第三十二話:媚薬【中編】魅せられて
なんだかドロドロしてそうなタイトルですが、どうぞ読んでお確かめくだされぃ~
結局ゲアンたちは嵐が治まるまで老婆の家に泊めてもらうことにした。その一日目の晩。強風で家のあちこちが軋んでガタガタと音を立てる。家が壊れてしまうのではないかと不安にさせられる状況が続くが、老婆とその孫は慌てる様子もなく泰然としていた。
「やはりお告げの通りになったのう」
「ええ」
と静かにお茶を啜る。
夕食が終わるとプリエッツェラがゲアンたちに部屋を案内した。
「こちらとあちらの部屋のお好きな方をお使い下さい。私は奥の部屋にいますので、何かお困りの時は声をかけてください」
案内された二つの部屋には、それぞれニ台づつベッドが置かれていた。
「オレこっち〜」
浮かれて部屋に入るアーク。レミアは「じゃあ、私はこっち」と隣の部屋に入った。バドとゲアンが後に残される。
「オレはこっちで寝る」
バドがアークのいる部屋に行こうとした。
「おい、オレが向こうで寝るのか?」
すかさずゲアンが呼び止める。
「……」
立ち止まったバドはゲアンの顔を見ると渋面を作って苦悩した。唸った後――
「お前もこっちで寝ろ」と諦めたように促す。
「どうやって? ベッドは二つしかないんだぞ?」
「オレは床で寝る」
「そんなことできるか!」
「大丈夫だ、心配するな」と軽く答えるバド。
「……」
ゲアンが困り果てているとレミアが部屋から出てきた。
「どうしたの?」と寂しげにバドたちを見る。その顔は明らかに、この二人が今なんでもめているのかを察してしまった顔だった。
「……」
バドは見詰めてくる彼女の視線を避けて脇を見た。
レミアが哀しい表情のまま切り出す。
「バドがこっちの部屋にすればいいじゃない?」
「そういうわけにはいかない。解ってくれ」
「……」
レミアの目に涙が滲む。嗚咽が口から洩れそうな瞬間、彼女はバタン! とドアを強く閉めた。さらに鍵をかける音がする。
「レミア!」
バドの声が虚しくドアにぶつかって弾かれる。
「大切にするのもいいが、あれではレミアがかわいそうだぞ?」
「そんなことは解ってる! オレだって本当は一緒にいたい……」
バドとゲアンは互いに分かっていた。だが、その気持ちをレミア(彼女)には理解できないのかもしれない。と、そこへプリエッツェラが戻ってきた。
「あの、もしかしてお二人とも部屋のことでお困りですか?」
「ええ、実は」とゲアン。
「ごめんなさい。私ったら、女の子がいるのに部屋を二つしか用意しなくて」
「いいえ、急に押しかけてしまったこちらが悪いので」
「もう一つ空いている部屋があったので、そちらもお使いください」
「では、私がその部屋を使わせていただきます」
「では、こちらへどうぞ」
プリエッツェラに部屋を案内してもらってゲアンは別の部屋に行き、バドはアークのいる方の部屋で寝ることにした。
翌朝も風の唸りは続いていた。プリエッツェラが朝食を用意してくれたということで、皆それぞれ起きて食堂へ向かう。
「昨晩はよく眠れましたか?」
アークが一番乗りで食堂に入ると、休んでお茶を飲んでいた老婆が聞いてきた。
「ちょ〜爆睡しちゃいましたよ」とアークは溌剌とした元気な笑顔で言いながら、一番端の席に座った。
「ほっほっほ、それはよかった」
老婆は孫を見るような目でアークを見て、穏やかに微笑んだ。
「あ、おはよー!」
続いてそこに現れたバドとレミアに向かってアークが言った。
「おはよう」
「おはよう」
二人とも声が沈んでいて伏し目勝ちになっている。アークは首を傾げ、不思議そうに二人を見詰めた。二人は向かい合って席に着くと、頬杖を突いてじっとしていた。どうしたんだろう? アークが疑問に思って尋ねる。
「二人とも元気なくない? どうかしたの?」
「別に」とバド。
「もしかして、ケンカ?」
「……」
「……」
アークは何気なく聞いたつもりだったが、二人とも無言になって困惑した。いつもだいたい微笑で返してくれるバドが全く笑わず、気まずくなってしまった。うわ、なんか聞いちゃいけなかったみたい! レミアも暗い顔してるし……
と、そこにゲアンがやって来た。
「あ、先生おはよ〜」
彼はアークの隣に座った。少し後からプリエッツェラが来る。
「おはようございます」
プリエッツェラはやわらかく微笑した。するとそこに一輪の花が咲いたようだった。彼女が現れると一気にその場が華やかになる。金色のしなやかな髪は、ただ下ろしただけなのに揺れる度、金の環が輝きを放ち優雅に見える。笑うと少し垂れ目になる愛らしい瞳は、ブルートパーズさながらの宝石だった。密集した睫毛はくるんとカールしていてまるで人形だ。
「超かわいいよ、マジで〜」
アークはすっかり彼女の美貌に見惚れてしまう。皆の席にお茶を注いで回るプリエッツェラをうっとりとした目で追いかける。
「……!」
レミアがちらりとバドを見ると彼もまたプリエッツェラを見ていた。レミアは怒ってバドを睨み付ける。
「どうした?」
視線に気付いたバドが困惑して尋ねるとレミアは
「何であの人のことずっと見てるの?」とプリエッツェラのほうに顔を向けた。
「ただ見てただけだ」
「嘘、意識してたくせに……」
「意識なんかしてない」
「あの人が綺麗だから、見惚れてたんじゃないの?」
「……」
「綺麗だ」
ふとゲアンが呟いた。彼の視線の先にはプリエッツェラがいた。
「気に入っていただけましたか?」
恍惚としたゲアンの顔を見て、したり顔のような笑みを浮かべる老婆。
「え?」
ゲアンはふと我に返り、目を瞬かせた。ニヤリとして何か含むような老婆の目と目が合う。
「あの娘のことです。“プリエッツェラ”の」
「ああ……」
そのことかと納得するゲアン。
「あの娘はもう17歳になるのですが、なかなか良い相手が見付からなくてねぇ」
「あんなに美人なのに!?」
横で聞いていたアークが大仰に目を瞠って驚いた。
「ほっほっほっ、それはそうなんじゃが、みんな長続きしなくてねぇ」
アークもゲアンもバドも、そしてレミアも含め皆“信じられない”という顔をした。
朝食を済ませると「あとは自分たちがやるから」と老婆に促されて皆、席を立った。プリエッツェラが食器などを片付けに厨房に向かう。
「手伝うよ」
そう声がして彼女が振り向くと、厨房の前にゲアンが立っていた。
「いいですからそんな、気を使わないでください!」
そんなことはさせられない、と自分一人でさっさと食器を流しに運ぶプリエッツェラ。傍らでその様子を眺めていたゲアンが口を開いた。
「プリエッツェラ」
真っすぐな瞳で彼女の姿を捕らえながら、彼は一歩前に踏み出した。
「はい」
プリエッツェラは目線を上げて、長身のゲアンを下から覗いた。
「……」
視界に入った彼の強い眼差しに動きを封じられるプリエッツェラ。彼女の目は、疑問を浮かべた瞳から上気して恥じらうような瞳へと変わる。ゲアンの唇から言葉が紡がれた。
「一目見た時から君を好きになった」
「……」
「オレと結婚してくれ」
その台詞はあまりにも唐突過ぎるように思われたが、彼の気持ちに嘘偽りはなく迷いがないことは、その真っすぐな目を見れば伝わってきた。時間も長い告白の言葉もまるで必要ないかのように、彼の情熱が彼女の心を溶かす。彼女は首肯する代わりに、目を細めて艶冶っぽい笑みを浮かべた。その美しい微笑を見て、ゲアンはまた見惚れてしまう。
「もっとお互いのことをよく知ってからね?」
「……」
返事を聞いて少し哀しそうな顔をしたゲアンを見てクスッと笑い、慰めるようにプリエッツェラは言った。
「部屋で待ってて? 片付けが終わったら行くわ」
ドアをノックする音がして、ゲアンは部屋のドアを開けた。来訪者はプリエッツェラだった。
「どうぞ」
ゲアンは微笑で彼女を迎え、中へと招き入れた。――はいいが困ったように彼は頭を掻いた。
「ごめん、椅子がないんだ」
「ええ、知ってるわ」
プリエッツェラがくすりと笑う。
「そうだよな、君の家だし……」
「いいわ、ここで話しましょう」
そう言いプリエッツェラは、部屋の一角にあるベッドに座った。戸惑うゲアンに向かって彼女は“隣にどうぞ”と言うようににっこりと微笑む。ゲアンは少し躊躇いながらも彼女の隣に座った。
「まずはあなたの名前から教えて?」
「ゲアンだ」
「ゲアン……?」
プリエッツェラはゆっくりとそれを発音した。妙に艶めかしく。
「ああ」
ゲアンが答える。それから二人は互いの顔を見詰め合った。少しずつ吸い寄せられるように顔が近付いていく……ガチャという音がした。
「先生! 一緒にゲームやらな……」
ドアが開き、アークが顔を出す。すると丁度キスの最中だった二人を見て、彼の表情と動きは固まった。あはっ。引き攣った笑いが口から漏れる。彼は無理矢理口角だけ上げた不自然な笑顔を作ると
「……いですよねぇ? おじゃましましたぁ〜!」
と逃げるようにその場からいなくなった。
その頃別の部屋では、レミアとバドが気まずい空気になりながらアークを待っていた。やがて戻ってきた彼にバドが尋ねた。
「アーク、ゲアンはどうした?」
「何か“忙しい”みたい」
「忙しい?」と怪訝そうに眉を潜めるバド。
「何かしてたのか?」
その追求にアークは狼狽えた。レミアが
「怪しい」と言いたげな目で彼を見る。
「何か“隠してるの”?」
「か、隠してなんかないよ!」
必死で無表情になるところがかえって怪しいアーク。
「よし」
すると何か思い立ったようにバドは立ち上がった。
「えっ? だ、だめだよ行っちゃ!」
慌ててバドを止めるアーク。声が必死だった。
「何をそんなに慌ててる?」
バド、レミアともに疑いの眼でアークを見てくる。やばい疑われてる……。アークの額に汗が滲む。
「あ、慌ててなんかないよ」
アークは目をクリッとさせた陽気な顔でおどけてみせた。
「じゃあどうする、“彼女”に頼むか?」
バドが意見を伺うようにアークとレミアを見ると
「だめっ!」とアークとレミアが同時に叫んだ。
「信じられない! 何でプリエッツェラなの!?」と憤慨するレミア。
「そうだよバド! プリエッツェラは今、“忙しい”んだからっ!」とレミアに賛同して抗議するアーク。しかしアークは、あ、やばっ! と言ってしまってからすぐにはっとした。“二人”の視線に肩を竦める。
ふとバドが言った。
「プリエッツェラのことを言ったんじゃないぞ」
「え?」
アークとレミアは顔を見合わせ――
「長老〜〜っっ!?」
と同時に驚きの声を上げた。