第二十九話:試練・運命・呪い
不気味な声が途絶え、全員が意識を取り戻した。それぞれがゆっくりと起き上がる。
「皆、大丈夫か?」
ゲアンが仲間達の様子を確認すると険悪な空気が漂っている。
「……」
悲しみに満ちた目をしているジャスミン。
「……」
そのジャスミンを冷ややかに見ているアールグレイ。
「……」
アークは何かをぐっと堪えるような顔をしている。
バドがゲアンの顔を見て言った。
「ゲアン、お前にも“あの声”が聴こえたのか?」
「ああ」
「フォガードが言っていたのはこういうことだったんだな」
「先生……」
そこへどんよりした目のアークが近付いて来る。
「どうした、アーク?」
アークは輝きが失せた目でゲアンの顔を見詰め、沈んだ声で言った。
「オレなんかいても意味ないんでしょ?…」
「?」
「どうせオレなんか、魔法は使えないし、剣だってまだまだ教わったばっかで実戦で使えないし……いるだけ無駄って感じなんだよね?」
アークの大きな瞳が潤んで瞬きを散らす。それはまるで捨てられた子犬のように哀しい瞬きだった。
「オレなんか所詮……ただの捨て駒なんだよね」
「アーク」
ゲアンはアークの肩に手を乗せた。彼の瞳を真っすぐに見詰めて言う。
「お前がいてくれることは無駄なんかじゃない。自分の力の未熟さを解っているのは良いことだ。お前は自分にできることを見付けて、オレたちの手助けをしてくれればいい」
「先生……オレ、いてもいいの?」
アークは涙ぐんで、ぐすっと鼻を鳴らした。ゲアンが頷いて微笑を返す。
「当たり前だ。お前はオレたちの大切な仲間だ」
「……っ!」
アークは込み上げる感情を抑え切れず、嗚咽を上げた。ゲアンの胸を借りて小さい子供のように声を上げて泣き出す。その傍らでバドが優しい目で二人の様子を見守る。
「……」
そんな中、先程からずっとジャスミンに対して険悪な眼差しを送り続けていたアールグレイが、迫るようにジャスミンに近付いた。普段感情を表に出さないアールグレイの顔が烈しい憎悪に歪んでいる。
「ジャスミン、オレは今までずっとがまんしてきたがもう限界だ。お前の男癖の悪さにはいい加減愛想が尽きた。オレはお前の機嫌を取るあまり馬鹿を見た。ゲアンのこともバドのことも、助けなかったせいでオレは信頼を無くしてしまった。お前の顔なんか見たくない。オレたちの前から消え失せろ!」
アールグレイは肩を押してジャスミンを突き飛ばした。ジャスミンがよろめいて地面に尻餅を突く。その異変に気付いたゲアンとバドは仲裁に入った。
「どうしたんだ?」
「大丈夫か?」
バドがジャスミンを助け起こそうとすると
「やめろ、バド!」
アールグレイが烈しくそれを制した。
「そいつはそうやって、いつも男に媚びるやつなんだ!」
「……」
バドは言葉を失い、まるで人が変わってしまったように気性が荒くなったアールグレイを唖然として見詰めた。
「大丈夫だから……」
ジャスミンは弱々しく笑みを作ってバドに言い、自分で立ち上がった。
「いったい何が原因でこうなったのか話してくれないか?」
ゲアンがジャスミンとアールグレイの間に立ち、互いを見ながら促した。するとアールグレイが眉間に皺を寄せて忌ま忌ましそうにジャスミンを見据え、吐き捨てるように言った。
「そいつの男癖が悪いからだ。昔からそうだった。容姿の整った男は全て餌食にする。それがそいつの正体だ!」
言ってジャスミンを指差すアールグレイ。ジャスミンは何も言い返そうとせず、覚悟を決めたように押し黙っていた。アールグレイは憎しみを込め、さらにジャスミンを追い詰めるように言葉を継いだ。
「オレには、昔住んでいた所に親友がいた。年上の美青年で、彼に好意を寄せている女も多くいた。ジャスミンもその一人だった」
「……」
ジャスミンは口を挟まず、完全にアールグレイに話の進行を委ねる。アールグレイは続けた。
「ある日ジャスミンは、その青年に手を出してしまった。それを一人の少女が目撃してしまい、彼女はショックのあまり身投げしてしまった」
「!?」
バドの頭の中に先程魔物に言われた言葉が蘇る。
『アイツハオ前ノコトヲ知ッテイルヨウデ何モ知ラナイ』
ジャスミンに唇を奪われた時の記憶が脳裏にちらついた。
『アイツガモシソレヲ知ッタラドウナルカナ?』
「……っっ!」
バドは頭を抱えた。“あの嘲笑い”が再び聞こえて来るようだった。全身から血の気が曳いていく。
「あいつのせいで人が死に、オレは親友を失った。それなのにあいつは全く反省しちゃいない! 今度はお前たちのことを……!」
アールグレイは拳を固く握りしめ、ぐっと怒りを噛み締めた。
「待て、“あの時”のことだったらみんな酔ってたんだ。それにゲアンは酔うと“ああなってしまう”。だから……」
「おい、何のことだ?」
「この前、美のコンテスト(※第七話、八話参照)に行った時、終わってから皆で飲み会をやっただろ? その時お前は……」
バドははっとして言葉を呑んだ。訝しげにゲアンが問う。
「それは覚えているが、オレが“ああなってしまう”とはどういうことだ?」
「あの時、お前とジャスミンはキスしたんだ」
あっさりとアールグレイが言った。
「?」
ゲアンは瞠目し、バドは額に手を当てて、“ああ、言ってしまったか”という顔をする。
「そんな……全く覚えてないぞ? バド、オレは“また”やってしまったのか?」
「ああ」
“また”という言葉に引っ掛かりを感じてアールグレイは眉を潜めた。淡々とした口調でゲアンが言う。
「それならアールの勘違いだ」
「勘違い?」
「そうだ。オレは酒に酔うと側にいる人間にキスしてしまうんだ。だからオレのほうからジャスミンにキスしていたはずだ。そうだろ、バド?」
「ああ、お前の方からしていた」
「っ……!」
大したことでもないように言う二人にアールグレイは激昂した。
「馬鹿だな、あいつはそれを利用したんだ! ゲアンが酔った勢いで自分に迫ってきたのをいいことに自分のほうからも積極的にキスをしまくってたんだ!」
「そうだとしても先に仕掛けたのはオレの方だ。オレが何もしなければジャスミンも何もしなかった」
「その時は何もしなくても、後で必ず何かしてたはずだ!」
「……」
「……」
自分の主張を一切曲げようとしないアールグレイの強情さに、ゲアンとバドは閉口した。ジャスミンを追い詰めてやろうとしてか、アールグレイは尚も過失を読み上げる。
「バドのことだってそうだ。あの時ジャスミンは酔い潰れた“ふり”をしてバドに介抱させ、隙を狙ってキスしたんだ!」
「酔った“ふり”だと?」
バドの眉間が反応してぴくりと動く。怪訝そうに細めた美しい切れ長の瞳の鋭い視線が、威圧的にアールグレイを捕らえる。
「解っていたなら何故オレにジャスミンを運ばせた? それじゃあ、お前も共犯じゃないか!」
「……っ!」
自らの発言に追い詰められ、言葉を詰まらせるアールグレイ。視線が行き場を失い、虚空をさ迷う。
「嘘……」
ふいに愕然とした小さな悲鳴が、バドの鼓膜を揺らした。
「レミア?」
顔を向けた先にその姿を認めて青ざめる。
「ジャスミンとキスしたの?」
その問い掛けにバドは何も答えることができなかった。
「……」
「……」
沈黙の濃霧が二人を包む。レミアの赤茶色した大きな瞳がまっすぐにバドを見詰めた。汚れのないその瞳に見つめられるほど、罪の意識が自分を締めつけていく。彼が酸欠に陥りそうになった時、ふとレミアが彼から視線を外した。体の向きを変えて反対方向へとずんずん進んでいく。
「あんたって最低!」
そしてジャスミンの前で立ち止まると、いきなり彼女の頬を思いきり平手で打った。
「ゲアンだけじゃなく、バドにまで手を出してたの!?」
ジャスミンが悲しそうな顔で叩かれた頬に手を当てる。
「何で、何でバドと……許せない!」
レミアは悔しくて堪らない表情をした。目に涙を溜めて、憤りに肩を震わせる。
「何よ!」
ジャスミンがぐいっと眉を吊り上げて熱り立つ。
「あんたとバドは何でもないんだから、あたしとバドが何したって関係ないでしょ? 恋人でもない癖に……なんであんたに文句言われなきゃなんないのよ。
だいたい、あんたとバドが釣り合うわけないじゃない!?」
「!?」
“釣り合うわけないじゃない”――その台詞を投げつけられた瞬間、レミアは泣き崩れて膝から地面に頽れた。
「バド!」
その瞬間にバドが素早く駆け寄ってレミアの体を支え、ジャスミンが叫び声を上げた。力無く両膝を突いて足の裏を外側にしてへたり込むレミアを逞しい腕で支えながら、バドは自分も地面に膝を突くとレミアの頭を自分の胸に引き寄せた。
「離して! 聞いたでしょ? 私たちは“釣り合わない”って。ジャスミンだけじゃない。みんなそう思っ……」
バドの腕を振り払おうとしてレミアがもがいた瞬間――
「!?」
ジャスミンは信じがたい光景に大きく目を見張った。レミアに接吻するバド――その光景が、周りにいたものたちを驚愕させる。誰もが唖然として時間が止まってしまったように固まった。
「……」
時間の瞬きが数回過ぎ、バドが顔を離してゆっくりと瞼を開けていく。目の前にいる少女を伏し目勝ちに見詰めてから、彼は自分の額を彼女の額にくっつけた。
「誰が何と言おうと関係ない。オレはお前のことが好きだ」
額の感触が心地好い。なんて落ち着くのだろう。彼の言葉、行動がレミアから抗おうとする力を奪っていく。
「本当に……?」
だが不安げにレミアは問い掛けた。
「本当だ」
バドは躊躇わずそう言うと、レミアに短く何度も何度もキスを繰り返した。
「オレを信じろ」
彼はレミアの目を真っすぐ見詰めて言うが、その瞳の奥に光が閉ざされた漆黒の空を見て、彼女の心に不安が過ぎる。
「!?」
次の瞬間――彼を見詰めていた彼女の瞳が驚懦の色に変わる。突然、不吉な前触れのような揺れが起こった。
『話ハ済ンダヨウダナ……』
地鳴りを生じて地面が振動するとともに、何処からともなく不気味な声が響いた。皆の心に戦慄が走る。それは夢か何か分からない。まるで彼等の精神の内に入ってきた、呪いのような“あの声”だった。
『馬鹿ナ人間共ヨ。オ前達ノアラユル邪悪ナ念ヲ吸収シ、我ハ実体化ニ成功シタ。オ前達ノ邪悪ナ念ハ全テ我ノ養分トナル。
己ノ呪イデ、己ノ身ヲ滅ボセ――――――――!』
すると地面の下から巨大な植物の根が飛び出した。
「皆、それに近付くな!」
ゲアンが仲間たちに注意を呼びかける。しかし次の瞬間、鋭利な刃物のように尖った巨大な根の先端が、勢いよく飛び出してきてアールグレイを襲った。
「危ない!」
咄嗟にジャスミンがアールグレイを突き飛ばす。そこへ鋭く尖った根の尖端が直進し――
「……ッ!?」
容赦なくジャスミンの胸を貫通した。
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛――――ッッ!」
アールグレイは錯乱状態になり、持っていたナイフでその根を突き刺した。するとジャスミンの体に刺さった根が抜け、ジャスミンの体がどさっと地面に落ちる。それから根はするすると引っ込んでいき、地中に隠れてしまった。
「ジャスミン!」
地面に倒れたジャスミンを抱き抱えてアールグレイは叫んだ。
「あ……あ……ぁ」
だらんと頭を垂らすジャスミン。何も言えぬまま彼女は事切れた。
「ゲアン、ジャスミンを生き返らせてくれ! “あの時”のように、早く! お願いだから……」
過去にジャスミンが投身自殺を図り、それをゲアンが魔法で救っことがあった。“あの時”のように――アールグレイは神にすがるように必死で懇願するが、ゲアンは静かに首を振った。
「アール、死んでしまった人間を生き返らせることはできない。あの時はまだ……」
ゲアンが言いかけたその時――
「アール!?」
再び地面から巨大な根が飛び出して、アールグレイの足首に巻き付いた。ゲアンがそれを剣で切断するが、地面から新たな根が間断なく触手のように伸びてきて、切っても切っても追いつかない。
『イ――ッヒッヒッヒ、切ッテモ無駄ダ。我ハオ前達ノ邪念ヲ吸収シテイル。オ前達ガ死ヌマデ消エルコトハナイ』
震えるレミアの肩を守るように抱いていたバドが手を離す。
「バド……?」
レミアは顔を上げ、不安そうに長身のバドを仰いだ。黙って前に進み出るバドを傍らにいたアークも、どうするんだろう? と不安そうに見守る。
「ゲアン、そいつから離れろ」
言いながらバドは魔法を放つ構えをした。振り向いたゲアンがその様子を目で捕らえ、速やかに脇に移動する。バドは地面を蠢く巨大な化け物に狙いを定め、そこに向かって左手を突き出した。
「火炎飛弾!」
呪文を唱えると掌の前に赤い炎の塊が発生し、それが掌から離れて剛球となって飛んでいく。アールグレイに巻き付いた部分と地面から伸びている中間部分にそれは命中した。
衝撃と熱が狙った部位を抉るように焼き切る。
「やった!」とアークが歓声を上げる。足に巻き付いている部分とそこに繋がっている部分が切り離され、アールグレイはその呪縛から解放された。そう思われたが……
間もなく彼らは凍てついた。
「うわああぁ――――ッッ!」
焼き切られた部位が、時間を逆回転させたようにみるみる元の状態に戻っていく。傷跡も残さず見事に復元したそれは、あっという間にアールグレイの全身をまるごと覆い尽くし――人間の入った“繭”を形成した。
地面の下から鋭い尖端が顔を出す。それは地面を砕いて地上に巨体を晒した。大蛇のようにも見えるそれは体をくねらせ――
「アール!?」
獲物を捕らえるがごとく搦め捕った“繭”を一気に力を込めて引き寄せた。アールグレイの入った“繭”が連れ去られていく。物凄い勢いで地面の上を引きずられ、地面の下に向かって引っ張られていく。そして無情にも根は、繭ごと強引に固い地面を割って地中に潜っていった。その末路は想像するに耐えない。
「え? いやああぁ!」
「うわああ、助けて!?」
レミアとアークが悲鳴を上げる。次々に起こるこの悪夢が、二人には受け入れられなかった。こんなことが現実とは信じられない。
すると今度は、根がレミアとアークの足首に巻き付いてきた。
「レミア!? アーク! 今すぐ邪念を捨てろ!」
バドが叫ぶが、混乱に陥っている二人にはどうすることもできない。
「キャアアア!」
レミアの悲鳴が上がる。根は彼女の膝の辺りまで巻き付いた。
「何も考えるな、そうすればこの根は消える」
落ち着かせるようにゲアンは言って、二人の肩を抱いた。シュルシュル……。するとアークの足に巻き付いていた根が少しずつ離れていく。一方
「何で私のほうは離れていかないの!?」
レミアの足からは離れていかない。ますます混乱して足をバタバタさせるが
「どうしたらいいの!?」
根は振り落とされることはなく、それどころか上昇を続けていく。
「いや……いや……ぁ!」
横からバドが彼女の肩を抱いた。
シュルシュル……。と、すぐに巻き付いていた根が引っ込むように彼女の足から離れていく。
「バド!」
安堵したレミアは飛び付くようにバドに抱き付いた。
「二人とも根は消えたな」
ゲアンがそれを目で確認する。彼に肩を抱かれながら、アークは顔を上げた。
「先生、アールとジャスミンは……?」
不安そうに尋ねると
「……」
ゲアンは静かに首を横に振った。
「そんな!?……っ」
アークの大きな瞳が涙の光沢を放つ。泣き出す瞬間。
「アーク!」
「えっ!?」
ゲアンの鋭い声が涙の氾濫を止めた。アークはびっくりして肩を浮かし、勢いでポロリと一粒零れてしまった涙を丸めた指で拭う。
「戦いが終わるまで何も考えるな。いいな?」
「はい!」
アークは背筋をぴんと伸ばして返事した。ゲアンの峻烈な言葉で目が覚めたように身が引き締まる。
「これは……」
ふと驚愕したような声が上がった。仲間たちの視線がそこに集中する。
「どうした、バド?」
真剣な眼差しでゲアンが問う。手にした物を見詰めながらバドが言った。
「さっきアールが根に突き刺した時、根が引っ込んでいくのを見てまさかと思ったんだが……このナイフであの根を倒せるかもしれない」
「それは何だ?」
ゲアンがそう問い掛ける声に別の声が重なった。
『オ前達、サッキカラ何ヲゴチャゴチャ言ッテイル。サッサト諦メテ、我ノ餌食ニナルノダ。イッヒッヒッヒッ――――』
「ッ!?……」
声に驚いてレミアがバドにしがみつく。バドは「大丈夫だ」と静かに言い、彼女の額に手を当てて瞑想した。すると徐々にレミアの恐怖で強張っていた表情がやわらぎ、体の震えが治まっていく。
「……?」
不思議な感覚を味わいながら、茫然とバドを仰ぐレミアだった。
「こっちが無心になると根も手が出せないようだな」
足元を見てバドが言った。地面の上で根がじれったそうに蠢いている。
「よし、これに賭けてみるか……」
バドは握りしめたナイフを見詰めて独語した。その直後。
シュルシュル……。足元にあった根がバドの足に巻き付いたかと思うと、あっという間に彼の長い足の付け根辺りまで巻き尽くしてしまった。
「……!?」
あまりに不意を突いた一瞬の出来事に成す術もなく、愕然とするゲアン。
「いやああぁあ!」
「バド!?」
根に巻き付かれたバドの姿を見て、顔面蒼白になり絶叫するレミアとアーク。とうとう胸の辺りまで根が巻き付くとバドが叫んだ。
「ゲアン! 巨大な根が現れたらこのナイフでその根元を……!」
彼は持っていたナイフをゲアンに差し出した。素早くゲアンがそれを受け取り、根がそれを阻むように、一瞬にしてバドの全身を覆い尽くす。また一つ、アールグレイと同じ“人の繭”が形成された。
「!?」
レミアは卒倒した。
「あっ、レミア、大丈夫!?」
アークが心配して彼女のもとに駆け寄る。
「あいつは何てことを……」
地面の上の“繭”を見下ろして、罵るようにゲアンは悪態を着いた。同じ過ちを繰り返してはならない――ゲアンはバドから渡されたナイフを握る手に力を込めた。
「ッ!?」
突然、地面がぐらついたかと思うとその下から巨大な根が出現した。
来たか!
ナイフを持って構えるゲアン。巨大な根の化け物が、バドを包み込んだ“繭”を引き寄せる。その瞬間、ゲアンがナイフを振り被り、その根元に突き刺した。
しばし体をくねらせた後、根の化け物は動かなくなった。
「やったか……」
「あっ、先生!」
安堵したのも束の間、再び根はうねり始めた。
「何……っ!?」
ゲアンが急いで繭を形成している根をむしり取ろうとし、アークも手伝うがびくともしない。
「うわあぁあ、どうしよう、先生!? 取れないよ〜!」
半泣きになってゲアンに助けを求めるアーク。護身用に持っていた細い剣を使っても、まるで歯が立たない。途方に暮れていると……
「?」
突然ゲアンにぐいっと手首を捕まれた。そのまま木の側まで走らされる。そこに来ると今度は
「伏せろ!」と言われ、訳もわからぬままゲアンの真似をして地面に身を伏せるアーク。困惑していると……
ボン! と何かが破裂したような短い爆発音が鳴った。何? とアークが恐る恐る頭を上げると、破片がそこら中に飛び散っていた。あれは……
「バド?」
アークは我を失ったように飛び起きて駆け出した。細かい破片の傍らにある“大きな塊”に向かって。
「げほげほっ!」
それは咳込んでぐったりとしている――
「バド!?」
“バド”だった。すぐさまアークが駆け出し、後からゲアンも行く。
「バド! お前、何故あんな危険な真似をした!?」
駆け付けるなりゲアンは、地面に倒れてぐったりしているバドに容赦せず、掴み掛かった。バドが苦しそうに息を切らしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「根の……弱点を確かめるためだ」
それを聞いたゲアンは、さらに深く眉間に皺を寄せて激昂した。
「だからと言って……死んでいたかもしれないんだぞ……!?」
そこに――
『相変わらずだな、バド』
空から不思議な声が降ってきた。
「フォガード……」
すぐにそれが誰のものかわかったバドは、その名を呟いた。
声が続く。
『バド、お前は自分の命を粗末にしすぎる』
まるで側で見ていたような台詞。“師”はやはり天から見ているのだ。バドは改めてそのことを実感して畏縮した。
『だが、あのナイフに目を付けたのは正しかった……しかしそれだけではだめだ』
「じゃあ、どうすればいいんだ!?」
性急に問い質す弟子に師が答える。
『お前たち全員で心を一つにし、あの巨大な根の根元にその“ローチャーのナイフ”を突き刺すのだ。それから大呪文リフソレアを唱えるのだ』
「リフソレア?」
バドの声と仲間たちが頭の中で発した声が揃う。
『今その呪文の知識をお前たちに授ける』
ゲアンたちの頭の中にリフソレアの知識が流れ込む。
『その呪文は一度しか使えない。仲間を信じて放つのだ』
そこで声は途絶えた。
根が今か今かと待ち構え、うねって挑発してくる。
「何あれ!?……気持ち悪〜」
その悍ましさにアークは身震いした。
「レミア!?」
地面にレミアが倒れていることに気付いたバドが叫んだ。
「あっ、レミアはさっきバドが根に覆われちゃった時に気絶しちゃって……」
その声を背に、レミアの側に駆け寄るバド。
「レミア……」
バドが地面の上に倒れているレミアの額に手を当てて瞑想を始める。すると間もなくして、レミアが目を開けて意識を取り戻した。
「?」
状況をすぐに把握できず、ポカンとするレミア。バドが支えてゆっくりと彼女を抱き起こす。
「いいかレミア、今からあの根を皆で倒す」
「??」
ますますきょとんとしてしまうレミア。急にそんなことを言われ、彼女の頭にさらにもうひとつの疑問符が並んだ。
「リフソレアの知識がお前の頭の中にも流れ込んだはずだ」
「リフソレア?」
その名前を聞いた途端、レミアは不思議と頭の中にその知識があることに気付いた。“リフソレア”を発動させる呪文が――
「分かるな?」
「え、ええ……」
「よし、まずゲアンがあの根の根元にローチャーのナイフを突き刺す。そしたら皆でリフソレアを唱え、とどめをさす。チャンスは一度だけだ。行くぞ」
「解ったわ」
意識を取り戻したばかりなのに、レミアはしっかりとした迷いのない返事をした。これは遊びじゃない。“闘い”なのだ。そのことをはっきりと自覚し。
「これで全員揃ったな? オレがあの化け物の根元にこのナイフを突き刺す。皆は祈ってくれ!」
もっとも重要な役をゲアンが買って出た。その右手にはアールグレイの形見のナイフが。それは巨大な敵を相手にするにはあまりに小さかったが、その小さなナイフには仲間全員の強い思いが込められていた。誰もが成功を祈る。
その時尖端が裂け千切れた根の化け物が怪しい動きを見せた。何かを体内に取り込もうとするかのように、裂けた皮をぴんと張り巡らす。
何かが始まりそうな予感が戦慄を誘う。
『今だ!』
師の声に従ってゲアンは動いた。左手でナイフを握り締め、その柄の底部分に右掌を添えて駆け出す。根の化け物はその間にも回復していった。徐々に裂け目が繋がってついにはもとの形状に戻ってしまう。しかしゲアンは怯まず――
「っ!」
そのまま根元に向かってナイフを突き刺した。次の瞬間。
『ー―――ッ……ッ!』
断末魔のような激しい叫び声が大気を揺るがした。悍ましいとしか言いようのない叫び。それは今まで吸収されてきた邪念、負念の木霊か? 根はのたうち回るように地面の上で震えを伴いながら体を揺らした。
しかしゲアンはそれを見ても動じなかった。静寂の眼差しでそれを見つめる。
これを終わらせなくてはいけない。
その使命感だけを胸に、彼は後方で待機している仲間たちに振り向いた。
「今だ。行くぞ!」
バドが促し、他の二人とともに一斉に駆け出す。皆、恐怖心や浮かんで来そうになるさまざまな念を自分の中で抑え、自分とも闘っていた。ゲアンのもとに仲間全員が揃うとゲアンが手を伸ばした。
「皆を信じて」
その手をアークが握った。
「皆を信じて」
彼が反対の手を伸ばし
「皆を信じて」
バドと手を繋ぐ。彼もまた反対の手を伸ばし
「皆を信じて」
レミアと手を繋いだ。
横に並んで手を繋いだ彼らは、そのまま腕を天に向かって掲げた。そして同時に息を吸い……
「地浄大円蓋――――!」
リフソレアの呪文を唱えた。次の瞬間、森全体を大きな泡が包み込んだかと思うとそれがパッと弾けて、ダイヤモンドダストのような光りが一斉に地上に降り注いだ。その輝きのあまりの眩しさに皆、一瞬目を閉じる。そしてゆっくりと開け
「森が消えてる……!?」
唖然として口が開いたままになるアーク。先程まであった森が姿を消し、ただの平地になっていた。ここは何処? と困惑する。
「終わったな……」
「ああ」
ゲアンとバドはやり遂げたというように言葉を交わした。確かに闘いは終わった。
しかしこれが終息か?
「ジャスミンとアールまで消えてしまったわ……これじゃ、どこに二人のお墓を立てればいいの?」
レミアの瞳から涙が溢れ出す。これで終わりにするなんてできない! こんなこと受け入れられない……
ジャスミン。
アール。
二人は大切な友だった。
二人とも好きだった。
ジャスミン、ごめんね。
ごめんね……
もう謝ることさえできないのか?
ジャスミン……
彼らは何故出逢ったのか? それに意味はあったのだろうか? 出逢わなければきっと、こんな残酷な別れ方をしなくてすんだだろう。
しかし“ふたり”は、その命と引き換えに、もっとも大切なものが何かを知り
――その愛を手に入れた。
“ぼうや、強くなりたいか?”
それは数年前のある穏やかな午後だった。道を歩いていたアールグレイに、路上で商売をしていた男が声をかけてきた。にやにやとして怪しげなその男は道端に茣蓙を敷いてそこにがらくたのような商品を並べて売っていた。当時まだ幼い少年だったアールグレイはぼんやりとそれを眺める。男の言った言葉が気になっていた。
“強くなりたいか?”
ずっと彼は心の中で思い続けてきた。
親に捨てられ、妹とともに育った施設での絶えない喧嘩や執拗な虐め。弱い者が挫かれ、力の強い者がのさばる。その生活から抜け出したかった。そんな悪い奴らから妹を守れる、強い男になりたかった。
するとその胸中を察したように男は言った。
“それならいいものがある”
そう言うと男は、並べた商品の中から一本のナイフを選んでアールグレイに差し出した。柄に蔓草のような模様と文字か記号のようなものが刻まれていた。
“これは東の地トーマの魔女が魔力を込めた不思議なナイフだ。どんな効果があるかは使ってからのお楽しみだ。護身用に持っておくといい。それを持っていれば、“いつか必ず使う日がやってくる”。
男は代金の支払いを断ったが、気味が悪くなったアールグレイは返すことにした。ところが翌日そこに行ってみると店は出ていなかった。その翌日も、そのまた翌日も……
それからその男と二度と会うことはなかった。
男の予言は本当だったのか。アールグレイはそれを渡すためにゲアン達に出会い、死ね運命を背負わされたのか。ジャスミンはその運命に巻き込まれ、死ぬ宿命だったのか。天上の神とフォガードだけが、その答えを知っていた……
傍に来てゲアンが言った。
「レミア、ジャスミンとアールのことはこの旅が終わるまで心の中にしまっておこう。そして旅を終えた時、ともに旅を終えた仲間として花を捧げよう」
「ゴールする時は一緒なのね? 一緒にゴールするのね」
「そうだ」
「……」
震えるレミアの肩を優しく包み込むようにバドが抱いた。
「バド……」
「ん?」
「あの時、あなたが根に全身を覆われてしまった時、もうだめかと思ったわ……」
再び不安が蘇り、レミアの声を詰まらせる。バドは瞼を降ろし、その僅かな隙間から彼女を見下ろした。
「心配させて悪かった」
言うと彼はレミアを抱き寄せ、彼女の頭に顎を乗せた。瞼を閉じてその瞬間を噛み締める。
「でも、どうやってあの状態から助かったの?」
「全身から気を放ったんだ」
「手を使わずに?」
「ああ、狭い場所に閉じ込められた時に使うエスケープ(技)だ」
「そう……その技をもしアールが使っていたら、死なずにすんだのに……」
「……」
「あ、違うの! あなたのことを責めてるわけじゃ……」
沈黙してしまうバドに、焦ってレミアは訂正した。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ……」
力無くそう答える彼の腕をレミアはぎゅっと握った。
「バド……私、ジャスミンにひどいことをしてしまったわ」
感情的になって、彼女を殴ってしまったことを後悔していた。
「あの時は皆、魔物に洗脳されていたんだ。仕方ない」
「私、魔物にこう言われたの。“オ前トバドハ釣リ合ワナイト皆ガソウ思ウ”って。
認めたくなかった。そしたらジャスミンに釣り合わないって言われて……」
嗚咽を覚えてレミアは声を震わせた。思い出すだけでも切なくなってくる。
「レミア」
優しい眼差しでバドが包み込む。
「魔物が言ったのはお前を苦しめるためだ」
「それじゃあジャスミンが言ったのは?」
涙声で問うレミア。
「本気で言ったと思うか?」
バドが彼女の髪を撫でながら見詰めて言う。
「わ、解らないわ……」
バドに見詰められて、みるみる真っ赤に頬が染まるレミア。ふふっ、とバドは安堵したように微笑んだ。
「魔物に言われたことは全部嘘だと思って忘れろ」
そう言った直後――
「バド!?」
バドの体が後ろに傾いた。燃料が尽きたように瞼を閉じて倒れていく。慌ててレミアは彼を支えようとして手を伸ばすが、その手を掴む前に彼は後ろに向かって倒れていってしまう。
「バド!?」
そこにゲアンが現れ、素早くバドの体を支えた。
「しっかりしろ、バド!?」
「……」
ゲアンが呼び掛けるとバドはゆっくり目を開けた。
「バド!?」
心配してレミアとアークが叫ぶ。
「大丈夫か?」とゲアン。
「……」
僅かに意識が残っていたバドは、ゲアンの腕を離れて自分で立とうとした。
「無理するなよ?」
「ああ、もう大丈夫だ」
そう言うが、仲間たちは心配そうにバドを見詰めた。バドはゲアンの手を借りて、ふらつきながらも立ち上がる。
「休まなくて平気か」
「平気だ。さぁ、行くぞ」
バドが歩き出し、仲間がその後に続く。彼らを“見ていた”視線の主は消えた。開放された“無”の大地が広がっている。頬を撫でる風は熱を孕んでいて生温かい。汗が額から首筋を伝って服を濡らす。暑い。それは生きていることの証。太陽、空、雲、大地。遠くに見える集落。そこは生命が息づく平和な風景だった。跡形もなく消し去られた森。切り取られたその風景の中にいたもう二人の仲間、ジャスミンとアールグレイ。彼らのことを胸に、一行はその場所を後にした。
この森で魔物に出会う話は、小説を書く前にネタだけ書いていたものを小説の形にリメイクしたものです。設定をいじってしまったのでつじつまを合わせるのに苦労しました。まだ合ってないかも…。とりあえずこれでこのネタは終止符が打ててよかった。よかったよかったです。ふぅ…。次話もよろしく。