい?」
「いいえ、何も。王のことを占ってもらったとは聞いていません」
「そうかい。まぁいい、一応占ってはみるけど期待しないでおくれ」
ライザは円を描くように置いてあった蝋燭すべてに点火すると、その辺にあった小道具を使って占い始めた。緊迫の時が流れる。重すぎる沈黙の秒が時計を何周かしたほどが経過した頃――
「う゛ぅ゛う゛う゛……」
ライザが突然苦しそうに唸り始め、しかし何が起こっているのかわからず皆沈黙していると
「!?」
突然ライザが雷に撃たれたようにびくっと体を反らした。恐怖におののくように目を見張り、口を叫ぶ形に開けたまま硬直した。それからすぐに脱力して床に倒れ込んでしまった。
「あっ!」
「ライザさん!?」
アークとレミアが叫んだ。アークは咄嗟に支えようとして立ち上がろうとするも間に合わず、ライザは床にしたたか体を打ち付けてしまった。
「気絶したようだ」
ゲアンが傍に行きそれを確認すると
「オレに任せろ」とバドが倒れているライザの傍まで行き、彼女の額に手をかざした。それから瞼を閉じて瞑想に入る。
「ん……んん」
少しして呻き声を上げながらライザは意識を回復した。心配してゲアン達が彼女の周りを囲んでいた。ゲアンが彼女に声をかける。
「大丈夫ですか?」
「ああ、何とかね……」
瞼も開け切らぬ憔悴した表情でライザは弱々しくそう返事した。
「少し休まれますか?」とゲアンが気遣うと、ライザはそれを拒んで頭を左右に揺らした。
「その前に話しておきたいことがある」
「何でしょうか?」
皆の視線がライザに集中した。彼女の口がゆっくりと動き、それが語られる。室内に緊迫した空気が広がっていく。ライザは言った。
「あの王は“第三者”により動かされている」
「“第三者”とは、誰のことですか?」
ゲアンが尋ねたが、回答を言わずにライザが話を続ける。
「それを見ようとした時、相手があたしに語りかけてきた……」
「何と言っていたのですか?」
急かさぬようにゆっくりとした口調でゲアンが促す。荒い呼吸を間に挟みながらライザはそれを告げた。
「これ以上深く調べようとすれぱ、あたしの“一番大切な物”を奪い取ると」
「一番大切なもの?」
そう聞き返すとライザは頭を縦に動かした。
「あたしにとって一番大切なものと言ったらあの子……“カザル”だ」
「カザル?」
「そう、あの子はあたしが昔愛した男性によく似ていてねぇ。カザルはその人の孫なんだよ」
「そうだったんですか」
彼女の態度の変化の意味が、ここでようやく理解できた。ライザは時々目を閉じながら言葉を紡いでいく。
「あの精悍で端正な顔立ちや体つきは、まるであの頃のあの人に生き写しだ。今は亡き彼への償いとしても、せめてあの子をこれ以上不幸にはできない!」
「償いというのは?」
「昔、あたしとカザルの祖父は結婚の約束をしていたんだ。ところがあたしの親が彼を婿養子にすることを条件に出すと、相手の親がそれを受け入れてくれなかった。
それでも彼は諦めなかった。『本気でオレを愛しているなら、今晩ここで落ち合おう』彼はそう言い残して私と別れた。だけどその晩あたしは“そこ”へ行かなかった」
皆の視線が彼女に問い掛ける。
「何故ですか?」
「ふふ、ただの言い訳になるけどねぇ、その晩あたしの母親が急に倒れたんだ。それで行けなかった」
「そうでしたか」
悲劇を語るライザのやつれた微笑が痛ましい。運命が彼らを引き裂いてしまったのだろうか。
「その後はもう不幸の連続だった。母は一命を取り留めたが今度は祖母が……それを追うようにして祖父までもが原因不明の突然死を遂げ、一家は悲しみにうちひしがれ、あたしはもはや恋愛どころではなくなり、代々受け継いできた家業の占い師の後継者としてひたすら毎日修業に励んだ。彼は事情を知り何度も会いに来てくれたけどあたしはそれを拒み続け、そのうち彼は来なくなり自然消滅さ」
「そんなことがあったのですね」
その悲恋の哀しみを皆、我がことのように噛み締めた。現在恋愛の真っ只中にいるレミアは、他人事のようには思えず胸の奥が共鳴したように震えるのを感じた。切なさが胸に充ちて、大きな紅茶色の瞳を潤ませる。
「彼には本当に申し訳ないことをしてしまった。あんなにあたしのことを思ってくれたのに……。そんな彼にあたしは甘えてたんだ。彼だけは分かってくれると。でも分かって来なくなってしまった時は、寂しかったねぇ……」
ライザの視線が過去を振り返るように虚空に注がれた。そんな彼女を労るようにして、ゲアンは切れ長で青く美しい瞳を細めて微笑した。
「あなたの本当の気持ちが、天国にいる彼に伝わるといいですね」
その言葉がライザの沈んだ瞳に輝きを与えた。
「ありがとう……」
彼女を後悔という暗い影の下から、ようやく光の注がれる場所に誘ってくれた。もう体力がほとんど残っていない彼女は、感謝の気持ちを安らかな笑顔で精一杯表した。
そんな中、悪気はなかったがアークの頭の中には別のことが浮かんでいた。――“ここまで聞かされるってことは、あのお婆さん絶対もう調べてくれなそう”と。深く誰かを愛した経験のない彼には、あまり彼女の哀しみが心に深く響かなかったようだ。今は仕方ない。だが、これからわかることだろう。
ゲアンが静かに切り出した。
「ライザさん、あなたのお気持ちはよく分かりました」
「本当かい? よかった」
ほっと安堵するライザ。しかし――
「あなたの一番大切なものを“我々が護ります”」
「え!? どういうことだい?」
思いもよらぬ意に反したことを言われてしまったライザは、込み上げた激情の勢いで起き上がった。穏やかにしていた顔が一瞬にして憤りの形に激しく歪む。冷静に語るゲアンのことを憎悪を込めて睨みつける。彼の発する言葉が無慈悲な言葉にしか聴こえなくなる。
「先程聞こえてきたという声のことをカザルに話し、ライザさんには“第三者”を調べて頂き、その間我々がカザルを護るのです」
ライザが目を血走らせて激昂した。
「じょ、冗談じゃない! “あの子”にもしものことがあったらどうするんだい!?」
「そうならないためにも全力を尽くします」
その“冷たい返答”に沸点に達していた怒りが急激に冷めて、ライザは冷ややかに笑声を漏らした。
「はは……分かってないねぇ。あんな直接頭の中に話しかけて来るような奴……ただの人間じゃないかもしれないんだよ!?」
次第に感情が白熱して言葉尻が叫び声に変わる。ゲアンは
「そうですね」とあくまでも淡々とした口調で返す。ますますそれがライザの感情を逆撫でした。
「“そうですね”、じゃないんだよッ! あの子をそんな危険な目に遭わせられるか!?」
興奮しすぎて血管が切れそうだった。傍らから見ていてそのことを心配するアークだった。こんな状況にしてしまってどうやってあのお婆さんを説得するつもりなのか、というかライザに同情さえ覚えてしまうアークであった。
興奮が治まらないライザをまっすぐに見詰めてゲアンはさらに説いた。彼の青い瞳に飲み込まれそうになるのを跳ね返すように、ライザが顔をしかめる。
「ライザさん、彼はこの国の平和を願っています。話せばきっと協力してくれるでしょう」
「あの子が願っているのはこの国のことじゃない」
ゲアンは軽く目を瞠った。解せない表情で首を傾ける。
「どういうことですか?」
ライザが声を沈ませてその訳を語り始めた。
「この国は平和だよ。ほとんど孤立して戦争もない。不幸になったのは前国王と……“あの子達”だけだ」
「あの子達?」
問い返したゲアンにライザは頷いた。
「そう、カザルとその妹だよ」
「妹? いったい何があったのですか?」
ライザが続ける。
「妹のキャメルが突然病で倒れてしまったのさ」
皆、慨嘆を表情に現わした。
「それで彼女はどうなったんですか?」
「入院してる。“他国”の病院にね」
「他国? 何故別の国に?」
「この国では直せない病気らしい」
「そんな難しい病気に……」
ゲアンの口から重たい息が漏れる。
「カザルは何よりも妹の病気が治ることを願っている。両親が死んでからあの子が一人で妹を守ってきた。そのために王に体まで……」
カザルがあの王の愛人であることはあの寝室で知ったが、そうなった理由までは知らなかったゲアンは驚愕するとともに胸の奥が酷く痛んだ。あの王が男色家と知り、カザルが何かを隠していることを察していたバドやレミアも驚きを隠せない。一方何も気付いていなかったアークは目や口を開けて、ただただ唖然とするばかり。嘘!? と、くりっとした目をしきりにしばたたかせる。えっ? それってどういうことなんだろう?――まだわかっていないらしい。
深刻な面持ちでライザは言葉を紡いだ。
「あの子は今まで充分すぎるほど苦しんできた。身も心も……だからこれ以上あの子を不幸にしてはいけない。危険な目になんか遭わせちゃだめなんだ!」
声を台にしてゲアンに強く訴えかける。
「しかし黙っているだけでは何も解決しません」
正論のように返すゲアンに、ライザは再び熱い憤りをぶつけた。
「じゃあ、あんたはあの子を危険な目に遭わせてもいいって言うのかい!?」
「何もしないよりはいいと思います」
「なんて残酷なことを……」
目の前の青い瞳を持った美しい青年を先程天使と思ってしまったが、この男は“天使の姿をした悪魔だ!”――そう罵ってやりたかった。
「このまま放っておけば、彼も彼の妹も苦しむだけです」
「これから病気が治るかもしれないじゃないか!?」
「その保証はどこにもありません」
静かに、しかし強い効力をもってゲアンの言葉がライザの意見を跳ね返す。ライザは悔しさに奥歯を噛み締めた。
「だからって……」
憐れな老婆に、慰めのようにゲアンは最後をこう締め括った。
「どうするかは、彼に決めてもらいましょう」
ライザ可哀相に。これだとゲアンが詐欺師みたいですね(苦笑)